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第15話 『迷子のうさぎ』下

 ベッドタウンを抜けて、基地の端の方まで走った。バスを探して待つより、この方が早い。ぐねぐねと遠く線路のように続くフェンスを越える。基地が歪な形になっている理由は、どこまでを基地とするかを地主と国との間で揉めながら決めていったからだ。立ち退き料と共に退去してもらったり、逆に基地が私有地を迂回するように作られたりして今の形がある。


「はう……は……もう、もう走れません……」


 本当はもっと早く着ける計算だったが、まひるの息が上がるのでペースを落とした。車でもあればいいんだが、あいにく一琉は持っていない。


「安心しろ、ついた」

「ほ……ぅえ……?」


 まひるは、息も絶え絶えに顔を上げると、まさか? という顔をした。

 まあ、驚くのも無理はない。一琉も縁あって来た最初は引いた。


「クラスメートの家なんだがな」

「す、すごい……です! 豪邸です! 豪邸……!」


 目指して走ってきたここは、そう、まさしく豪邸だ。


 四角形の広い土地を、ぐるりと柵が囲っている。その中の庭園の向こうにようやく見えるのは、豪邸と呼ぶにふさわしい造りのお屋敷だ。誰もがちょっと驚く程度の大きさはある。基地が作られたころからあるのだろうか。立ち退き要求をされても売らなかったらしく、フェンスはいかにもといったように迂回している。基地の外ということで、もちろんシェルターも完備されているだろう。陽が昇ってきた今では、もうすでに開いているが。


 比較的大きな家の立ち並ぶ基地の外でも、一際目立っている。人が集まればそこには差が生まれるもので、こういう金持ちだってそりゃいるのだろうけど。だが、そうとわかっていても、やはり目の当たりにしたらため息の一つは出るものだ。一琉は気を取り直すように咳払いをすると、「寺本」と艶やかな黒石に彫られた表札の横の、インターホンのボタンを押した。


「はい、寺本です。どちら様でしょうか」

「滝本です。和美さん……のクラスメートの」

「滝本一琉様、野々原まひる様ですね、お待ちしておりました。ただいま門をお開けしますので、どうぞ」


 女性のきれいな声に案内され、すーっと静かに目の前の柵の扉が開いた。インターホンといい、自動ドアといい、さすが昼文明である。


 一琉は出る直前にアパートの共有電話で連絡だけは入れていた。軽く事情を聞いた相手は想像通り、「話を聞くわ」とすぐに言った。


 石段を踏み、きょろきょろとしながら庭園を進んでいく。季節を意識して手入れの行き届いた木々、覗けば立派な鯉のいそうな池。なんだかタダで足を踏み入れることすらもったいないような空間だ。正面を向くと、落ち着いた色合いの服にエプロンをかけた二十代後半ぐらいの女性が、ドアを開けて待っていてくれた。目が合うと恭しく頭を下げられる。


「お待ちしておりました」

「お邪魔します」


 ようやくたどり着いた玄関前の石畳で、一琉とまひるも頭を下げた。


「お嬢様、お客様です」

「うん……」


 出迎えてくれた女性の後ろから出てきたのは、淡い色のブラウスとスカートに着替えた、委員長だ。


「来たぜ、委員長。悪いな」

「どうぞ、入って」


 委員長は淡々とそう言うと、背中までかかる長い髪をなびかせて、すぐにすたすたと中へ入っていってしまう。


「……邪魔する」

「お、おじゃましまー……す」


 制服ではない私服姿と、この屋敷の雰囲気とが相まって、あの委員長がなんだかどこぞの見知らぬ令嬢に見えてしまう。緊張している自分が、何だか苦々しかった。


 にこっと微笑むエプロン姿の女性(まさか母親ではないだろう)に優しく促され、一琉たちは客間へ通された。


 客間のソファにつくなり、案内役のお姉さんに飲み物は何がいいか聞かれ、一琉はお茶を、まひるはアイスティーを、委員長はホットの紅茶を注文した。運ばれてくるまでの間を待たずに、一琉は「もう一度最初から話してくれ」とまひるに要求した。


「は、はい……では、すみませんが」


 そうしてまひるがもう一度最初から身の上と経緯を話し終えるのを、一琉は黙って聞いていた。追われているだの、よく覚えていないだの、でも怖いだの、という話を。


「……それでその……かくまってほしいのです……。と、とりあえず……、誰にも内緒で」


 まひるはそこまで話して、あとは濁すように、氷がもうほとんど少ししか残っていないアイスティーのストローをくわえた。


「そう……」静まり返る中、委員長がなかなか難しいため息を漏らす。


 委員長はどう判断を下すのか。二人の視線が、向かい合った委員長に集まる。ここでダメと言われたら、ちょっと面倒なことになる。次に訪ねるのは、有河か、棟方か。


「まあ、あなたが滝本くんと二人きりで隠れることになるよりは、あたしを頼ってくれてほっとしてるわ。彼の家に泊まらなかったのは、賢明な判断よ」


 そうかい。

「手ェ出しちゃいないぞ俺は」


「当たり前よ」


 そもそも異性の家にかくまわれていいのかよって話は、俺が先に言い出したんだからな、こいつに。


「泊めるのはたぶん大丈夫だけど」


 委員長の言葉に、ぴく、とまひるの瞼が開かれ目が輝く。おお。


「どんなに長くても……(たけ)(ひと)さんが帰ってくるまで。丈人さんっていうのは、あたしの父親代わりのここの家主ね」


 一応、しばらく友人を泊めることになったと連絡だけはさせてもらうわよ。と、委員長は付け加えた。父親代わり? そんなことは初耳だが、まあでも、さすがというか、委員長はこいつを泊めてくれるようだ。


「あっ……ありがとうございますっ! 本当に、なんてお礼を言ったらいいのか」

「やれやれ、俺も助かったよ……悪いな。あとは任せたってことで、よろしく頼むよ」


 さすが俺が適任者と見込んだだけのことはある。一琉はほっとして、ずらかろうと立ち上がった。


「待ちなさいよ滝本くん」


 だが委員長はすぐに帰してはくれなかった。

「あなた、どうやって帰るつもりなの」


「ん」

 それは一琉もちょっと考えていたことだった。


「ま、俺一人で走れば十分とかからない。なんとかなる……だろ」


 日中タクシーを呼ぶ手もあるが、あれは結構な額が飛ぶ。これだけの距離ならまあ、日除けのコートもあるし、なんとかならないわけではない、と思う。


「危険だわ」


 そりゃ、あんまり良くはないけど。


 夜生まれにとって直射日光は体に悪い。毒だ。体内に毒素も溜まるし、皮膚だって火傷にも似た症状を呈する。


 すると、委員長は表情を変えずに、淡々とこう提案するのだ。


「仕方がないわ。あなたも泊まっていった方がいい」


 一瞬、言われた意味がよくわからなかった。


「……はあ! ?」

「もちろん、部屋は別だけど」


 おいおいおいおいおい。

「そーいうんじゃなくて!」


 常識に照らし合わせて男の家に泊めるよりはせめて同性の元へ、と思いわざわざ危険を冒して日が昇る中委員長のお邸を訪ねたんだが、その俺に一緒に泊まれと?


 委員長はまひるを泊める決断をした段階で、すでにここまで覚悟していたらしい。動じることなく、


「あのね、あたしだって異性のあなたに泊まりなさいなんて非常識なことなるべくなら言いたくはないけど、日が昇っているのに夜生まれを外にほっぽり出すなんてそっちのほうが非常識だから仕方なく言っているのよ、わかるかしら?」


 あくまで事務的にそう主張するのだ。


「いい。帰れる。もしも途中で限界来たら避難所で寝る」


 委員長のお人よしを当てにはしたが、まさかここまでとは思わなかった。


「避難所なんて一度入ったら日が落ちるまで出られないでしょう? 幸い、ここには部屋ならいっぱいあるわ。好きなところを使いなさいよ」

「それじゃおまえに世話になりすぎて困るんだよ」

「世話になりすぎるって、元はと言えばこの子のせいでしょう! ?」

「ああそうだよ、そいつのことでも世話になっちまったし」

「別にあなたはこの子の保護者でも何でもないんだったら、あなたが責任感じることないわ」

「……そうだけど」

「じゃああたしの家に泊まることになったのも元はと言えばこの子の世話ついでなんだから、あなたが気にすることない」


 うーん。

「それでも、だめだ」


 少し無理をすれば帰れるのだ。一人分の世話で済むところを二倍にすることはない気がする。


「一人が二人に増えたところで構わないわ」


 ……なるほどそうくるか。


「いいから帰るさ。じゃあな」


 一琉はやや強引にそう言うと、委員長の次の返事を待たずに逃げるように部屋を後にした。


(や、やれやれだ……)


 だって、なんというか、なあ。

 ……べつに、なんでもないが。


「お帰りですか?」

 客間を出るとき、案内役のお姉さんに声をかけられた。


「はい」

「あの、申し訳ありませんがお車は今……」

「お気遣いなく。まだなんとかなるでしょう」

「でも……」


 彼女は戸惑いながらも先を歩き、玄関扉を開けてくれる。


「……っ」

 その先は予想以上に日差しがきつかった。


 晴れ渡っているな。


 皮膚を、ぶわっと粟立つような感覚が襲う。これはけっこう堪えるかも。


「タクシーを呼びますか?」

「……そこまでするのもな」


 なんか人の世話焼いて高額はたくのもアホらしいというか、いろいろと大袈裟だ。自分に対しても相手に対しても。こういうときはなんでもない顔してひとっ走り、さっと帰ってしまいたい。そう思うとやはり車がいるのか。けど、今のところ職場も近いし。維持費だけでも結構かかるからな……。などと考え込みながら一琉は黒衣をまとうと、外に飛び出した。


「あっつ……」クラリとした。


 皮膚とその中を焼くような熱い日光に、蓄積される有毒な紫外線。家に辿りつくまでの我慢……。そう思うのに、立ち止まって動けない。この日差しの中、来た道を戻るのか。全力疾走したとしても、途中から体力は無くなっていくだろう。夜生まれという体質にうんざりする。あれだけ強く固辞したのだ。今さら戻るわけにもいかないし。現実的解決策として、せめて曇り空になるまで屋根の下で待ってから――……って、雲一つないな。


 振り返ると、委員長がいた。目が合ってしまう。

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