17.【出題編】中産階級の紳士①
「ですから、警部。私、見ましたのよ。あの方が<王女の涙>が盗まれたとわかった直後に嬉しそうに笑っていらっしゃったのを」
アメリアとアルバート卿が執事を探して大ホールに戻ると、その一角でちょっとした騒ぎが発生していた。
レディ・グレイスが抑制されているが深刻な口調でヘイスティングス警部に訴えかけている。
彼女が先ほど話していた「ダイヤモンドが盗まれて嬉しそうにしていた男」の件をついに警部に報告したのだろう。
2人は一瞬目配せをして、彼らに足早に近づいていった。
「なるほど?もう一度その笑っていた男の名前をお聞きしても?」
「ミスター・ブルックですわ。アッシュコム銀行の。あのとき、彼も私も砂糖まみれになった兄の世話をしていたので、私は彼の表情をほんの1ヤードくらいの距離で見たのです。間違いございません」
名指しされたミスター・ブルックも彼らの近くにいて青ざめた顔をしていた。
ヘイスティングス警部は彼を鋭い目で睨み、レディ・グレイスは彼を冷たい目で見ている。
「あなたがミスター・ブルックですね?」
「ええ……」
「確か今朝<王女の涙>をアッシュコム銀行からこのタウンハウスに運んできたのはあなたではなかったですか?」
「あの……私は……」
「盗難が発覚したときに嬉しそうに笑っていたというのは本当ですか?」
「ええと、確かに笑ったかもしれませんが……ちょっと違っていて……」
「ええ?笑ったのか笑わなかったのかはっきりしてもらえませんか?」
警部の追及にミスター・ブルックは震えてしどろもどろになっている。
――かわいそうなミスター・ブルック……。
アメリアは反射的にこの中産階級の雇われ人の紳士に同情した。
そして、なぜか亡き父の言葉が頭の中に響いた。
彼女が男爵位の継承を決めたときに思い浮かんだのと同じ言葉だ。
――いいかい、アメリア。
――人間というのは弱い生き物だ。
――私は法廷弁護士の職務の中で、自分に課せられた責任から逃げ出す者をたくさん見てきた。
――でもね。人間誰しも責任から逃げてはならないときがあるんだよ。
――それを忘れないでいて欲しい。
父の言葉を反芻したアメリアのヘーゼルの瞳にある確信が浮かんだ。
隣で彼女の表情を見たアルバート卿はやや怪訝そうな顔をしている。
「あの、よろしいでしょうか?」
アメリアはヘイスティングス警部に向かって遠慮がちに声を掛けた。
「ええと、お嬢さん、あなたは?」
「ひとまず、法廷弁護士の娘と申しておきましょう」
彼女は女男爵と名乗るよりその方が信頼されるのではと思い、そう切り出した。
「ミスター・ブルックは<王女の涙>が盗まれたこと自体を嬉しく思って笑ったのではないと思いますわ。そうではなくて?ミスター・ブルック?」
ミスター・ブルックはようやく味方が現れたとばかりに激しく頷いている。
「では、こちらの侯爵のご令嬢が嘘をついていると?」
ヘイスティングス警部の言葉にレディ・グレイスの青みがかった灰色の瞳の奥に一瞬憤りが浮かぶ。
「いえいえ、まさか。レディ・グレイスは本当のことをおっしゃっていると思いますわ。ただ――」
「ただ?」
「ただ、レディ・グレイスは侯爵家のご令嬢ですから、中産階級の雇われ人の本心までは、きっとおわかりにならないということです」
「『雇われ人の本心』と言いますと?」
警部は「わけがわからん」と言いたげに、隣にいた部下に向かって肩を竦めて見せた。
「ミスター・ブルックは安心したのですよ。<王女の涙>が盗まれたのはこの侯爵家のタウンハウスであって、銀行ではなかったのですから。人というのは概して弱い生き物ですから、重すぎる責任からは逃げ出したくなるものです」
そこまで言うとアメリアは敢えてミスター・ブルックに微笑みかけた。
「もし銀行で盗まれていたらアッシュコム銀行もミスター・ブルックご自身も責任を追及されて大変なことになっていたでしょうね。そうでしょう、ミスター・ブルック?」
「ええ、お嬢様のおっしゃる通りですよ。皆さんどうかわかってください」
ミスター・ブルックは最早目に涙を浮かべて必死に訴えている。
「犯人と目されている窃盗団<静かなる猫>は銀行の金庫から宝飾品を盗み出したこともございました。ですから、頭取からも『銀行で盗まれることだけは絶対に避けるように』と言われていたのです。この指輪はとても当行でかけている保険ではまかないきれないほどの価値がありますから……」
警部は「ふむ」とつぶやき、レディ・グレイスは呆れたようにため息をついた。
アルバート卿は興味深そうにアメリアとミスター・ブルックを交互に見ている。
「なので、我々アッシュコム銀行の管理下ではなく、こちらで盗難が起きたとわかり、私はつい安心してしまったのです。何とか首の皮一枚繋がったと。当行の信用も私の雇用も」
ミスター・ブルックの正直な告白に一同はしばし沈黙する。
沈黙を破ったのはレディ・グレイスだった。
「どうやら私の勘違いだったようですわね。ミスター・ブルックは罪があったわけではなく、責任感がなかったというわけです。お詫びしますわ」
「はい、全くおっしゃる通りで。私の責任感のなさが混乱を招いてしまいまして……」
ミスター・ブルックは相当不名誉なことを言われているが、なりふり構わず認めた。
しかし、アメリアは彼を見下したり軽蔑したりする気にはならなかった。
この中産階級の紳士は自分と家族の生活を守るために必死なのだ。
「全く人騒がせな……しかし、皆さん、他に何か気づいたことがあれば遠慮なく報告してくださいよ」
そう言って警部は他の捜査に戻ると言って部下と共に去っていった。
その背中を見送りながらレディ・グレイスは長い溜息を漏らした。
「私もお父様に当てがはずれたことを報告しないといけないわね」
「残念ですわ。本当に」
アメリアがレディ・グレイスに声を掛けると、意外にも彼女は楽し気に微笑んだ。
「私、あなたには感謝しなければね。私だって無実の人を罪に問いたかったわけではありませんもの」
それだけ言うとレディ・グレイスもまた侯爵の元へと去っていった。




