意外な訪問者(1)(挿絵あり)
「いよいよね、お父さん」
「ああ」
この日、アマンダ・エリオットは、朝から興奮を抑えきれないでいた。父ロバートが長年にわたって開発に取り組み、自分も手伝ってきた装置を、今日これから初めてフル稼働し、運用試験を行うのだ。
ロバートとともに、国立科学研究所の別館E棟の地下にある実験室に入ったアマンダは、ほのかな明かりが灯されている室内を、込み上げる思いとともに見渡した。
エリオット一家が、この研究施設の敷地内にある居住棟に住んでいたこともあって、アマンダは幼い頃から、双子の姉と連れ立ってこの実験室によく遊びに来ては、父が研究に取り組む姿を間近に見ていた。そして、好奇心旺盛な姉妹は、父だけでなく、ここにいた研究者、誰彼なく質問の嵐に遭わせていた。いわばこの実験室は、姉妹にとって遊び場であり勉強の場だったのだ。そして、その影響で、二人はやがて父と同じ道を志し、ともに科学者となった。
アマンダ自身はまだ研究の道に入ってからさほどの歳を重ねたわけではなく、父を手伝うようになってからまだ数年しか経っていないが、ロバートは姉妹が生まれる前から、もう二十数年間にわたり、この装置の開発に心血を注ぎこんできた。そして、その装置がいよいよ完成し、長年の苦労が報われる日がとうとう来たのだ。
(ようやく、ここまで来たのね……)
アマンダは、ふと隣に立つ父を見た。ロバートは、今年で四十八歳。中肉中背で整った顔立ちをしており、アマンダと同じように白衣を着ている。壮年も過ぎた年ではあったが、その目はまるで少年のように輝き、そして、やはり、感慨深げに自分たちの作った作品とも言える装置を見つめていた。
実験室は天井が高く、レポジトリウム鉄鋼で作られた鈍い灰色の壁に沿って、さまざまな機器が備え付けられ、小型のスクリーンや計器類が所狭しとならんでいる。正面奥の壁には、大きなスクリーンが三つ並んで設置されていた。
実験室の中央やや奥よりには、直径2メートル、高さ50センチほどの円形になった壇が床に設置されていた。そして、その真上には、床の円壇と対になっているかのように、同じくらいの直径の円柱の機械が1メートルほど天井から突き出ていた。その円柱の下部には3つの透明な半球が取り付けられている。そして、これらが装置の核となる部分であった。
アマンダは、壇に向き合う形で設置されているオペレーター用のコントロールステーションに向かうと、その席に座り、やや緊張を感じながら、これまで幾度と無く動作テストを重ねてきたコンソールを見つめる。まだ、電源が入っていないためにスクリーンは真っ黒で、様々な計器類も動いてはいなかった。
いよいよだという緊張で、ふうっとため息をついた時、入り口の自動扉が開く音が背後から聞こえた。振り返ると、入ってきたのは、アマンダの母であり、ロバートの妻であるヘレンだった。
「お母さん」
「もう始まるのね。邪魔にならないように私はここから見せてもらうわ」
ヘレンは、手に持っていた救急パックをかるく掲げて、入り口のそばに立つ。二人と同じように白衣姿であったが、ヘレンは科学者ではなく医者であった。普段は、この近くの病院に勤務しているのだが、今日は、緊急時のためにここで待機することになっていた。それに、夫の研究が成功するところを見たい気持ちもあっただろう。それは、まさに、人類にとっての偉業ともいうべき成果なのだから。
「よし、揃ったところで、始めるとするか」
「ええ」
「本当なら、みんなにも見てもらいたかったがな……」
「お父さん……」
ロバートの言葉には、苦く悲しい響きがあった。
おそらく、ここにいるはずだった人を思い出しているのだろうと、アマンダは思った。
そして、同時に、自分の分身ともいうべき双子の姉もここにいないことに気づかされる。
「そうね、それに姉さんだって……」
アマンダは、ふと胸の赤いペンダントに手をやった。これは、姉に会えなくなってから、知らないうちに身についた癖である。
「……ああ、そうだな」
この実験室にはアマンダとロバートの他にも、数名の研究者仲間がいた。だが、ヴェルガン人による半年前の攻撃により、この惑星のほとんどが焦土となった際、全員が犠牲となったのだ。
そして、アマンダの双子の姉レイチェルもまた、この攻撃により行方不明になった。
アマンダたち三人は、自宅が研究施設の敷地内にあったこともあり、攻撃の最中この地下深くの実験室に逃げ込むことができて無事だったが、レイチェルは、ここから数十キロ離れたリトルワース基地の研究所に招聘され、基地内に居住していた。そして、基地は全滅したと聞かされている。それ以来、レイチェルの消息は分かっていない。
ただ、アマンダは、レイチェルが亡くなったとは思っていなかった。これは、なんの根拠もなく単なる双子の勘としかいいようがない。もちろん、生きているならなぜ家族がいるはずのここに戻ってこないのかという疑問は残る。むしろ、戻ってこないこと自体、生存していない証拠といえるかもしれない。しかし、小さい頃からずっと感じてきた双子としての直感が、そうではないと告げているのだ。そして、アマンダはそれを信じていた。
「まあ、いいわ。また戻ってきた時に見せてあげれば。……きっと驚くわよね。だって、姉さん、私たちより、自分が研究してたテレポーターを早く完成させるって自信満々だったんだから」
「そうだな。だが、私たちも、まだ完成したわけではない。早速始めようじゃないか。そして、皆にいい報告をしよう」
「そうね」
「よろしい。では、クロノポーター(時間転送機)起動!」
ロバートが、気を取り直したように、やや声を張り上げて命じると、起動を知らせる電子音が鳴り、オペレーターコンソール上のパネルが点灯した。
それに合わせて、アマンダが滑らかにキーボードを叩いて操作を始める。
コンソールのモニターと同じ画面が、実験室の一番奥に取り付けられた3つの大きなスクリーンにも投影された。そこには、複雑なグラフや幾何学的な図形のようなものが、さまざまに形を変えて映されていた。
「起動シークエンスは順調に実行中よ。システムに異常なし」
モニターに映ったデータを確認しながら、アマンダが進行状況を伝える。
同時に、中央の天井から突き出ている円柱形の装置が、起動音らしき微かな音を立て始めた。また、実験室の壁に取り付けられた機器も連動しているのか、計器類やスクリーンが一斉に点灯する。
光を落とした薄暗い実験室が、それらの青白い光でぼうっと明るくなった。
やがて、機械音声がオペレーター席のスピーカーから聞こえてきた。
「くろのぽーたー起動シマシタ。私ハ、管制こんぴゅーたー・あしすたんとノ『くろん』デス」
「よろしくね、クロン。じゃあ、まず、プライマリーシステムの動作チェックをお願い」
クロンに命じながらも、アマンダは目の前のモニターを見ながら、コンソールのキーボードを叩く。
「了解シマシタ。ぷらいまりーしすてむノ動作ちぇっくを開始シマス……、動力部異常ナシ。反物質えねるぎー出力良好。時空転移きゃぱしたナラビニとらんすぽんだハ正常ニ動作中デス」
「エネルギーセルの容量はどう?」
「容量90%充填サレテイマス。補助えねるぎー装置モ動作ヲ確認シマシタ」
「分かったわ。時空微分器とインプローダーのステータスチェックも良好。転送ステージのフォースフィールド制御装置も動作を確認。……お父さん、全てのシステムが準備オーケーよ」
アマンダは、期待と緊張で胸を高鳴らせながら、ロバートを見上げた。
「よし、では手はず通り、試運転を始めよう。クロン、時間指標信号発信開始」
「了解。たいむびーこんノ発信ヲ開始シマス」
「動作ログの記録もお願いね」
「了解デス」
前方の天井から突き出している円柱の下部に取り付けられた、ドーム型の透明な水晶のようなものが赤く光り始めた。同時に、低く唸るような音が聞こえてくる。
タイムビーコンが発信され、いよいよ、クロノポーターの運用が始まるのだ。
ロバートとアマンダが、時間転送機と呼ぶこの装置。
その名の通り、時空を超えて過去と未来に物質を転送できる機械である。
『転送ステージ』と名付けられた円形の壇上にあるものを、過去または未来に転送させることができる。いわば、テレポーターとタイムマシンを合体させたものであった。
ただし、過去と未来に転送できると言っても、この装置には、その運用において大きな制約があった。それは、クロノポーターが初めて起動した日よりも過去には戻れないことである。つまり、運用を始めた今日この日より過去には戻れないため、それより前、例えば、太古の時代に転送することは出来ない。
これは、主にクロノポーターに用いられている理論、そして、システム上の都合によるものである。科学の進歩に伴い、タイムトラベルに関わるさまざまな理論が構築され、その実現には、いくつかの方法があると示されてきた。その中には、任意の過去に飛ぶための方法も存在する。しかし、実際にクロノポーターを開発するにあたり、ロバートが選んだ方法は、二つの時空間を繋ぐトンネルを作り、物体を移動させるというものであった。これは、タイムマシンを作った日よりも過去には飛べないという制限があるが、他の方法よりも実現可能性が高かった。
そして、どうせタイムマシンを作成した時よりも過去に行けないなら、それを逆手に取り、転送先でも同じ装置を使って物体をやりとりするシステムを思いついたのだ。
この発想の転換は、劇的に開発を進めることになった。発着点が常に同じであること、そして、転送の受け手側でも信号を増幅し時空間トンネルを安定させることができるため、実現が容易になる。しかも、タイムマシン自体に航行装置を付けなくてよいため、小型化する必要もない。
そして、これを実現するために、クロノポーターでは、『時間標識信号』が用いれられていた。これは時空連続体を越えて送受信される信号であり、クロノセンサーを使えばどのタイムラインからも測定可能なものである。
転送受け入れ可能状態の受け手がタイムビーコンを発生させ、過去または未来の送り手がそのタイムビーコンを検知し、同調することによって、送り手と受け手がリンクされる。そして、その二点をつなぐ時空間の回廊を作り、タイムトラベルを可能にさせるのだ。
「タイムビーコン発信を確認。クロノセンサーも正常に機能してるわ」
「よし」
二人は、まず簡単な実験をするつもりだった。最初に小さな物体を数分後の過去や未来に送ってみる。そして、安全が確認できた時点で、生物を未来に送る試験に移るつもりだった。最終的には人間を未来に送ることを目指していた。
「では、別の時間軸のタイムビーコンを探してみよう。まずは、過去からだ」
「分かった」
アマンダがキーボードを打つと、画面に様々なデータとグラフが現れる。
「うん、ビーコン発信開始時点からここまではすべて受信できてるわ」
タイムビーコンは、どのタイムラインからも検出可能な信号であるため、つい先程から発信しているビーコンも、過去に発信されたものとしてさかのぼって検出が可能であり、逆に、これから発信し続けるはずのビーコンも、この時点で検出可能なのであった。
「よし、いいぞ」
「なかなか、いい感じじゃない?」
「ああ。今のところは順調だな。それでは、次は……」
ロバートが次の命令を告げようとした、その時だった。
ふと、どこか遠くから、低い地鳴りが聞こえてきたかと思うと、突然、床が激しく揺れ始めたのだ。
振動が装置に影響をあたえるのか、スクリーンや計器類がついたり消えたりを繰り返している。
「きゃあっ」
「むっ、じ、地震だ。クロン、システムの保護を頼む!」
「了解シマシタ」
「あ、あなた……」
背後からヘレンの心配そうな声が響く。
「大丈夫だ、何かに掴まるんだ」
「え、ええ」
ヘレンが入り口に取り付けられていた手すりをつかんで、しゃがんだ。
しばらくの間、揺れ続けていたが、ようやく何事もなかったかのように収まった。
そして、スクリーンや計器類が動作音と共に再び点灯し、実験室内は元の姿に戻る。
「……どうやら、収まったようだな」
「そうね、いつもより激しかったけど……」
椅子に座っていられず、床にしゃがみこんでいたアマンダが、よろよろと椅子に戻った。
「ヘレン、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫よ。さすがに、こう連続じゃ、慣れてくるものね」
ヘレンは、気丈に微笑むと、白衣のホコリを払いながら立ち上がった。
「そうだな」
「クロン、ステータスチェックをお願い」
「確認中……、全しすてむニ異常アリマセン。正常ニ作動シテイマス」
「……よかった。影響はないみたい」
アマンダが安堵の溜息をつく。
「それは、何よりだ……。まったく、ヴェルガンのせいで、この辺りの地殻もめちゃくちゃだよ」
この惑星に侵攻したヴェルガン人の目的は、その後、この惑星の地殻ーマントル境界面に眠る鉱石の採取にあることが判明している。そして、実際、ヴェルガン人たちは各地で採掘を始めているのだ。
ただし、伝わってくる噂によれば、採掘と言っても、上空を行く超巨大宇宙艦から何やらビームを照射し、上部マントルに達するまで地殻に穴を開けるという、荒っぽい方法をとっているらしい。そのため、惑星を覆うプレートに多大な悪影響を及ぼし、各地で大地震が発生したり、突然火山が発生したりしていた。
この研究所がある地域は、以前は、地震も全くなく、火山もないところであったが、ヴェルガン侵攻以来、頻繁に揺れを感じ、ここから少し離れたところに、突如として土地が隆起し火山ができて、マグマを噴出するようになったのだ。
「いずれ、ここも危ないかもしれないわね」
「ああ。急がねばならん……だが、これが成功すれば……」
この実験室は、もともと大規模で危険な実験もできるよう、万が一を考え、かなり頑丈な構造で、しかも地下に作られている。しかし、それでも、火山の噴火だのプレートの異常だのと言った、惑星規模の自然災害に耐えられるものでは全くない。そのため、たとえ、最後にはクロノポーターごと実験室を放棄しなければならなくなっても、その前に、なんとしても自分たちが未来に行って帰ってくる必要があったのだ。
その目的。それは、この惑星を取り戻すことである。
ヴェルガンによる侵略で、ほとんど全ての都市は壊滅状態となり、およそ人類の九割が死亡したと推定されていた。そして、今もなお、全長4キロにもなる超巨大宇宙艦一隻を擁するヴェルガンの軍が、上空を行き交い、この惑星を支配している。
また、彼らが行っている採掘のせいで、惑星のプレート構造が非常に不安定になり、惑星全体が危険にさらされていた。このまま野放しにしておくと、大規模な地殻変動と火山活動で、地表はさらに荒廃し、人類が住めなくなる可能性が高いとみられていたのだ。
だが、敵に対抗しようとも、軍事基地はことごとく破壊され、残存戦力はゼロに等しい。
そこで、ロバートは、未来に飛び、ヴェルガン人に対抗するための方策なりテクノロジーなりを手に入れようとしていたのだった。
これが、荒唐無稽とも言えるぐらいあてにならない手段であることは、二人とも百も承知していた。未来の人類が、ヴェルガンに対抗しうるテクノロジーを持っているかどうかすら分からない。しかし、人類が滅びの間際にいて、しかも他に何の手段も取れない以上、このような不確実な手段に掛けるしかないことも事実であったのだ。
「よし、では、今度は未来に合わせてチューニングしてみよう。クロン、まずこれから五分後までの未来を検索。タイムビーコンを確認してくれ」
「実行中……5分後マデノたいむびーこんヲ正常ニ検出デキマス」
「よし」
5分後の未来までタイムビーコンが検出できるということは、このクロノポーターが少なくともこれから後5分は稼働していることを示す。今日一日は運用実験をするつもりでいるのだから、検出されるのは当然である。
「ここまでは順調だな。さて、次は……」
「じゃあ、実際に物質を転送してみる?」
アマンダが転送ステージのそばに置いてあった、レポジトリウム鉱石の塊を示した。彼らは、まず最初に、化学的に最も安定していると言われるこの素材を、転送実験に使うつもりであったのだ。
「いや、その前にもう少し動作確認をしよう。何しろ、この状況だ。エネルギーも無駄にできんし、故障しても修理できるかどうか分からんしな。念には念を入れよう」
「そっか、……そうね」
アマンダは頷いて、また、コンソールのモニターを見つめた。
ロバートの言った「この状況」という言葉が、痛切に身にしみたのだ。
この状況、それはすなわち、この惑星が廃墟となり、人類が滅亡寸前である状況である。この実験室は、地下深くにあるため難を逃れたが、一歩外に出れば、地上は完全な焼け野原状態だった。この建物も二階より上は完全に吹き飛ばされており、骨格すらない有様だったのだ。
そのような状況では、故障の修理もままならないどころか、エネルギーセルの充填もおぼつかないのだ。事実、反物質エネルギーセルの入手などもはや不可能に近く、人類は文明を維持することすら難しい状態である。ロバートが、実験に慎重なのは当然と言えた。
だが……
「では、もう少し先の未来でビーコンの検出を確認してみよう。クロン、一ヶ月後から一年後までの期間でビーコンを探してみてくれ」
「すきゃん開始……、該当期間にオイテたいむびーこんハ探知デキマセン」
「ん、なぜだ? おかしいな……」
「センサーの異常かしら」
素早い手つきで、アマンダがコンソールのキーボードを叩く。スクリーンには、様々なデータが流れるように表示される。それを読み取るアマンダ。
「うーん、ビーコンのセンサーには異常はないわ。クロン、自己診断プログラムで確認してちょうだい」
「自己診断てすと実行中……、せんさーハ正常ニ機能シテイマス」
「おかしいわね……、じゃあ、本当にビーコンは発信されていないってこと?」
「では、それ以降の未来ではどうだ? クロン、一年後以降の未来からタイムビーコンを検出できるか調べてくれ」
「確認中……」
おそらく、確認に時間がかかるのだろう、ピッピッという電子音がして、様々なデータがスクリーンに映る。
そして、しばらくして、クロンが返答した時、それは納得のいくものではなかった。
「20年後マデ確認シマシタガ、検出デキマセン。引キ続キ、100年後マデヲすきゃんシマス」
「なんで検出できないのかしら……」
「……うーむ」
「もしかして、未来で何かが起こったってこと?」
「それは、考えられるな」
未来の時間においてタイムビーコンが検出されない理由として、最も考えられるのが、クロノポーターを起動していないということだ。
しかし、今日から毎日、過去や未来への転送実験を繰り返そうとしているのだ。一日二日、装置の点検などのためにシステムがダウンしているならまだ理解できるが、年単位でタイムビーコンを発信していないなど考えられない。極めて不自然な状況である。それに、クロノポーターは今のところ正常に稼働しており、5分後の未来から発信されるものは検出できているのだ。ということは、何かがクロノポーターに起こったと考えるのが可能性が高い。
「クロン、これから先、最後にビーコン発信を検知できるのは、未来のいつのものだ?」
「5分50秒後ニ発信サレテルモノガ最後デス。ソレ以降、百年後マデすきゃんシマシタガ、たいむびーこんガ発信サレル形跡ハアリマセン」
それを聞いて、ロバートが顔色を変えた。
「何だと? いかん。これは、まずい。アマンダ、すぐにこの実験室の基幹システムを調べるんだ! 早く!」
「え?」
父の剣幕に、アマンダは驚いた。いつも沈着冷静なロバートが取り乱すことなどほとんど見たことがなかったのだ。それに、なぜこの実験室のシステムをチェックしなければならないのかもピンとこなかった。
ロバートは、アマンダがまだ事態の深刻さが分かっていないことに、じれったさそうに、言葉を重ねた。
「考えてもみろ、私たちはこのあと何度も転送実験を行うはずだった。しかし、あと五分後を最後に、少なくとも百年後の未来まではビーコンを検出できないのだ。ということは、つまり、あと五分で何かクロノポーターが起動できない事態が起こってしまうのだよ」
「あっ」
胸につき刺さるようなショックとともに、ようやくその意味をアマンダが理解した。
「本体には異常がない。それなら、それ以外の何かが起こって、少なくとも私たちが生きている間は、使用不能になるとしか考えられないんだ」
クロンは、100年後までをスキャンし、タイムビーコンが検出されないと言った。その後はどうなるかは分からないが、どちらにせよ、自分たちはとっくに死んでいるのだ。
「分かったわ」
「急いでくれ、もう時間がない」
アマンダは、オペレーター席から立ち上がり、壁に並んでいる装置の一つに走った。それは、実験室全体を管理するコンソールだった。そして、必死にシステムをチェックする。
ロバートは、入口のそばで不安そうに見守っていたヘレンを振り返った。
「ヘレン、お前はウィンスフォードの基地に連絡して、この付近にヴェルガンが来ていないか確認してくれ。もしかしたら、ここが発見されて、攻撃されるのかもしれん。私は、異常な地殻変動がないかどうか確認してみる」
「え、ええ、分かったわ」
ヘレンも、事態の深刻さがわかっているのか、余計なことは何も問わずに、入口近くにある、通信装置に向かった。
こんな地下に作られた実験室にある装置に損害を与えるのは、よほどの大惨事しかない。考えられるのは、実験室に異常が発生すること、または、敵の攻撃が直撃すること、もしくは、天変地異が起こることぐらいだった。
「お父さん、実験室のシステムに異常はないわ」
「ヴェルガン人の攻撃も確認されていないそうよ」
「そうか……、この付近の地殻にも異変は生じていないようだ。さっきのような地震が起こるぐらいはするだろうが……」
「じゃあ、一体何が起こるっていうの……?」
「うーむ」
「でも、あなた。もう、そろそろじゃない?」
クロンは、さきほどのスキャンで、あと5分50秒後を最後にビーコンが検出されなくなると告げた。そして、それからすでに数分が経過している。もう間もなく、その『あと5分50秒後』がやってくるはずなのだ。
三人が不安げに当たりを見回す。
だが、今のところ何の異常も見当たらない。何の異音も異臭もしない。壁の大きなスクリーンは、相変わらず青白く光り、様々なデータやグラフを流れるように表示するだけだ。
「……二人とも。ここは危険かもしれない、実験室内をモニター録画して、一旦地上に出よう」
「分かった」
そして、三人が実験室を出ようとした瞬間だった。
ビービーとけたたましい警報が鳴り響いたのだ。
「緊急事態発生」
そして、クロンが異常を告げる。
一同に緊張が走った。やはり、これから何かが起こるのだ。
「来たか! クロン、報告しろ」
(ということは、やっぱりクロノポーターだったのね……)
クロンに報告を命じるロバートのそばで、アマンダは複雑な思いを抱いていた。
クロノポーターの管制アシスタントにしか過ぎないクロンが警告を出している以上、実験室自体やこの付近の地域で何かが起こるのではなく、クロノポーター自体に異常が発生したことを示している。アマンダは、この場所に異変が起こるわけではないことに少し安堵し、同時に、今これからクロノポーターが使用不能になるという見込みに、不安と緊張を抑えられなかったのだ。
(一体、何が……)
今のところなんの異常も、その兆候も見られないこの装置に何が起こるのか。様々な可能性がアマンダの頭に浮かんでくる。
だが、クロンの返答は、全くの予想外のものだった。
「未来カラ送信サレタたいむびーこんヲ受信シマシタ。コチラヘノくろのぽーと要請信号ガ含マレテイマス。緊急指定ノタメ、コレヨリ自動転送受信もーどニハイリマス」
「え……」
同時に、スクリーンに映っているグラフや幾何学模様が全く異なるものに変わり、これまで青い色調だったものが、赤く変わった。そして、これまでとは違う作動音が聞こえてきた。装置が動き始めたのだ。
「何だと? 未来からの、クロノポート……要請信号?」
クロノポート要請信号、それは、転送するための許可を求めるために、送り手から受け手に対して送られる信号であった。そして、緊急指定されている場合は、受け手が自動で受信するようになっている。
つまり、彼らは突然、未来から何かを送ってこられたのだ。
クロノポーターにその機能をつけたのは、当然ながらこの装置を開発したロバートとアマンダ本人である。これは、自分たちが未来に飛んで武器やテクノロジーを手に入れた後、何があっても戻って来られるようにするためであった。
だが、ロバートとアマンダは完全に不意をつかれた。二人はクロノポーターに何らかの異常が起こることしか考えていなかったため、何かがここに時間転送してくるなど、全く予想もしていなかったのだ。
それは、また、今行っているのがあくまでも試験運用であり、こちらからほんの数分後の未来に転送することしか考えていなかったこともあるだろう。しかし、クロノポーターを起動しタイムビーコンを発信している以上、別の時間からこちらを見つけて転送してくる可能性があることは、当然、予測しておくべきだったのだ。
「……だが、緊急転送とは、どういうことだ?」
「もしかして、何年か後の未来の私たちが、何か武器でも送ってきたのかも知れないわよ」
「おお、それなら……」
ロバートたちは、このクロノポーターを、ヴェルガン人に対抗するための方策を求める手段として運用するつもりだった。となれば、未来の自分たちが気を利かせて、先に何らかの方策を送ってくれたと考えるのも辻褄が合う。こちらから未来に飛んで戻ってくるよりも、エネルギーの節約になるからだ。
「クロン。発信元を特定してちょうだい。『いつ』からの転送?」
甘い期待に流されないよう自分を抑えつつ、アマンダがクロンに命じる。
「たいむびーこんヲ解析シマス。オ待チクダサイ……」
だが、クロンの解析結果は、さらに二人を驚愕させるものだった。
「解析終了シマシタ。びーこんノでーたニヨルト、発信元ハ、惑星標準暦12238年デス」
「えっ?」
「なん……だと?」
それは、一年後でも二年後でもない、一万年後の未来からの信号だったのだ。




