第十三話 救世主 Ⅵ
「綺麗だ・・・・・」
「そうか。お世辞でも嬉しいぞ」
「お世辞なわけない。心から綺麗だって思ってる」
彼と彼女が、お互いの愛を確かめ合ったあの夜。
寝室のベッドの上で、彼はその美しい褐色の肌を指でなぞる。
「この肌は、アビスの者たちの中では異端だった。褒めてくれたのは、弟とお前くらいだ」
「メシアの全部が好きだ。この肌も、長い銀髪も、胸も、この口も、その目も、・・・・・好きすぎて死にそうだ」
ベッドの上で服を脱ぎ、互いの体温を感じながら、優しく抱きしめ合う。
彼女の全てを愛する彼は、その褐色の肌を愛撫する。
「んっ・・・・・」
「あっ・・・、痛かったか・・・・?」
「いや、続けてくれ・・・・・」
愛撫を嫌がらない。彼女もまた、彼の全てを愛しているからだ。
この肌も、黒髪も、その口も、その目も。もっと言えば、その性癖や浮気性も含めて・・・・・・。
彼女の母性のせいなのか。こんな男であっても、優しく包み込んでくれる。
「・・・・んっ・・・・はぅ」
「もしかして・・・・感じてくれてる?」
「・・・・・そんなことを聞いてどうする」
「今のメシア、とっても可愛いから・・・・・」
「揶揄うな・・・・・」
この時間が、永遠であって欲しい。そう彼は願う。
家族になりたい。彼女はそう願い、彼も同じ気持ちだ。これからは、共にお互いを支え合い、大切な守るべき者を守る。
二人とも不安だった。自分一人の力では、あの少女を守り抜く事は出来ない。今まではそうだった。
これからは違う。共に支え合い、未来を歩んで行く事ができる。
「俺は正直だから、嘘は言わない。今のメシアは可愛い」
「ふふ、・・・・・んっ」
何度目かの口づけ。
彼女を自分だけのものにしようと、強く抱きしめ、舌を絡ませる。長い口づけだった。
「んっ・・・ぷはっ。はあ・・・・はあ・・・・・」
「はあ、はあ、はあ・・・・・」
「ふぅ。やばいなこれ・・・、メシアを支配してるみたいで病みつきになる」
息遣いの荒い彼女の姿に、意地悪な笑みを浮かべる。
この女性は自分を理解してくれる。尊敬するこの美しい女性と、この先を共に歩む事が出来ると思うと、感情が昂り、涙が零れた。
悲しみの涙ではない。彼自身も抑える事のできない嬉しさ。その感情が、涙となって零れ落ちる。
「泣くなリック」
「うっ・・・・、涙・・・とまらない・・・・・」
彼の目元に顔を近付け、その涙を舌で拭う。
こんなにも自分の事を愛してくれるのか。自分はなんて幸福なんだろう。そう彼女は思った。
そして彼女は、彼の頬を優しく撫でる。
「私の夫になるのだろう?泣くのはまだ早い」
「・・・・約束する。俺はどんな時でも何があっても、メシアの傍を離れない。一生、メシアを愛し続ける」
その言葉に、嘘偽りはなかった。
戦場を離れていく騎士たちの一団がいる。
馬に乗る騎士たちが先導し、その後ろには何台もの荷車が続く。荷車は騎士たちが物資輸送に使用したもので、今は多くの負傷者を乗せている。彼らが目指しているのは、帰るべき国、ヴァスティナ帝国だ。
騎士たちはただ真っ直ぐに、後ろを振り返る事なく退却していく。彼らの後ろでは、今も仲間たちが戦っている。
涙を流す者。口惜しさに歯噛みする者。仲間の名前を叫ぶ者。騎士たちは皆、今も戦っている仲間たちと共に、最後まで戦いたいと願う。だが彼らは、後の事を託された。だからこそ、彼らは前を向き続ける。
負傷した者たちを乗せた、馬に引かれる荷車の一台には、彼らに託された希望が乗っている。麻酔によって眠りにつかされ、毒矢を受けて負傷した、帝国軍参謀長のリック。荷車の中で、毒による高熱に魘されながら、彼は眠りの中で、愛する者の事を思い出す。
「メシア・・・・・・・」
うわごとで彼女の名を呼ぶ。彼を守るために戦場に残った、大切な彼女の名を。
リックは夢を見ている。彼女と一晩中愛し合い、離れないと約束したあの日の夜を・・・・・・。
「俺が・・・ずっと守るから・・・・・」
夢の中でメシアを思い、その思いの強さが言葉に現れる。
離れはしない。一生愛し続け、守り続けると誓った、愛おしい家族。彼女を守ると誓ったというのに・・・・・。
彼は今、愛する彼女に守られて、この荷車に乗せられている。
目が覚めれば、きっと彼はここから飛び出すだろう。毒に侵された身体を引きずり、守ると誓った彼女の元へと向かう。そういう男なのだとよく知っている、彼と共に荷車に乗る負傷した騎士たち。彼がこの先向き合わなければならないであろう、残酷な現実を思うと、自分たちの無力さに胸が裂かれる思いとなる。
しかし、全てが終わるまで、彼を目覚めさせてはならない。
「一緒に・・・・・陛下を・・・・・・」
彼の願いは、無惨にも裏切られた。
戦いは終わらない。敵も味方も、多くの者が命を落とした。
今も尚、メシアたちは戦い続けている。
「はあっ!!」
振り下ろした刃が、ようやく狙いを定めていた敵を斬り裂く。真上から振り下ろされたメシアの剣が、狙っていた敵兵を頭から斬り裂き、剣は一気に身体を真っ二つに裂く。勿論、斬られた者は絶命した。
「見ろ!団長が敵指揮官を討ち取ったぞ!!」
「うおおおおっ!!帝国騎士団長こそ、ローミリア大陸最強の騎士だっ!!!」
「三千のジエーデル軍など恐れるに足らず!騎士の誇りに懸けて、一歩も退いてはならないぞ!!」
ジエーデル軍の指揮官を討ち取った、帝国騎士団。騎士たちの士気は最高潮となり、ジエーデル軍は大きな衝撃を受ける。これで、敵軍の指揮系統の頂点は取り除かれ、組織的な軍事行動を行なう事は出来なくなった。
後方にいたジエーデルの魔法兵部隊や、精鋭のカラミティルナ隊は、作戦の失敗を理解した。彼らは退却を決意し、カラミティルナ隊の指揮のもと、約千人の兵を連れて後退を始めた。
指揮官を失い、多くの兵士を討ち取られ、想定以上の損害を出したのである。退却は正しい判断だ。
しかし、残りのジエーデル兵の考えは違う。僅か二百人の騎士団に指揮官を殺され、多くの兵士を戦いで失った。二百人相手に三千のジエーデル軍は完全敗北したのだ。よって、引き下がる事など出来るはずがない。
総統の命令は絶対であり、失敗は許されない。ジエーデル軍の兵士として、この失敗は取り返さなければならない。帝国騎士団をここで全滅させなければ、国に帰る事は出来ないのだ。このまま帰還しても、総統の怒りを買って処刑されてしまう。そう言う国であり、軍隊なのである。
敵指揮官を討ち取った帝国騎士団だったが、戦いはまだ終わらない。残ったジエーデル兵は、騎士団を全滅させた後、へスカル国への侵攻を再開して、当初の計画を完遂しようとしている。
「殺せっ!奴らを殺せっ!!」
「ここで退いても死ぬだけだ。帝国の奴らを皆殺しにしろっ!!」
「総統万歳っ!!」
総統への病気的な忠誠心と、押し寄せる恐怖。その二つの感情がジエーデル兵を突き動かす。
帝国騎士団を殺せ。どうせ、自分たちには死しか残されていないのだから。ならば、総統の怒りを買って死ぬのではなく、忠誠を示して死のう。
「はあ、はあ・・・・・・。我が愛馬よ、まだやれるか?」
敵指揮官を討ち取ったメシアは、共にここまで戦ってきた愛馬に問いかける。愛馬は高らかに鳴いて、未だ戦意を失っていない事を示したが、その身体は傷ついていた。
剣や矢で負傷し、出血も激しい。それでも彼女の愛馬は、戦う事を止めはしない。主ともに、最後まで戦う覚悟なのだ。
メシアもまた、愛馬と同様に負傷している。左腕には矢が刺さり、剣で斬られた傷もある。如何に帝国最強と言え、この数の決死の覚悟もった敵との戦いは、いつものように無傷にとはいかない。
息も上がり、肩で呼吸している。彼女一人が打ち取ったジエーデル兵の数は、二百を超えて三百にも上った。たった一人の騎士が、三百人の兵士を倒したのである。常人を遥かに超え、絶対の忠誠心と不屈の意思をもった、彼女だからこそ成し得た事である。
だが、これ以上は・・・・・・。
「限界か・・・・・」
メシアも愛馬も、限界は近い。だが、彼女が率いた騎士たちは、既にもう満身創痍の状態だ。士気は高くとも、重傷の者がほとんどで、剣も槍も折れ、矢は尽き、体力も残っておらず、立っているのがやっとという有り様だ。正直戦闘継続は不可能であり、騎士団の数も百を切った。
しかし、どのみち撤退は出来ない。敵指揮官を討つために、敵軍中心部まで突撃した騎士団は、周りを包囲されている。撤退を拒み、残ったジエーデル兵たちは、このまま騎士団を包囲殲滅するつもりなのだ。
包囲網を破る事は出来ない。騎士団には、もうその力が残されてはいない。騎士たちは誇りを胸に、死への恐怖と戦いながら、ここを死に場所と定めた。
そうだ。誰も本当は死にたくなどない。メシアだって生きたいと願っている。死ぬのは怖いのだ。
(お前の顔が、もう一度見たい・・・・・)
後悔していないと言えば、嘘になってしまう。
愛する男には、もう二度と会う事が叶わない。この場に立ち、永遠の別れを決意した事を後悔してしまう。彼女だって人間なのだ。どんなに寡黙で、不屈の精神を持っているとしても、死は恐れるし、後悔もする。
それでも、愛する者を失うのは、彼女にとっては己の死よりも辛い。それを考えれば、後悔の気持ちも失せる。
「来い、ジエーデルの戦士たちよ!貴様たちの指揮官は私が討った!仇を取りたくば、私を恐れずかかって来るがいい!!!」
メシアの叫びが戦場に響く。力を振り絞り、敵味方全てに聞こえるよう、声を上げた。
彼女の叫びは自分を鼓舞するものだ。その声を合図にしたかのように、ジエーデル兵が彼女に挑む。
四方八方から帝国騎士団に攻めかかり、雄叫び上げて戦う戦士たち。敵に負けまいと、満身創痍の騎士たちも雄叫びを上げ、最後の力を振り絞って迎え撃つ。
「うおおおおっ!!総統万歳!!」
「はあっ!!」
メシアに襲いかかるジエーデル兵士。彼女は突撃してきた敵兵を、横に一閃して斬り伏せる。鮮血が飛び散り、地面に倒れ伏した敵兵の後ろから、今度は槍を構えた兵士が突撃してくる。槍の突きを盾でいなし、攻撃を防いですぐに反撃した。槍を持つ槍兵の心臓へ、剣を突き刺し絶命させる。突き刺した剣はすぐに抜き、返す切っ先で、背後から迫っていた別の敵兵を斬り裂いた。
瞬く間に三人の兵士を屠っても、敵の数は一向に減る事がない。斬撃で頭を跳ねても、盾で殴りつけても、即座に別の敵兵が現れるのだ。彼女たちが死ぬまで、ジエーデルとの戦いは終わらない。
「っ!?」
「騎士団長!!」
騎士たちの悲鳴。敵兵の圧倒的な数により、苦戦している彼女の隙をついて、二本の矢が彼女の身体に突き刺さった。両足に一本ずつ突き刺さり、彼女の動きを一瞬止める。新たにできたその隙をついて、背後から敵兵の斬撃が襲う。
「ぐっ!?・・・・・・まだだっ!!」
背中を切り付けられ、鮮血を飛び散らせて出血する。痛みを堪え、振り返りながら剣で敵を斬り裂いた。
傷は浅くない。出血も激しい。それでも彼女は倒れず、愛馬と共に戦い続ける。彼女の背中を守っていた愛馬も、迫り来る敵兵に気を取られ、彼女を守り切る事ができなかった。
褐色の肌を鮮血が流れ落ち、銀髪が返り血を浴びる。服は所々破れ、気が付けば防具は壊れていた。
立っているのも辛い。呼吸も苦しい。だとしても、武器を握る手に込めた力を緩めない。
「まだ私は負けはしない!!貴様たちを倒すまで、私は倒れない!!!」
騎士たちは刺し違える覚悟だ。それは彼女も同じである。
命が燃えている限り倒れず、一人でも多くの敵兵を道連れにする。そうしなければ、帝国を救う事が出来ない。自分が死ぬ時は、最後の力を振り絞って敵も道連れにしていく。
戦場の狂気。ここにはもう、生者はいない。何故なら皆、生きる事を捨てた死者なのだから・・・・。
「はああああああああああっ!!!!」
戦闘民族アビスの血を滾らせ、凄まじい勢いで駆け出したメシアが、敵兵を蹴散らしていく。彼女の剣が振られた地は、ジエーデル兵の鮮血が飛ぶ。彼女の盾が振り下ろされた所では、人の頭が骨ごと砕かれる。千人の兵士が相手だろうと、一人で倒してしまいそうな勢いの、一騎当千の戦いぶり。斬撃が敵兵の、頭を、首を、腕を、足を、胴体ですら斬り落としていく。
今の彼女は、帝国騎士団長である事を捨てた。騎士たちを指揮する事も、守る事もやめたのだ。
戦闘民族の血を頼りに、その力の全てを解放したのである。最早彼女は、何者にも囚われる事のない、一人の戦士。何も考えず、体力も理性も、何もかもを戦闘に捧げ、目の前に広がるジエーデル兵を駆り尽そうとしている。そうしなければ、敵軍と刺し違える事は叶わないと思ったのだ。
眼前に広がる敵が現れなければ、愛する者と離れる事はなかった。帝国で待つ、儚きあの少女をおいて逝かなければならない事もない。メシアの眼には闘志と同時に、怒りの炎が燃えている。別れの悲しみを怒りに変えて、その感情を力として戦う。
軍神は一人の戦士へと還ったのだ。己の信じる心に従い、感情をのせて戦う、一人の戦士へと還った。
「・・・・帝国にもっ!!」
彼女の鉄拳が、兵士を殴り飛ばす。
「・・・・ユリーシアにもっ!!」
彼女のまわし蹴りが、軽々と兵士を蹴り飛ばす。
「そして・・・・リックにもっ!!お前たちには指一本触れさせん!!!」
軍神の如き力と、鬼神の如き激しい剣幕。戦場において、彼女に挑むのは死を意味する。
敵に対して絶対の死を与える。眼前のその存在を前にしても尚、ジエーデルの戦士たちは恐れず、次々と人の波でメシアを呑み込んでいった。
戦場に響き渡る雄叫びと、絶命の度に上がる悲鳴。
終わらぬ叫び声と、血の臭いに支配された戦場。この戦いの決着は近い。




