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小雨がしとしとと降る帝都の郊外。神奈は、婚約者の御幸と共に植物園を訪れていた。帝都襲撃の事件から早ひと月。ようやく平穏を取り戻した街には、再び穏やかな日々がやってきた。
異形化の薬を打たれた御幸は、あれから東雲が運営する病院へ緊急入院となり、しばらくは検査三昧の日々。神奈は事件の後処理で忙しい仕事の合間に彼を見舞い、退院日を心待ちにしていた。
体の異変を心配された御幸だったが、即座に核の破壊が行われたこと、技術部長である正宗の適切な処置が早急に施されたことにより、大事に至らなかったことは幸いだ。
帝都を揺るがす謀反を起こした日比谷宗助と、その一派は反逆罪で逮捕となり、全員牢に入れられている。取り調べでは、禁術の呪符や違法な薬の開発に加え、霊力測定会で使用された機械への細工など、余罪が次々に出てきたそうだ。
しばらくは後処理に忙しい日々が続きそうではあるが、無事に帝都を守りきれたこと。そして、隣にいる御幸の命を救えたことは、神奈にとって誇らしく思えることだった。
「御幸様、見てください。紫陽花が綺麗に咲いてますわ」
「本当だ。天気が悪いのは残念だと思っていましたが、紫陽花は雨の日に見ると、一層風情があって良いですね」
御幸が挿す傘にふたりで入り、園内をのんびりと散策する。あいにくの天気で園内の人はまばらだったが、返ってゆっくりと鑑賞することができて良かったかもしれない。
ワンピース姿の神奈に、シャツにベスト、スラックスとカジュアルな洋装の御幸。相合傘をしているので、いつもよりも御幸との距離が近く、腕まくりをしたシャツの下に除く逞しい腕に、神奈は先ほどからドキドキしっぱなしである。
そんな神奈の胸の内をよそに、御幸は機嫌が良さそうに、にこやかな笑みを向けてくるので胸のときめきが止まらない。
先月、帝都で発生した大事件の後処理がようやくひと段落つき、神奈にとっては久々の非番だった。そこで、以前御幸と「遠出をしよう」と約束していたことを思い出し、郊外にある植物園にやってきたのだ。
「……こうやって、今一緒にいられるのが夢みたいです」
ぽつり呟いた御幸に、神奈はちらと隣を見た。それから自分が刺した肩口を見遣り、俯いた。
「……その肩、申し訳ございません。御幸様の体に傷を残してしまって」
神奈が機転を効かせたおかげで、御幸の体の異形化は止められた。後日、あの状況で正確に異形化する細胞の核を消滅させられたのは、奇跡に近いと正宗から言われたほど。
とはいえ、自分が刺した跡の傷は残ってしまったことを神奈は申し訳なく思っていた。
「ふふ、別にいいですよ。このくらいの傷」
すると、頭上からくすくす笑う声が聞こえてきた。顔を上げると、にこやかに微笑む御幸と目があった。
「この傷を見るたびに、神奈さんの愛を感じられますから」
「……っ⁈」
御幸の発言に、当時を思い出したのか、ボッと火がつきそうなほど赤面する神奈。緊急事態だったとはいえ、そういえばあの時、自分から御幸に口づけたのだった。
「あ、あ、あれはですね、御幸様の意識を痛みからあえて逸らそうと――」
「いや~、まさか初めての口づけが神奈さんからとは思ってみなかったですが、一生忘れられないファーストキスになりましたよ」
「御幸様?!」
にこにこと愉しげにそう語る御幸に、神奈は一層顔を赤らめた。確かに御幸が言う通り、あれは二人にとって初めてのキスだった。状況が状況なだけに、あれを「ファーストキス」にカウントするのは、何だか気が引けるのだが……。
(今もこうして御幸様がお側にいることを思えば、あの時の判断は間違っていなかったと思えますけれど……)
神奈がちらと視線を向けると、御幸は相変わらず美麗な微笑みを浮かべて神奈のことをじっと見つめている。かと思えば、神奈の方へと手を伸ばし、すりと頬を優しく撫でる。
「ファーストキスのやり直し、今やりますか……?」
にこりと微笑む御幸は余裕たっぷりに、神奈にそう問うてきた。こんな公共の場では無理だろう、と踏んでいる御幸の言葉に、神奈は何だか少しだけ反抗してみたくなった。
なぜなら神奈は、あの戦いで決めたのだ。
退魔師の自分はいつ何時、どんなことが身に起こるか分からない。だからこそ、伝えたいことはその時伝える。やりたいことは、やりたいと思った時に全部やるのだ、と――。
それから御幸の手首と、傘の柄を掴んだ神奈はそっと顔を近づけた。周囲の視界を遮るように傘を傾ければ、世界は二人だけになる。
その勢いのまま、形の良い唇に自分のそれを重ねると、御幸が驚いたように目を見開く。しとしとと雨が降る中、青や紫、白の紫陽花に囲まれた二度目の口づけ。
「……大好きです、御幸様」
珍しく頬を染めて口元を抑えている御幸を見れば、どうやら不意打ちのキスは大成功だったらしい。神奈はふふと口元を緩め、「顔が赤いですわよ」などと笑う。だが、余裕があったのも束の間――。
「……神奈さん、こんなところで僕を煽るとはいただけませんね」
にこやかに微笑みながら、ぽつりと呟いた御幸になぜだか悪寒が走る。神奈が、「あ、これはマズイのでは?」と思ったが時すでに遅し……。笑顔なのに、笑顔ではないその笑みに後ずさろうとしたところで、ぐいと腕を掴まれた。
「一生離すつもりはないので、覚悟していてくださいね」
物騒な愛の言葉とともに御幸に抱き寄せられたかと思うと、降ってきたのは熱い口づけ。息が苦しくなるほどのそれに、けれど確かな愛を感じ、神奈は御幸の胸元のシャツを握りしめた。
傘で隠された二人を見つめる者は、色鮮やかに咲き誇る紫陽花しかいなかった。雨の雫がぽたり、ぽたりと花や葉を流れ、地面に落ちて消えていく。
そんな雨雫のように隠された御幸の激情を神奈が知るまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。
帝都のエリート退魔師は婚約者の溺愛に気づかない【完】




