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藤村壮太の出身地は静岡県熱海市で、美織の実家から十キロ圏内の地区だった。学生時代に家族で温泉旅行で出向いたこともある。彼の話に耳を傾けていると懐かしい情景が順繰りに呼び覚まされた。
まさか職場で、それもこんな美男子と遠く離れた地元の話ができるなんて。美織は嬉しさのあまり、素のままではしゃいでしまった。つい馴れ合って、業務用の言葉遣いを一時的に忘却したほどだ。
高校時代まで熱海で過ごしたという彼の話から、その流れで互いの出身校に移った。
カルテによれば年齢は二十六歳。美織の二歳年上なので、もしかすると同校の先輩だったのではあるまいか。そうなると自分が一学年の頃に、共に学校生活を送った時期があったことになる。そこまで想像すると、言い知れぬ感動が心を揺さぶった。美織の甘酸っぱい妄想は止まらなかった。
どこかの教室で会っているか、廊下ですれ違っていたかもしれない。壮太が答える前から先走り、美織は奇蹟の連鎖を望んでいた。そんな淡い期待を抱かずにいられなかった。
だが、現実はそう簡単に奇蹟を起こしてくれない。さすがに都合良く完全一致とまではいかなかった。美織が通っていた伊東附属学園ではなく、彼は熱海高等学校の卒業生だと語った。
それを聞いた直後、鏡を見ていたわけでもないのに自分の表情に翳りがよぎったのがわかった。通っていた高校が一緒でないから気分が落ちたわけではない。告げられた学校名から連想した人物が沈鬱な気持ちにさせたのだ。
嘗て藍川紗耶子も当校の生徒だった。
「藍川紗耶子って御存じですか?」美織は率直に訊いてみた。「藤村様と同じ熱海高校に通っていたのですが」
「あいかわ?」彼は小首を捻った。「さあ、知らないな。その子がどうかしたの?」
美織は周囲を気にかけた後、声を落とした。「では、熱海の女子高生が殺害された事件、って言えば伝わりますか?」
「ああっ」壮太は素っ頓狂な声を上げた。「その事件なら覚えてるよ。学校内でも、もの凄い騒ぎになったからね。って、もしかして君のお友達かい?」
黙ってこくり、と頷いた。
「そうでしたか。それは大変ショックだっただろうね」壮太は表情を曇らせた。「あの事件のことは今でも鮮明に覚えています。確か被害者は一年生の女子生徒で、不運にも自宅に押し入った強盗の集団に襲われた事件でしたね。被害者は僕の後輩に当たるのですが、一時期学校中でもこの話題で持ち切りで校内は騒然としていました」
それから彼は事件に伴って、身近で起きた当時の出来事を事細かに説明し始めた。
同校の生徒が殺害されたと知ったのは当夜のニュースだという。夕食の準備を放り出してテレビを食い入るように見つめる母親から教えてもらったそうだ。
翌朝、いつものように登校した壮太は、校門の前に人集りができているのを発見する。そこには、テレビの中だけでしか存在し得なかった光景が広がっていた。