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警察は複数人による物取りの犯行だと見て捜査を始めた。が、犯人たちの足取りは掴めずにいた。現場付近の住民への聞き込みも、不審者らしき人物を見たという有力な情報は得られなかった。何せ、この界隈は店はおろか、民家も疎らで人通りも殆どないからだ。
やがて熱海警察署に特別捜査本部が開設されると、捜査は事件現場から数百メートル離れた網代駅周辺にまで拡大する。そこは旅館やホテル、小売商店などが点在する温泉街だった。通行人や宿泊客に怪しい人物がいなかったかを虱潰しにあたるが、手がかりは掴めないままで結局犯人検挙に結びついていない。
第一発見者は偶然そこに居合わせた冨永美織、そして数分の差で帰宅した被害者の妹、真由子も惨状を目の当たりにした。
当時、真由子が中学一年生で美織は被害者と同じ高校一年生だった。二人はそれぞれ下校して藍川宅に向かった。
通報者は先に現場にいた美織ではなく、真由子だった。リビングで倒れている血だらけの姉と気を失った美織の二人を発見直後、自宅の固定電話から110番した。
第一声は、二人の女子高生が血を流して死んでいると咽び泣きながらの訴えだった。事実と差異はあるが、殺人現場に遭遇した女子中学生の心理状態が、いかなるものだったかを汲み取ると見間違えるのも無理はない。通話記録から辿って、妹が紗耶子と対面した時刻は、午後五時十分前後だ。
居間に向かう途中で真由子が物音を耳にしている。石像でも落下したような重い響きだったという。それは後で判明したが、美織が悲鳴を上げた後に気を失い、床に倒れたときのもので間違いない。
捜査関係者は手始めに被害者の交友関係を洗った。まず目をつけたのは恋人の存在だ。紗耶子は同校に通う二歳年上の男子生徒と交際していた。いつもその彼と放課後に校門の前で待ち合わせをして下校する姿を数名の生徒が見ていた。
しかし、事件当時の行動は違った。紗耶子は体調不良で早退していたのだ。捜査関係者の調査によると、被害者の足取りは次の通りだった。
三時限目を三十分ほど過ぎた頃から気分が悪いと授業を抜け出し、保健室に向かった。平熱だが、顔色が冴えないと判断した養護教諭が、そのまま一時間ほどベッドに寝かせる。ところが快復の兆しも見えず、本人も帰宅を強く希望していたので、昼休み前に早退の手続きをとったという。紗耶子の保護者にあたる母親にも、その旨を電話で伝えていた。正確な下校時刻は不明だったが、早退届の用紙に午前十一時五十二分と明記してあったので、学校を出たのはそれ以降ということになる。
それから紗耶子は真っ直ぐ家に帰っていない。学校近くの駅から電車に乗車すると、どういうわけか降りるべき網代駅を通り越し、二駅先まで向かっている。そこで交際相手と落ち合い、当駅から数百メートル離れた場所にある大型ショッピングセンターに行っていた。二人を目撃したという家族連れの客人がいたのだ。
彼らの話によると、男はブレザー姿で片耳だけイヤホンをしており、女はセミロングの黒髪で彼よりも背が低かったとのこと。被害者の写真を見せると本人だと断言した。昼間から制服姿の男女がいたから目についたそうで、印象深かったと話した。二人は手を繋いで楽しそうに笑っていたという。この証言から紗耶子は彼とのデートのために仮病を使ったのではないかと推考する。また、この日彼のほうは欠席扱いになっていた。
それから約二時間ものあいだ、紗耶子らは館内を別行動している。のちに彼から得た情報で、それぞれ見て回りたい店があったのだそうだ。紗耶子は実際に何店舗かの洋服店に出入りしたようで、それぞれの店員が彼女の存在を記憶していた。
再び合流したところも押さえている。同館の二階にあるフードコートに隣接する娯楽施設内で、二人はプリントシール機器で写真を撮影している。出入り口の防犯カメラがとらえていた。記録では午後三時半頃だった。この一時間半後に紗耶子は刺殺体として発見されたのだった。
「何とも飯がまずくなる話題だな。せっかくしゃぶしゃぶしているというのに」
義父になる正樹は小言を零し、缶ビールを飲み干した。横で彼の妻が空き缶を受け取ろうと両手を伸ばした。
「あなた、おかわりはどうします?」
「もう一本頼むよ」
京子が席を立ち冷蔵庫まで急ぐのを壮太が見守っていると、隣で美織が言った。
「今の壮太の話からわかると思うけど、紗耶子の体には至るところに刺創があったっていうじゃない。私ももろに見たけど胸や腹が黒い穴だらけだったもの。損壊が激しかったはずだわ。だから私ね、犯人は相当な恨みがあったと思うの。警察は物取りって決めつけているけど、窃盗目的の人間があそこまで残忍なことをするかな」
「姉ちゃん、今から肉を口にするのに、死体の状況なんて説明するなよ。何度も報道されてたから覚えてるよ」左から彼女の弟が不服を申し立てる。
「あれから八年経つからね。一応情報共有のつもりよ」
話を聞く気がないのか、正樹は新しい缶ビールのプルタブを開けて夢中で喉に流し込む。唸り声を上げてテーブルに置いた缶の表面は、既に半分の位置で結露が途絶えている。それだけ喉が渇いていたのだろう。
「なあ、美織。物取りの犯行でないとすれば、一体誰の仕業だと言うんだ」酒気で濁った両目を細めた。
「さあ、それはまだわかんない」
「無責任な発言だな」正樹は首を横にゆらゆらと振った。「いいか、よく考えても見ろよ。強盗殺人を犯す人間に心がきれいなやつなんていないだろう。部屋が荒らされて、しかも現金も持ち逃げしたんだ。一連の行動から金目当てだと考えるのが妥当だと思うがな。運悪く現場に居合わせたのが原因か、口封じに藍川のお嬢さんをやってしまった、そんなところだろう。そうだ、ここはプロの意見を拝聴しようじゃないか。なあ、壮太君」
「お父さんの仰る通り、警察内部でも物取りの説は完全に消えていません」
「ほら見ろ」正樹が勝ち誇ったように鍋に顎をしゃくる。「晴斗、白菜と水菜が煮えてるぞ」
壮太は手元のメモ帳に視線を落とした。事件の調書から重要点を抜粋して殴り書きしている。
確かに報道では強盗殺人事件となっているが、それは表面上のことだ。そのセンは捨てきれないが、現場や遺体の損壊状態などから読み解くと犯人像を絞ることができなかった。
これは一般公開されていない情報だが、藍川真由子が帰宅して被害者と対面する前に、彼女は、とある出来事に遭遇していた。家から約二〇〇メートル離れた地点で交通事故に遭っていた。