【エピローグ】今も、人の隣で
平安の時代が終わってから。
鳴花ヒメと鳴花ミコトは、表舞台から姿を消した。
神として祀られることも。
妖怪として恐れられることも。
二人は、もう必要としていなかった。
ただ、人間の隣で暮らす。
それだけだった。
時代が変わる。
町が変わる。
人々の暮らしが変わる。
文明が進んでいく。
それでも二人は、人間の中に紛れて生き続けた。
―そして現代
カフェのテーブルに、三人分の料理が並んでいる。
「花ちゃん、それヒメの!」
花がヒメのオムライスを、スプーンでひとすくい。
「ちょっと頂戴」
「あー!ヒメのオムライス!」
ヒメが騒ぐ。
けれど花は気にしない。
そのまま、ぱくり。
「……おいしい」
「だからヒメのだってば!」
頬を膨らませるヒメ。
それを見て、ミコトが笑った。
「花」
「ん?」
「口」
「え?」
花の口元には、ケチャップがついていた。
ミコトはナプキンを手に取る。
そして、そっと拭ってやる。
「ついてるよ」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
ミコトは笑った。
その光景を見て。
ヒメも、ふっと笑う。
――その瞬間。
二人の脳裏に、遠い昔の光景が蘇った。
人の家の木の実。
それを何の悪びれもなく頬張るヒメ。
静かに隣にいるミコト。
そして。
三人で囲んだ食卓。
畑仕事。
子供たちとの遊び。
くだらない話。
笑い声。
春風に揺れる木々。
散っていく花。
「鳴花」という名をくれた、あの日。
そして――…
ほんの一瞬だけ。
二人は、あの頃へ戻ったような気がした。
けれど。
今、目の前にいるのは道真ではない。
花だ。
それでいい。
「……もう一口食べる?」
ヒメが言った。
花の顔が明るくなる。
「いいの?」
「一口だけだからね!」
「やった」
ミコトが笑う。
三人の間に、穏やかな時間が流れていく。
昔と同じように。
けれど、少しだけ違う。
あの頃の三人がそうだったように。
人間と、そうではない存在が。
同じ食卓を囲んでいる。
誰も、それを特別なことだとは思わない。
ただ、一緒に笑っている。
それだけだった。
その時。
「……あ」
花が窓の外を見た。
「どうしたの?」
ヒメが尋ねる。
花は答えず、窓の外を見つめている。
カフェの向かい。
通りの向こうに、大きな梅の木があった。
枝いっぱいに花を咲かせている。
春の陽射しを受けて、白い花が風に揺れていた。
花はしばらく、それを眺めていた。
そして。
「……綺麗だね」
そう呟いた。
「ほんとだね」
ミコトも窓の外を見る。
ヒメも見る。
三人で、しばらく梅を眺める。
やがてヒメが、小さく笑った。
「……うん」
それ以上、誰も何も言わなかった。
ただ、穏やかな時間が流れていた。
窓の外では、梅の花が風に揺れている。
創世から続く、長い長い時間。
鳴花の二人にとって、人間と過ごした時間は、果てしない年月の中ではほんの一瞬なのかもしれない。
けれど。
その一瞬一瞬こそが、大切な思い出だった。
そして今も。
二人は人間の隣にいる。
今日も。
明日も。
きっと、これからも。
――梅の花が、静かに揺れていた。




