第7話 はじめの一歩
夜ももう、遅い時間。わざわざ皆を起こすわけにもいかない。
話は朝にと言う事になり、耕平とティアナはそれぞれ部屋へと戻った。
今度はきちんと着替えてからベッドに横になり、耕平はこれまでの事、そしてこの先の事に思いを巡らせる。
耕平に力の使い方を示唆した着物の男。彼は、世界の転生について何か知っている風だった。聞きたいことは山ほどあるが、どうすれば彼にまた会うことができるのか分からない。魔王の城を目指していれば、いずれまた再会することができるだろうか。
そんな事をぐるぐると考えている内に、眠ってしまったらしい。
甲高い子供たちの声で、耕平は目を覚ました。
「コーヘイー! おっきろー!」
「朝ですよーっ」
ドン、と腹の上に衝撃が加わる。
「タッくんだけズルイ!」
「あーっ、ハナもハナもー!」
ドン、ドンとさらに二度の衝撃。目を開ければ、タイガ、ルカ、ハナの三人が耕平の上に一列で馬乗りになっていた。
「あ、起きた。もう、皆起きてるよ」
「おはよ……起きるから、そこどいて……」
耕平が身支度を済ませて部屋を出ると、三人とも廊下で待っていた。何やら嬉しそうにニコニコと笑っている。
「どうしたんだ? 何かあるのか?」
「えへへー、見てのお楽しみ!」
子供たちに背を押されるようにして、広間へとたどり着く。
広間の中央に置かれた長いテーブルの上には、スープにサラダ、パンに卵など、たくさんの朝食が並んでいた。
「うわ、すごい……」
「おはよう、コーヘイ。これ、子供たちだけで作ってくれたんだって」
「おはようございます、勇者様」
先に席に着いているティアナとイリサが振り返る。
「地下に、図書館を作ってくれたでしょう。そこにあった本を見て、見よう見まねで……文字は読めなくて絵と数字だけを頼りに作ったから、あまり上手じゃないけど……」
リナが自信なさそうに説明する。
「その目玉焼きね、私がつくったんだよ」
耕平の隣に座りながら、ルカが誇らしげに話す。
「ハナはねー、パンこねたのー! あとでね、ハルちゃんとチーちゃんが作ったケーキもあるんだよ」
言ってから、ハナは「あっ」と口を両手でふさぐ。
「これ、食べたあとのおたのしみだった。今きいたの、なしね」
ヒソヒソ声で言って、しーっと人差し指を立てる。
「コーヘイさんも来たことだし、食べよっか。リナ姉、大丈夫?」
「うん、平気」
リナはエプロンをはずし、席に着く。
耕平は膝の上で拳を握りしめ、うつむいていた。
「……食べる前に、皆に話しておきたい事があるんだ」
顔を上げ、机を囲む一人ひとりの顔を見つめる。
きょとんとした表情の子供たち。
「勇者様? いったい……」
「俺は、勇者なんかじゃないんだ」
イリサの声に重ねるようにして、耕平はきっぱりと言い放った。
「こんな突飛な話をして信じてもらえるか分からないけど、俺は今のこことは全く違った世界で暮らしていたんだ。気が付いたら、森の中で倒れていて……見覚えのない服や武器を身に着けていて……勇者を名乗ったのも、魔王討伐を目指すって話も、他に上手い状況説明ができないから、ティアナの誤解に乗っかっただけだった。本当は勇者なんて立派なものじゃないし、魔王の城がどこにあるかさえ知らないんだ」
子供たちは顔を見合わせる。ティアナとイリサは、真剣な表情でじっと耕平を見つめていた。
「そのまま、訂正するタイミングを失って……それに、勇者って呼ばれるのは、気分がよかった。別に、誰かに迷惑がかかるわけでもない。このままズルズルと旅を続ければいいやって、そんなふざけた事を考えてた。ずっと黙って、騙してて……本当にごめん」
耕平は、机に額がくっつくほどに頭を下げる。
「俺は勇者じゃないし、魔王を倒すのも『まあ、やってみてもいいかな』程度にしか考えていなかった。でも、今は違うんだ。魔王を倒したい。ちゃんとこの世界の事を知って、魔王の城に向かおうと思う。魔王ってやつと、ちゃんと話さなきゃいけない理由ができたんだ。
こんな事言える立場じゃないのは、分かってる。勇者でもない、運動神経も良くない俺と一緒じゃ、危険もあると思う。でも……ティアナ、イリサ。二人には、これからも俺と旅を続けて欲しい。魔王の城を目指すのを、手伝って欲しい」
しんと広間は静まり返っていた。
皆、驚いていることだろう。当然だ。ティアナも、イリサも、耕平が勇者だと信じてついてきてくれていたのだ。魔王を倒そうとしているのだと、信じて。
まさかその耕平自身がちゃらんぽらんな気持ちで適当に旅をしていたなんて、裏切りだと思われても仕方ない事だ。
静寂を破ったのは、ティアナの声だった。
「……話したい事って、それだけ?」
「……どんなに言葉を尽くしても、謝り足りないのは分かってる。でも――」
「なーんだ。真面目な顔して『皆に話したい事がある』なんて言うから、どんな話かと思った。これからも一緒に旅ね、うん、オッケーよ」
「え……」
耕平は顔を上げる。ティアナは、あっけらかんとした表情だった。
「え……オッケーって、そんな、軽い……俺、皆を騙してたんだぞ? 勇者じゃないんだぞ?」
「別に、コーヘイが勇者だろうとなかろうと、関係ないわ。魔王を倒しに行くって話も、思い返せば私、結構強い押しでまくしたてちゃってたから、コーヘイが気圧されて流されちゃったのも分からなくもないし。会ったばかりの時のコーヘイって、正直、人に対してちょっとビビってたでしょ?」
「ビビってまではいないけど……でも、まあ、人と話すのは苦手な方かな……皆のおかげで慣れてきたって感じで……」
「まあ、魔王の城の場所さえ知らなくて目的地なしに旅をしてたってのは、正直驚いたけど。でも、決して無駄な旅じゃなかったと思うの」
「勇者様」
イリサが口を挟んだ。その声は、珍しく力強いものだった。
「私は、勇者様に救われました。その事実は変わりません」
「あ……イリサ。俺は、勇者でもなくて……」
「勇者様は勇者様です。山賊を壊滅させたり、街全体を脅かしていた魔物を倒したり……勇気あるその行いは、勇者様そのものです。コーヘイ様を勇者でないと言うならば、この世界には勇者と名乗るにふさわしい人物なんて、誰一人としていないでしょう」
それは、買いかぶりすぎではないだろうか。褒めてくれるのは嬉しいが、同時に申し訳ない気持ちになってくる。
「それに、生まれでその方の立場が決まるのであれば、私も魔導士ではありません。私の家は、小さな農家でした。たまたま、一つ使える魔法があると言うだけなのです。
その人が何者なのかを決めるのに大切なのは、生まれや環境ではありません。その人が、どのように生きるかです」
真剣な瞳で話していたイリサの青い瞳が、ふっと優しく微笑んだ。
「あなたの生き方は、勇者様そのものです」
「私たちも、コーヘイさんに救われた」
そう口を挟んだのは、リナだった。
「勇者だろうと何だろうと、その事実は変わらない。そんな事で、コーヘイさんを責めたり嫌ったりなんて誰もしないよ。ねえ、皆?」
リナは、子供たちを見回す。六人の子供たちは、力強くうなずいた。
「皆……」
「そう言う事!」
ティアナが、明るい声で言った。
「皆、コーヘイが勇者だから好きなわけじゃない。優しくて、一生懸命で……そんなコーヘイだから、皆、大好きなんだよ。
さっ、ほら、食べよう! せっかく作ってくれたのに、冷めちゃったらもったいないもの! はい、いただきます!」
「いただきまーす!」
ティアナに続いて、子供たちも手を合わせ、フォークやスプーンを手に取る。
「イリサは、少し冷めたくらいがちょうどいいのです」
「コーヘイさんは、ミルクとコーヒーどっちがいい?」
傷つけてしまうかもしれないと思った。怒らせてしまうかもしれないと思った。
ここまで築き上げてきたものは崩れるだろう。最悪、一人で魔王を倒しに行く事さえ想定していた。
皆、耕平が思うよりも強く、そして優しい人達ばかりだった。
思わず涙ぐみそうになるのをこらえ、コーンスープを口に運ぶ。子供たちが作ってくれた料理はとても温かく、少ししょっぱい味がした。




