第42話 『戦うということ』下
一琉は用意していた言い訳を――佐伯に無断で時江を頼ってお願いしに来たことへの――慌てて並べようとして、ふと気がつく。
「ほ……滅んでいる! ? えっ――それは……」
「もうないよ」
言いながら、佐伯は隣のBARへと移動する。一琉は、置いていかれないよう、追いかけた。
「ないって……教科書に出てきた、アメリカも、イギリスも――! ?」
「ロシアも中国も、アフリカもオーストラリアも全部だよ。全部。外国は存在していて、日本は鎖国に成功し続けていることにしているけどね。あんなの嘘さ」
そんな――
「信じられない……だって!」
だって、教科書には――
「教科書を始め新聞やテレビを捏造してたら、真実なんてわからなくもなるだろ。実際に渡航するのは不可能なんだし」
愕然とする一琉に、
「いやま、厳密には、いるにはいるが」
カウンターの椅子に腰を下ろした佐伯は、視線をふーっと空中に彷徨わせる。
「インターネットどころか、文明なんて残っちゃいない。村単位でかろうじて生活して、死獣から身を守るのがやっとだ。国としての機能だって果たしていない」
そこに、ようやく口を挟めたように、貝原が出てきた。
「長期にわたる戦争の最後の大戦で核戦争に発展し、もともと死獣大国だった日本はそのシェルターを活用して核兵器から難を逃れた」
これも仕事のうちなのか、それとも単にその場所が落ち着くのか、貝原はカウンターの向こうの定位置に立つ。
「そ。でもこの国を維持するために、好き勝手されちゃ困るってわけ、お偉いさんは。自分の天下が衰退するのを、望むわけがないからな。外には、危険すぎるテクノロジーもあるしね。情報をコントロールするためには、鎖国しているように見せかけておくのが、吉ってわけ」
この三人の中では、そんなことは常識なのだろう。
「……俺は、そんなことも、知らずに、生きて、きたのか……」
そして、そんなことも知らずに俺は、反乱を起こそうとしているのか。
「仕方ないさ。それが、普通だ」
佐伯の遠い視線――。あの日、鬼怒屋で飲んだ後に見た、ベテルギウスという星を思い出した。夜空に浮かんでいるように見えるその星は、ただ過去の光を見ているだけで、実物はそこにはもうない。そんな現実を知った時のような、地盤が揺らぐ感覚。
「教えてください! 俺に、もっと、真実を――」
でも自分は、この現実の中で、生きていくと決めた。
「一琉」
佐伯は遮るように言った。
「おまえはもうこのことには……これ以上首を突っ込むな」
静かに、しかし厳しく注意するような、冷ややかな制止だった。
「なぜですか」
佐伯は学校の先生のようなため息をつく。
「そろそろ、ヤケドじゃすまないからだ」
空っ風のように、その息は乾いていた。
「俺はもう用済みってことですか」
まひるのことはもう全部話し終えていた。
「ああーぁ。邪魔なんだよ」
佐伯は切って捨てるように言う。
「俺達の邪魔だ。子供が入ってきて真似するな」
子供。
このBARに始まり、彼らの技術、経験、知識、情報も、何もかもが、長い年月を感じさせる。それに比べたら、たしかに、俺は幼い。
でも、
「佐伯さん」
一琉は動じず言い返した。
「……言っていたじゃないですか」
彼らの中にある、マグマの熱。その正体が、一琉にも少しだけわかってきていた。
「俺達は生きているって」
「ああ。言った」佐伯はごそごそとマッチ箱を取り出し、タバコに火を点けようとする。空ぶり三回。掠ったと思ったら湿気っているのか、うまく着かない。「だから、わざわざ命を無駄にするな。自分で自分を殺すな……」
「そんなつもりで言ったんじゃないでしょう。その言葉」
遮るようにして。
「すり替えないで下さいよ」
佐伯の手が止まった。一琉は、ぐっ、と佐伯の押し黙る感触を踏みしめる。
――精神と肉体。
佐伯からマッチをひょいと取り上げて、一擦り。ぽっと火を灯してみせた。揺れる炎越しに、佐伯を見る。
「俺はもう、死んだようには生きない」
「チ……」
佐伯は舌打ちしてそれを奪い取ると、
「火遊びじゃねえんだっての。本当にヤケドじゃ済まねえぞ。言っとくが」
紫煙を口ばしから上らせた。
「今じゃなきゃダメなんです!」
「あの女の子かぁ?」
「……はい」
佐伯は眉根を寄せると、心底やっかいだとでも言うように、煙草を銜えた口をへの字に曲げた。
「若いって怖ぇーな……」
一琉は何を言われても、意志を曲げる気はなかった。
「それだけじゃないです。死者を蘇生させては、大規模に監禁しているんですよ? 過去のテクノロジーの情報を吐きださせ、出なくなってきたら薬を飲ませてでも記憶を揺すって、壊れたら今度は人体実験って……そしてそれは、死獣を生み出す問題行為なわけで、それが、今だって行われているんです。俺はそれを、どんな方法でもいいから止めなきゃならない。どんな手を使ってでも、今やるしかない。それに、俺だって、もう――」
たとえ、持っている力は少なくても、ここで使わなきゃ、全部無意味に思えた。
佐伯はそこまで聞いてからふと、年上の顔を引っ込めたように、口を開いた。
「俺が、夜勤を辞めることになった理由、話したことなかったな」
そうして「昔の話だが」と切り出した。
「昼中心の国の支配を止めようと夢見た、馬鹿な夜勤たちがいた。みんな、若かった」
え、と佐伯の顔を見た。一琉を気にした風もなく、続ける。
「燃えていたよ。昼生まれ優位のこの世界を転覆してやろうってな。夜勤で徒党を組んで、昼の世界に乗り込んでいった」
佐伯の口から、息と共に紫煙が漏れる。
「でもそれは失敗したんだ。あっけなく」
細く細く立ち昇る。
「そして仲間を失った」
マドラーでグラスをかき混ぜる貝原の手も止まる。
「そんなバカは一人で十分。あ、貝原もまだバカやってるけど。トキちゃんも」
そう言って佐伯はグラスを受け取って一口。冗談を言うように笑ってみせる。
「俺はいいんだ。失うものなんてもう、なにもないから」
一琉はその時、ある日突然佐伯が消えてなくなる未来が脳内をよぎった。あり得ることだ。この世界ではよくあることだし、それに、そうでなくとも、この人はいつどうなってもおかしくない気配があった。
ふと、「そうしたら一人でも飲みに来るのだろうか、俺は」という疑問が沸き起こった。なぜそんなこと考えたのかといえば、彼の表情が、それを思い起こさせるようなものだったからだろう。
「俺はやるけど。どれだけ時間がかかろうと。どこまで国を追われようと。あいつ達ができなかったことを、代わりにやる。なんせ……そのために、生きてるようなものだ」
彼はタバコの灰を灰皿に落とした。沈黙が訪れた。一琉は言葉を発することができなかった。手近な感情を拾い上げたところで、意味がないと思えた。この人は、一琉の覚悟、希望、想いを、軽んじることもなく、全て知った上で、止めているのだ。
「こんな風に、なってくれるな」
灰皿に置かれっぱなしのタバコの灰が、またのびていく。
「俺……は」
立ち上る紫煙を見つめながら、一琉は言った。
「……俺だって、このまま夜勤兵でいても、いつかは死ぬ、と思うんです。倒し切れない死獣を前に、仲間もどんどん危険な目に遭ってるし、本当にもう、みんないつ死んでもおかしくない。囚われているまひるだって、今はまだ無事でも、明日には地獄のような思いをさせられながら殺されるかもしれない。今まだ生きているうちにやるしか、ないんですよ。俺には心配する家族だって、生まれた時からいないけど、だからやるってわけじゃない」
一琉は続ける。
「俺は、この身も、死なせるつもりはありません」
心も、肉体も。無謀なことを言っているのかもしれないという自覚はある。
「失いたくないものが、奪われたくないものが、今は……ある、ので。だから、やる」
一班のメンバー。最初は六人だったのに。まひるも入れれば七人のうち、もう、三人欠けた。
それからちらと、佐伯を見た。無防備な表情。目が合った。
「そのために、やりたいんです。どうしても」
明日を生きるために、自分や誰かを守るために、戦うことは、弱さか、強さか。
静まり返る。貝原も、身じろぎせずに黙って立っていた。
一琉は佐伯から目をそらさなかった。
沈黙を破ったのは佐伯だった。飽いたかのような顔を作って視線を外し、手元のハイボールの氷を揺らした。
「……勝手にしろ」
「止めたところで無駄だもんな」
間髪入れずに貝原が笑った。
「諦めるってよ。昔の自分に似てるから」
「貝原く~ん」
佐伯の声は冗談を装っていたが、貝原を横目に捕えた瞳は笑っていない。
「勝手にします」
一琉はふう、と息をつく。
「はいご勝手に、どうぞ」
「資料もご勝手に、見せてくれるらしいぞ。よかったな坊主」
「ありがとうございます」
「貝、原」
佐伯が不機嫌そうにすごむ。貝原はまあまあ、と、佐伯の空いたグラスを取り替えた。
「言っとくが、俺たちは一切協力しないからな。もう、ここには来るなよ。足がつく」
「佐伯さん……っ」
「だめだ。物分かりの悪いお子様とはここでお別れだ。勝手にやって、勝手に死ぬんだな。俺の知らないところで頼むぜ」
佐伯が言い終わるか終らないかというところで、
「はい! いっちょあがりっ。ただいまー」
明るく威勢のいい声と共に時江が軽やかに飛び込んでくる。
「え、おかえりなさい……?」
「はいこれ」
目を丸くする一琉の前に、時江は得意気に、数枚の用紙を差し出す。なんだ? 建築の、図面……? タイトルを見てはっとする。
「こっ、これは……! 一体、どこから……」
「研究所設立時に総合建設業者が提出した図面のデータだね。政府のデータベースに保管されてたよー」
しれっと言っているが、とんでもないところからの帰り道のようだ。
「ありがとう、ございます!」
研究施設の内部構造情報……これで、襲撃の具体的な作戦が組める。
「トキちゃん……」
佐伯が深いため息をついて、とめどない濁流を前に放心するかのように頭をかいている。時江は中隊のアイドルだったという経歴を感じさせるようなチャーミングな笑顔で、敬礼して言う。
「佐伯中隊長代理、いえ、佐伯准士官っ、これは技官蔵力中尉からの命令なのであります!」
「あー……はいもうやめてやめて、やめてくれ……隊長代理業務と縦社会の板挟みになった時のあの偏頭痛が蘇るから~……」
そうしていつもの調子を取り戻したような顔をして、佐伯はウイスキーを飲み干すと、「とにかく、もう忘れろ。今すぐに」そう言い残して、席を立って出ていった。




