終息のない別離(3)
その日の夕方。日が沈みかけるころ。
一日の修行にひと段落つけて、クリスは村に戻り、広場にある井戸で水汲みをしているところだった。
「た、大変だーっ」
「誰か、助けて!」
「サラ姉ちゃんが!」
サラと一緒に街に出かけていたリーナとヨハンが、真っ青な顔で大声を上げながら、村に駆け込んできたのだ。
クリスは、それを聞くなり、手に持っていた水桶を地面に落とし、子供達に向かって走る。
「リーナ、ヨハン!」
「あ、クリスにいちゃん」
クリスに気がついた二人は、一目散にクリスの方に走ってきた。
「どうしたんだ、一体。サラは、サラはどこにいる?」
クリスは、泣きそうになっている子供たちのまえにしゃがんだ。
その恐怖に怯えた表情から、サラの身に何か危険なことが起こったことは間違いなかった。
他の村人たちも何事かと集まってくる。
「た、大変だよ、ぼくたちが道を歩いていたら、山から魔物が三匹現れて……」
「な、何だって?」
クリスの顔から血の気が引いた。
「でね、サラ姉ちゃんが、『私が魔物を引きつけるから、あんたたちは逃げて助けを呼んできて』って……」
よほど怖い思いをしたのだろう、リーナが泣きじゃくりながら、そう告げた。
「どこで魔物が出たんだ?」
「た、谷を渡ってすぐのところだよ」
「道を曲がったところ」
「吊り橋の向こう側か。分かった」
それだけ聞くと、そばに立て掛けられていたクワを拾って、クリスは駆け出した。
本来なら、魔道士にとって、武器をとって戦うということは屈辱以外の何物でもない。自分の呪文よりも、武芸の素人である自分が武器をとるほうが威力が高いと自ら証明するようなものだからだ。しかし、実際、クリスは攻撃呪文を何一つ使うことができなかった。攻撃呪文を使えない魔道士など、魔物の前では赤子同然である。クリスは、これほど己の無力を呪ったことはなかった。
「お、おい、クリス」
「待てよ、お前一人だけじゃ……」
背後から村人が自分を呼ぶ声が聞こえたが、返事をする余裕もなかった。頭の中は、サラのことだけだったのだ。それに、どのみち、村人たちの中で魔物と戦えるものはいない。そして、カーティス老師はあいにくアルティアに用があるとかで、昨日から不在だった。
全力で街道を走って行くと、しばらくして、子供達が言っていた場所に差し掛かった。
(あっ……)
前方、山沿いの細い街道の上に二体の魔物が倒れているのが目に入ってきた。ピクリともしないところを見ると、すでに死んでいるようだった。
近づいて見ると、それはボースコボルドだった。コボルドの上位亜種で、コボルドよりは大きく、体長は人間と変わらない。ランク1相当と言われており、たいして強力な魔物ではないが、魔道の使えない、しかもうら若い女性のサラには脅威であることは間違いない。
だが、この二体は、真っ黒に焦げて死んでいた。おそらく、サラが呪文の玉を投げつけたのだ。
一瞬、サラが無事に逃げ切れたのではないかという甘い希望が湧き上がる。
しかし
「こ、これは……」
クリスは、自分が気づいた衝撃な事実に言葉を失った。
死体をよく見ると、一方に炎の玉をぶつけられた跡が二つあったのだ。おそらく、一発では効かず、二発撃たざるをえなかったのだ。
(まずい……)
ヨハンたちは魔物が三体出たと言っていた。そして、サラが持っていた炎の玉は三発分である。つまり、サラは三体目と戦う術を持っていないのだ。
(くっ……、どこに行った?)
一縷の希望と安堵も一瞬で消し飛び、今度は不安と焦燥に身を焼かれる思いで、半狂乱のように辺りを見渡すクリス。
すると、街道から山に向かう細い獣道のような林道があり、そこに人間と魔物の足跡が入り乱れているのが見えた。サラは、ここから山の中に逃げたのだ。
すぐさまクリスは林に分け入った。細い上り道を全力で駆け登っていくと、やがて左右二手に分かれる道に出た。あいにく地面は乾いており、足跡などは判別できなかった。
(どっちだ?)
迷っている暇はない。だが、ここで道を間違えると、取り返しのつかないことになる恐れが高い。クリスは、躊躇した。
「クッ」
どちらかに掛けて選ぶしかない、そう思ったその瞬間だった、
「ガアーッ」
突如、横から何かに飛びかかられたのだ。
「うわっ」
とっさに地面に体を投げ出し、よける。見上げると、一体の大きな魔物がいた。しかも、
(ワーウルフ……)
それは、人狼ワーウルフであった。全身灰色の毛で覆われており、巨大な手足には鋭いツメが生えている。野生の狼よりはるかに狂暴で俊敏、しかも強い。
(クッ、こんなときに……)
なんとか戦闘を回避しようと辺りを見回すが、逃げ切れるとは思えなかった。すぐに立ち上がって、クワを構える。
ガアアッッッ
牙をむき出しにして、飛びかかってくる。それを、手に持っていたクワで激しく殴りつけた。
バキッ
しかし、手で振り払われて、弾みで折れてしまう。
「うわっ」
そして、バランスを崩したところをそのまま飛び掛られ、地面に押し倒された。
「くそっ、離せ!」
取っ組み合ったままゴロゴロと地面を転がりながらも、必死に抵抗するが、あっという間にワーウルフにのしかかられ、両肩を押さえつけられ、身動きが取れなくなる。
ハッハッハッ
ワーウルフは狼と同じような激しい息遣いで、クリスを見下ろした。熱い息がクリスの顔にかかる。
「クッ」
何か近くに武器になるようなものが落ちていないか、必死で周りを見回すクリス。その時、右の道を行ったところにある茂みの端に、なにやら紫色にきらめく小さな光が見えた。
ひもの切れたブレスレットだった。
(あれは、僕がサラにあげたものだ!)
偶然引っかかったのか、サラが目印に置いて行ったのかは分からない。しかし、サラは右の道に行ったのだ。
(サラ!)
サラの笑顔が脳裏に浮かぶ。
自分の愛した女性を守りたい、その一念だった。いま正に殺されそうになっているかもしれないのだ。こんなところで、こいつにかまっている暇などない。
クリスは武器を探そうとしていたことなどすっかり忘れ、半ば無意識に炎の呪文を唱えていた。神経が研ぎ澄まされ、これまでにないほどの魔力の高まりを感じる。
『万物を清める炎よ、その力を我に貸し給い、我が敵を焼き尽くせ』
呪文を唱えた瞬間、右手に炎の玉が現れる。初めてまともに呪文が発動した感慨にふける余裕もない。押さえつけられている右手を必死に振りほどき、首を噛みちぎろうとして迫ってきたワーウルフの顔に火の玉を押し付けた。
ギャアア
顔を手で覆いながらワーウルフがクリスから腰を浮かして立ち上がった。その瞬間、クリスも体を引き摺り出して立ち上がり、距離を取る。ワーウルフは顔を両手で覆いながら、気が狂ったかのように悶えていた。クリスは、もう一度呪文を唱え、投げつけた。敵の体が激しく燃え上がる。
グワアアア
そして、ぶすぶすと黒こげになって、ドスンと地面に倒れた。
「や、やった」
思わず、自分の手を見つめるクリス。
これまで、どれだけ練習しても成功しなかった炎の玉を出すことができたのだ。まさに、火事場の馬鹿力だった。
(サラ!)
すぐさま我に返り、激しく後ろを振り返ると、クリスは右の道に行きブレスレットをつかんで、再び走り出す。
だが、しばらく走ったあと、行き止まりに出た。
その向こうは崖である。
しかも、崖の淵には格闘した後のような足跡が残っていた。
(ま、まさか……)
崖のギリギリ端までよって、下を見下ろすと、そこはかなり高いところで、遥か下に大きな川が流れているのが見える。前日の大雨で、激流となっていた。ゴーッと水の流れる激しい音が聞こえてくる。
「サラーッ」
クリスは力の限り叫んだ。だが、返事はない。ただ、激流の音が聞こえてくるだけだ。河原にも誰かいる様子もない。川に落ちたのは間違いなかった。
(サラ……、そんな……)
「サラーッ」
クリスは、淵に両手両足を付いて、ただひたすらサラの名前を呼び続けた。
「……というわけだよ」
そこで、クリスは話を終え、一息ついた。
「そ、それで、どうなったの?」
この後どんな悲惨な結末を聞かされるのかを怯えるように、パルフィが不安げな表情で尋ねる。だが、クリスはそれに軽く肩をすくめた。
「それっきりだよ」
「え、それっきりって……?」
「その後、村人たち全員で捜索したら、下流の川岸で魔物の死体が見つかってね。それは、街道に残っていた死体と同じ魔物だった。その魔物は水死だったから、おそらくもみ合っているうちにサラも一緒に落ちたんじゃないかって……。でも、サラの死体は発見されなかったんだよ。カーティス先生が、息をしなくても水に潜れる呪文を僕にかけてくれて、川の中や、下流にあった滝壺の中にも潜って探したけど、見つからなかった。
それならってことで、昔、宮廷魔道師長だった先生の力もあって、下流の街や村にも人相書を回したり、軍隊も動員して付近の山一帯をくまなく捜索したり、小さな村の村人一人探すのにはあまりにも大規模な捜索をしたんだけど、なんの手がかりも見つからなくてね。結局、死体が上がらないまま溺死と認定されたんだよ」
「そう……だったの……」
「まあ、水の事故で死体が発見されないってことはそんなに珍しいことじゃないしね。あの時は、前日の大雨で川が増水してて、ものすごい勢いで流れてたから、あっという間に下流に流されたのかもしれないし」
「……うん」
「そういうわけでね、それ以来、僕の心はまるで時間が止まってしまったままなんだよ」
「……」
「頭では、分かってるんだ。望みがないって。もう、諦めないといけないって。でも、心の何処かでは、もしかして生きてるんじゃないかって思っちゃうんだよ。死ぬところを見たわけじゃないしね」
「……」
「それにさ……」
クリスは、少し悲しげな微笑みを見せた。
「もし、あの時、死んでたとしても、サラなら幽霊になってもお別れを言いにきてくれるんだって思わずにはいられないんだよ。僕に何も言わずに天に召されるなんてことはないって。こんなこと、自分でもバカだと思うんだけどさ」
「クリス……」
「だからかな……、あれからもう二年以上も経つのに、僕は他の誰も好きになれないんだ。別に、自分を抑えようとか思ってるわけじゃないんだ。むしろ、もうサラのことは忘れて、前を向いて進むしかないと思ってるんだよ。でも、できないんだ、もしかしたら、無意識のうちに、自分が誰かに惹かれるのを避けてるのかもしれない。サラとの約束を破るみたいでね。僕はずっとサラと一緒にいるって誓ったから……」
いかにも、自分はしょうがないやつだと言いたげな雰囲気を漂わせながら笑うクリスの目には、間違いようのないほどの深い悲しみが見て取れた。
大切な人物の死に直面するということは、大きな傷を残す。しかし、死んだという確証がない時、人は立ち直るまでの時間は長くかかるものだと、パルフィは聞いたことがあった。
クリスは、悲しむこともあきらめることも出来ず、どちらともつかない状態でずっと苦しんできたのだ。
「そっか……」
しばらくの間二人は黙っていた。
ややあって、パルフィが口を開いた。
「……でも良かったの? あたしなんかにそんな話をしてさ……。これって、あんまり人には言いたくない話よね」
「いいんだ。いつか君にはちゃんと話さなきゃって思ってたし、それに……」
「それに?」
「なぜかね、僕自身が君に聞いてほしかったんだよ」
「え?」
「あ、いや、なぜかわかんないんだけどね。でも、なんか君に話してよかったよ。少し気が晴れた気がする」
すこし照れながらはにかむクリスを見て、パルフィも頬が熱くなる。
「そ、そう。ありがと、そんな大切な話をしてくれて。あたしも、ちょっとすっきりしたわ」
同時にパルフィは失恋の痛みが少しだけ癒えた気がした。クリスが自分の想いに応えてくれていないのは、自分に気がないからではなく、こんな事情があって、それ以外の女性に目を向ける余裕がないからだ。それなら、まだ自分は諦めるのはまだ早いのではないかと思い至ったのだ。
クリスが、サラのことを乗り越えるのは、まだもう少し時間がかかるかもしれない。しかし、それはそれでいいと思った。クリスが吹っ切れた時、自分が一番そばにいられればいいと思ったのだ。
ちょうどそのとき、コンコンとノックがした。
「どうぞ」
クリスが返事をする。扉が開いて入ってきたのは、グレンたちだった。
「おう、クリス、見舞いにきたぜ。お、なんでえ、パルフィもここか」
「おお。二人とも目が覚めたのだな」
「クリスが意識を取り戻したと伺ったので、お見舞いに来たんですよ。お二人ともお加減はいかがですか」
口々に二人を気遣いながら、三人がベッドのそばまでやってくる。
「二人とも調子はよさそうじゃねえか」
「うむ。安心したぞ」
「もう起きても大丈夫なのですか、クリス」
「うん、あと二、三日もすれば、元どおりだって医者の先生に言われた」
「それは、よかったです」
ルティが嬉しそうに微笑んだ。
「パルフィの方はどうだ? 大事ないか?」
「う、うん、あたしは、大丈夫……」
「なんでえ、その割には元気ねえじゃねえかよ?」
「あ、あの……ね」
パルフィが口籠った。
「ん、どうしたのだ?」
「あ、あたし、あんたたちに謝らなきゃ……」
「あ? ああ、そんなことかよ。いいって、いいって、そんなこたあよ」
「うむ。あの時、おぬしは正常ではなかったのだ。気に病むことはないぞ」
「そうですよ」
「そう言ってくれるのはありがたいんだけどさ……」
「クリスには謝ったんだろ?」
「うん、それはもちろん……」
「じゃあ、いいじゃねえか」
「それに、私たちは傷を負ったわけではないからな」
本当に何でもないというように、ミズキが肩をすくめてみせる。
「で、でも……、でも、あたし、あんたたちにもひどいこと言ったし……」
「なに言ってやがる。てめえにひどいこと言われるのは慣れてるからな。あれくらい、いつも通りじゃねえか」
「ちょ、ちょっと、いくらなんでもあんなひどいこと言わないわよ」
「へえ、そうかあ?」
グレンが、ニヤリとバカにするような顔つきになる。
「なによ、なんか文句あんの?」
罪悪感も一瞬忘れて、パルフィがムキになってグレンに言い返す。
「まあまあ、パルフィ。グレンは君を励ましてるんだよ」
「え? あ……」
一瞬、戸惑ったが、気がついた。グレンはわざと憎まれ口をたたいて、沈んだ気持ちを熱くさせようとしているのだと。
「グレン……」
「ケッ」
「うむ。グレンも、パルフィのことを心配していたからな」
「へっ、まあいい。ともかく、この中でおめえが一番強えってのはシャクだが、オレ様がそのうちおめえより強くなるからよ。今に見てやがれ」
「そうだな。あれだけの強さを見せられれば、またさらに修業に身が入るというものだ」
「私もパルフィみたいに強力な呪文が使えるよう頑張ります!」
「ちょ、ちょっと、あたしはあんたたちを殺そうとしたのよ。実際に、クリスはあたしのせいで……」
「何言ってんだ。あんときのお前はオーなんたらの力に取り込まれて普通じゃなかったじゃねえか」
「その通りだ。むしろ、あの状態で誰も死なせなかったということが称賛に値すると思うがな。師匠殿に聞いたぞ。100年前に同じようなことがあった時は、多くの人間が犠牲になったのだろう?」
「え、ええ」
「でも、今回は誰も命を落とさなかったじゃないですか。結局は、パルフィの良心が勝ったのですよ!」
ルティが誇らしげに宣言した。
「あ、あんたたち……」
皆の優しさと、許してもらえたという安堵感で、ポロポロ溢れてくる涙を止めることはもうできなかった。
「ホ、ホントにバカじゃないの……? あたし……、あたし……」
「ケッ、メソメソしやがって」
「パルフィ、さっきから泣いてばっかりだね」
「だって……だって……」
「ああ、もう、まったくよ。こんなのは本当はオレの役目じゃねえんだけどな。クリスが寝てるんじゃしょうがねえ。ほら」
グレンが両手を広げてパルフィに近づき、グレンにしては優しくそっとパルフィを抱きしめた。
パルフィは、思わぬグレンの抱擁に一瞬身を固くしたが、すぐにグレンの胸に顔をうずめて泣きじゃくった。横から、ミズキとルティがパルフィの頭や背を撫でてやる。
「ごめん、ごめんね、みんな……」
「バッカ。おめえのせいじゃねえって言ってんだろ。だけど、なんだ、元に戻れてよかったぜ」
「そのとおりだぞ。本当に心配したのだからな」
「また、明日から五人でがんばりましょう!」
「そうだね」
クリスもベッドから声を掛ける。
(あたし、本当に良かった、仲間になれたのがこの人たちで……)
グレンの胸で涙を流しながら、心の底からパルフィはそう思ったのだった。




