20.【出題編】実験②
「さて、次はどうしたものでしょうか?」
アメリアは努めて明るくアルバート卿に問いかける。
先ほどのミスター・リーの進退問題で2人の気分も少し沈んでいた。
幸いにして労働により収入を得る必要のない彼らには具体的な想像はつかないが、労働者階級のミスター・リーにとって職を失うことが深刻な事態であることはわかる。
「そうですね……。鍵の紛失があったというのが気になりますね。誰でもショーケースを開けられる状況にあったということになる」
アルバート卿は慎重に思案している様子で言った。
そこでアメリアはふと思いついたことを提案した。
「では、実験してみませんか?」
「というと?」
「誰にも気づかれずにショーケースを開けて<王女の涙>を取り出すことができるか試してみるのです」
アメリアは今や空になっているショーケースを指し示す。
それはケーキ倒壊の騒ぎが起きたときと同じく、床まで届く長さの緋色のビロードの布がかけられたテーブルの上に置かれている。
「この布がかかったテーブルの陰に隠れれば、不可能ではない気がしますが、あのときはウェクスフォード卿とロスマー卿がステージ上にいらっしゃいました。ステージ上に立っていて視点が高かったお二方――ロスマー卿は途中で転んでしまいましたが――から見られずに犯行が可能なのか確認した方が良いと思います」
「なるほど」
2人は早速相談して父や兄と背丈が近いアルバート卿がステージの上に立ち、アメリアが犯人役でショーケースの中に手を入れてみることにした。
幸いにも空のショーケースの扉は開けっ放しになっていた。
アメリアはアルバート卿がステージの上にたどり着いたのを確認してテーブルの陰にかがむ。
そして、ショーケースの扉の鍵を開ける真似をし、扉を開けて中に手を入れて<王女の涙>を取る動きをしてみた。
――かがんだままでもできなくはなさそうだわ。まして、もっと動きやすい服装の紳士であれば…。
そこまで考えて、アメリアは床に何か光るものが落ちているのを見つけた。
それはガラスの破片だった。
先ほど散らばったガラス片は侯爵家の執事たちが警察の指示に反して片付けたはずだが、見逃しがあったのだろう。
アメリアは見逃された破片で誰かが怪我をしては一大事とテーブルにかけられているビロードの布をめくってその下にもないかを確認しようとした。
しかし、見つかったのはガラス片ではなかった。
「ステージ上からでもあなたの姿は全然見えませんでしたよ。テーブルの陰に隠れながら<王女の涙>を取り出すことはできそうだ。……どうしたんです?」
ステージから戻ってきたアルバート卿はテーブルの陰にかがんだままのアメリアを見て眉を寄せる。
そして、彼女の手袋をした手に握られているものを見て更に訝しげな顔をする。
「それは一体……?」
「どうやらハンマーのようですわ。テーブルの下にありましたの」
アメリアがショーケースが置かれていたテーブルの下で見つけたのは、小ぶりのハンマーだった。
頭部は鉄でできていて、柄は硬木でできているようだ。頭部は一方が平らになっていてもう一方はくちばしのように尖っている。
「誰のものでしょうか?」
「わかりませんが、誰のものだとしてもテーブルの下にあったのなら、事件に無関係とは思えませんね」
アメリアはしばし思案する。このハンマーは何に使われたものだろう?
例えば、ガラス製のショーケースを割るのにはぴったりだと思うが、ショーケースは無事だ。
背面の扉も鍵の部分も傷一つ付いていない。
他に考えられるとしたら――これでダイヤモンドを叩いたらどうなるだろう?
しかし、硬い物質として知られているダイヤモンドがハンマーで叩いただけで割れるものだろうか?
もし割れるとしても、何の目的でダイヤモンドを割ろうとするのだろうか?
――いずれにしても、一度実験してみたい。
それは根拠のない直感だった。
それでもアメリアのヘーゼルの瞳は既に好奇心に輝いてしまった。
「ハンカチをお借りできませんか?」
思案の末、アメリアはできるだけレディらしく優雅にアルバート卿に願い出た。
なぜなら、今から彼女がしようとしていることがあまりにもレディらしくないからだ。
「なんのために?そもそもレディならご自分のハンカチがあるでしょう?」
アメリアの意図を測りかねたアルバート卿は、思わず少し眉を持ち上げ、皮肉で応じる。
「大ホールにいる人々に気づかれずにハンマーを床に叩きつけて何かを割ることが可能なのか試したいのです。でも、そのままでは明らかに大きな音が立ちすぎますわ。なので、何かを叩き割ったとしても、頭部に布を巻いたのではないかと思ったのです」
もうアルバート卿の皮肉に慣れてきていたアメリアは動じずに説明した。
「ちなみに、私のハンカチはロスマー卿の砂糖を払うのに使ったので、砂糖まみれになってしまっていてとてもハンマーに巻くのには使えないのです」
「……なるほど、そうであれば、紅茶に浸すくらいにしか使えませんね」
アルバート卿はため息を一つつくと、モーニング・コートのポケットを探って自分のハンカチを取り出した。
それは白地に白い糸でアルバート卿のイニシャル――"A"――が繊細に刺繍された上等なハンカチだった。
アメリアはこの上等なハンカチをこんな用途で使うのは気が引けつつも、それを器用にハンマーの頭部の平らな方を覆うように巻き付けた。
「しかし、ハンマーで何を叩き割ったのでしょう?ショーケースは無事ですし、まさかダイヤモンドはハンマーじゃ割れないでしょう?そもそもダイヤモンドを叩き割る意味もよくわからない」
アルバート卿は先ほどアメリアが考えたのと同じ考えを持っているようだ。
しかし、彼女は妙に確信のこもった声で言った。
「わかりませんけど、一度試した方が良い気がするのです。とりあえずやってみましょう」
それを聞いたアルバート卿の青みがかった灰色の目には明らかに不安が浮かんだが、アメリアは気にせずにテーブルの陰にかがんだ。
そして、彼女が不慣れな手つきでいよいよハンマーを振り上げたとき、彼は堪らず声を上げた。
「ちょっと待ってください、レディ・メラヴェル」
彼は手を上げてアメリアがハンマーを床に振り下ろそうとするのを静止する。
「このハンマーを使った人は、もしかすると、ダイヤモンドを割ろうとしたのかもしれないし、そうでないのかもしれない。でも、万一、本当にダイヤモンドを割ろうとしたのであれば、そんなことを考えたのはあなたのようなレディではないと思います。もっと腕っぷしに自信のある男だ」
更にアルバート卿は続ける。
しかし、今度は口の端が少し笑っている。
「それから、もしあなたがハンマーを振り下ろして侯爵家の大ホールの大理石の床に傷を付けたらどうなりますか?あなたの評判も同時に傷がついてしまうことは確実でしょう。一方、この家の三男が自分の屋敷の床に傷を付けたとしても、せいぜい父や兄に――ひょっとすると元乳母の家政婦長にも――叱られるくらいで済むでしょう。つまり――」
そう言って、彼はアメリアに向けて手を差し伸べる。
アメリアは彼の言うことに一理あると思い素直にハンマーを手渡した。
しかし、心のどこかで自分でハンマーを振り下ろすことに未練があったが、レディらしくない未練には気づかなかったことにした。
そして、アルバート卿はテーブルの陰にかがみ、アメリアに目で合図すると、頭部にハンカチが巻かれたハンマーを思い切り振り下ろした。
あたりにはそれなりに大きな音が響くが、今のように大ホール中に客人たちの話し声が響いている中ではどうということもなかった。
ケーキ倒壊の騒ぎのときはもっと大きなどよめきが起きていたのでより目立たなかっただろう。
そして、幸運にも大理石の床には特に傷は付いていなかった。
「私はなんとか書き取りの罰を免れましたね」
アルバート卿は愉快そうに言った。
アメリアは彼からハンマーを受け取ると、頭部に巻きつけていたハンカチを外し、元の通り彼のイニシャル"A"が上に来るように畳んで手渡した。
「あなたの上等なハンカチにとんでもない仕事をさせてしまいましたね、アルバート卿」
「どこかの子爵の砂糖を払い落とす羽目になったハンカチよりはましでしょう、レディ・メラヴェル」
そう言って2人は顔を見合わせて笑った。
アメリアもアルバート卿も事件について調べれば調べるほど謎が深まっていくことに最早辟易としていたが、このハンマーという物理的な発見には少し勇気づけられた。
このハンマーによって、この事件がおぼろげながら輪郭を持ってその形を現し始めた気がした。




