亡き色?
「……その人は。」
「亡き色です。」
キヌヤの言葉に、部屋の空気が張り詰めた。
玄灯は静かに問い返す。
「見間違いではないのじゃな。」
「はい。」
キヌヤは迷わず頷く。
「ボクは何度も見ています。」
「白い衣をまとい。」
「顔を隠して。」
「第七区画の外れに現れます。」
サクヤヒメが口を開く。
「交戦は。」
「ありません。」
「向こうから攻撃してくることも?」
「一度もありません。」
その返答に、玄灯は僅かに眉をひそめた。
「亡き色が……攻撃せん?」
「はい。」
キヌヤは続ける。
「初めて会った時も。」
「ボクを見つけると、そのまま立ち去ろうとしました。」
「追ったのか。」
「追いました。」
「ですが。」
「振り返ったその人は。」
キヌヤは少しだけ目を伏せる。
「あやまったんです。」
「……何?」
玄灯の声が低くなる。
「『驚かせてごめんなさい。』と。」
部屋が静まり返る。
亡き色が謝る。
そんな話は誰も聞いたことがない。
「その後も何度か姿を見ました。」
「ですが。」
「人を襲うところは一度も見ていません。」
「むしろ。」
「他の亡き色が近付くと、追い払っていました。」
玄灯は腕を組む。
「どういうことじゃ……。」
サクヤヒメだけは表情を変えない。
「亡き色です。」
ただ一言。
「例外はありません。」
キヌヤは静かに頷く。
「……はい。」
「ボクも最初はそう思いました。」
「だから討とうとしました。」
「ですが。」
「刃を向けても。」
「逃げるだけでした。」
「反撃は?」
「ありません。」
「一度も。」
玄灯はゆっくり息を吐く。
「それで。」
「匿ったのか。」
キヌヤはすぐには答えなかった。
しばらく沈黙し。
やがて。
「いいえ。」
静かな声で答えた。
「匿ってはいません。」
「ただ。」
「討つ理由が…見つかりませんでした。」
その言葉に、玄灯は目を閉じる。
一方。
サクヤヒメは変わらぬ口調で言う。
「理由はあります。」
キヌヤが顔を上げる。
「亡き色だからです。」
その一言だけだった。
そこに怒りも憎しみもない。
ただ。
神としての判断。
「自我があろうと。」
「言葉を話そうと、」
「人を襲わなかろうと、」
「亡き色である事実は変わりません。」
部屋に重い沈黙が落ちる。
キヌヤは何も言い返さない。
言い返せないのではない。
サクヤヒメがそう考えることを理解しているからだ。
玄灯もまた黙っていた。
誰が正しいのか。
まだ判断できなかった。
その時。
神殿の外で、小さな鐘が一度だけ鳴る。
カラン……
夜更けに鳴るはずのない音。
三人は同時に顔を上げた。
玄灯が窓へ近付く。
門の前。
月明かりの下に。
白い衣をまとった人影が一人、静かに立っていた。




