第16話 『寺本家の食卓』
「いただきます!」
「……いただきます」
そういうわけで、一琉は今、寺本家の食卓についていた。
テーブルには、ほかほかの白ごはん、へぎ柚子と三つ葉と麩毬が色鮮やかなお吸い物、松茸と青菜の黄身おろし和え、レモンと赤い茎を添えられた旬の焼き鯖と、厚い豚の角煮なんかが、所狭しと並んでいる。ご馳走だ。
「ああ……おいしい! すっごくおいしいです! こんなにおいしいもの、初めて!」
まひるが涙を流さんばかりに感情的に叫んでいる。その姿が少しも大袈裟に見えないのは、まひるの箸の速さによるものと、一琉も実際に食べてみてどれもこれも本当に美味だからだ。朝過ぎの胃に染み渡る。夜に生まれた鬱屈をしばし忘れて少し感動していた。飲み屋でもさほど食べていなかった上、少し時間が経っていることもあり、思いのほか箸が進んだ。
「うまいな」
素直に感想を述べると、二人の向かいに座る委員長は少しだけ微笑んだ。委員長は普通の早朝時間に食べたのだろう。箸は持たずに、席に着いているだけだ。一琉が外で一杯飲んで家に帰ってから、いろいろあって今に至るわけで、この時間帯に食事をすることは通常あまりない。昼生まれならブランチだとかいう時間だ。ちなみに、夜勤が出勤前に食べるのは夕飯、勤務中の休憩時間に食べるのは夜食、帰って食べるのが早朝食だ。
しかしこれ、炊き立てみたいだけど、もしかして……
「わざわざ炊いたのか?」
「ええまあ……圧力釜のIHだからすぐよ」
「ふーん」
水蒸気を利用した加圧力で水の沸点を上げ、最大百十度の高温調理が可能……うまいし、早いか。
一琉も炊飯器を買おうと思ったことはあった。しかし米が炊けるだけで保温機能もない必要最低限の性能のものでも、おいそれとは手が出せない値段だったので諦めた。そもそも、夜勤は三食支給されるのだ。必要ないと言えば必要ない。
その弁当も決してうまいとは言えない代物だが、タダ飯だからと有難がってありつくのだ。まんまと国に餌付けされ丸め込まれているという自覚はあるけれども。
「真理子さんの手料理はおいしいわよ」
委員長が言う。食卓から少し離れたキッチンにいる彼女には聞こえたかどうか。
「真理子さんって、あちらの方ですか?」
「そうよ」
「えっと、真理子さん……って」
まひるが小さく首をかしげる。
「ああ。あたしの母親代わりなの。それにしては若くて美人すぎるけど」
たしかに、若い。母親代わり、か。
「家はちょっと広いし、片親みたいなものだから、手伝ってもらっているのよ」
委員長って、父子家庭なのか。まあそれは決して珍しいことではないが……でも、父親も「父親代わり」って言って、なんとかさん、とか……名前で呼んでいたよな。
(ま、詮索は無用だ。あんまり根掘り葉掘り聞くもんじゃないしな)
一琉はごまかすように、焼き魚の長細い皿を引き寄せた。
「いいんちょう……さんって、どういうご家庭なんですか」
思わず手が止まった。
……聞きたいことを聞いてくれるやつがいたらしい。
委員長は一瞬きょとんとしたが、すぐ人のいい笑みを浮かべて、答える。
「えっと、あたしの元の家族はね、全員死獣に殺されたの」
咀嚼も止まる。さすがに驚いた。
「そのとき助けに来てくれた夜勤の人に拾われて、育てられたの。それがこの家の主、寺本丈人さんね」
元の名前はあたし、印藤和美っていうのよ、と委員長は付け足した。
「初耳だ」
「そう? 特に聞かれなかったからそうかもね」
なんて言葉をつないだらいいのか、一琉はすぐには思いつかなかった。
まあ……無い話じゃない。でも、それだけに、何も言えない。そういう、こともあるのだ。理不尽なほど。
一琉は、前になにかでちらと聞いた、「委員長は小さいころは昼に生活していたらしい」という噂話を思い出していた。
「ひとり……に」唐突に、まひるが口を開いた。
「なるのは、……さみしいことです……ね」
「そうね」委員長は、静かに頷く。「大丈夫」
一体、どういう心理を読み取ったのか一琉にはわからなかったが。
「ここにいていいのよ。あなたのこと、きっとなんとかしてみせるわ」
その時まひるは、泣いていた。予期したように、委員長はその傍らにかけついていて。
「怖いことがあったのね」
一琉は黙って、豚の角煮の皿を引き寄せた。




