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母は悪役令嬢だった  作者: 春咲 司


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23

 コンコンコン──意識の縁で扉を叩く音がする。微睡の中にいたエミリアは、誘われるように瞼を持ち上げた。

 薄暗い部屋の中、カーテン越しに柔らかな朝の光が差し込んでいる。


 コンコンコン──今度ははっきりと、来客を知らせる音が聞こえた。

 もしかして、もう講義の時間になってしまったのだろうか。鉛のような頭を持ち上げて周囲を見回す。けれど時計が見つからない。

 おかしい。ベッドサイドに置き時計がある筈なのに。半分眠った頭で考えることしばし、そういえば、昨日はタリアのところで寝たんだった、と思い出した。

 それなら時計が見当たらなくても不思議はない。

 あぁ、でも、どちらにしても、起きなければ。そう思っても、体は言うことを聞いてくれない。

 一度は開けた目が再び閉ざされる寸前、ぼやけた視界の端を寝衣の裾が横切った。


「こんな朝早くから何の用ですか?」


 扉の方から刺々しいタリアの声がした。

 どうやら自分が寝過ごした訳ではないらしい。気が抜けて意識が再び夢の中へと引き摺り込まれそうになる。これはよくない。エミリアは体を起こすとベッドから出た。


 髪と服を軽く整えてから話し声のする扉の方へと足を向ける。タリアの口調からして、相手が誰なのかは想像がついていた。


「おはようございます。エドワード殿下」


 タリアの背後からひょっこり顔を覗かせ挨拶すると、エドワードは爽やかな笑みを浮かべた。


「やぁ、おはようエミリア。朝早くに悪いね」


 言葉とは裏腹に、エドワードに悪びれた様子はない。

 二人に挟まれる形で立っていたタリアは、エドワードを睨め付けた。


「悪いと思ってるなら、訪ねてこないでくださいよ」


「いやぁ、ほんと悪いね。大事な話があったもんだからさ」


 寝ぼけ眼の二人とは対照的に、エドワードは溌剌としている。なぜ早朝からこんなに元気でいられるのだろう? エミリアはタリアの背後で欠伸をした。


「にしても、エミリア。部屋にいないから驚いたよ」


「タリアと話したいことがあったので、昨日はこっちの部屋に寄せてもらったんです」


 すぐに寝落ちてしまったが、一緒のベッドで眠るなんて久しぶりのことだったので、子どもの頃に戻ったようで嬉しかった。


「えぇ、いいなぁ。どうして僕も誘ってくれなかったのさ。言ってくれれば枕持参で参加したのに」


「はぁ……。弟の婚約者と同衾したなんて噂が立ったらどうするんですか? やめてください」


 タリアは額に手をやると能天気なエドワードを嘆いた。一方のエミリアはと言えば、同衾という言葉にギョッとして、眠気が一気に何処かへ飛んでいってしまった。


「大丈夫大丈夫! この部屋に集合なら噂が立つのはタリアと僕だろうから」


 エドワードがそう言ってあっけらかんと笑うと、タリアは握り拳を作った。


「ぶん殴りますよ?」


「さて! 本題に移ろうか!」


 タリアに脅されると、エドワードはわざとらしく話題を変えた。


「さっき言った大事な話っていうのはね」


 エドワードは勿体ぶった様子で、ゴソゴソと上着のポケットをまさぐった。

 わざわざこんな早朝に訪ねてきてする話ってなんだろう。昨夜言っていた冤罪に関する話だろうか?

 エミリアは身を乗り出して次の言葉を待った。


 ポケットから出てきたのは、丸められた紙だった。エドワードはそれを広げると、声高らかに宣言した。


「おめでとう、エミリア!! 君に課された講義は今日で終了! 晴れて君は自由の身だ!!!」


 朝の静謐な王宮にエドワードの声がこだまする。広げられた紙には大きな字で祝! 解放! と書かれている。


 突然の宣言にエミリアはきょとんとした。

 講義の進み具合は各項目バラバラで中途半端になっているものも多い。

 一体なぜこのタイミングで?


 しかしエミリアが疑問を口にするよりも早く、タリアがドアノブを掴んで勢いよく扉を閉めた。

 目にも止まらぬその速さにエミリアはあっけに取られた。呆然とタリアを見れば、いつも通りの無表情──と見せかけて、若干険のある顔をしていた。

 しかし完全に締まりきる前に、扉は少しの隙間を開けた状態で止まっていた。よく見れば、エドワードの足が挟まっている。


「待っ、てくれ……なんで閉めるんだ」


 エドワードが扉の隙間から抗議する。

 しかしタリアは完全にそれを無視した。それどころか、扉の間に挟まるエドワードを足で押し出そうといる。

 いたたたたっ!! というエドワードの悲鳴がしても容赦はない。


 タリアはエドワードを憎からず思っている筈……。そんな風に思っていたエミリアであったが、目の前の光景を見ていると違うんじゃないかと思えてきた。

 ……なんだか、少し可哀想かもしれない。


 しばし傍観していたエミリアだったが、「エミリア! 見てないで助けて!」と乞われて我に返った。


「駄目よ、タリア! 確かに私も、今じゃなきゃ駄目なの? 寝かせてよ! とは思ったけど、一応王太子殿下なんだから怪我させたら大変だわ!!」


「一応って……エミリア! 君も大概だぞ!!」


 ついつい本音が溢れると、鋭い突っ込みを入れられてしまった。

 扉の前で攻防を繰り広げていた三人だったが、時間の経過とともに冷静さを取り戻した。


「なんて不毛な時間なんでしょうね」


 溜め息混じりにタリアがドアノブから手を離す。


「全くだよ。朝から無駄に疲れた……。ねぇ、ちょっと、僕の足ちゃんとあるよね?」


 確認を求められたエミリアは、「ちゃんとありますよ」と言って苦笑した。


「あの、殿下。講義終了ってどういうことですか? 使節団来訪まで残り二週間を切っているのに」


 エミリアは先ほど聞きそびれた疑問を口にした。

 するとエドワードは意味ありげな顔でタリアを見た。


「エミリアに話してないの?」


「旦那様からお嬢様にお話があるまでは、伝えるべきじゃないと判断しました」


「ふぅん、なるほどねぇ」


 タリアの返答にエドワードは意外そうな顔をした。

 エミリアは怪訝な表情でタリアとエドワードを交互に見遣った。


「なんの話ですか?」


「エミリア。先に聞かせてほしいんだけど、いいかな?」


 ふざけた態度から一転、真剣な顔をしたエドワードに問われ、エミリアは頷いた。


「なんでしょうか?」


 エドワードは周囲を気にした様子で視線を左右へ投げた後、扉を閉めた。そして僅かに声を潜める。


「昨日、公爵からどこまで聞いた?」


 エミリアはぎゅっと服の裾を掴んだ。


「私とソフィアがどういう経緯で入れ替えられたのか。そして、カリル侯爵令嬢が冤罪である可能性について、聞きました」


「そうか……。公爵は君に全て話したんだね」


 エドワードが優しく微笑む。言葉にはせずとも「よかった」と言っているように見えた。


「はい。これでやっと迷いが消えました」


「迷い?」


 エミリアは真正面からエドワードを見据えた。


「講義がなくなったことでできた時間を、カリル侯爵令嬢の冤罪を晴らすために使わせてもらえませんか?」


 僅かにエドワードの目が見開かれる。

 急な申し出であることは承知の上だ。それでもエミリアは願い出ずにはいられなかった。


「死刑執行まで猶予があることや、陛下が事件の再調査をして下さっていることも聞きました。自分に何ができるか、まだ分かりません。できることなんてないかもしれない……。でも、やりたいんです!」


 エミリアはそう言って深々と頭を下げた。


「どうかお願いします!!」


 使節団の来訪まで残り二週間を切った。講義を受ける代わりに何かやってほしいことがあって、とりやめになったのかもしれない。でも、殿下はさっき「晴れて君は自由の身だ」と言った。それなら許可が出る可能性はゼロじゃない。


「エミリア。顔上げて」


 頭上から抑揚のないエドワードの声が落ちてきた。

 恐る恐る、顔を上げる。そこには満面の笑みを浮かべたエドワードがいた。


「エミリア!」


 名前を呼ばれると同時に、エミリアはエドワードに抱き上げられた。

 突然のことに「わっ!」と短く驚きの声を上げるが、エドワードはそんなのお構いなしだった。そのままぐるりと一回転して、下ろされる。


「よしよし! やっぱり君は最高だね!!」


「え、えっと、どういう……?」


 戸惑うエミリアにエドワードは笑みを深くした。かと思えば振り返ってタリアを見る。


「タリア! 君の言う通りだった。僕が思っていた以上に、エミリアは強い子だったよ」


「気付くのが遅過ぎです、殿下」


 呆れたような、でもどこか誇らしげにタリアが答える。

 一方、一人状況を飲み込めていないエミリアは目を点にしていた。


「あぁ、ごめんごめん。ちゃんと話すよ。全部ね」


 そう言ってエドワードは上機嫌に笑った。

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