第十四話 贖罪 Ⅵ
「母様・・・・・・・・?」
王妃の寝室。扉の隙間から中を覗き込む、一人の少女がいる。
この黒髪の少女は、自分の母親の後を、見つからないようにつけていた。昼間、この時間に寝室に来るよう、王妃に呼び出された母親の事が気になり、後を追う事にしたのである。
今は見張りの兵士などを除けば、ほとんどの者が寝静まった深夜。王妃の寝室は暗く、中には三人の人影がある。王妃エアリーゼと国王キメルネス、そして少女の母である侍従長ミリアの姿が、この部屋にはあった。
しかし、侍従長ミリアは部屋の中で倒れている。暗いせいでよく見えないが、三人の内ミリアだけは、部屋の中で倒れたまま動かない。
「母様・・・・・・、どうしたの・・・・・・?」
少女の名はアンジェリカ。彼女は倒れて動かない、自分の母親のもとに歩み寄る。
アンジェリカに気付き、驚いて後退るエアリーゼとキメルネス。そんな二人を気にも留めず、倒れた母親の傍に辿り着く。
仰向けに倒れ、胸元に突き刺さる一本の剣。真っ赤な鮮血が流れ出て、部屋を染めていく。
何が起こり、ミリアがどうしてしまったのか、アンジェリカにはわからない。
だが彼女は見ていた。激しい口論の末、エアリーゼがミリアに剣を突き刺す瞬間を。
「母様、起きて母様・・・・・・」
アンジェリカが呼びかけても、ミリアは動かない。
心臓の鼓動は止まっている。エアリーゼの剣は、彼女の心臓を刺し貫いていた。
流れ出た彼女の血に触れる。まだ暖かい、綺麗な鮮血だ。
「どうしたの母様、血がこんなに・・・・・・・」
永遠に起き上がる事のないミリア。
彼女の死を理解したキメルネスが、生まれて初めて人に殺意を抱き、ミリアの胸に刺さる剣を抜き、怒りに身を任せてエアリーゼを斬りつける。
エアリーゼの悲鳴と、キメルネスの怒号。何度も何度も、彼は握りしめた剣の切っ先を、彼女の胸に突き刺した。悲鳴も失せ、大量の血を流し、彼女が倒れて動かなくなるまで、剣を突き刺し続けたのである。
やがて、妻であるエアリーゼが死んだ事に気が付き、キメルネスは力の限り握りしめていた剣を落とす。無我夢中で、取り返しのつかない事をしてしまったと、ようやく気が付いたのである。
ミリアを殺され、妻であるエアリーゼを自らの手で殺めてしまう。この時、キメルネスの精神は崩壊した。彼は錯乱し、声にならない悲鳴を上げ続け、王妃の寝室の窓を乱暴に開いた。
異変に気付き、偶然近くにいて駆け付けたのは、宰相のマストールであった。マストールは寝室の惨状を見て、錯乱する王が何をしようとしているのかを悟る。
マストールは止めようとしたが、間に合わなかった。キメルネスは窓から身を乗り出し、頭から真下目掛けて飛び降りてしまう。
少女は見ていることしかできなかった。この部屋で起こってしまった全てを、一生目覚める事のない母親の傍で。
「母様・・・・・母様・・・・・・」
何度も、自分の母親に呼びかけ続けるアンジェリカ。
まだ幼くとも、理解できている。愛する母親は、永遠の眠りについたのだと。そうとわかっていて呼びかけ続けるのは、母の死を認めたくないから・・・・・・。
この夜アンジェリカは、かつては優しかった王妃と、自分の両親を、目の前で失ってしまったのである。
キメルネスとミリアは、この夜二人で王妃の寝室を訪れ、エアリーゼの許しを請おうとしたのである。
しかし、二人の顔を見た後、少し話をしただけで、エアリーゼの怒りが頂点に達した。そこからは話し合うどころではなくなり、一方的に王妃が喚き叫ぶだけだった。
王妃の声は城内に響き、その声が聞こえてしまった者たちは、王妃の寝室から距離を置いていた。狂った王妃の怒りの叫びが、恐ろしくて仕方なかったからである。
そのせいで、エアリーゼの狂気の行動や、キメルネスの自殺を、マストール以外誰も気付く事が出来なかった。
王の自殺を止める事が出来ず、王妃と侍従長の死を知ったマストールは、ただ一人生き残った、アンジェリカを守るために行動を起こす。
三人の死を悲しみながらも、己の心を殺し、ユリーシアの妹にあたる彼女を、救わなければならなかったマストール。
ユリーシアと同じように愛した、幼きその少女のため行動を起こした彼は、まず始めに、己が信頼できる者たちを集めた。三人の死は一度隠され、その夜の内に、この先の計画を練った。
三人の死は隠し続ける事は出来ない。特に王と王妃は、一日でも姿が消えてしまえば、大騒動になる事は必至である。よってマストールは、キメルネス王は誤って寝室の窓より転落し、不幸な死を遂げたとして、真相を隠したのである。
王妃は王の死に衝撃を受け、剣を胸に突き刺し、自らその命を絶ったという話を作り上げた。元々彼女は精神的病に侵されていたため、城の人間は疑いもせず、その嘘を簡単に信じた。
侍従長ミリアについては、王妃の存在に耐えられず、娘と共に城より失踪したという、城の人間が信じ易い嘘を用意した。侍従長の受けていた、数々の仕打ちを知っている者ならば、信じるのも無理はない話を作り上げたのである。
王に忠誠を誓っていた、宰相と数少ない同志たちは、キメルネスとエアリーゼの真相を完全に隠蔽した。もしも真相が反王族派の者たちに知れれば、隠し子アンジェリカの存在も知られる危険がある。王のたった一度の過ちが、この悲劇を引き起こしたとわかれば、反王族派はこの真相を広め、打倒ヴァスティナ王族の気運を高める可能性が高い。
真相が国民に広まり、王族の信頼が地に堕ちれば、反王族派の貴族は間違いなく行動を起こす。帝国からヴァスティナ王族を排除し、国民の支持を集めた後に、ヴァスティナ帝国の支配権を手に入れようと、すぐさま行動を起こすのは予想できた。
ユリーシアとアンジェリカ、そしてこの国の未来を守るためには、知られてはならない事を、闇に葬り去らなければならない。その事を一番理解し、過ちも真相も、大切なアンジェリカの存在さえも、何もかもを隠蔽するために行動したマストール。彼は全ての責任を背負った。
アンジェリカの存在は、反王族派に帝国支配のきっかけを与えてしまう。場合によっては、彼女の身に危険が及ぶ可能性もある。彼女の存在は、帝国の分裂を引き起こしかねない。
反王族派の貴族が彼女を利用し、帝国を分裂させ、最終的にはアンジェリカを玉座に据えた後に、彼女を傀儡として実権を握る。そういった野望を持つ者が現れた場合、彼女を得ようとする者と守ろうとする者との間で、争いが起こるのは必至である。それはアンジェリカの身に、危険が及ぶのを意味してしまう。
マストールは全てを守るため、アンジェリカをこのヴァスティナ帝国より、永久に離れさせようと決意する。
アンジェリカはミリアと共に失踪した事にして、誰にも気付かれる事なく、密かに彼女を帝国より旅立たせた。同志たちを彼女の護衛に付け、マストールの信頼のおける者が住む、遠い北の地方へと避難させたのである。
それ以外に救う手立てはなかった。たとえそれが、姉妹を引き離す事になろうとも、この選択しかなかったのである。せめてもの救いは、ユリーシアは事の真相について、何も知るはずがないという事だ。アンジェリカが妹であるという事実も、彼女は知る由もない。
ただ、ユリーシアはアンジェリカの事を、心の底から本当に愛していた。城で共に過ごした日々の思い出は、彼女の大切な宝物だ。アンジェリカが失踪したという話を聞いて、その時彼女は深い悲しみに暮れた。王族の一人として、涙こそ見せなかったが、その姿はマストールの心を締め付けた。
全てを話してしまいそうになった。だが、アンジェリカと帝国を守るためには、闇は自分だけが背負うしかない。何よりも、王と王妃の死の真相は、ユリーシアの心を傷つけてしまう。それがわかっていたから、話す事は出来なかったのである。
王の事故死の真相。王妃の死。侍従長ミリアの失踪。そして、ヴァスティナ王族最後の血を引く、アンジェリカ・ヴァスティナと言う少女。
これが、宰相マストールがリックへと託した、ヴァスティナ帝国の闇である。
「帝国を離れた私は、マストールの古くからの親友のもとへ身を寄せました。マストールの付けた護衛の者たちと共に、穏やかな時間をそこで過ごしていました」
寂しさはあった。目に焼き付いたあの夜の悲劇も、忘れる事は出来なかった。
穏やかな時間は、ほんの少しだけ彼女の心を癒したが、彼女の心の痛みは消える事がなかった。
「でも一年前、ジエーデル国の侵攻があって・・・・・。マストールの親友も護衛の者たちも、皆命を落としたのです・・・・・・」
偶然にも、その年ジエーデル国は領土拡大のために、軍事的侵攻作戦を次々と発動させていた。ジエーデルの侵攻軍の戦略目標が、偶々アンジェリカたちのいた地方であり、彼女たちは戦火に巻き込まれてしまったのである。
親友は貴族であり、彼の屋敷はジエーデル兵に目をつけられ、略奪のために襲われた。親友も護衛たちも、アンジェリカを守るために戦い、彼女は屋敷より逃がされ、命だけは助かった。
しかし、身を寄せていた相手も、命を救ってくれた護衛の者たちも、ジエーデル兵の手によって、命を落としてしまったのである。屋敷は焼け落ち、何もかもを失い、明日の生き方さえも見えなくなったアンジェリカ。
「私は何もかもを失いました。これからどう生きればいいのかさえ、見失ってしまったのです。けれども私には、姉様がいました」
マストールから自分が王の娘であり、ユリーシアの妹であると聞かされていた彼女には、まだ愛する者も希望も残されていた。
屋敷の焼け跡へと足を運び、その事を思い出す。アンジェリカはもう一度、最愛の姉であるユリーシアに会いたいと、そう願ったのである。
彼女は焼け跡を探り、略奪を免れ少しだけ残っていた、屋敷の宝石や金をかき集め、それを旅の資金として、帝国へと旅立った。戻ってはならないとわかっていても、愛する姉の存在だけが、この時の彼女には必要だったのだ。
「姉様に会いたい。そう願った私は、帝国に戻ろうと決意しました。あの時の私には、駄目だとわかっていても、そうするしかなかった・・・・・」
たった一人の、辛く厳しい道のりだった。帝国に戻ってはならないという、心の迷いと戦いながら、十三歳のその少女は、自分の足で、帰りたい場所に向かったのである。
ぼろぼろになりながら、旅の辛さに何度涙しても、最愛の姉の顔を思い出して、気力を振り絞った。
「長い旅の末、ようやく南ローミリアへと戻る事が出来ました。でもそこで、奴隷商人に目をつけられ、帝国に辿り着く前に捕らえられてしまった。ここから先は、皆さんも知っての通りです・・・・・」
奴隷商人に捕まり、何処かの国に連れて行かれ、売られてしまいそうになっていた時、現れたのはリックたちだ。彼はアンジェリカを助け、帝国へと導いた。その時の彼女の嬉しさは、言葉に言い表す事もできない。
精神的にも肉体的にも限界だった彼女は、あの時感情を表に出す事が出来なかった。それでも内心では、帝国に帰れる事に喜びを感じていたのである。
「どうして、帝国へ戻る事が出来たのに陛下に会おうとしなかったんだい?宰相の事も避けていたみたいだし。きっと二人は、君に会いたがっていたはずだよ」
「・・・・・・見ていられるだけでよかった。私の存在が帝国に危険をもたらしてしまう以上、再会する事は出来ませんでした。メイドとして城の中で働き、姉様の姿を見守れるだけで・・・・・満足だったんです」
王の隠し子と言う宿命。母親の死と、姉との別れ。その姉に会うために、この地へと再び戻る事は出来たが、最愛の姉は殺されてしまったと知る。
アンジェリカは全てを話した。誰もが彼女の生きた、あまりにも残酷な人生に、やりきれない想いを抱いている。まだ十三歳の少女が歩むには、残酷過ぎる人生だ。
「私の話はこれで終わりです・・・・・・」
話は終わった。
彼女の話に納得したリリカたちは、何故今この時に、この真実を明かさなければならなかったのか、少し考え理解した。これからリックが、彼女に何をさせようとしているのかを・・・・・・。
「これが帝国の隠された闇だ。彼女の存在は、ヴァスティナ帝国そのものを崩壊させかねない」
「・・・・・・・」
「だが今は、状況が違う」
帝国は支配者を失い、明日への希望は闇に閉ざされた。
ならば、取るべき選択は一つしかない。
「俺は、反女王派の帝国貴族勢力を根こそぎ粛清する。その後は・・・・・・」
リックの鋭い視線が、アンジェリカへと向けられる。
迷いはない。決意に満ちた目が、彼女の目を捉えて離さない。
「アンジェリカ・・・・・、お前をヴァスティナ帝国の新たな女王に即位させる」
アンジェリカからすれば、思いもよらない言葉。衝撃を受け、立ち尽くしてしまう。
リックは全てを知った上で、彼女を新たなヴァスティナの支配者に据えると、そう宣言したのである。
「私が・・・・・、新たな女王・・・・・・!?」
「お前しかいない。この国を導ける存在はお前だけしかいないんだ、アンジェリカ」
支配者は討たれた。ならば、新たな支配者が必要となる。
その資格があるのは、ヴァスティナ王族最後の血を引く、彼女しかいない。
「やめてリック君っ!!」
「イヴさん・・・・・・!?」
立ち尽くした彼女の盾になる様に、泣きながらイヴが立ちはだかる。
アンジェリカの目の前で、彼女のために泣き叫ぶ。
「駄目だよ・・・・・こんなのってないよ!メイファちゃんはずっと辛い目にあってきたんでしょ!?だったらもう幸せになるべきだよ・・・・・・っ!!」
イヴは正しい。何もかも正しい。
親友を想い、涙を流し、彼女を守るために、自分が愛している男に逆らっている。
「イヴ、彼女はメイファではない。リックが話した通り、彼女はアンジェリカ・ヴァスティナなんだ」
「アンジェリカなんて知らない!メイファちゃんはメイファちゃんだよ・・・・・・っ!!僕の大切で可愛くて優しい、僕の親友だよ・・・・・・っ!」
エミリオの言葉を否定し、彼は懐から自分の拳銃を抜き、その銃口をリックへと向ける。
震えるその手で、涙で顔をくしゃくしゃにして、引き金に指をかけた。
「イヴ様!?お止めください!」
「銃を捨てるんだ。君はその行為は、リックを傷つける」
「!!」
今度はエミリオが、護身用として持たされていた、懐の拳銃を取り出して、イヴに銃口を向ける。
主であるリックの考えに、彼は賛成している。それが最善の選択であるからだ。
彼の邪魔をしようとする者は、たとえ仲間であろうとも許すつもりはない。エミリオは覚悟を決めている。選択を誤る事は、もう許されないのだから。
「メイファちゃんは幸せにならなきゃ駄目なの!!女王なんてなっちゃいけないよ・・・・・・、ユリユリみたいに苦しんじゃう・・・・・・」
「確かに君の言う通り、これは酷な話だよ。なら君は他に、帝国の未来を救う良い手を持っているのかい?」
「あるわけないよ!僕は頭いいわけじゃないもん!!でも絶対、こんなの間違ってる。リック君だって本当は嫌なんでしょ・・・・・っ!?」
二人の拳銃の引き金には指がかけられている。
殺意のこもった視線をお互いに向けあう、イヴとエミリオ。
「やめないか二人とも。少し熱くなり過ぎだよ」
二人の間に割って入り、彼らを止めようと動いたのは、やはりリリカだった。
ウルスラもまた、二人を止めるために動く。
「邪魔しないでリリカ姉様!!僕だけは、メイファちゃんの味方でいたいの・・・・・っ!」
「リリカ宰相、彼はリックに再び銃口を向けた。それは、リックの心を傷つけ苦しめてしまう行為。到底許される事ではない」
「御二人の気持ちは理解できますが、武器を下ろしください。今は味方同士で争う時ではありません」
二人を制止しようとするウルスラの言葉も聞かず、銃口は向けられたままだ。
「イヴ、エミリオ。私の言葉が聞こえなかったのかい?」
「「・・・・・!!」」
凄まじい殺気をリリカから感じた。
イヴとエミリオが互いに向け合うものとは、まるで違う。二人はリリカの殺気を感じて、身体が動かなくなる。
恐怖で動けなくなったのだ。自分たちの怒りを忘れてしまうほど、彼女の殺気は恐ろしかった。
首を絞められたかのような息苦しさと、止まらない冷汗。二人は一瞬、胸に刃物を刺されたかのような錯覚を覚えた。その錯覚の正体こそ、リリカの強大な殺気だ。
この場を自身の放つ殺気だけで鎮めて見せる。殺気を向けられるのに慣れているイヴでも、リックのために場を鎮めようとした、彼女の殺気だけには敵わない。
イヴもエミリオも銃を下ろし、部屋に沈黙が訪れる。
「さあ、アンジェリカ。答えなさい、君は女王になる気があるのかい?」
「リリカ様・・・・・」
リリカは問う。帝国宰相として、リックの仲間として、一人の女性として問う。
少女、アンジェリカ・ヴァスティナの選択を。
「君は女王に即位する資格がある。そして私は、君の姉ユリーシアにこの国託された。君が帝国の新たな支配者となる気があるならば、全力で君を助ける。その後は、ヴァスティナ帝国宰相として、私は君に忠誠を誓おう」
「どうして・・・・・・?貴女は自由を愛する旅人のはず・・・・・・」
「ユリーシアは良き友人だった。だから、私にとって良き友人の、最後の願いを叶えたいだけさ」
いつもの妖艶な笑みはなく、真っ直ぐアンジェリカの目を見つめ、リリカは己の気持ちを告白した。
あのリリカが、他人に忠誠を誓うとまで宣言したのである。ウルスラもイヴも、エミリオでさえ驚きを隠せない。
アンジェリカが頷けば、帝国宰相リリカは全力を持って、彼女を女王へと即位させるだろう。邪魔する者を全て根絶やしにして、新女王アンジェリカのために、ヴァスティナ帝国に身を捧げると、本気で彼女はそう宣言したのだ。
「お願いリリカ姉様・・・・・・。僕はどうなってもいいから、メイファちゃんを助けて・・・・・・」
「イヴ、君の気持ちは痛いほど伝わる。でもこれは、彼女が自分一人で選ぶべきこと。わかっているだろう?」
「わかりたくないよ・・・・・・、こんなのあんまりだよ・・・・・・」
泣き出すイヴを、リリカが優しく抱擁する。
イヴのその姿が、アンジェリカの心を動かす。
(私なんかの事を・・・・・こんなにも想ってくれる・・・・・・・)
リリカの言う通りだ。
これはアンジェリカ自身が、何者にも左右されず選択しなければならない。
「ご主人様・・・・・・。いえ、リクトビア・フローレンス」
「はい、アンジェリカ殿下」
前を向き、しっかりとその男を見る。
帝国女王であった自分の姉に、絶対の忠誠を誓い戦い続けた、その男の姿を。
「どうして・・・・・・、姉様を死なせた・・・・・・」
「殿下、責められるべきは--------」
「軍師エミリオ・メンフィス、貴方には聞いていない」
リックを守ろうとしたエミリオの言葉を、無理やり黙らせる。
少女が放って見せた、この威圧感。そこには確かに、王族の血が流れる者の威厳があった。
「答えろ、リクトビア・フローレンス・・・・・っ!」
初めて、皆の前で叫んだ。少女の怒りを帯びた声が、部屋に響く。
リックは彼女の言葉に目を逸らさない。逃げるつもりはないのだ。
「俺の力が足りなかった。だから陛下は------」
「そんな言葉は聞きたくない!姉様が死んでしまったのはお前のせいだ。お前のせいで姉様が犠牲になった。その理由を答えなさい!!」
ヴァスティナ帝国王族、アンジェリカ・ヴァスティナは命令する。リックが隠し続けている、ユリーシアとの秘密を話せと。
その秘密があったから、ユリーシアは死んだのだと、アンジェリカは気付いている。
「言え、お前には私に話す義務がある!」
リックは目を伏せた。
そして、五つを数える時が経ち、瞼を開ける
「俺は、陛下と約束しました」
秘密の約束。
それがリックの、進むべき道を決めた。
「この約束を叶えたい。俺の目的は、ローミリア大陸全土の武力統一です」
この広い大陸の、数々の国家全てを、武力を行使し帝国の支配下に置く。
南ローミリアの小国でしかない、このヴァスティナ帝国が、宿敵エステラン国とジエーデル国を蹂躙し、最大国家ゼロリアス帝国とホーリスローネ王国すら支配する。荒唐無稽としか思えないこの野望のために、彼は己の全てを懸けてきた。
「ふざけないでっ!!」
リックの野望を聞いたアンジェリカは、殺意を込めた視線を向ける。
約束?大陸全土の統一?そんな事のために、ユリーシアは死なねばならなかったのか。
「何が武力統一だっ!そんな事のために姉様を死なせたのか!」
「大陸全土の統一は、陛下も望んでいた事です」
「・・・・!?」
彼は嘘を言っていない。それはアンジェリカにもわかる。
だが信じられなかった。あの優しいユリーシアが、人を傷つけてでも、この世界を支配しようとしていた事実。ユリーシアの事を知っていれば、到底信じられる話ではない。
リックとユリーシアは、今日まで大陸全土をヴァスティナ帝国の支配下に置くため、それぞれの立場で戦ってきたという事だ。その結果が、ユリーシアの死。
「くだらない・・・・・!どうして姉様が支配を望む!?」
「・・・・・・」
問われたが、理由だけは話さない。全てを話すつもりはないのだ。
その態度が、許せない。
「話しなさい、姉様が支配を望んだ理由を・・・・・!黙っているなんて、絶対に許さない!」
リックに詰め寄り問いただす。怒りに震えるアンジェリカの姿を、リリカたちは静かに見守っている。
イヴもまた、彼女を想い、涙を流して、何も言わずに見守っていた。
「・・・・・・言えません」
「話しなさい!この期に及んで逃げるつもり!?」
「・・・・・・」
ここまで言われても話さない。リックの決意は固い。
彼女の言葉では、彼の決意は揺らがない。
「やっぱり・・・・・お前は姉様を不幸にした。・・・・・・殺しておけばよかった」
怒り、悲しみ、憎み、激しく後悔している。
この男さえいなければ。この男の存在と行為が、最愛の姉を死へと誘った。
思い出す、あの日の男の背中を。殺意を抱いたあの時、殺してしまう勇気さえあったなら・・・・・。特別な存在にならなければ、躊躇などしなかった・・・・!
「・・・・・・」
怒りに震えるアンジェリカに対して、謝罪の言葉はない。一言もその言葉を口にはしない。そんな言葉に意味は無いと、よくわかっているからだ。
謝罪してユリーシアが生き返ると言うならば、彼はいくらだって頭を下げ、許しを請うだろう。
謝罪するつもりはない。許されたいと思わないからだ。
この罪から逃げるつもりはない。ここで謝っても、それは自分が許されたという免罪符が欲しいだけ。自分へと向けられている、彼女の怒りと悲しさは、全て受け止める。
「俺を殺したいなら、それもいい」
「黙りなさい・・・・・・!」
「でも、陛下は貴女がその手を血で染める事を望みはしない。貴女を愛していた、優しい彼女ならばそう思うはずです」
「わかってる!わかってるの・・・・・そんな事は・・・・・・っ!」
破ろうとする勢いで、リックの服を掴み上げるアンジェリカ。
様々な感情が溢れ出し、涙が止めどなく流れ落ちる。
「どうして、姉様を助けられなかったの・・・・・・っ!?」
「・・・・・・」
「守るって・・・・そう言ったじゃないっ!」
守って見せると宣言した。心配するなとも言った。
結局、何も守る事は出来ず、この少女を悲しませた。悲しい思いをさせないため、ずっと戦い続けたというのに・・・・・。
「嘘つき・・・・・!」
「好きなだけ俺を憎んでください。その代わり、陛下の愛したこの国を、貴女の手で統べて欲しい」
「そうやって・・・・・、今度は私を利用するんでしょ・・・・・!?」
「・・・・・・」
「お前は・・・・・姉様の身代わりが欲しいだけだっ!!」
この男は、生きる意味がなければ生きられない。
亡きユリーシアもメシアもわかっていた。リリカだって理解している。彼女もまた、彼の傍に仕えていたからこそわかる。
「卑怯者!臆病者!そうやってお前は私と同じ人間を増やしていくんだ・・・・・!!」
「・・・・・・はい。俺は貴女を新たな女王に立て、陛下との約束を果たしたいだけです」
それがリックの答えだった。
恐らくアンジェリカは、生涯彼の事を憎み続けるだろう。そして、この憎しみを糧として、彼女は己の進まなければならない道へと、歩みを進めていく。
本当の卑怯者は、この男ではなく自分だと、そう思っていながらも・・・・・。
「許さない・・・・・。私はお前を、絶対に許さない・・・・・っ!」
リックへと向けられた、彼女の最後の言葉。
生まれ出でる事を許されず、残酷な運命を歩んできた、悲しきアンジェリカの憎悪は、この場の者たちの心に深い傷跡を残す。
これは、リックとアンジェリカが、お互いの生きる道を選んだ、運命の夜の出来事。
二度と引き返せない、悲しみと後悔しかない道を、二人は選ぶ。
お互いにこの選択が、どうしようもなく愚かな道だと知りながら・・・・・・。




