【東勝寺跡②(北条高時腹切りやぐら)】
崇寿寺の、南山和尚との禅問答で、
迷いが吹っ切れた長崎高重は、
最後に残った、150騎を、前後に引き連れて、
新田義貞の首を狙いに行くんだ。
見方を装って、太刀も鞘を抜かず、旗指物も伏せて、
義貞の近くまで近づくんだけど、
あとちょっとの所で新田軍に判ってしまうんだ。
敵に囲まれた奮戦の途中で、部下から、
高時との冥土のお伴をするから、
帰ってくるまで自害を待ってほしいと言っていた為、
もう東勝寺へ戻りましょうと、引き返してくるんだ」
「高重公すごーい。生きて帰って来られたの?」
「ああ、東勝寺に戻ってから、北条一族の、
壮烈なる自害が始るんだ。
高重は、鎧を脱ぎ棄て、皆に自害の時がやってきた、
先ず自分が手本を示しましょうと云って、
高時の前にあった盃を取ると、実弟に酌を取らせ、
三度吞み干し、自分の切腹を肴にして下されと、
真っ先に自害するんだ。
高重の祖父の、長崎円喜は、高時がどうするものかと、
様子を見ていたけど、15歳の孫が、祖父の円喜の胸を刺し貫き、
その刀で腹を切ると、円喜を引き伏せ、その上に重なって伏せて、
それに促され、高時も自害するんだ。
『相模入道も腹切りたまへば、
城入道続いて腹をぞ切ったりける』とあるんだけど、
この城の入道って、安達時顕のことで、
霜月騒動で、平頼綱に滅ぼされた安達一族の人で、
安達泰盛の弟の孫にあたるんだ。
騒動の時には、祖父も父も殺されたけど、
乳母に抱かれて難を逃れ、
おそらく東慶寺の覚山尼が保護したと思う。
覚山尼の兄弟の孫にあたるからな」
「覚山尼様が、安達一族の、
子供たちを保護したって言っていたわね」
「ああ、高時の父の九代執権の貞時が、
平頼綱を滅ぼした後、時顕を復権させて、
家督を継がせるんだ。
そこで時顕は、父の法要を行ったんだけど、
それまで、安達家の法要もタブーだったらしい」
「まあ、安達家にとっては、暗黒の時代だったのね」
「後に貞時は、平頼綱の一族の、長崎円喜も復権させ、
円喜の娘と時顕の長男を結婚させるなどして、
両家を複縁させるんだ。
それから、円喜と時顕を登用して、亡くなる前には、
両人を呼んで、まだ幼かった高時を補佐して、
幕府の円滑な運営を託すなど、高時の後見を依頼するんだ」
「それならオズぅ、高時公が自害なさった時、
その前に、長崎円喜公が自害され、
高時公の後に安達時顕公が自害されたのでしょ。
貞時公の遺言通り、両人が、高時公の死出の旅へ、
ご案内したのね」
「ああ、それから、
『これを見て、堂上に座を連ねたる一門・他家の人々……』
とあって、
『思い思いの最後の』様子は、まったく見事であったと。
『その他の人々には……苅田式部大夫篤時』って、
健さんのご先祖の名前もあるんだ。
『名越の一族三十四人……
総じてその門葉たる人二百八十三人、
われ先にと腹切って、屋形に火を懸けたれば、
猛炎さかんに燃え上がり、黒煙天をかすめたり。
庭上・門前に並みいたりける兵どもこれを見て……』
次々自害して、
『死骸は焼けて見えねども、後に名字を尋ぬれば、
この一所にて死する者、すべて八百七十余人なり。
この他門葉・恩顧の者、僧俗・男女を言わず……
遠国の事はいざ知らず、
鎌倉中を考ふるに、すべて六千余人なり。
ああこの日いかなる日ぞや。
元弘三年五月二十二日と申すに、
平家九代の繁昌一時に滅亡して、源氏多年の蟄懐、
一朝に開くる事を得たり』ってな」
「皆さん、壮絶な最期だったのね。
鎌倉では、一日で六千人も亡くなってしまったのね」
「太平記では、亡くなった一族の名前が、ずらっと出てくるけど、
鎮魂の意味もあって書かれてるみたいだな」
「そうよねぇ、きちんと供養されないとね。
ねえオズぅ、吾妻鏡には、北条氏の滅亡は書かれてないの?」
「吾妻鏡は、頼朝から、宝治合戦のあと、
時頼が亡くなった辺りまで、80年くらいの記録だから、
北条氏の滅亡っていったら、やっぱ太平記になるんだ」
「そうなの、壮烈な最期ね。
ここでみなさん、自害されたのね」
「ここ、発掘調査の時、炭や灰の層からは、
遺骨は発見されなかったんだ。
滅亡後、時宗の僧たちによって、清掃された記録があるから」
「東勝寺は消滅後、すぐに再興されたって書かれていたわね。
それでかしら、沢山の方が、自害された割には、
清まっている感じがするわね。
建長寺が、刑場跡だったのを、蘭渓道隆が聖地に変えられたように、
ここも、歴代のご住職や、僧侶の皆様が、清めてこられたのね」
「おう、俺もそれを感じる。
やっぱ後醍醐天皇が、供養を命じたからだろうな」
「滅びる運命にあったとしても、
そのあと供養されることが、大切なのね」
「ジャンヌ安心した?
それじゃこの奥に、腹切りやぐらがあっから、
行ってみっか」
高時腹切りやぐらの入口手前に、
祇園山ハイキングコースの案内板がある。
「この先の、奥の階段を上がって行くの?」
「俺も行ったことねえんだ。
やぐらの裏山から、尾根伝いの道みたいだな。
あの裏山の向こうは、勝長寿院跡の住宅街じゃねえ?」
「そうみたいね、山を挟んで、向かい合っていたのね」
「そおかぁ、あそこへ登ってみれば、見降ろせるかも知れねえな。
後で登ってみっか?」
「ええ、それから、ここ、妙本寺、
比企一族の墓って書いてあるけど……」
「ああ、妙本寺はなあ、比企能員の屋敷があって、
北条時政に滅ぼされた跡に、日蓮宗の寺を建てたんだ。
ここもジャンヌに、お祈りしてもらいたいんだ」
ジャンヌは、眉をひそめ合掌しながら、
「時政公が前世で積まれた徳が、また一つ消えたのね」
「ああ、『比企能員の変』っていって、
二代将軍頼家がらみなんだけど、妙本寺、鎌倉駅から近いから、
今度案内すっから、その時話してやるよ」
「オズお願いね。
お祈りしたいとこ、次から次と出てくるわね」
「おう、今度は、鎌倉慰霊の巡礼だな。
みんなジャンヌが行ってお祈りしたら、スゲー喜ぶぜ」
案内板から、ハイキングコースを見上げながら進み、
「このハイキングコースって、
やぐらの上を歩いて行くんだな。
それで入口に、霊場だから、はしゃがないようにって、
注意書きしてるんだな」
「ハイカー向けの看板なのね」
腹切りやぐらは、東勝寺跡の奥の、
一段高くなったところの奥にある。
「ジャンヌ足元悪いから気をつけろよ!」
「はい」
俺とジャンヌは、やぐらの手前にリュックを降ろして置き、
中の供養塔の前でお祈りした。
お祈りが終わって、改めて中を見ると、
供養塔の後ろに、塔場が沢山建っている。
どれもみな新しい。
「施主が、高倉健さんのが多いわね」
「おう、子孫の役割、しっかり果たしてるじゃん」
「ここも、宝戒寺さんが、しっかりご供養なさっているのね。
それにご子孫の方も」
「ああ、それにしても塔場、健さんのばっかしじゃん」
「文化勲章受章者に供養されて、ご先祖様も、
さぞかしお喜びで、誇らしいでしょうに」
「じゃあ、この上、ハイキングコース、
ちょっと登ってみっか」
「ええ」
やぐらの外に出て、リュックを背負おうとして俺は、
「上まで登りきつそうだから、リュック俺が持ってやるよ」
「ありがとうオズ、でも大丈夫よ。
平気だから」
「いいって、ジャンヌここの昇り、きつそうだったから。
今日けっこう歩いたもんな。
俺もっと早く、気付いてやればよかった」
「ううん、オズも私のおみやげ、沢山持ってもらっているから、
リュック重たいでしょ。
オズこそ疲れてない? 大丈夫?」
「何言ってるんだよ、俺サッカー部だぞ!
このくらいへいちゃらだから」
俺はジャンヌのリュックを肩に掛けると、
「ジャンヌ、上登って観たら、橋の所に公園あったから、
そこで休んで帰ろうや。
最後、もう一頑張りしようぜ」
ハイキングコースは、腹切りやぐらをまわり込みながら、
真上を通って、S字カーブを曲がって登って行く。
程なく裏山のてっぺんに立つと、
やはり、山の向こうは、勝長寿院跡の住宅地だった。
「やっぱこの下の谷間、
さっき行った、勝長寿院跡の住宅地だな」
「ほんと、真ん中くらいかしら。
ハイキングコースの左側が住宅地ね」
「ジャンヌこの先、ちょっと行ってみるか?
足大丈夫か?」
「ええ、私手ぶらでしょ。
オズこそ大丈夫?」
「俺さっき言ったろ。それならちょっとな」
少し進むと、山の上まで住宅が迫っていた。
「ここすぐ裏庭じゃん。
ジャンヌ、雰囲気判ったから、もういいか?」
「ええ、すっかり住宅地に変わって、
当時の面影はないわね」
「ああ、勝長寿院跡は、
下から山を眺めた方が、雰囲気よくねえ?」
「そうね、私もそう思う」
「じゃあもう戻ろっか。ジャンヌ先行けよ」
東勝寺跡の坂を下り、滑川の手前
『東勝寺橋ひぐらし公園』でリュックをおろした。
「ジャンヌお疲れさん。
一日歩いたから、疲れたろ?」
「ううん、大丈夫よ。
楽しかった。オズありがとう。
ちょっと待っててね、いまミルクティいれるから」
ジャンヌはリュックを開き、お茶の用意をしている。
俺は、公園から川の流れを見ながら、
「この公園、下には降りられないんだ」
振返るとジャンヌは、もう一つある、
石のベンチに、おソロのカップにミルクティと、
チョコとお菓子をシートの上に並べていた。
「オズさあどうぞ。
男の子って、普段チョコ食べないでしょ?
でも甘いもので疲れをとってね」
「そっかー、ありがとな。
花火大会のときのカップだな」
ジャンヌは、満面笑みって感じで頷いた。
二人並んで座り、カップを持つと、
「ジャンヌお疲れさまー」
「はいー」
カップを触れ合わせ乾杯した。
ジャンヌの手前、全然疲れてないって言ったけど、
リュックの中は、甘露の水とか、ジャンヌへのおみやげとかで、
かなり重くなって、正直しんどくなっていた。
でも、ジャンヌの笑顔と、女性らしい心使いで心が癒され、
ミルクティで疲れが吹き飛んだ。
俺はカップを見つめながら、花火大会を思い出していた。
「オズずるーい、一人でニコニコして。
また花火大会思い出していたの?」
「ピンポーン。ジャンヌよく判ったじゃん」
「だってこのカップ、私も思い出のカップですもの」
ジャンヌはうふーと笑って肩をつぼめた。
「オズチョコもどうぞ」
「おう、ジャンヌも食べろよ」
二人でチョコをつまみながら、
「今日オズに、いろいろ案内してもらって、
鎌倉の歴史や、私の知らないお話しがいっぱいあって、
楽しくて、わくわくした一日だったわ」
「そっかー、そりゃあーよかった。
俺もジャンヌに喜んでもらって、調べた甲斐あったよ」
「ねえ、オズが言ってたけど、北条家の滅びのスケールは、
平家物語とは、比べられないくらい大きかたったのね」
「ああ、九代160年も続いたからな」
「160年て、長いようだけど、現代からみると、
『ただ春の夜の夢の如し』っていう感じね」
「ああ、滅びる時は、あっという間でな、
新田義貞が旗揚げしたのも、三月には、
後醍醐帝より倒幕の綸旨を受けていて、
一族と、密かに計画していたんだ。
そこに幕府では、上方での謀反への鎮圧のため、
大軍を送るのに、臨時の兵糧米の徴収を、近国に課したんだ。
義貞の領地へ派遣された役人が、北条の威を借りて、
高圧的に、しかも強引に徴収したもんだから、
義貞が切れて、役人の首を刎ねて、晒してしまったんだ。
報告を受けた高時は、怒って討伐を命じるんだけど、
ここで義貞は、5月8日、生品神社で旗揚げするんだ。
この時集まったのは、150騎にすぎなかったんだけど、
その日の夕方には、二千騎が集まり、
続いて、越後、信濃、甲斐の源氏の兵が駆け付け、
五千余騎に。
翌9日には、鎌倉から脱出していた、足利高氏の二男、
千寿王が加わると、関東の兵が続々集まり、
その日の暮には、二十万七千余騎に膨れ上がり、
人馬で溢れるんだ」
「え! 旗揚げして二日で、二十万騎も集まったの?
東勝寺で滅んだのが。5月22日でしょ。
旗揚げしたのが5月8日なら……
14日間で滅んでしまったのね」
「あっという間だろ」
「そうね、運命が大逆転して、
それまで滅びるなんて、想像もつかなかったでしょうに。
たった二週間なら、親族とゆっくり、
別れを惜しむ時間もなかったわね。
それからオズ、太平記では、地方の悲劇も伝えているのでしょ?」
「ああ、先ず、鎌倉幕府滅亡後、北条一門とその家族の悲劇だろ。
それから、全国の守護や地頭の他、地方の探題とか、
出先機関の滅亡も描いているんだ」
「そうなの。
オズのいうスケールって、鎌倉だけでなく、
全国的な規模だったのね」
「おう、でもな、鎌倉幕府滅亡の、
一番象徴的でドラマチックなのは、
やっぱここ東勝寺での、北条一門の最後だからな」
「そうね、鎌倉幕府は消滅して、
北条舘も東勝寺も無くなっているけど、
裏の山と、この川の流れは変わらないのね」
「北条氏滅んで山河ありかぁ。
芭蕉だったら、どんな句を詠むんだろう」
「そうねぇ、
『因果は巡りて、北条氏九代の栄華露と消え』
とかの前文があって……あとは思い付かないわね。
オズの俳句の才能、凄いんですもの」
「俺が? マジで? 勘弁してよ」
「でもねえオズぅ、北条氏は滅んだけど、
鎌倉には、禅の文化が花開いて、
今でも三つ鱗のお寺が継承して、
鎌倉を鎌倉らしく、武家の古都として、
光彩を放っているのよね。
だから私たち鎌倉市民は、北条一族のご冥福と、
感謝の祈りを捧げなければならないのね」
『鎌倉古寺巡礼』
長い一日で、歩き疲れてしまいました。
しばし休ませて頂きます。




