家族の痕跡(4)
だが、この日、レイチェルの頭を悩ませるのはこれだけではなかった。日記の謎についてよく考える暇もないうちに、また別の不可解な出来事が起こったのだ。
「あれ、おかしいわ……」
三つの宿泊室を一通り調べ終えたレイチェルたちは、廊下を挟んで向かい側にある倉庫に向かった。ところが、扉にはロックが掛かっていたらしく、レイチェルが開閉ボタンを押しても、低い警告音が鳴るだけだった。しかも、ロックを解除しようと手のひらを認証パネルに置いた時、また警告音が鳴って、今度は「アクセス拒否(Access Denied)」の表示まで現れたのだ。
「どうしました? 何か問題でも?」
「え、ええ、この部屋だけ、扉がロックされていて開かないのです。今まで、こんなことなかったのに……。それに、私はシステムに登録されているので、ロックも解除できるはずなのですが……」
「ここは何の部屋なのですか?」
「倉庫です」
「ほう」
「そりゃあ、ぜひ見てみたいところですなあ」
「ですね」
エドモンドとリンツが、興味深そうな表情を見せる。倉庫には大した物は収納されていないはずだが、旧文明を研究する考古学者である彼らにとってみれば、遺跡で発見されるものである。どんな物品であれ、宝物同然なのかもしれない。
(ベス、状況を教えて。どうして私は倉庫のロックを解除できないの?)
(この扉は、セキュリティレベルが3に引き上げられたため、オートロックがかかっています)
(でも、私、この研究棟のレベル9のアクセス権を持ってるし、すべての扉で登録されているはずよ)
(この倉庫に限り、あなたの登録は解除されています。また、あなたの再登録は許可されていません。あなたが入室するためには、新たに設定されたパスコードが必要です)
(えっ、なんで、そんな……)
自分の登録が解除された上、再登録が許可されていないというのはどういうことか。
それに、当然ながら、自分は新たに設定されたパスコードなど知らない。
思わぬ成り行きに戸惑いながらも、ふと、実験室はどうなのか気になった。
(ねえ、ベス。それなら、実験室はどう? 私、まだ登録されてる?)
(基幹システムに確認中……。はい、あなたの実験室への入室は認められています)
(そう……。いったい、どういうことかしら……)
レイチェルは混乱した。どうやら自分は、この倉庫にだけ入れないように設定されたらしい。無論、それは、父かアマンダによるものだ。おそらく、レイチェルに入られては困ることがあるのだろう。だが、レイチェルにはそれが何なのか全く見当もつかなかった。
この研究棟で最も機密性の高いものは当然ながらクロノポーターそのものである。しかし、自分は幼少の時から開発を見守り、一時期は手伝いまでしてきたのだ。今更、隠すものなどないはずであるし、そもそも、ベスの話では、クロノポーターのある実験室への入室は許可されているのだ。倉庫だけ入れないのは意味がよく分からない。
(おかしい……、不自然なことが多すぎる……)
鍵のないアマンダの日記帳、そして、今度はこの倉庫である。これまで、倉庫にパスコードが必要だったことはおろか、ロックが掛かっているのさえ一度も見たことがない。もともと、クロノポーター開発用とはいえ一般的な整備機器や交換部品機材、あとはせいぜい事務用品や生活雑貨品など機密性の低いものしか置いていないため、セキュリティチェックなどなく開閉ボタンだけで開けられたのだ。リフトに乗る時に生体認証を受けるので、新たな確認は不要ということもある。
もちろん、後からここに機密性の高いものが運び込まれた可能性はある。だが、仮にそうだとしても、それは、ミサイル攻撃で惑星全体が焦土と化した後であり、当時の父やアマンダの立場からすると、レイチェルは行方不明、または、死んだと考えられていたはずだ。それなのに、そんな人間の登録をわざわざ解除してまで、入室を制限しようとした理由が分からないのだ。
「どうします、レイチェル殿?」
自分の考えに沈んでいると、ウォルターが声をかけてきた。レイチェルは我に返る。
「そうですわね……」
ここで、時間を取っても仕方がない。どうせ、これから当分の間毎日ここに来ることになるだろう。それに、まだ一番肝心な実験室が残っている。倉庫は、後から対策を考えることにした。
「入れないものは仕方がありませんわ。この部屋は後で考えるとして、とにかく最後まで見回ってみましょう」
「分かりました」
そして、レイチェルは後ろ髪を引かれる思いを抑えつつその場を離れ、キッチンをひと通り案内した後、廊下突き当りの、ひときわ大きな扉のところまでやってきた。実験室である。
「ここが、実験室です」
「ふむ。いよいよですな」
「き、緊張してきやしたぜ……」
ここは、流石にセキュリティが他の部屋よりも厳重だった。掌紋認証とDNAチェック、それにパスコードが必要である。
レイチェルは、認証パネル上に表示されたキーパッドからパスコードを打ち込み、右手の掌をパネルに押し当てた。
電子音がして、目の前の扉が滑らかに開く。
ベスの言う通り、やはり自分は実験室への入室がまだ認められたままなのだ。
「開きやがった……」
「行きましょう」
レイチェルは、やや緊張しながら中に入る。ウォルターたちも後に続いた。
中は、廊下と同じように、非常灯がついているが、薄暗い。
(ベス、ここも明かりをつけて)
(了解)
その言葉と同時に、照明が灯される。
「おお」
背後で、ウォルターたちの息を飲む声が聞こえる。
実験室のいたるところに取り付けられた、装置などに目を奪われているようだ。
そしてまた、
(えっ……)
(これは……)
レイチェルも、思ってもみない意外な光景に不意を突かれる。
(もしかして、完成してるんじゃないの……?)
最後にここに来た時は、まだクロノポーターはまだ未完成であった。室内の至る所で、配線や中の構造がむき出しで、様々な作業機械などが繋がれており、まさに、開発途上だったのだ。だが、この姿を見る限り、そのような作業機器類は一切接続されておらず、実験室内に持ち込まれてもいなかった。あちこちで内部が露出していた本体のカバーも全て閉じられ、まさに完成し稼働可能状態のように見える。
レイチェルは、オペレーター席まで行き、椅子のそばに立ってコンソールに手をついて手元の機器類を見渡した。電源は入れられていないため、スクリーンは真っ黒だったが、全ての計器やスクリーンがきちんと取り付けられている。
(でも……、見た目は、出来上がっているように見えるけど、本当に動くのかしら……)
それを確認する方法は一つしかない。
レイチェルは、顔を上げ、ウォルターたちを振り返った。
「ウォルターさん……、この装置を起動してみようと思うのですが」
「大丈夫なのですか? 前のように何か危険なことは……」
ウォルターは、フィンルートで見つかった軍事基地の兵器を思い出したらしい。あの時は、アルティアがミサイルで灰塵に帰す瀬戸際まで追い込まれたあげく、周りの景色が変わってしまうぐらいの大爆発を起こしたのだ。
「大丈夫です。これは、兵器ではありませんから」
「なるほど」
ウォルターはうなずいた。
レイチェルは、それを同意と受け取り、再びコンソールに向き直り、惑星標準語で命令した。自分の声がやや震えているのが分かる。
『クロノポーター起動』
コマンドが通ったことを表す電子音の後、装置の起動音がする。そして、実験室内の照明が薄暗くされた。同時に、オペレーター席や壁に沿って取り付けられているさまざまな装置類が点灯し、青白い光を発する。奥の壁にある三つの大スクリーンには、様々な幾何学模様の図形が映され、文字列が次々と表示され、流れていく。
「おお」
「こ、これは……」
「なんと……」
部屋全体が青白く輝くような、幻想的な様子に心を奪われたように、ウォルターたちは、部屋を見回した。
まさに、実験室は、一万年の眠りから覚めて、生き返ったかのような様子であった。
しばらくして、機械的な音声がコンソールから響いてきた。
『くろのぽーたー起動シマシタ。私ハ、管制こんぴゅーたー・あしすたんとノ「くろん」デス』
「誰だ?」
「だ、誰か、この部屋にいるんですかい」
不意に聞こえてきたクロンの声に驚いたのか、ウォルターたちが辺りを見回す。
「あ、大丈夫です。不審者ではありません。この機械が話しているんです」
「機械が……」
「なんと……」
ウォルターたちが、信じられないものを見るかのような目でコンソールを見つめた。
クロンの声が続く。
『長期ニワタッテ起動シテイナイタメ、全しすてむノ動作確認ヲ進言シマス』
『分かったわ。お願い、クロン』
『了解シマシタ。動作確認ヲ開始』
動作確認の実行状況が、コンソールのモニターと実験室奥の大きなスクリーンに映し出される。時折、短い電子音が聞こえてくる。
オペーレーター席のモニターを見ながら、レイチェルも状況を見守る。全て、正常に機能しているようだ。
(異常はなさそうね……)
「レ、レイチェルさん、この機械の野郎は何と言ったんですか?」
エドモンドが恐る恐るといった様子でレイチェルに尋ねた。
「長い間、動かしていなかったので、動作確認するそうです」
「は、ははあ、かしこい野郎だ……」
「うーむ。ですが、何を言われているのか分からないと、不便ですな」
「あ、そうですね。ちょっと待ってください。この世界の言葉が話せるかどうか、機械に確認してみます」
「ほう」
「えっ、こんな鉄の固まりに、そんなことができるなんて……」
リンツが意外な表情を見せる。複雑な機械装置のない世界の人間にとっては、実験室内にある設備は、せいぜいが鉄で作ったカラクリ箱程度にしか思えないのだろう。
『クロン、あなたの人工知能は多言語対応になってるの?』
『ハイ』
『分かったわ。今から新しい言語データを送るから、受信して』
『了解シマシタ』
人工知能が備わっているコンピューターにはたいてい言語別の処理ルーチンが含まれていた。その場合、言語ごとのデータを与えてやれば、簡単に切り替えることができる。
(じゃあ、ベス。あなたのデータベースにある 大陸標準語のデータをクロンに転送してくれる?)
(了解……。転送しました)
それを証明するように、電子音とともに、言語データ受信完了のメッセージがモニター表示された。
「クロン、受信できてたら、ユーロス語に切り替えてちょうだい」
「切リ替エマシタ。現在、くろのぽーたーハ、しすてむ動作ちぇっく進行中デス」
「おお」
「ホントに、我々の言葉を話しやがった!」
「これは、また……」
発掘隊の面々が驚いた表情で、コンソールを見つめる。
ちょうど、その時、動作確認作業が終了したらしく、再びクロンの声が聞こえてきた。
「動作ちぇっく終了シマシタ」
「ステータスの報告をお願い」
「了解。動力部異常ナシ。反物質えねるぎーせるハ100%充填サレテイマス。時空転移きゃぱしたナラビニとらんすぽんだハ正常ニ動作中デス……」
これを聞いて、エドモンドが苦笑いでウォルターに話しかける。
「隊長、せっかく、我々の言葉を話してもらっても、さっぱり言っていることが分かりませんぜ……」
ウォルターは、肩をすくめた。
「それはそうだろう、我々はただでさえ科学力の低い世界の住人だ。このような、旧文明の最先端の機械の言うことなど分かるわけないさ。まあ、おとなしく見ていようじゃないか」
「そうですな」
「……全しすてむニ異常ナシ。正常ニ稼働中デス」
クロンの報告が終わり、また、実験室内は静かになった。機械の動作音だけが微かに聞こえてくるだけだ。相変わらず、実験室内は青白い光で満たされている。
「ねえ、クロン、ということは、このクロノポーターは完成してるの?」
「ハイ。全テノ機能ガ、正常ニ使用可能デス」
「時間転送は可能なのね?」
「ハイ」
「そう……」
ここまで確認してレイチェルはほうっと大きく息をついた。
(やっぱり、お父さんとアマンダは完成させていたんだわ……)
父が二十年以上の長きに渡り続けてきた研究が、とうとう妹とともに成し遂げられたのだ。その感慨に浸る。
(よかった……。本当におめでとう、お父さん、アマンダ)
レイチェルは、心の中で祝いを言って、まるで慈しむようにコンソールに手を滑らせた。クロノポーターはまさに、二人の生きた証なのだ。
(直接、お祝いしてあげられなかったのが残念だけど……)
もう、彼らの生きていた時代から一万年という月日が流れている。完成を一緒に喜んでやれなかったことを、とても心残りに思うレイチェルだった。




