第6話 『夜勤、わに公園にて』上
下げた弁当箱をぶらぶらさせながら、一琉は街灯の下をひとり歩いていた。
ライトアップされた看板の群れ。とおりすがる店々から聞こえてくる軽いメロディ。行きかう人ごみ。これから出勤するのであろう黒色の制服を着た夜勤兵たちであふれていた。少しさみしい林の向こう、夜勤軍基地本部が見えてくる。ここら一帯に住む夜勤たちの本部だけあって、大きな建物だ。中学校を卒業して二等の階級を貰った十五歳以上の夜勤が主に通う。
(道案内を頼んでおいて、いなくなるとは……)
やっぱり昼生まれは無責任な連中だ。忌むべき忌むべき。
軽くため息をつきながら、いつものように本部に足を踏み入れようとして、視線を上げた。人の流れを無視したように、入り口横に停めたバイクにもたれかかってこちらを見ている男の人がいる。
その人は、こめかみに指を揃えて、気取った敬礼を投げかけてきた。
「よっ」
「……伏兵がいるとは思いませんでした」
「ばーか、来てやったんだよ」
小突かれた。一琉はなんとなく気恥ずかしくなって、視線を逸らした。
佐伯良二。この人は夜生まれだが軍人じゃない。夜勤の制服姿の一琉と違って、薄手の七分丈のTシャツに、ジーンズ。夜勤兵ばかりの周囲からは少し浮いていた。一重瞼の目、細身で、一琉と並んでいると兄弟に見間違えられることもあるくらい若く見られるが、一琉の母の弟であり、れっきとした三十八歳の叔父だ。まあ、生まれてすぐ国に引き取られる夜生まれの宿命として、昼世界の親族の存在など、無いにも等しいけれど。
一琉は、出勤する前に、電話を一本入れていたのだ。佐伯はいつもどこでなにしているかよくわからない人だから、電話になど出ないだろうと思ったけどやっぱり出なかった。が、ここで待ち伏せしていたらしい。
「携帯電話、便利だぞ?」
「そんなの、ただの夜勤は持ってないです、普通」
「持てよ。使い方教えてやる」
佐伯はそう言って煙草に火をつけた。
「昼の社会には浸透しているんですか? 携帯電話って」
「ああ。みんな持ってるな」
「いくらです?」
「んー月に八千円出せれば持てるよ」
「はあ……八千円ですか」
“円 ”では感覚でわからない。
「 “月円 ”に換算すると、えーと今日の相場だと百円で四八〇月円だから……ひと月あたり、三八四〇〇月円。夜勤には無理ですね」
こうしてしまえばあとは感覚でわかる。ちなみに、夜勤の一か月分の給料の平均は、通貨の単位を外しても、昼生まれの給料とあまり変わらない。つまり桁違いに安い。その分、夜勤は国から最低限の衣食住を保障されているけど……。
「シケてんなあ」
同じ国だが、昼と夜では物価が違う。まあ当然と言える。
「死獣のいる夜にしか動けない夜勤は、基本的に生産能力ないですから。戦って、死ぬくらいしか」
「そうだな」佐伯も紫煙を吐きながら肯定する。
人間は生まれながらにして平等なんかじゃない。
昼か夜か。コインの表と裏のように、二分の一。夜を引いてしまった時点で、負けだ。
「佐伯さんのように、昼の街で仕事取っていたら別かもしれませんけど。……軍を辞めて何やってんのか知らないですが」
「まあ、フリーランスってやつ? いろいろとな」
そう言って、眼鏡でも掛けている振りか、こめかみに人差し指を当ててスタイリッシュな雰囲気をかもしだす。
「カッコつけていってますけど、傭兵ですよね? おそらくは」
「あれっ、ばれてた?」
「知ってますよ。でも、それ以上は知りません」
佐伯は以前、夜勤軍第60連隊に所属していた。中隊長に代わって実質的に中隊指揮をとるなどして、士官昇進も囁かれていたらしい。
「聞かない方がいいこともあるよ。傭兵だからね俺」
今度は瞳の奥が光る。軍人の目だ。
「……」
こんな人だが、それでも一琉の倍もの年数をこの世界で生きている。
この世界で生き抜いているというだけで――自分を表現するときは、どんな言葉を使ったって、サマになるらしい。
「で、何だ。終わったら飲みに行くか?」
言われて、ふと本来の目的を思い出した。
そうか。
生き抜けなかった者の存在を、知っているから、そう見えるのだ。
「おー……?」
黙りかける一琉を伺うように、佐伯はゆっくりとタバコの煙を吐き出した。
「ま……、今日はなんでもおごってやるよ。まとまった金も入ったしなー」
そう言って佐伯は、傍らに停めていた単車のエンジンをかける。
「佐伯さんは今からどうするんですか?」
「俺? こーみえて俺は、仕事終わりなんだよ。帰って寝る」
佐伯はそう言ってバイクにかかっていた日除けの黒衣を、ぽいっとサドルの中に収納する。昼の街からの帰り道らしい。
「じゃ、任務終わったら、直接集合な。「鬼怒屋」でいいだろ」
ばしっと、背中を叩かれる。
「った……。寝坊しないでくださいね」
「そしたら電話で起こしてくれー」
「俺は携帯電話、持ってないですって」
佐伯は薄い頬を動かして笑うと片手を振ってサドルに跨り、林の向こうに消えていった。




