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最終話 『空』

「ちるちる! 聞いてるー? 将来のことについて聞いてるんだよーぉ!」

「ああ、聞いてる」

 有河にせっつかれ、一琉は顔を元に向けた。加賀谷がぼやいている。

「あーあ、戦場に戻りてぇ~」

「戻りたいなら、戻ればいい」

 端的な棟方の言葉に、

「んー……」

 加賀谷は少し考えると、はっきりとした口調で返した。「――今は、昼だ」


 振り向けば変わらないメンバーがそこにいて、元から昼生まれの連中の方が進学の具合が良いことに文句を言う一琉がいて。念願の昼の世界になったのに、結局はこれだ。


 朝日で一日がはじまって、学校に行き、椅子に腰かけ机に向かって授業を受ける。身体を張って死獣と戦うことは、もうない。学校から帰れば、バイトへ。レジ打ちにも最近ようやく慣れてきたけれど、無愛想な作り笑顔で客を送り出していると、何似合わないことやってんだろうと戸惑いを覚える。


 喪失していくものと、変わる世界。受け入れるには、強すぎる光。毎日が、日常が、将来が、人生が、変わっていくと。待ち望んだ光も、暗闇に慣れた目には暴力のようで。


 受け入れるには、長い時間がかかる。


 夜生まれながらにエリート出世コースを歩みつつあった若い士官や、勤続何十年の職を失った老兵は、死獣がほとんどいなくなった今も、再び戦地へと戻った。その気持ちが、一琉にも不思議とよくわかった。こんなに、夜勤を嫌って、向き合ってこなかった一琉でさえ、怖いのだ。夜勤としてのみ生きてきたのは、事実だから。それ以外に、自分なんてなかったから。


 太陽、青空、雲、小鳥、死獣のいない平和な世界、生産的な社会、文化的な生活。

 それよりも。

 月。

 夜空。

 夜勤。

 死獣。

 八九式小銃に太陽光線銃。

 起床のラッパ。

 暗闇の窓の教室、仲間の死さえ。

 戻りたいとは思わない。決して、決して、思わないけど――


 消えていくのが、怖かった。望むと望まないと、俺を、形作ってきたもの。


 夜に囲まれて生きてきた俺自身。憎しみ、妬み、そんな感情さえ、今はもう失われた、過去のものになるなんて。そんな日が来るなんて。


 そう感じた時に流した涙の理由が、一琉にはすぐにはわからなかった。

 ただ、後から後からあふれてきて、止まらなかった。

 待ってほしいと、声になりそうだった。


 夜勤の軍服を着た俺が、重い小銃を両手に抱え、憮然とした表情で立っている。こんな世界で、笑うものかと――俺は、そんな顔ばかりしていた。佐伯の言うとおり、自分を殺して、死んだように……。


 スカした調子で銃を磨いている加賀谷、バカみたいに敵に突っ込んでいく委員長、それに乗じて大ケガする棟方、いつもバカな有河。

 みんながきょとんと、こっちを振り向いて。昼の時間の俺を振り向いて。何食わぬ顔で太陽の下、高校なんか通っている俺を、不思議そうに、「何やってんの?」って尋ねてくる。


 御骨場の野並の骨がカタカタと鳴っている。


 ――行くの……?


 初めて見た第Ⅲ死獣から接ぎ木されたように生えた手が、拳銃を一琉に付きつけてくる。


 日差しが強烈にまぶしくなる。体中が粟立つ感覚に襲われる。日にあぶられた時のあの気が狂いそうになる感覚が蘇ってくる。


 何してんだろうな俺。こんな真昼間から……。

 太陽光は、体に毒で、皮膚は焼けただれて熱傷を引き起こすし、寿命にも影響がある。


 夢でも見てたか?


 こんなところにいるべきじゃないんだ。ああ、これだから夜生まれは厭なんだよ。昼か夜か。コインの裏表のように。裏を引いてしまったから、俺は暗い世界から出られず――


「先へ……」

 懐かしい響きの声が聞こえる。

「まひ……る……?」まひるなのか?


 夜の残滓を、追い求めるように、その姿を探す。


 「おーいっ、ちるちる、どーしたあ?」という有河の声にも、すぐに返事が返せない。がたっと、椅子を蹴って立ち上がる。


「怖がらないでください」


「まひるの、声が――! おい! 聞こえないか! ?」


 出てきてくれ。だって、不安だ。これから、俺は、どうなるんだ。夜生まれとして生きてきて、こんな、急に――


「泣いても、いいから……」


 教室を見回しても、廊下に出ても、まひるの姿は見当たらなかった。注目を集めながら、一琉が教室に戻ると、また声が聞こえてきた。


「その気持ちは、何も不思議じゃないです」

 一琉は窓に近寄って、天空を見上げた。

「夜は、夜に生きた人の、そのものですから」


 空は晴れて澄み渡っていて、一瞬胸がすく。青空というものがあまりに綺麗で、かなしくなってくる。こんな空を見つめられる、新しい身体も。


「でも、あなたは、あなた。どこでも」

 抱擁するような、穏やかな感触が、春風とともにふわりと一琉を包み込んだ。

「まひる……」

 まひるは、もうどこにもいない。


 軍服を着たあの自分自身や、暗闇の中の一班メンバー、死獣に取り込まれた野並も、もちろんもういない。


 本当に……終わったんだな、と。


 夜が、明けるように。共に生きてきた闇が、太陽にかき消されていくんだ。


 青い空に、星はない。しかし、思えば太陽も星の一つ。

 昼は太陽がひたすらに明るくて、他の星の存在をかき消しているだけで、実は昼の空だって星空だ。どこにいたって同じ空の下にいるようなものじゃないか。


「俺は、――過去技術を研究できる学部を受けるよ」

「ええーっ! それ、倍率超~高いんだよ~」

「知ってる」


  “最高峰レベルに倍率が高いからこそ、昼生まれの受験生だらけで圧倒的に不利なんだ ”なんて。その事実に嫉妬して、妬んで――おそらく今までの自分ならそれで終わっていた。自分を殺して死なせて、終わらせていた。欲しいものが手に入ったって、また、俺は。


 でも。

「――だったらまた戦うだけの話だ」


 あの日得たものは、そう言える、自分自身。


 残酷でしかない世界を生き抜いたことを、加賀谷のように誇りに思える。なくしたくない人たちがいること、守れた自分を、有河のように素直に喜べる。


「うひゃ~。ちるちる、言うねえ」


 自分を殺さずに、ここにある今を、俺自身と。


「今度の期末、カンニングさせてくれっ! たのむっ」

「自分でやれ」

「そうよ加賀谷くん。不正して得られるものなんて、まひるちゃんの記憶ぐらいのものよ」

「うわ、光線銃改造したこと、委員長にバレてんじゃん!」

「改造なんて、見たらわかる」

「あーわかった棟方! おまえが委員長に告げ口したんだなー!」

「そう」

「こらー! そこで委員長にキスしたら許してやる!」

「……」

「ちょ、ちょっと、加賀谷くんが法子を許す許さないとかじゃないでしょ、ちょっと法子」

「ええ~っ! ? のりPといいんちょって、そういう関係ー! ?」



 どこにいたって、変わらないこいつらと。



 だからきっと、この新しい街でも、生きていける。

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