三毛猫騒動 1
ガイエスの街には、一週間と、結構長い間留まっている。
何といっても、旅に出てから初めて寄ることになる「冒険者中心の街」であり、色々と覚えるのに好条件なのである。現実はゲームと違って、やれ最初の街だ、やれチュートリアルだと、生易しいことがあることはあり得ないが、それでも初心者向けと上級者向けくらいはあるのである。
もっとも、俺やレイナの場合は、付き添いが彼らなので、何時でも何処でもイージーモードである。だからといって絶対に成功するわけではないけれど、普通の人はもっと色々なものを掛金として差し出す必要があるわけなのだ。
かといって、この旅の本来の目的は、平民の立場で平民と触れ合うことだ。
俺やレイナは初心者の冒険者として、仲良くなったガイエスの冒険者たちに、色々とご教授戴いた。
剣の腕や、発想力や理解力の高さは驚かれたものの、それでも「冒険者としての知識」は足元にも及ばなかった。王城で色々と学んではいたのだけれど、座学は所詮座学だ。
勉強が悪いとは言わないが、やはり経験や体験と結びついてのことなのだと、深く実感した次第である。
また、教わる必要もないのに、俺たちの護衛として出来るだけ側を離れられない大人たちは、「ガイエスなりの流儀もあるのだろう?」と嘯いて、当然の如く付いてきた。
若い男が多いので、美人のカリンやフランツィスカは歓迎されたが、イケメンのウォルフガングやフリッツは舌打ちされていた。やはり、良いところを見せたいのだ。
そんなこんなで、冒険者としては至極頼りになる先輩方との親睦を深めていたのである。
俺たちは明日にもガイエスを出て次の街に行こう、そんな風に決めたある日、その頼りになる先輩の一人、アロイス・キューバウアーが、泣きそうな顔でギルドに飛び込んできた。
荒々しくドアが開け放たれて、しかしそれは早朝のことであったので、誰もが眉を寄せた。
しかし、次の言葉で、アロイスとそれなりに親睦が深い何人かは、驚愕と同情の表情に塗り替えた。
「クロミアが、クロミアが居なくなっちまったんだ!」
クロミアが誰のことなのか分からない俺は、ガイエスでは最後にする予定であった、手に取っていた依頼を掲示板に戻しつつ、ウォルフガングと顔を見合わせた。
アロイスは初日の酒場で最初に絡んできた男で、この街では、最も仲が良い部類の属するため、出来ることならば力になってあげたかった。
アロイスの居る入り口により近いところにある、テーブル席に座っていたレイナ達のところまで移動して、しかし立ったままで話に耳を傾ける。
「居なくなったって、どういうことだよ」
「そのままの意味さ! 朝起きたら、居なかったんだ」
「相棒だって言ってたじゃないか。お前が何かしたんじゃないか?」
「……かもしれない。心当たりは無いが」
聞く限り、痴情の縺れのように感じるのだが、俺たちが誤解をする前に、隣のテーブル席から声が投げられた。アロイスの所属するパーティーのメンバーである、ヴェンデリン・トットである。
冒険者にも関わらず、綺麗に整えられた顎髭を撫でながら出された、低い声で空気が震える。
「クロミアって言うのは、あいつの飼っている猫の名前でな、動物ではなく魔物で、子供のころから育てたから好く懐いているんだ」
つまるところ、ペットが逃げ出したといったところか。
せめて良かったことは、ヴェンデリンの情報でおおよその外見が掴めたということだ。
猫は、基本的に普通の動物だ。
馬のように超越的な身体能力を有する、ということもない。
しかし、例外的に、三毛猫だけは魔術を行使する魔物なのである。これは外見が酷似した別の生物であり、普通の猫からは三毛猫は生まれないし、三毛猫からは普通の猫は生まれない。
近現代の地球風に言うと、塩基数が違うらしく、生殖しても子供が出来ることはない。――もっとも、そこまで科学的に分かっているわけではないが、少なくとも繁殖することは無いと、過去の生物学者が実証済みだ。
そんな三毛猫に逃げ出されたアロイスは、ギルドの冒険者仲間に励まされて漸く、何とか状況を整理して落ち着いたようであった。
彼はギルドに「依頼を出す」木簡をしたため、それを受付嬢に渡して、確認もしないままにギルドを飛び出していった。
ヴェンデリンはそれを見て、やれやれと首を左右に振ると、アロイスを追いかけて出て行った。同じように肩を竦めながら、さらに二人の青年が続く。彼らのパーティーメンバーの者達であった。
なんとも劇的な時間であったように思う。
観客であった者たちは、俺達を含め、皆ゆっくりと本来の仕事に戻っていった。いや、戻ろうとした。
一人の男が大声で叫んだ。
「アロイスの猫探し、滅茶苦茶報酬高いじゃないか!」
誰もが受付に殺到した。
人垣を超えることは叶いそうにないので、ウォルフガングとフリッツの二人に担ぎ上げて貰うと、アロイスの描いた木簡が見えた。
――三毛猫のクロミアを探してください。見つけた者に、手取りで50000ロルク。
つまるところ、ギルドが手数料を差し引いたうえでも、銀貨五枚だ。
レイナが着けているネックレスはおろか、カリンが着けているバレッタよりも安いのだけれど、これは流石に、俺の感覚が王族的に麻痺しているとしか言いようがない。
平民は、銀貨一枚分で、つつましくならば一人が一週間暮らせるのだ。冒険者がそんな堅実なことをするとは思えないけれど、何日か宿と飯のグレードを上げられる金額といえば、彼らにもしっくりくるだろう。――そんな金額が日給なのだ。
勿論、博打的要素は大きい。
見つからない可能性や、アロイス自身が見つける可能性もあるし、複数の冒険者が依頼を受けても、報酬を得られるのは一組だけだ。
それでも、そもそも、冒険者というのは博徒の集団だった。普段は命をベットしてスロットを回しているような人生なのだか、一日分の勤労をベットするなど安いものであった。
俺たちの目の前の人垣は、思ったよりも早いペースで小さくなっている。
床に足を付けた俺は、レイナに向かって問いかけた。
「どうする? 俺達も、探偵ごっこと洒落込むか?」
「それも面白いと思います。それに、アロイスさんの力にもなってあげたいです」
不謹慎にも、ちょっとだけワクワクした気持ちを持っていた俺に対して、レイナの言葉は優しさが勝っていたようにも思う。
もっとも、彼女は優しいだけではなく、損得勘定も出来るので、人に懐いた猫を見たい気持ちもどこかにあるのだろう。口角が緩んでいた。
大人たちに目を向けると、首肯を返してくれた。そもそも、悪いことや危ないことでない限り、彼らは積極的な反対はしないのだけれど。
ウォルフガングが受付嬢に話しかける。木簡を指さしてニつ、三つ言葉を交わして、クエストは受諾された。
こうして、俺たちはガイエス最後のクエストは、勇敢で派手な魔物狩りではなく、地道で地味な猫探しとなったのである。