16.【出題編】階下の人々②
アメリアとアルバート卿は再び使用人用の階段を上って、1階に戻ってきた。
玄関ホールに出ようとしたときに一人のフットマンが建物の左翼側との接続部分で立ち止まっていた。
彼はホールの反対側の何かを見て立ち止まっているようだ。
「あのフットマンがケンです」
アルバート卿がアメリアに囁いた。
「しかし、彼は一体何を――?」
2人が彼の視線を追うと、その先には侯爵家の次男ヘンリー卿の姿があった。
「ヘンリー?どこに行ったのかと思えばこんなところに」
しかし、ヘンリー卿の様子はどうもおかしい。
何かこそこそとしている。どうやら警官が立ち塞がっている建物の右翼側に行きたいようだ。
そして、当の警官はというと、職務をきちんと果たしているとは言い難かった。
彼の視線はヘンリー卿がいる側とは逆の柱の陰に注がれている。その柱の陰ではどうやら若い男女が『戯れ』か――もしくは、もう少しギリギリの距離で接しているようだ。
若い警官は彼らが気になって仕方がないらしい。
「やれやれ、彼らは柱の陰で本当に『戯れ』をしているようだ」
アルバート卿はそう呟く。
彼が「本当に」を強調していたので、先ほど彼自身がこの玄関ホールの柱の陰でアメリアと会話したときには、やはり彼の方でも「戯れ」を装っていたのだとわかり、彼女はなぜか頬が熱くなる気がした。
そうこうしている内に、若い男女の観察に夢中になっている警官の視線を掻い潜ったヘンリー卿は、首尾よく右翼側に消えていった。
「全くヘンリーは何をしているんだ……まあ、いい。ケンに話を聞きましょう」
2人はまだ左翼との接続部周辺にいたケンに話しかけることにした。
***
「やあ、ケン、ちょっとこっちへ来てくれないか?」
アルバート卿は気軽な口調でケンに声を掛けた。
まだヘンリー卿の背中を見つめていたケンは、ハッとして、アメリアとアルバート卿がいる使用人用の階段へと続く扉の前にやってきて、礼儀正しくお辞儀する。
「何かご用でしょうか?ご子息様とお嬢様」
ケンはミセス・モースが言った通りまだ幼さの残る若者だが、きちんと撫でつけられた髪、生来の高い身長、そして、青い短めのズボンのお仕着せのお蔭で外見はどこからどう見ても立派なお屋敷のフットマンだ。
「今回の事件のことだが……」
「グラスのことは申し訳ございません。どうかクビと弁償だけはご容赦いただけるよう侯爵様に執り成していただけませんか?」
ケンは白手袋をした両手を体の前で組み合わせてもぞもぞと動かしている。
「私はただ乾杯用のシャンパンと交換した空きグラスを運ぼうとしていただけで……」
「父はそんなことで若者に罰を与えたりはしないさ。それよりリーの方が厳しそうだが」
アルバート卿は明らかに動揺しているケンをなだめる。
確かに侯爵は執事のミスター・リーを信用しているので、侯爵が寛大にケンを許したとしてもミスター・リーが反対すれば、ミスター・リーの判断を尊重する可能性はありそうだ。
「ミスター・リーは……その……大丈夫だと思います……」
ケンはもごもごと言った。
アルバート卿はその反応に眉を上げたが、ひとまず、本題を切り出す。
「君はあの騒ぎの最中、ショーケースの前にいたね――転んではいたが。そのときに何か気づいたことはなかったか?ショーケースの周囲の警備が手薄になっていたようだが?」
「ええと」とケンは緊張した面持ちで頼りなさ気な口調で話し始める。
「確かにケーキが倒れる騒ぎがあったとき、ショーケースの前にいた2人の警官はすぐに倒れたケーキのところに向かっていきました。なので、私が通りかかったときにはショーケースの周りには誰もいませんでした」
「リーは?彼もショーケースに張り付いていただろう?」
ケンは記憶を取り戻そうとしているのか、俯いて考え込んでいる。
「ええと、よく覚えていません。私が転んだときには、既にミスター・リーもいなかったと思いますが」
アメリアとアルバート卿は顔を見合わせる。
警官のことはそれなりにしっかり見ていたようなのに、自分の上司である執事のことは、こうも曖昧だなんて一体どう解釈したら良いのだろう。
アルバート卿はひとまず質問を進めた。
「あとは……あの3段のケーキがどうして倒れて来たのかわかっているのか?」
「ええと、それもよくわかりません」
「あれは君が設置することになっていたのかな?昨日リハーサルをしていたと聞いている」
「はい、シェフのムッシュー・プレヴォが作ったケーキを下級執事の2名と私が手分けして設置しました」
「運搬と組み立ての分担は?」
「下っ端の私が一番重い台座と一番下のケーキを運んで、指定のテーブルに置きました。上の2段は実は紙で作ったオブジェを砂糖で装飾していただけだったのですが、それを支える支柱と台を含めて下級執事2名の担当でした。どちらがどちらの段を担当していたかは……よく覚えていなくてすみません」
「もう十分だ。ありがとう」
ケンの記憶が不確かになってきたところでアルバート卿が会話を打ち切ったので、彼は緊張していた表情を少し緩めた。
「ところで、モースが君の賭け事について心配していたが、あくまでちょっとした遊びなんだろうね?」
アルバート卿は絶妙に何気ない風を装っている。
雇い主に悪癖を指摘されているにもかかわらず、意外にもケンの表情は明るくなった。
「ええ。少し負けたこともありましたが、自分の責任でちゃんと取り返しましたよ、ご子息様」
そう言ってケンは「公爵ご夫妻にお代わりの紅茶をお持ちしなければなりませんので」と言って一礼すると、使用人用の階段を小走りに下りて行った。
残された2人はケンの不可思議な態度の解釈について、それぞれの頭の中でしばし考え込んでいた。




