第十四話 贖罪 Ⅶ
帝国の大粛清は、たった一日で終了した。
怒りと憎しみが渦巻いた、反女王派貴族の粛清は完了したのである。反女王派であった者たちは、その一族全員を含めて、皆殺しにされた。
妻や子、屋敷の使用人たちは全員その場で殺し、捕縛した貴族の男たちは、徹底的に拷問した末に、処刑された。
だが、一部の貴族たちは処刑前、帝国の各地を連れまわされ、多くの国民の目の前で、女王の死の真相を話すよう命じられた。話さなければ殺すと脅されて。
女王ユリーシアは自分たちが毒殺した。ジエーデルとエステランの侵攻は、自分たちの計画によるものだと、全てを話させた。これにより帝国国民は、女王ユリーシアの死の真相を知る。
真相を知った全ての国民が、反女王派の者たちへ怒りの炎を燃やし、帝国軍が実行した今回の粛清に対して、誰も反対意見を述べる事はなかった。寧ろ、真相を暴いた軍の行動を全面的に支持し、皆が口々に感謝の言葉述べていた。
帝国軍と帝国宰相の活躍により、民の愛する国と女王を裏切った者たちは、一晩の内に根絶やしにされたのである。こうして、ヴァスティナ帝国初の粛清の嵐は、全ての帝国国民に支持され、その目的を完全に達成された形となる。
しかし、憎むべき裏切り者たちを殺し尽くしても、明日の不安が消えたわけではない。粛清が行われた時は、帝国国民たちも、粛清に動いた軍人たちも、怒りにその身を任せ、明日への不安を忘れ去っていた。
だが今は、怒りを向けた対象は捕らえられたか殺されて、粛清は終わってしまっている。多くの国民たちは、抱えていた不安を思い出す。
自分たちの愛するヴァスティナ帝国。
裏切り者をいくら倒そうとも、自分たちの良き支配者であった女王は、もう二度と還らない。自分たちを導いてくれる支配者なしで、この先この国はどうなってしまうのか。多くの国民の心は、闇に閉ざされた。
目の前の闇に惑う、多くの者たち。そんな彼らの前に、粛清より五日が過ぎたこの日、この国を統べるため、新たな支配者が現れた。
彼女は女王ユリーシアの後を継ぐ者。その資格を持った、最後の存在。
新たな支配者となる、彼女の名は・・・・・・・。
「アンジェリカ陛下」
何も無い部屋。窓から外を眺める、黒髪の少女がいる。
少女の名を呼んだのは、帝国メイド長のウルスラ。かつては、帝国女王ユリーシア・ヴァスティナに忠誠を誓った、一人の元女兵士である。
ウルスラは今、新たな主君にその身を捧げ、忠誠を誓っている。その主君の名は、アンジェリカ。
「時間か」
「はい。皆が陛下の御言葉を待っております」
少女アンジェリカは、その身を黒きドレスに包んでいる。ユリーシアの純白のドレスとは正反対の、漆黒のドレス。ユリーシアを光と表すならば、アンジェリカは闇の存在。
彼女が抱えた大きな闇を表す、この漆黒のドレスは、彼女自身が選んだものだ。
自分はユリーシアとは違う。彼女のようには生きられない。その想いが、このドレスを着る理由である。
「ウルスラ」
「はい」
窓から外を眺めていたアンジェリカが、ウルスラの方を向く。
「これまでよく、我が姉に忠義を尽くしてくれた。礼を言う」
「私の身には勿体無き御言葉です・・・・・」
「我が姉ユリーシアの死に責任を感じる必要はない。お前は十分忠義を尽くした」
ユリーシアを死なせてしまったという思い。責任を感じ続けているウルスラに、アンジェリカの言葉は続く。
「苦しいか」
「・・・・・・」
「無理に私に仕える事はない。真に忠誠を誓った主君がもういない以上、お前は自由だ。好きなように生きるといい」
あの夜、アンジェリカが己の亡き主君ユリーシアの妹であると知り、ウルスラは心に決めた。
「自由など不要です。私はアンジェリカ陛下に忠誠を誓います。この命尽きるまで、貴女を守り続けたい」
粛清が行なわれていた時、ウルスラはアンジェリカの護衛を頼まれていた。それ故に、粛清には参加しなかったのである。
いや、頼まれなくとも護衛したはずだ。
何故なら彼女は、ユリーシアにとって大切な存在。絶対に守らなければならない、忠誠を誓った主の妹。
「ユリーシア陛下が生きていたならば、必ず私に命じたはずです。アンジェリカ陛下、貴女を守れと」
「だから忠誠を誓うのか?お前も、あの男と同じように、姉様だけが生きる理由なのだな」
「御言葉ですが、ユリーシア陛下と出会ったばかりの頃とは、もう違います」
脳裏に映し出される、今日までの日々。
兵士として戦いに明け暮れ、この地に流れ着いて出会った、少女の微笑み。平和な国の中で、城のメイド長として働き、忙しく過ごした日々。自分と同じように、生きる意味を失った者たちを集め、忠誠を誓った女王の傍で共に仕えた。
穏やかで、充実した日々だった。それは決して失いたくない、彼女にとって初めての、幸福な時間。
あの時間は永遠に失われた。この先の未来に、ユリーシアという光はない。
だが今の彼女には、大切な仲間たちがいる。同じくユリーシアに救われた、闇を抱えるメイドたち。今のウルスラは一人ではない。光が失われても、仲間たちがついている。
「守りたい者たちがいます。部下たちのためにも、私は生き続けなければならない。そして、貴女は私の部下でもありました」
メイファと言う名前を与え、参謀長専属メイドになれるよう、メイド仕事を彼女に教えたのはウルスラ本人である。短い時間ではあったが、アンジェリカはウルスラの言う部下でもあった。
「陛下の妹だからという理由もありますが、貴女は大切な元部下です。私にとって部下とは家族同然の存在。家族を守りたいと思うのは当然の事です」
「私を、家族の一人と思ってくれているのか?」
「無論です。だから私は、貴女の傍に仕えたいと、心からそう願っています」
寡黙で真剣な表情しか見せないウルスラが、優しく微笑んで見せる。
その微笑みに返すように、アンジェリカも少しだけ微笑む。
「ありがとう・・・・・」
自分でも理解できないほどに、どうしようもなく嬉しくて、これ以上言葉が出て来ない。
この世に、家族と呼べる者が誰一人いなくなった、未だ子供のアンジェリカ。しかし子供であろうとも、目の前の運命から逃げ出す事は許されない。最後の家族を失った傷も癒えぬまま、少女は涙を堪えて前を向く。
そんなアンジェリカに、ウルスラの想いは温もりを感じさせた。
忘れかけていた、亡き母親の愛と似ている。ウルスラの姿が、ミリアと重なって見えた。
「ウルスラ、お前には苦労をかけると思う。未熟な私では、姉様のように国を治める事は出来ないだろう。こんな私でも、お前は仕えてくれるのか?」
「はい。私を含め、メイド一同、アンジェリカ・ヴァスティナ陛下の御傍に仕えさせて頂きます」
今後彼女は、命の全てをアンジェリカへと捧げ、どんなに苦しい時も、アンジェリカの支えとなり続けるだろう。頼もしく心強い、母親と同じく、メイドとして生きる大人の女性。
愛おしい母親の姿と重なるウルスラ。彼女が傍に居てくれると言うだけで、不安な心が和らいでいく。
「当てにしているぞ」
「はい」
「話は終わりだ。皆を待たすわけにはいかない」
彼女の言葉を受け、部屋の扉を開くウルスラ。
部屋を後にしようと、歩みを進めたアンジェリカ。しかし彼女の歩みは、部屋を出る一歩手前で止まる。
振り返った彼女は、一瞬だけ、部屋の中に今は亡き、愛しき者たちの姿を見た。
(姉様・・・・・・)
何もないこの部屋。皆に忘れ去られたこの部屋は、アンジェリカの思い出が詰まった場所。
ここは、アンジェリカとユリーシアの遊び部屋だった。キメルネス王やエアリーゼ王妃、侍従長ミリアと宰相マストールも、この部屋では二人の遊び相手。
優しさと笑いの絶えなかった部屋。
だからなのか、悲しい事や不安な事があると、昔からこの部屋に来てしまう。
(愛しています、姉様)
これは思い出が見せる幻覚。亡き愛おしい姉が、アンジェリカに微笑みかける。
「行ってきます、姉様・・・・・・」
そう言って、アンジェリカは部屋を出る。閉められた扉。もう振り返る事はない。
思い出は心の底にしまい込み、彼女は目指す。
帝国の未来を担うべく、王となるために。
王の間。
玉座へと歩みを進める、少女アンジェリカ。
これから行なわれる儀式は、少女アンジェリカが、正式にヴァスティナ帝国の王となるためのものである。これで彼女は、二度と専属メイドの少女メイファに戻れない。
玉座に辿り着いたアンジェリカが、振り返る。振り返った先には、これから彼女の臣下となる者たちの姿があった。
宰相リリカ。メイド長ウルスラ。そして、帝国軍参謀長リクトビアと彼の配下たち。
皆一様に膝をつき、臣下の礼をとる。
「聞け。私はアンジェリカ・ヴァスティナである。亡き姉、ユリーシア・ヴァスティナの妹である」
少女が声を張り上げる。
その言葉には、少女とは思えない威厳と重みがあった。
「我が姉ユリーシアは、国を裏切った逆賊たちの手で悲運の死を遂げた。私は亡き姉に代わり、この国を治めると決意した」
誰にも異論はない。
何故ならば、彼女以外に王となる資格がある者は、存在しないからだ。
「私こそが、新たなヴァスティナの女王となる。今この時より、私はヴァスティナ帝国女王アンジェリカ・ヴァスティナである!」
誰もが望んでいた、未来への希望。
この瞬間、アンジェリカ・ヴァスティナは、帝国国民全ての希望となった。
「前女王の遺志を継ぎ、私がこの国を導いていく。皆の者、異論はないな」
この場の全員を代表し、宰相リリカが答える。
「御座いません、アンジェリカ女王陛下」
リリカの言葉を聞き、頷いたアンジェリカ。
次に彼女は、一人の男へと視線を向ける。
「リクトビア・フローレンス」
「はい、アンジェリカ陛下」
女王となり、臣下に初めての命令を与えようとしているアンジェリカ。
最初に命令を受けるのは、彼女が憎む男、リクトビアだった。
「貴様に命じる。我が姉の命を奪った者たちを、決して許してはならない。貴族たちだけではなく、卑劣なあの二国もだ」
「わかっております」
二国とは、エステラン国とジエーデル国。
この二国は、アンジェリカやリクトビアだけでなく、帝国国民全員の仇敵だ。
「我が国に牙を向けた者たちを許すな。貴様は私の剣として、奴らに裁きを下せ」
「はっ。必ずや、御命令のままに」
アンジェリカとリクトビア。
二人の壮絶な復讐劇は、ここから幕を開けたのである。
この日この時をもって、正式に新たな女王が誕生した。
新たな女王の名は、アンジェリカ。南ローミリアの一国、ヴァスティナ帝国の新たな支配者である。
「ふふ、始まったね」
「そうだな。陛下が即位した今、帝国は再び一つになった」
「膿は絞り出したわけだし、国内の不安は存在しなくなった。後は・・・・・」
玉座での宣言の後、帝国は戦争への道を歩むと決めた。
この道を進まなければ、国民の怒りは治まらない。国民の怒りを鎮め、新女王が信頼を得るためには、憎むべき二国と戦い、勝利しなくてはならない。
「今まで通り軍は俺に任せろ。まずはエステランを攻め滅ぼして、その後はジエーデルだ」
「陛下と政務は私に任せてくれていい。頼りになるだろう?」
「ああ。旅をしていた時から、俺はお前に甘えてばっかりだな」
帝国軍参謀長の執務室。二人きりで話し合っているのは、リックとリリカだ。
リックは部屋の窓辺に立っている。リリカは彼の傍に寄り添い、窓の外に視線を移す。
「綺麗な国だね、ここは」
「ユリーシアが守り続けた国だ。この国をアンジェリカが継ぐのは、運命だったのかもしれない」
「どうしてそう思う?」
「殺されなくても、ユリーシアは長く生きられなかった。きっといつか、こうなる時は訪れたと思う」
時間の問題だった。無力な自分では、この運命をきっと変えられなかった。
「宗一郎・・・・・・」
その名前を知る者は、この世界にリリカだけしかいない。
彼が愛したユリーシアもメシアも、この世を去った。本当の彼を知る二人は、彼を残して先に逝った。
どうして今、リリカが彼の本当の名前を口にしたのか、その理由はわからない。
だが理由を考えるより、リックは彼女に言っておきたい事がある。
「長門宗一郎はもういない」
「えっ・・・・・」
「リクトビアだ。俺はユリーシアが与えてくれた、この名を胸に生きる」
無力で何も守れない、長門宗一郎という存在を、彼は殺した。
リクトビア・フローレンスとなった彼は、ヴァスティナ帝国王妃の名を受け継ぎ、元の存在を否定した。
リックはもう二度と、何も守る事のできない弱い男に、戻るつもりはない。
「わかった。そう決めたのなら、この名で君を二度と呼ばないよ」
彼女は優しいのだろうか。逆なのかもしれない。
彼のどんな選択も否定しないからと言って、優しいというわけではない。
それでも、彼にとっては救いとなる。
「なあリリカ・・・・・・。抱きしめて・・・・・・くれないか」
「いいよ」
リックの体に腕をまわし、そっと抱きしめたリリカにはわかる。
この弱さだけは、彼がどんなに変わりたいと願っても、振り払うこ事は出来ない。だから彼女は、彼に温もりを与え続ける。
「ねぇリック、あの夜君は嘘をついたね」
抱きしめながら、あの夜の事を話し出す。
リリカの言う嘘とは、アンジェリカに詰め寄られた、あの時だ。
「嘘は言わなかった」
「・・・・・・そういう事にしておくよ。でもね、君が彼女の憎しみを全て受け止めなくてもいい。その贖罪は、私も背負うべきものだ」
「駄目だリリカ、これは俺が償う罪なんだ。お前に背負わせたくない」
「ふふふ、優しいね。なら私は、君が辛い時や苦しい時の支えとなりたい。それ位は許してくれるだろう?」
今がそうだ。
傷つき、堕ちていく事しかできない彼のための、最後の救い。それがリリカだ。
「助かる・・・・・・」
「今は誰も見ていない。我慢する必要はないよ」
この部屋には二人きり。リックの部下たちもいない。
誰も見ていないこの場所ならば、彼女の言う通り、我慢する必要はないだろう。
「ぐっ・・・・・・・」
「好きなだけ泣きなさい。私はどこにも行かないから」
止めどなく流れ落ちる涙。
愛する者たちの死と、本当は選びたくなかった選択。ユリーシアを救う事は出来ず、アンジェリカを帝国の事情に巻き込んだ。
多くの仲間を失い、家族になろうと約束した最愛の女性メシアも、リックを救うために命を落とした。
この悲しさと苦しさは、どれだけの涙を流し、声に出して泣き叫んでも、決して消えはしない。
それでも、リリカの温もりは癒しとなる。
「リリカ・・・・・・俺は・・・・・・っ!」
「今は何も心配しなくていいよ。軍務も政務も、泣き止んでからでいい」
他人に涙を見せるのは、これが最後。
涙が枯れるまで、今は泣く。そうしなければ、自分に付き従う者たちに、余計な心配をかけてしまう。
強くあらなければならない。弱さを捨てきれなくとも、せめて皆の前では、強くありたい。
「メシア・・・・ユリーシア・・・・・・、俺は必ず・・・アンジェリカを・・・・・」
そこから先は何も言わず、彼はただ涙を流すばかりだった。
彼女は何も言わず、そんな彼を優しく抱擁し続けた。この涙が枯れるまで、ずっと・・・・・。
贖罪。
この男は救世主と呼ばれている。そんな彼は、大切な者たちを失い、憎しみと怒りのままに、多くの罪を犯した。
いつの日か、彼はこの罪を償わなければならない。
殺した者たちのために。守れなかった者たちのために。己の目的のため、利用している者たちのために。
贖罪の救世主。
罪を背負って生きる彼の名は、リクトビア・フローレンス。




