第1話 『「夜勤」』上※挿絵あり
東京都新宿区、A M 0:26。
人は消え、高層ビルはどれも冷たい装甲をまとい、静かな銀林と変わり果てた深夜。
どこかで銃声が聞こえる。だがかすかで、だいぶ遠い。
さっき一瞬見かけた猫みたいなやつか?
ビルの下の草陰に潜んでいる滝本一琉は、舌で下唇を濡らし、親指で切り替えレバーを安全の「ア」から単射の「タ」へと倒す。
静まり返った暗闇の中で、カチッ、カチッ、カチッと乾いた小さな音が、三回だけ立つ。そして銃を構えた。狙いを定めて、いつでも撃てるように。一琉の班に支給されている八九式小銃。その右側部にある切り替えレバーの安全位置「ア」の次は、連射の「レ」、次が三発制限点射の「3」、そしてその次が単発で撃てる「タ」だ。待ちの状態から、よく使う単射モードに切り替えるためには、レバーをぐるっと二七〇度も回さないといけない。まあ、そりゃ大急ぎで安全位置を解除しなければならない状況というのは、至近距離で敵と出会ったような切羽詰まる時だ。ということは正確な狙いをつける余裕もなく、フルオートマチックの連射の「レ」にすぐさま切り替えられるような配置でなければならないので、この並び自体は非常に実践的であり文句もない。……が、一つだけ気に入らないのは三発制限点射の「3」の存在。この小銃が作られた時代の流行で取り付けたのだろう。一琉はこんなもの一度だって活用したことがなかった。無駄撃ち防止のためというが、敵に出くわして焦って撃ちまくるやつは三発ごとに制限されたって結局は撃ちまくる。逆に連射モードであっても二、三発撃って止めることは誰にでもできるのだ。要は訓練次第なのだから、だったら物理的に余計なものは挟まないでもらいたかった。
指先で切り替える小さなレバーの「タ」までの通り道の中で、一回かくんと「3」に引っかかる、というだけの細かい話。だが、コンマ数秒のことにも神経質にならざるを得ない。やはり焦るのだから――撃たなきゃならない時というのは、いつでも。
ひゅうと肌寒い風が吹く。眼前には最小限の明かりと、ひたすらの暗闇。どこから敵が出てくるものか。一琉は、緊張に圧迫される精神を鎮めるために、配置されている班員の位置を脳裏で描いていった。今自分のいるビルと隣のビルの隙間を二手に分かれてふさいでいるのが野並宏平と加賀谷彰太。薄暗い街灯を付けたあの電柱の陰には、棟方法子。街路樹に登って上から狙うのが委員長こと寺本和美で、その下の陰に隠れているマシンガンが有河七実。夜に紛れるための迷彩服――黒色の学生服に似た夜勤兵軍服をまとっているから姿が見えないだけ。
落ちつけ、落ちつけ。
大丈夫だ。今まで何度もやってこられた。同じことを今日も全力でするだけだ。
細く息を吐き、少し銃を下げる。
黒光りする愛銃ハチキュー。手になじんでくると、わりと軽くて小回りが利くことに気が付く。八九式だからハチキュー。腰のホルスターには拳銃ベレッタ92F、ポーチには手榴弾、右足のホルスターには旧型の太陽光線銃もある。旧型ってのは、古いという意味じゃない。強いってことだ。史上最高に栄えた文明が一度滅び、復興途中の現代となってはもう製造法不明の遺産。過去の文明最繁期に作られていて、太陽光をほぼ百パーセント再現しているらしい。壊したり失くしたりしたら叱られる程度じゃ済まされない。現代の戦闘がこれに依拠しているにもかかわらず、今後は減るのみだからだ。ま、今日も出勤前にしっかり手入れしたし、問題はないはずだ。充電満タンだし、替えの水素カートリッジもちゃんとある。ほとんどの夜生まれは、中学校の義務教育で基本的な戦闘を教わったら即、基地を出され、敵がいっぱいの戦場に駆り出される。死生を共にし、光線銃以外はどの銃も何度も分解して手入れをし、自分に合わせて少しずつ調整を重ねてきた。八九式小銃の公式愛称は「相棒」だとか。公式にそう高々と掲げられると苦笑してしまうけれど、わからなくもない。
一琉はひとつ深呼吸をすると、成功するイメージを描いて不安にのまれる気持ちをじょじょに和らげていった。今日も勝てる。死なない。生きて、夜明けに家に帰るだけ――。そのために、撃つ。
覚悟が固まりかけた、そのときだった。
「わあああああああっ」
これは野並の声。同時にダダダダダダという銃声。
(来たか!)
草陰から飛び出す。左へ。野並のいるビルの端の方まで走る。一瞬たりとも尻込みしなかったのは精神統一した成果かもしれない。
暗すぎて見えない。ライトを――
同時に自分の身もさらされるが、今まさに襲われている野並から相手の目を離させることになればいい。カッ――とあたり一面が明るくなる。そこには。
これは……山か大岩か。
――は? なんだこれ。デカすぎる……。
独特の一定のリズムの脈動。
大きなくぼみが鮮やかなグリーンに色を変える。あれは目だ。
大岩のような体からは、何節も折れ曲がっている、大きなかぎづめの付いた細く長い鳥の足が不自然に数本のびている。ジャガイモに生えてしまった芽が長く伸びたような奇妙さがあった。
こいつは山でも岩でもない。
死獣だ。
一琉はそう認識した途端立ちすくんだ。
これが……俺たちの今夜の敵だっていうのか? 本日の仕事内容? 正気か。田舎でもないのに、こんな馬鹿デカい死獣が、……ありえない! 敵うわけないだろ……こんなの……。東京23区に出るのはせいぜい虎ぐらいの大きさまでのはず。ここ一帯は死獣の出現率も低い。だから若手育成を兼ねた初級地域に指定されているんだぞ。それでも獰猛で、焼き殺すまでに死人が――
一琉はごちゃごちゃと言葉でいっぱいになった頭を振った。
つべこべ言っていても仕方がない。今は、来てしまったものはなんとか俺らで対処しないと――!
腰のポーチに手をかけて、やめる。手榴弾では、野並を巻き込む恐れがある。
切り替え装置をぐるっと戻すように回し切って一つ下げ、「レ」の連射に合わせ、小銃を構えた。
ダダダダダダダダ……
撃ち続ける。吐き出された銃弾が点線を描くように敵に穴をあけていく。敵はどぼどぼと体液をこぼしながら鳥の足をムチ打つように暴れさせる。
「ああああああああ」
野並の悲鳴が響き渡る。
「野並っ」
あいつはどうなっている?
対象がでかすぎて見えない。戦っているのか……襲われて……? どうする……どうすれば……。こんなのに、出くわすなんて……。
そのとき、ギョロリとまたくぼみが開いた。今度はその目は確実に一琉を捉えていた。全身に冷や汗が流れる。
(躊躇するな! 撃ち続けろ!)
そのときはっと気づいた。下から見えているのは、靴の裏だ。うめき声がする。
「あああっ……助けて……ひいいっ」
死獣が野並の上にのっている。敵は捕食しているのだ。生きたままの野並を。
「うわああっ」
恐怖だった。ライトを消してこの真っ暗闇に紛れて全力疾走で逃げたくなった。ちくしょう。なんで。なんでこんなのがここにいるんだ!
次は俺か?
見つめ合う後ろの目は「そうだ」と言っているようだった。




