【宝戒寺(萩の寺)《北条家菩提寺》】
俺とジャンヌは、大御堂橋近くの、
文覚上人の屋敷跡まで戻ると、
「文覚上人の記念碑、ちょっと見てみっか」
『文覚は俗称を遠藤盛遠と言い、元院の武者所たりしが、
18の時、源渡の妻、袈裟御前に恋をして、
誤って殺してしまい、後悔して出家した……』
「ねえオズ、院の武者所って、北面の武士だったの?」
「ああ、だけど西行は、清盛と同年代だから、
西行の後輩だよな。
ジャンヌ、18歳の時、
袈裟御前を誤って殺したとか書いてあるだろ。
これなぁ、北面の同僚だった、
渡辺渡(=わたなべのわたる)の妻に恋をしてな、
妻の袈裟御前は、遠藤盛遠に結婚を迫られ、
夫を殺したら結婚するって言ったんだ。
そして夜、夫が寝ている寝室を手引きして、
遠藤盛遠は首尾よく殺すんだけど、
なんと殺されたのは、袈裟御前だったんだ」
「え? オズそれってどういうこと?」
「袈裟御前は、遠藤盛遠が激情家で、
思い詰めたら何をするか判らない、恐ろしさを秘めているので、
夫に害が及ばないよう、自分で死を選んだんだ」
「夫を護るために亡くなったのね」
「ああ、それから遠藤盛遠は、渡辺渡へ詫びを入れ、
自分を殺してくれと願うんだけど、許されて出家するんだ」
「え? 妻が殺されたのに、許してあげるの?」
「ああ、出家後、文覚上人となって、罪滅ぼしのためか、
荒行を行って修行し、後に当時荒廃していた神護寺を再興すべく、
後白河法皇に強訴して、伊豆に流されるんだ。
そこで頼朝公と知り合い、友人になるんだ。
平家物語では、文覚上人が、義朝公のしゃれこうべを持って帰り、
頼朝公に決起を促すんだ」
「頼朝公の肖像画って、神護寺にあるんじゃなかったかしら?」
「そうそう、教科書に載ってるやつな。
あの絵、足利直義じゃないかっていう学者がいてな、
それから、どっちが本当の人物かって論争があるんだ。
両者それぞれ、いろんな人が支持したり、反論したりしてさ」
「神護寺さん、困ってしまうわね」
「ああ、神護寺では、毎年5月に公開してるんだけど、
寺の由緒から、頼朝公に間違いないって、
ホームページでも公表してるんだ」
「そうなの、あの絵、雰囲気は、気品があって頼朝公よね。
神護寺さんでは、何百年も、頼朝公として崇めて、
大切に祀ってこられたのでしょうから、ご供養とか、
行事の時には、頼朝公の霊が宿られるでしょうに」
「そっかー、観る人が、頼朝公として観れば、
頼朝公になるんだ。
それに神護寺は、文覚上人を通じて、
頼朝公から保護を受けていたから、寺の恩人として、
祀らないといけないし、頼朝公がいないとおかしいわな」
「信仰とか、伝承って、大切にしないといけないわ」
「おう、そうだな。
『神護寺略記』にはな、後白河法皇崩御の後、
室内に掛けられていた絵で、中央に後白河法皇像の絵だろ、
左に源頼朝像、右に平重盛像が、
下座に平業房像、藤原光能像が、
いずれも視線が法皇に向いて、
お仕えする形に配されていたんだって」
「そうなの、それなら、頼朝公の視線の先には、
後白河法皇がいらっしゃったのね。
頼朝公は、後白河法皇にお仕えするというより、
やはり法皇や皇室を御護りされていたのね」
「右側の平重盛なあ、直系の孫の六代は、平家が都落ちする時、
父親の惟盛が、妻子を置いて落ちて行くんだ。
惟盛は子煩悩でな、六代と妹、
それにまだ若い妻との別れがつらく、
だけど、自分が西海で朽ち果てたら、
だれか良い人と再婚してくれっていうんだ。
惟盛は途中で、戦線から離脱して、
熊野の海で、入水自殺したことになっているんだ。
平家が壇ノ浦で滅んだ後、京都では、政子の父の、
北条時政が、平家の縁者たちの探索をするんだ。
惟盛の妻子たちも、京都の奥に、
隠れ住んでいるところを密告され、六代が連行されるんだ。
その時六代は、母親に、
『すぐ帰って来るから心配しないで!』って言って、
母親を泣かせるんだ。
当然斬首されるところ、文覚上人が待ったをかけ、
弟子を鎌倉の頼朝公のもとへ使わし、
自分の弟子にするからと。
ここは頼朝公も助命を認め、助かるんだ」
「へーえ、文覚上人凄―い。
平家の嫡男を助けてあげたの?」
「ああ、でも、頼朝公が亡くなって、
文覚上人が、佐渡に流されると、
六代は捉えられ、逗子で斬首されてしまったんだ。
だから、平家の栄枯盛衰は、嫡流の六代で終わるんだ。
六代のお墓は、逗子にあるよ」
俺とジャンヌは、八幡様の横大路の近くまでやってきた。
「ジャンヌ、あそこのT字路を右に曲がると、
八幡様の正面に出るんだ。
宝戒寺は、あのT字路の左側にあるんだ」
宝戒寺の入口までくると、
「八幡さまの鳥居からくると、突き当りなのね」
「おう、北条家の歴代執権の館があった場所だからな」
入口で一礼して、中に一歩入ると、光の波動を感じた。
ジャンヌも両掌を上に向け、
「オズ、このお光は何かしら?」
ジャンヌも光りを感じている。
浄まった光りで、聖地に来たようだ。
「オズ見て! あそこの柱」
ジャンヌの指差した先に、
『世界人類が平和でありますように』
と書かれた祈願柱が建っていた。
「あの柱から、光が放射されているわね」
「それでか、闇夜に照らす、灯台みたいだな」
「そうね、このお寺に葬られた方たちは、
あの世界平和の祈願柱を頼りに、迷うことないわね」
「じゃあ、案内板見てみっか」
宗派は、天台宗で、開基は後醍醐天皇となっている。
「このお寺、天台宗なのね。
禅宗のお寺は、北条家の滅亡とともに、
新たな建立は、なくなったのかなぁ?」
「どうだろう? じゃあ読んでみっか」
『新田義貞の鎌倉攻めにより、この寺の東南にある
《腹切りやぐら》で、最後の執権・北条高時をはじめ、
北条一族八百七十余名が自害したと伝えられています。
滅亡した北条氏の霊を弔うため、また修行道場として、
後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、北条氏の屋敷があったとされる、
この地に寺を建立させました。
境内には四季を通じて花が咲き、
九月には白い萩でうめつくされる《萩の寺》として有名です』
「あとでこの先にある、東勝寺跡に案内すっから」
「はい。オズ手前の白い案内板は?」
入口近くに戻り、
「なんだろう……ああ、これ、伽藍復興の大勧進のご案内かあ」
「オズぅ、これを読むと、後醍醐天皇は、自ら開基となって、
足利尊氏にお命じになったのは、鎌倉幕府北条氏一門の慰霊でしょ、
それに鎮護国家と、四宗兼学の道場って、
色々な宗教を学ばせて、人材の育成にも努めさせたのね。
七堂伽藍とかある大寺だったって書いてあるわね」
「比叡山延暦寺の役割と、同じみたいだな」
「後醍醐天皇は、東の延暦寺にされたかったのかもしれないわね」
「おお、開山の目的をみるとそうだな。
ここ、江戸時代の大火と、明治の廃仏毀釈、
それに関東大震災で、大伽藍はことごとく消滅したんだ。
昭和期に再建されたっていうけど、大きい建物は、
本堂くらいだもんな。
この再建計画、大がかりで、結構金かかりそうだよな」
隣の参道脇に『北条執権邸旧跡』と、
よく見る大正7年建立の、鎌倉青年会の石碑が建っている。
「寺は焼失しても、石碑は残っていたんだ。
第二代執権の北条義時以降、
歴代執権の公邸みたいな場所だったって」
「オズぅ、ここに書かれている、相模入道ってどなた?」
「ああ、最後の執権、北条高時公のことだよ。
相模守で、出家したから、そう呼ばれているんだ」
「そうなの。
新田義貞の鎌倉攻めで、御屋敷も灰燼に帰したのね。
北条氏の菩提寺、東勝寺をこの地に再建し、
号を改めたって書かれているわね」
狭い参道を進むと、山門というか、
石柱に鉄の門扉となっている。
「オズ、ここも塀に五本線が入っているわね」
「ああ、後醍醐天皇の勅願だからな」
開かれている、鉄の扉の上部は、鉄枠の中に、
北条氏の家紋の、三つ鱗がかたどられている。
山門の先に、拝観受付があり、ここも拝観料は100円だ。
ジャンヌに拝観券を渡しながら、参道を進む。
「ありがとオズ、宝戒寺さん、再建計画にお金がかかるのに、
100円とは良心的ね」
「ああ、ほら、修学旅行生とかいるけど、
拝観料が安いと、助かるよな」
「きっとご住職とか、清廉な方なのね。
だからここ、清まっているのね」
正面の本堂に先お参りする。
本堂は、階段を上がると、靴を脱いで中でお参り出来る。
ご本尊は、延命地蔵菩薩だ。
「大きな地蔵菩薩様ね。
あれだけ大きいと、沢山の人を、
いっぺんにお救いされそうね」
「ジャンヌ、ここは、滅ぼされた、
北条氏一族ご一統の皆様でいいな」
「それと、地蔵菩薩様への感謝の祈りね」
お祈りのあと、左の間の、毘沙門天をお参りする。
座った途端、強烈な光を感じた。
思わずジャンヌと顔を見合わせた。
薄暗い奥に、ロウソクの淡い光りに灯されて、
像そのものは小さい。
ジャンヌは合掌して低頭すると、
「毘沙門天様そのものがいらっしゃるわね」
「ああ、ジャンヌが来たから現れたのかな?
お祈りだな」
ジャンヌは黙って頷くと、お祈りを始めた。
お祈りが終わっても、奥からの波動は強いままだ。
「ジャンヌ奥の左から、観音様だろ、真ん中が不動明王だよな、
右が毘沙門天だよな。
仏像から、こんなに直接光りを受けるって、俺初めてだな。
よく、秘仏だとかいって、厨子の中にいる場合も多いけど、
やっぱ直接拝んだ方がいいよな」
「ええ、宝戒寺さん、凄いわね」
二人立ち上がると、縁側の手前に、経机が置かれており、
上に『白萩』と書かれた雑記帳が乗っている。
「ジャンヌも何か書いたら?」
「私?」
最後に書かれたページが開かれており、
「みなさん、家族の健康とか、
願い事を書かれているのが多いわね」
「絵馬に書く、願いごとみたいじゃん。
やっぱ東慶寺の、高見順のお墓に置いてある雑記帳みたいに、
詩的っていうか、文学的な内容とちょっと違うな」
「本堂に置いてあるからでしょうに」
次にジャンヌを、ご本尊の前を迂回して、
右の小部屋に案内する。
正面奥に、閻魔大王の大きな像が、
手前の焼香台の上には、美智子皇后と、
浩宮皇太子のスナップ写真が二枚飾られている。
美智子皇后は、グレーのスーツ姿だけど、
浩宮は、茶色いズボンにセーターで、学生時代のようだ。
「ねえオズ、ここも美智子皇后様と、
浩宮様がおいでになったのね」
「あ、ほんとだ。1988年1月23日になっているな」
俺は、近くにいた寺の人に、
「宝戒寺さんも、美智子皇后がお見えになったのですか?」
ここの写真は、杉本寺の写真で、ご住職が同じとのことで、
この寺へはいらしてないとのこと。
「そういえば杉本寺も、天台宗だったな。
住職はきっと、延暦寺で修行して、派遣されているんだろう」
ジャンヌは、写真と大きな香炉を見つめながら、
「宝戒寺さんは、毎朝、美智子皇后様や、
浩宮様のご加護を祈念されているのね。
ねえオズぅ、私嬉しくなっちゃった。
こうした民間の寺院でも、御二人だけでなく、きっと、
皇室の安寧をお祈りされているのね。
杉本寺での御写真なんだぁ。
はやり美智子皇后様と、ご縁が深いのね」
ジャンヌは、再び合掌しながら、
「奥にいらっしゃる、怖そうなお顔の方は、
ひょっとして、閻魔大王?」
「おう、そうだ。真ん中に、鏡があるだろう」
「ええ、神社みたいね」
「あの鏡、
『浄玻璃(=じょうはり)の鏡』っていうんだ。
人は亡くなり、四十九日の法要が終わると、
閻魔大王の裁きを受けるんだ。
裁きは、亡くなった本人の、生前の罪状を調べられ、
ほら、閻魔帳ってやつさ。
そこであの世での、行く世界が決まるのさ。
裁きの場では、弁明の機会が与えられるけど、
本人の行状を、あの浄玻璃の鏡に映し出されるから、
噓をついてもばれてしまい、舌を抜かれてしまうんだ」
「オズのお家の、神殿の水晶みたいに映し出されるんだぁ」
「ああ、でも閻魔大王って、
地蔵菩薩の化身っていわれてるから……」
ジャンヌは、眉を寄せていたが、一転表情が明るくなり、
「安心したぁー。それならお祈りすれば、
地蔵菩薩様として、救ってくださるのね」
「そういうことになるな。じゃあ行こっか」
小部屋を出て、本堂内を見学する。
天井下の壁には、高額寄進者の名前と金額が掲げてある。
「ジャンヌほら、高倉健の名前があるだろ」
「あ、ほんと、金額凄いわね。
高倉健さんって、文化勲章頂いたのよね、たしか。
このお寺と、ご縁があるのかしら?」
「おう、大有りでさあ、ジャンヌ外行こっか」
俺とジャンヌは、靴を履いて、本堂の階段を降りると、
「ジャンヌなあ、なんでも健さんは、北条一族の末裔らしくてさ、
それも、第二代執権の、北条義時公に遡ってな、
義時公の二男朝時公の家系で、三代目の執権は、
兄の泰時公が継ぐんだ。
だけど、初代執権の、北条時政公の、
名越にあった屋敷を引き継いだから、名越流とか呼ばれているんだ。
名越流二代目が時章公で、その三男が篤時公で、
健さんの先祖はこの人なんだ」
「凄いわね、義時公の直系子孫なんだぁ」
「ああ、ジャンヌあそこのベンチに座ろっか」
俺は、本堂脇にあるベンチにジャンヌを座らせると、
「北条氏が滅ぼされた後、篤時公の子孫が逃れて、
最後は九州へ行って、商人になったんだって。
健さんの本姓は小田さんだけど、江戸時代末期に、
両替商をやっていた先祖が、お伊勢参りに行って、
紀行文を残していたんだ。
その冒頭に、家系図が載っていて、
篤時公に繋がっていたんだって。
たまたまその紀行文を見た人が、健さんに知らせてくれ、
自分のルーツが判ったんだって」
「そうだったの。それでぇ……」
「健さんがな、鎌倉霊園に墓を建てて、
帰りにふっとこの宝戒寺に寄ったんだって」
「え? 北条家の菩提寺って、知らないで立ち寄られたの?」
「ああ、そうなんだって。
その時健さんは、自分の祖先の話をしたら、住職がびっくりして、
奥に引っ込むと、古くて分厚い過去帳を持ってきて、
あなたの先祖はこの人ですよって」
「え、健さん凄―い!
ご先祖様に導かれてやって来られたのね。
じゃあ健さんのご先祖様は、東勝寺で自害されて、
ここに祀られているのね」
「おお、健さんも住職も、びっくりするやらで、
それから健さんの寄進が始ったんだって」
「700年前のご先祖様に出会えて、
健さんも、さぞかし感激されたでしょうに。
ご先祖様は、700年の時を経ても、
子孫を導いていらっしゃるのね。
オズ私も感激しちゃった」
「ジャンヌなあ、健さんって、礼儀正しくて謙虚でな、
撮影の時、新人俳優からスタッフまで、
丁寧に挨拶するんだって。
そういえばオトウなぁ、若い頃、
薬師丸ひろ子のファンだったんだって。
薬師丸が中一の時、
『野生の証明』っていう映画のオーデション受けて、
デビューするんだけど、そこで健さんと共演したんだって。
その時、薬師丸は、健さんがまだガキンチョの自分に対して、
丁寧に頭を下げて挨拶され、驚いたって。
昔の健さんっていったら、任侠映画で人気を博して、
背中に唐獅子牡丹の刺青をしてるイメージが強かったんだって。
だから、あろうことか、薬師丸はなぁ、
撮影の合間に、健さんの、裸の背中を見る機会があってな、
『刺青してないんですね!』って、マジで聞いちまって、
健さん、嫌な顔しながら、
『そうだよ』ってな。
相手はまだ、中一の子供だから、
怒りもしなかったんだろうけど」
「思ったことが、すぐ口に出てしまうのね。
私も聞いてしまいそう」
「だけど健さん、大物俳優なのに、決して偉ぶらないから、
中国へ映画で撮影に行った時も、向こうの監督とか、
みんなその人柄に感激したっていうから」
「それでかなあ。
健さんが、文化勲章を受章されたのも、勿論演技の素晴らしさや、
映画界への貢献もあったでしょうけど、
お人柄というか、周囲から尊敬される人格よね。
それになによりも、ご供養されていらっしゃる、
北条家のご先祖様の、バックアップが大きかったでしょうに」
「そっかー、ご先祖様かぁ。
やっぱご先祖様のお陰なんだな。
じゃあ、あと、ここの境内案内するよ」
小さな鳥居に『徳崇大権現』の額がかかっている。
「あのお社の中に、小さな高時公の像が祀られているんだ」
「神社のお社ね、高時公は、神様として祀られているのね」
「ああ、得宗って、義時公の法名と云われているけど、
北条家惣領の家系を指すようになってな、初代時政公から、
義時、泰時と続いて、六代目の最明寺入道時頼公だろ、
時宗、貞時、高時と、得宗九代と云われているんだ。
高時公は、執権では第十四代だけど、
直系の得宗家の重みって、大きかったんだよな」
「そうなんだぁ、高時公は、最後の得宗として、
『徳崇大権現』ていう、素晴らしいお名前を授かったのね」
「ああ、毎年命日の、5月22日に、
中から像が本堂に運び込まれ、供養されるけど、
一般の参拝客も、本堂へ上がって参列できるんだ。
法要のあと、参加者に抹茶が振る舞われ、
舞も披露されるんだって」
お祈りのあと、続いて、大聖歓喜大堂、聖徳太子堂、
東勝寺での犠牲者の、宝篋印塔にお祈りした。
「ねえオズぅ、ここ、白い萩の名所なのね。
9月って書いてあったわね」
「ジャンヌ観たいんだろう。
来年忘れるなよ!」
ジャンヌは、はにかみながらニッコリ頷いた。
「さあ、次は最後、東勝寺跡へ行くから」
「はい」




