第31話 『それでも夜は訪れる』
凍てつく空気をビリビリと震わせて響く起床のラッパの音。落ちていく夕日の中、逆らうように目を開けた。
まひるの話を聞いてから幾日が経過したか。一琉は、変わらない日々を過ごしていた。まひるが来る前と、何も変わらない日々を。
顔を洗った一琉は、ラジオの電源を消したあと、新聞をぐしゃぐしゃに丸めて棄てた。黒の軍服に袖を通し、仕事の用意の入った鞄を担ぐ。
(今日も、なにもないか)
待てども、待てども、研究所のことはニュースに上ることはなかった。隊員間の噂話にすら上らない。一班の間では、もう何度も話し合った。まひるは今、無事なのか? いったい、どこへ? 誰が守るのか? 夜勤だって国から捨て駒扱いされるこの世界で。蘇らされた死人であるまひるは、一人で、誰にも利用されずに、生きていられるのか……?
教官がガラリと戸を開けて入ってきて、委員長は「起立」と叫んで正面を向いた。
その日の出撃のことだった。ここずっと、死獣の異常な数と大きさに一琉たち夜勤の誰もが翻弄されていた。今の夜勤たちで対応しきれる数ではない。それなのに出撃要請は来る。まひるに会った頃、この大きさ、数は異常だ異常だと騒いでいたのが懐かしくなるくらい、その状況はもう日常と化していた。
「棟方、そっちの死獣を頼んだ! 俺たちはこのデカいのをやる!」
一琉の叫びに、棟方は短く「わかった」と返事をして遠く闇に消えた。
今日は高架の下、分厚いコンクリート柱をうまく盾にして身を隠しながら、影から小銃を構え、引き金を引く。
高速道路の上に行く死獣は無視だ。この時間帯は車も通行止めで、人はいない。昼生まれたちの生活にただちに影響があるわけではない。なんて、政治家みたいな言い訳をして放置するしかないのだ。本当はどこまでも追い立ててきっちり仕留めるところまでしなければならないが、最近はもうそこまで対処していられないし、上官からも求められない。
今日のその「デカいの」は、古代の恐竜に似た見た目をしていた。視界に収めるには、軽く顎を上げて見ないとならぬほど、背が高く、太い二本足で立ち、両の手だけは丸まって小さかった。するどい顎と牙を持ち、しっぽは蛇のように長く、勢いよく振り下ろしてはあらゆるものを破壊していた。電柱ぐらいなら軽く一薙ぎ。一琉、委員長、加賀谷、有河でかかっても抑えきれない暴れん坊。手間取っていると、耳に挿したインカムから、次の死獣の出現を知らせるアナウンスが流れてくる。続々と。割り当てされる量としてはおかしい。でもすでに慣れてきている。
「委員長! 下がれよ! !」
委員長は自分の身を犠牲にするようにして日本刀を掲げ、死獣を引きつけていく。銀の刃が、風に揺れる細枝のように震えていた。
「やるしかないわ! 少しでも多く、死獣を殲滅しなきゃ……!」
昼生まれである委員長が刀で引きつけている間、一琉たち夜生まれが四方から光線銃で照射する作戦を言っているのだ。
「だが……っ!」
あれは、緊急事態だったし、失敗しかけていた。生き延びたのはまひるが庇ってくれたおかげで、ほとんど奇跡と言っていいものだった。こんなの、まともな作戦とは言えない。毎日、毎日、死地にただ赴くような戦いの中で、繰り返すような手段じゃない。
「せめて、銃弾浴びせてもっと弱らせないと、無理だ!」
声を枯らしてそう主張する。チ、弾切れだ。一琉は死獣に八九式小銃の銃口を向けたまま膝をついて、右手でグリップを握ったまま、左手だけで古い弾倉を引き抜くと同時に十字の向きに添えていた新しい弾倉をくるっと九十度回して押し込む。念のためちらっと光線銃の水素カートリッジのメモリも確認する。燃料はある。委員長は耳を貸さない。自分一人が責任とるとでも言うような気迫で、死獣のすべてを自分に向かわせる。加賀谷と有河の援護射撃を受けながら、敵の懐に飛び込んでいくのが見えた。一琉は舌打ち代わりに、抜いた弾倉の底を銃の左側面のスライド止めに打ち付けた。
「死ぬ気かよ……!」
遊底が前進する振動を受けてから、逡巡して八九式小銃から太陽光線銃に持ち替えた。照射ボタンを押す。内部に磁場を発生させるための起動音が轟く。光線銃照射。他の一班全員も死獣を外側から囲み始めるが――、焼き殺すにはまだ時間がかる。やはり委員長の刀一つで持つとは思えない。この作戦は自殺行為。いっつもいっつも、こいつは――
昼生まれが豊かにお気楽に暮らすための犠牲として、夜生まれが死獣と戦っていることを知ってしまったんだ。その行動をバカらしいと思わないのか。
「一班ですべて殲滅するわよ!」
そのとき、一琉はまぶしい光の中に、なにか黒い塊が飛び込んでいくのが見えた。
「なんだっ! ?」
一瞬のことだったためわからなかった。鳥が紛れ込んだか? だが、宵闇に迷い込んだ鳩か鴉ごときで照射を止めるわけにはいかなかった。一琉は構わず光線銃を撃ち続けた。撃ちながら、少しでも早く死獣が焼けてくれるよう祈るしかない。長時間の照射で、光線銃内部の熱が持ち手の部分まで伝わってくる。白光に目が慣れてきたころ、一琉はその正体に驚愕して目を見開いた。
鳩でも鴉でもない。
あれは、人だ。
ダッフルコートを手荒に羽織って遮光ゴーグルをかけた、棟方法子。
彼女が、委員長の背中を守るようにして内側から、死獣が委員長に物理的な攻撃をくわえようとする瞬間、銃弾を叩き込んでいた。
光線銃の光の中で。
棟方は昼生まれでは、ない。だから焼けている。いや、燃えているように見えた。
右に左にその身を躍らせるようにして小銃を構えては、細身を反動に軽く仰け反らせつついなして膝射する。一瞬だけ訪れた真昼間の中、彼女は王を守護する騎士のごとく、その身を焦がして一撃一撃正確丁寧に放った。外にいる一琉たちへの流れ弾などまるでない。すべての弾が敵にヒットして止まるからだ。
幸い、応援の到着は早かった。光線銃の数が二倍に増え、周囲が昼のように真っ白に明るくなる。対向線からも照らされて、まぶしくて目を開けていられない。飛び火がじりじり熱い。この勢いなら、死獣は倒せるだろう。だが、棟方が――。
時間が経ち、焼け焦げた臭いの立ち込める中、照射が不要になったとき。委員長は一人立っていた。
連絡が行ったのだろう。ほどなくして救急隊も到着し、四体もの死獣の焼死体にぎょっとしていた。それから彼らは自分が何のために呼ばれたのかを理解し、「ひいっ」と悲鳴を上げた。転がっているのは夜勤の人間である棟方法子だ。棟方の着ている黒地の制服には、なんの傷も汚れもない。しかし露出した皮膚は赤くただれて今すぐに処置が必要な状態だった。昼生まれも、熱した油を被ればこうもなるだろうか。彼らは急いで棟方を担架に載せ、医官の元へと運んでいく。蒼白な顔で見送る委員長の横を通りすぎる際、薄く目を開けた棟方は、満ち足りたような表情で言った。
「委員長が、やるしかないというのなら、私はそれをやる」
重なる光線銃の先、何倍もの太陽光に照らされた夜生まれの、凄惨極まりない姿。
それでも、彼女の精悍さはまったく損なわれない。
「あなたは、私の希望だから」
ああ、そうかと一琉は納得した。これまで、棟方のごく少ない言動の中に薄らとだけ感じていたもの。
これが信者か。
棟方は、おそらくは誰よりも「夜勤会」の信徒なのだろう。そしてその司祭である委員長を崇拝している。それが、口数の少ない小さな女の子でしかないはずの棟方の、底知れない強さだと。




