死闘の果てに(3)
その時だった。
突然、大祭殿の奥で呪文の光がきらめいたかと思うと、何発もの炎の玉が飛んできた。回復士の治療を受けて戦列に復帰した幻術士たちが攻撃したのだ。
炎の塊が次々とパルフィの背中に直撃する。
「きゃあっ」
不意を突かれたパルフィが叫び声を上げた。炎は業火の勢いで膨れ上がり、彼女の全身を包み込む。
パルフィとはやや距離があるため、国王一行には直接影響はない。だが、それでも、炎の熱気が押し寄せてくる。クリスたちは、我知らず手を前にかざしていた。
「陛下、お下がりください。ここは危のうございます」
「あ、ああ……」
アルキタスが、お付の幻術士たちに合図して、国王を後方に下がらせる。そして、同時にクリスたちにも促して、自らも少しパルフィから距離をとった。
だが、炎は一旦激しく燃え上がったものの、すぐに何事もなかったかのように消えていった。パルフィを包みこむようなシールドの淡い光が一瞬輝いて消える。パルフィには全く効かなかったのだ。
「何よ、後ろからいきなり撃つなんて、王女に向かってなんてことすんのよ」
パルフィは苛立った様子で振り返ると、スタスタと幻術士たちの方に歩いていく。
「怯むな。撃て、撃つのだ」
ルキウスの号令に、様々な攻撃呪文が次々とパルフィに直撃する。だが、よほどパルフィのシールドが強力なのか、全くダメージを受けている様子はなかった。
「ああもう、あんたたちの呪文なんて効かないって、何回やったら分かるのかしら」
そして、紫色の玉を出しては次々と投げつけた。それが彼らのシールドに当たるたびに、激しい音が響き渡り、眩いばかりの光がきらめく。
「あれ?」
だが、パルフィが意外そうな声を出した。
今度は幻術士たちも紙のように吹き飛ばされることなく、こらえていた。何人もの幻術士がひとかたまりとなり、前衛にいる数人にだけ防御壁を重ねがけしているらしい。とは言っても、一発食らうごとに、呪文が剥がされていくため、攻撃呪文を唱えている者以外は、常に防御壁の呪文をかけ続けなければならない。そこまでしなければパルフィの呪文から身を守ることができないのだ。
「フン、やるじゃないの。でも、そんなのじゃあたしの相手にはならないわよ……エイッ」
パルフィはニヤリと笑って、今度は特大の炎の玉を出し、投げつけた。
「グワァァ」
その威力にシールドがことごとく剥がされ、幻術士が炎に巻かれ吹き飛ばされる。
「アハハハ。全然ダメだったわね。いくら回復しても意味ないわよ」
血を流しながら床に這いつくばる幻術士と、必死に治療を行う回復士たちを見て、ヒステリックな笑い声を上げるパルフィ。まさにやりたい放題のその様子を、クリスたちはなす術なく見つめていた。
アルキタスがつと国王のそばに寄った。
「陛下、このままでは、埒があきませぬ。いずれ動ける幻術士の数が足りなくなりまする。もはや、この上は……」
「……分かった」
国王がパルフィの方を見つめたまま、苦渋の表情で頷く。
大祭殿中央では、パルフィがまるで獅子が小動物をいたぶるかのように、戦線に戻った他の幻術士たちに攻撃呪文を浴びせていた。ケラケラと愉快そうな、そして不快な響きの笑い声が聞こえてくる。
回復士たちも必死に治療を続けているが、いかんせん幻術士が重傷を負って倒れていくほうが早い。しかも、パルフィに何のダメージも与えられていないのだ。まさに打つ手なしであった。
アルキタスがクリスたちを振り返った。
「お前たち、ワシのそばに来るのだ。これより最後の手段に出る」
「せ、先生。それは、もしかして……?」
「そうじゃ、先ほど言った通り、幻術士たちが自分の生命エネルギーをすべて攻撃呪文に転換し、この大祭殿ごと爆発させる。ワシたちは陛下とともにここから脱出するぞ」
「そ、そんな、待ってください。パルフィをこんな状態で置いていけません。僕たちに説得させてください」
とりすがるように懇願するクリスだったが、アルキタスはにべもなかった。
「おろかなことを申すな。説得してどうにかなることではない。すでに、殿下は、力を覚醒させたことにより、性格が変容してしまっておるのだ。単なる心変わりでも気まぐれでもないのじゃぞ。かく言うお前も先ほど大怪我を負わされたばかりではないか」
「そ、それはそうですが、もう少しだけ時間をください、僕に考えがあるんです」
「しかし……、む、こら、待てと言うに」
「お、おい、クリス」
だが、クリスは、アルキタスの制止を振り切り、パルフィに駆け寄った。グレンたちもクリスを一人で行かせられないと、慌てて後に続く。
「パルフィ!」
パルフィとはやや距離をとったまま、クリスはパルフィの背に向かって声を張り上げた。
すでに、幻術士たちは床に倒れ、戦闘不能状態となっていた。必死に、回復士が治療を行っている。
パルフィがゆっくりと振り返った。そして、バカにしたような眼差しでクスクスと笑う。
「あら、クリス。さっき痛い目にあったくせにまだ何か用? そんなに殺してほしいのなら、いいわよ」
だが、クリスは自分に向けられる殺気にももう構っていられなかった。ここで何とかしなければパルフィは大祭殿ごと吹き飛ばされるのだ。
「パルフィ、もうこんなことやめるんだ。正気に戻ってくれ。でないとこのまま君は処刑されちゃうよ」
「は? 何言ってるのよ。あたしがこんな雑魚に負けるわけないじゃない」
そう言うと、いきなり手のひらに炎の玉を出した。ハッと、クリスたちが身構える。
だが、パルフィは、4人には目もくれず、後ろを振り向きざまに炎の球を投げつけた。そこには、這いつくばったままズルズルと逃げようとしていた幻術士がいた。
「ギャァァァァ」
狙い過たず炎の玉が命中し、幻術士が激しく燃え上がり転げまわる。慌てて回復士が駆け寄って回復呪文をかけた。
それを見て、パルフィがケラケラと笑い声を上げた。
「キャハハハ。せっかく薄暗いから、松明代わりにしてあげたのに」
「パ、パルフィ。なんてことを……」
「て、てめえ、ふざけるのもいい加減にして、さっさと元に戻りやがれ」
「その通りだ、父上も心配なさっているではないか」
「はん、なによみんな仲間ヅラしちゃってさ。気持ち悪い」
「なんだと」
気色ばむグレンを手で制して、クリスは一歩前に出た。
「パルフィ、もう無茶はやめるんだ。僕には分かる。君も心のどこかでは、自分がおかしいことに気がついているんだろう? だから、一緒に元に戻る方法を考えよう。でないと、本当に殺されるよ」
「はあ? 何わけの分かんないこと言ってるのよ?」
いかにも愚かしいことを聞いたと言わんばかりに、呆れた様子で肩をすくめる。
「あたしは、今のあたしが気に入ってるのよ」
「隠してもダメだよ。さっき、僕を撃った時に、ほんの一瞬だったけど、怯えた目をしていたじゃないか。君は、僕に大怪我させたことに動揺していたんだ」
「フン、バカバカしい」
「それは本当なのか、クリス?」
ミズキが背後から問いかける。
「うん」
パルフィに呪文で肩を射抜かれたあの一瞬。激痛に耐えかねて、片膝をつきパルフィを見上げたとき、一瞬だが目が合った。そして、その目に恐怖に似た後悔を見て取ったのだ。それは、本当に僅かな時間で、すぐに、本心が心の奥底に押し込められるかのように消え、高慢で残酷な眼差しに戻った。だが、クリスにはその一瞬でも十分だった。
口ではこれほど酷いことを言うパルフィだったが、その言葉とは裏腹に、クリスを傷つけたことに対して一瞬でも動揺する程度には、人の心が残っているのだ。
「君は完全におかしくなったわけじゃない。心の何処かではまだ前のパルフィのままなんだよ。だから、仲間や罪のない人を傷つけると君も苦しむんだ」
「……」
「ケッ。なら、まだ望みはあるってことか」
「きっと、そうですよ」
「うむ」
まだ完全に人の心を失っていないと知って、グレンたちも希望が湧いてきたようだった。
「うざいわね。勝手にそう思ってなさいよ」
パルフィはその様子が気に入らないらしく、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「それだけじゃないよ」
「……何よ、まだ、なんかあるの?」
今度は何を言い出すのかという表情で、じろりと睨めつける。
「ねえ、パルフィ。僕たちもここにいる人たちも君に攻撃されて、何でまだ生きてるんだろうね? 今の人だってそうだよ。あんな瀕死の状態で君の呪文を食らっても、結局は助かってるじゃないか」
クリスが先ほどの松明扱いされた幻術士の方を指し示した。重傷ではあったがすでに幻術士は回復士の治療を受けて、半身を起こすほどにまで回復していた。
「……何が言いたいの?」
低い声で、パルフィが聞き返す。
「それは、君が本気を出していないってことだよ。君は皆殺しって言ってたけど、さんざん君の呪文をくらっても、まだ誰も死んでいない。確かに、みんな重傷を負った。でも、今の君の力なら、とっくに全滅どころか消滅してないとおかしいんだ。さっきから君は、言っていることとやっていることがかみ合ってないんだよ」
「……そんなの、殺す前にいたぶって遊んでるだけじゃない。バカね」
「そうかな? 君は、ここに来る前、魔族と戦っていた時とは明らかに違うじゃないか。心の奥底では、まだ良心が残ってるんだ。それで、無意識に呪文を抑えてるんだよ。 だから、お願いだ、パルフィ。なんとか元に戻ってくれ。そして、一緒にアルティアに帰ろう」
クリスは真剣な表情でパルフィを見つめた。
ここにテレポートする前、魔族と戦っていた時には、魔族が消し飛ぶような威力の呪文を使っていた。だが、今ここで幻術士たちと戦うときに使っている呪文は、そこまでの威力がない。確かに、百人近い高ランク幻術士たちをほぼ全員戦闘不能にはしている。しかし、見たところ、重傷者がいるだけで誰も死んでいないし、何よりも、追い打ちをかけることなく、回復士が必死に治療するのを放置している。今、こうしている間にも、幻術士が次々と回復して戦闘体制に入ろうとしているのにだ。地面に這いつくばっていた瀕死の魔族たち全員にとどめを刺していたのとは大きな違いである。それに、クリスの肩を撃った呪文もそうだ。魔族と戦った時の力を出せば、即死でもおかしくなかったのだ。
魔族と戦った時と今と魔力に差がないことを考えると、力を抑えているのは間違いない。無論、それは、パルフィの言うとおり、わざと殺さずにいたぶっているだけかもしれない。しかし、クリスは、心の何処かにパルフィには人を殺すことへの逡巡があり、それが無意識のうちに呪文の威力を抑えることにつながっているのだと感じていた。
そして、もしそうなら、まだチャンスがあるのではないかと考えたのだ。何か激しく動揺させるようなことがあれば、もしかすると、パルフィの本心に直接働きかけられるかもしれない。そうすれば、正気を取り戻すのではないか。クリスはこれに賭けたのだ。
だが、これにはひとつ問題があった。
自分が肩を射抜かれて激しく出血してさえしても、一瞬の動揺しか引き起こせないなら、一体何をすれば、パルフィの心を揺さぶることができるのかということである。
クリスは、内心では焦っていた。
「違うかい、パルフィ?」
その不安を隠して、パルフィに問いかけるクリス。
「……」
パルフィは自分の矛盾を突きつけられ、気分を害したのかむっつりと黙り込んだ。
「パルフィ……」
「……うっさいわね。もうあんたの戯言は聞き飽きたわよ。もう黙って」
重ねて何かを言おうとするクリスを苛立たしげにさえぎり、パルフィは巨大な炎の玉を出して、投げつけた。
「えいっ」
「うわっ」
突然の攻撃に手をかざすクリスたち。
バシュッ
だが、火の玉は、クリスたちに掛かっていたアルキタスのシールドで防がれ消滅した。
「あ、あぶねえ」
「防護壁のおかげで助かったようだな」
「で、でも今の一撃でシールドが消し飛びました……」
「チッ、ガチで攻撃しやがって」
「フン、先生まであたしの邪魔をするのね。でもその程度のシールドでは防ぎ切れませんわよ」
パルフィが苛立たしげな目で、後方のアルキタスに目をやる。そして、クリスたちに視線を戻すと、今度は、右手を前に突き出し、左手で支えるように右手首をつかんだ。そして、目を閉じて呪文を唱え出すと、手のひらが真っ白に輝き出した。
「おいおい、次は何だ?」
「パルフィ、もうそんなことをするのはやめてくれ」
「……あたしが、本気が出せないかどうか、自分の身で確かめるのね」
呪文を唱え終わると、目を開け、パルフィは、口を歪めて酷薄な笑いを浮かべた。
「む、いかん。この者たちを援護するのじゃ」
何かを察したのか、後方からアルキタスが、声を張り上げて幻術士たちに命じた。そして、自らもクリスたちにシールドの呪文をかけ直す。
「ハアアアッッ」
パルフィの気合と同時に、掌から眩いばかりの、しかも、大木の幹ほどの太い光線が発射された。激しく放電を繰り返しながら、クリスたちにまっしぐらに向かってくる。
同時に、様々な方向から幻術士たちの防護壁の呪文が飛んできた。
呪文がぶつかり合う音と共に激しい光が辺りを覆う。
だが、クリスたちは無事だった。今度は、パルフィの呪文の波動すら感じなかったようで、手をかざしたまま立っていた。
「……へっ、なんとか防げたらしいな」
「あ、あんなのをまともに受けたら消滅してしまいますよ……」
「さすがに今のは危なかった……」
すぐにまた、アルキタスや回復した幻術士のシールド呪文が飛んできて、クリスたちを守る。
「どうやら、これだけシールドを重ねると、おめえの呪文も防げるらしいな」
「……雑魚のくせに群れちゃって、うっとうしいわね。いいわ、じゃあ、あたしも助けを呼ぼうかしら」
一瞬腹立たしげなパルフィだったが、何かを思いついたのか、クスクスと意地の悪い笑いを見せた。
「どういうことだ?」
だが、それには答えず、パルフィが印を組んで呪文を唱え始めた。油断なく身構えるクリスたち。だが、思ってもみないことが起こった。呪文が発動したかと思うと、パルフィのそばに、全く生き写しと言っていいぐらいそっくりな分身が現れたのだ。しかも、ただの人形ではなく、本物と同じように動いていた。
「な、なんだああ?」
「これは……、分身の術か?」
「まだ、驚くのは早いわよ」
パルフィが、続けて呪文を唱えると、大祭殿中のいたるところに次から次と分身が出現したのだ。おそらく30は下らないであろう。
「パ、パルフィがたくさんいます……」
「だが、分身の術にしては数が多すぎる……」
「分身だけど、舐めてかかると痛い目に合うわよ」
パチッとパルフィが指を鳴らすと、分身たちが一斉に、幻術士たちとアルキタスに攻撃を始めた。
途端に、大祭殿に恐慌が巻き起こる。
「いかん、動けるものは迎撃せよ!」
ルキウスが慌てて命令を下すが、もうすでに全員が激しい戦いに突入していた。
そして、クリスたちの前にも、左右から二体、挟むようにやってきた。
「ケッ、くだらねえ術を使いやがって」
激しい喧騒と呪文の光が飛び交う中、グレンとミズキが剣を抜き、クリスとルティの前に出て身構える。
「あら、あんたたち、説得するとか言っちゃって、結局あたしに剣を向けるんだ?」
「何言ってやがる。こんなのおめえの偽物だろうが」
「ふーん。やっぱり、あたしの事なんて仲間とも思ってないのね」
グレンの反論も構わず、皮肉るパルフィ。
「まあ、いいわ。この子たちと遊んでてちょうだい。どれくらいで死ぬのか見届けてあげる」
そして、自身は少し離れたところまで下がった。見物を決め込むらしい。
「チッ、偽物と分かっていても気持ちいいもんじゃねえな」
「ああ。どうしても剣先が鈍りそうだ」
「でも、ただの人形じゃありませんよ」
「だな」
「だが、悠長に構えている場合ではないな。いつ何時、大祭殿を破壊するように命令が下るかもしれぬ。クリス、ここは私たちに任せて、パルフィを正気に戻してやってくれ」
「ああ、それがいい」
「でも、説得って言っても……」
アルキタスには、『考えがある』といったが、具体的な方法まで分かっているわけではない。ただ、パルフィの心を揺さぶることができれば、元に戻るのではないかと思いついただけだ。
「要は目を覚まさせてやりゃあいいんだろ。口でダメなら、一発ぶん殴るか、それか、ケツでも引っ叩いてやりゃあいいんだよ」
グレンが、最後はパルフィに聞こえるようにわざと大きな声を上げた。
「な、なんですって!? ちょっと、あんた、なんてこと言うのよ!」
この状態でも羞恥心を感じることができるのか、パルフィは真っ赤になって怒りだした。
「ケッ、それが嫌ならさっさと正気に戻りな。でないと、オレがひん剥いてお仕置きしてやるぜ」
「王女に向かって、よくも侮辱してくれたわね。あんた、もう死罪よ」
パルフィは、また右手を伸ばす構えを組んで、太い光線の呪文を放った。
光線は、ちょうど進路上にいた分身一体を消し飛ばして、クリスたちに掛かっていたシールドに直撃する。
「ぐはっ」
「うわあっ」
何重にもかけられていたシールドが剥がされ、最後は薄くなったシールドごと波動で吹き飛ばされた。血を流しながら、床に這いつくばるクリスたちに、ルティが必死に回復呪文をかけていく。
「くっ、て、てめえ、分身に任せて、見物するんじゃなかったのか」
「あんたが無礼なこと言うからでしょ」
「パ、パルフィ、こんなこともうやめるんだ……」
クリスが、よろよろと立ち上がって、よろけながらもパルフィに向かって歩き出す。
「ふん、そんなに死にたいならあんたから殺してあげる。じゃあね、クリス」
パルフィが炎の玉をクリスに撃つ。
「ぐっ」
クリスに掛かっていた最後のシールドがかろうじてダメージを軽減して、消しとんだ。
「クリス!」
それを見て、グレンとミズキが助けに行こうとする。
だが、目の前にいたもう一体の分身が行く手を阻んだ。
「ちっ」
「くっ、邪魔立てするな」
やむなく2人は分身と交戦する。
「ふん、これで終わりね。えいっ」
とどめの一撃とばかりに、クリスに向かって炎の玉が飛んでくる。
だが、そのとき、防護壁の呪文がどこかから飛んできてクリスにかけられた。分身と交戦中の幻術士の誰かが掛けたのだ。
同時に、別方向から、回復呪文も飛んできた。
防護壁の呪文がパルフィの炎の玉に負けたため、クリスはダメージを受けたが、回復呪文で事なきを得た。
「クリスよ、ワシたちが援護する。殿下を頼む! みな、クリスを守るのだ」
その声に振り返ると、アルキタスが分身数体を相手に戦っているところだった。その合間に撃ってくれたらしい。
「……ホント、さっきからムカつくわね」
パルフィは、眼を細めると、遮二無二クリスに攻撃呪文を撃ち始めた。
「この、この、このっ、いい加減に死になさいよ!」
「ぐううっっ」
息をつく暇もなく飛んでくるパルフィの呪文に、クリスは両手をかざして身を守ることしかできない。かたっぱしからシールドが消し飛ばされるが、同時に、幻術士たちがシールドをかけ直す。そして、間に合わずに受けたダメージは、回復士が回復呪文を掛けていた。
シールドが剥がされてはかけ直し、ダメージを受けては回復させる。
どれくらい、これを繰り返したのか、やがて、パルフィが攻撃をやめ、大きく息を喘がせた。
「はあ、はあ、はあ」
「パルフィ……」
パルフィを見つめるクリス。大きな傷はないが、自分もダメージが回復しきれていないため、立つのがやっとの状態だった。
「お、お願いだよ、パルフィ。もう、やめてくれ、こんなこと……」
「なによ、やっぱり自分が死にたくないだけじゃない」
「違う、君が僕たちを傷つけるほど、君が傷ついていくんだ。僕はそれが見たくないんだよ」
「何言ってるのよ、あんたたちを痛めつけるなんて別になんでもないわよ」
「じゃあ、なんで君は泣いてるんだい、パルフィ?」
静かに、そして小さな子供に言い聞かせるかのように、クリスが尋ねた。
パルフィは、はらはらと涙をこぼしていたのだ。
「えっ?」
パルフィは、そう言われるまで気がついていなかったのか、慌てて、拳で拭った。
「僕には分かるって言っただろう? 君はまだ心のどこかでは、パルフィのままなんだ。だから、僕たちを傷つけた分だけ、君自身も心に傷を負ってるんだよ。もし僕たちを殺せば、もう取り返しのつかないぐらい君が傷つくことになる」
「フ、フン、そんなこと言っちゃって結局自分の命が大切なんでしょ」
「それは違う」
「みんな、なんだかんだ言って、あたしなんて邪魔なのよね」
「そんなこと……、なんでそんなことを言うんだ。これだけ、みんな、グレンもミズキもルティも、それに僕だって君のことを心配してるのに……」
「どうだか。口でそんなこと言われてもね」
「……」
クリスは、目を閉じて何事かを考えたあと、心を決めたかのように目を開いて静かに言った。
「……そうか。分かった」
「な、何よ?」
「そんなに言うなら、僕の命を取るがいい」
「お、おい」
「クリス、何を言うんですか!」
クリスの一言にグレンたちも驚いた声を出す。
「へ、へえ。本気? あたしに殺されてもいいっていうの?」
「ああ」
「頭おかしいんじゃないの? そんなことしてあんたに何の得があるっていうの?」
「得? 得なんて……」
クリスは、首を振ったが、ふと思い至ったようにパルフィを見つめ返した。
「……そうだね。もし君が僕を殺せば、君の中に残っている元の君が大きな衝撃を受けるだろう。そうすれば、もしかしたらそれで君が元に戻るかもしれない。もし、元に戻っても、おそらく君の心には大きな傷が残るだろう。でも、このままじゃ、君は殺されてしまう。それよりは、マシだ。僕は、君が立ち直ることを信じてるよ」
「じゃあ、何? あんた、ホントにあたしのために死ぬって言うの? バカじゃない? あたしのこと……、あたしのことなんて好きでも何でもないくせにさ!」
パルフィはバカにしたように嘲笑ったが、そこにはかすかな苦味のような響きがあった。
「パルフィ……」
クリスは、パルフィの覚醒が始まって初めて、心の奥底に眠る本来の彼女と接することができた気がした。
「そうか……。君は、そんなふうに思うんだね」
クリスは様子を改め、まるで普段のパルフィと話すように、優しい口調で語りかけた。
「パルフィ、僕が君の想いに応えられていないのは本当にすまないと思ってる」
「な、なによ。別に、あたし、あんたが好きだなんて言ってないじゃないのよ。自惚れないでよ」
やや、焦った様子でパルフィが反論する。だが、クリスは構わずに続けた。
「でも、それは、僕が君のことを好きじゃないってことでも、大切じゃないってことでもないんだよ」
「そ、そんなこと言って、結局あたしのことなんて何とも思ってないじゃない。適当なコト言わないでよ」
「……僕は、自分の気持ちはまだ分からない。だから、君が好きかどうかも分からないんだ。でも、これだけは言える。君は、僕にとって僕の命をかけても守りたい大切な人なんだ。それだけは間違いないよ。だから、もし僕が死んで君が元に戻るなら、僕はそれを選ぶ」
「そ、そんなのウソ。そんな口先だけの言葉なんて信じられるわけないじゃない」
「なら、やってみればいいさ」
クリスは軽く肩をすくめて、さらに距離を詰める。
「こ、来ないで! 来ないでって言ってるでしょ」
「来ないでほしければ、僕を殺せばいい」
「クッ」
「ほら、僕はもう抵抗しないから、心置きなくやってくれ。できれば苦しまないようにやってくれるとありがたいけど……」
フッと冗談めかしていうクリスの目は、だが笑っていなかった。クリスが本気なのは誰が見ても明らかだった。
クリスは両手を広げてパルフィの数歩前に立った。
「さあ」
「バ、バカなこと言ってんじゃないわよ……」
あくまで、クリスは自然体であった。それは、迎えに来たから帰ろうと言っている程度の気軽さだった。だが、彼のその気軽さに気圧されたかのように、パルフィがジリジリと後ろに下がる。
「さあ、どうしたの? さっきは僕たちも殺すって言ってたじゃないか。僕はもう君からの攻撃も防いだりしないよ。あ、そうだ」
思いついたように、肩越しに振り返って声を張り上げた。
「すみません、僕のシールドを解除してください」
「お、おい、クリス、本気か」
「クリス、それは無茶です。シールドなしで直撃されたら、即死です。回復が間に合いません」
クリスのすこし後ろで、パルフィの分身と戦っていたグレンたちが驚きと戸惑いの声を上げる。
「いいんだ。さあ、早く、アルキタス先生もお願いします」
「よいのじゃな? 分かった……」
アルキタスは、クリスの背後から返事をすると、呪文を唱えて、シールドを解除する。そして、どうするのかという目で見ていたルキウスにも軽く頷きかけた。
「全員、クリス殿のシールドを解除せよ」
ルキウスの命令に、シールドを掛けていた幻術士たちが解除の呪文を唱える。そして、次々と、クリスの前で半透明に光った壁が現れては消えていった。
「さあ、これで、シールドも解除できたよ。あとは君が僕を撃つだけだ」
クリスは、一歩一歩ゆっくりとパルフィに近づいていく。
「い、いや、来ないで……」
すでにパルフィの声には怯えといっていい響きが混じっていた。
「さあ、パルフィ」
「い、いやよ、そんなの」
「いいから、早く」
「こ、こっちに来ないで……」
「やるんだ!」
クリスが力を込めて声を上げた。
「来ないでって言ってるでしょっ!」
パルフィは、半ばパニックになったかのようにギュッと目をつぶり、あらん限りの声で叫んだ。
その瞬間、だった。
「グフッ」
クリスの胸部から急に光が突き抜けて行ったかと思うと、突然、クリスは苦しげな呻き声を上げた。本人も何が起こったのか分からなかったに違いない、ただ、不思議そうな表情で、自分の胸を見た。そこから、真っ赤な血が急速に広がり、白のハーフローブを紅く染めていく。
「えっ?」
パルフィもただならぬ気配に目を開け、眼前の光景に、何が起こっているのか理解できないという表情をした。自分は何もやってないのだ。それなのに、クリスが胸から激しく血を流している。ひと目で致命傷だと分かる傷だ。混乱した表情を浮かべるパルフィ。だが、クリスの後方、ミズキたちよりさらに向こう側に、幻術士たちと戦っていたはずの自分の分身の一体が、指をクリスの方に向けているのが見えた。分身が呪文を唱えて光を放ち、クリスの背中を撃ったのは間違いない。それが、胸を貫通したのだ。
「あ……」
パルフィは、言葉を失って立ち尽くす。
「パ、パルフィ……」
だが、クリスは胸から血が吹き出るのには構わず、微かに微笑みながら、両手を広げて一歩一歩近づいて行く。それは、まるで時間の流れが遅くなったかのように緩慢な動作だった。
「ヒッ……」
パルフィは、恐怖に満ちた表情で後ずさろうとするが、体がうまく動かないのか、ほとんど後ろに下がることができないでいる。そして、クリスが力を振り絞って最後の半歩の距離を詰め、パルフィを抱きしめた。
「パ、パルフィ……」
「あ……あ……」
恐怖のあまり声が出せないのか、ただ背を反らせて硬直するパルフィ。
「捕まえた。も、もう離さないよ……、さあ、ぼ、僕たちと一緒にアルティアに……帰ろう」
息も絶え絶えに、クリスが耳元で囁いた。
だが、パルフィは激しいショック状態で言葉を失い、ただ抱きしめられるがままになっている。体は強張っているのか小刻みに震えていた。
「あ……あ……」
言葉にならない声を上げるパルフィをクリスは、さらに力を込めて抱きしめ、そして、まるで怯えた子供をあやすように語りかける。
「もういい、いいんだ。これ以上自分を傷つけるようなことは、しないで……元の君に戻ってくれ……」
「あ……あたし……」
パルフィの両手がためらいながらもよろよろとクリスの背中に回されようと動いていく。
「パルフィ……、ぼ、僕は……」
その時だった
「ぐふっ」
なおも言葉を重ねようとするクリスが、また呻いた。背後からまた別の光が突き刺さったのだ。
「えっ?」
「パ……ルフィ……」
クリスは、パルフィに寄りかかるようにしながらも自分を支えきれず、その場に崩れ落ちた。そして、うつ伏せに倒れたまま、動かなくなった。すぐに水たまりのように床に血があふれだす。
「え……あ……」
何が起こったのか理解できないかのように、パルフィが立ち尽くす。だが、すぐに我に返った。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁ」
髪を振り乱して、半狂乱になって叫ぶ。
その瞬間、パルフィの頭は爆発の閃光のような激しさで真っ白になっていた。そして、それまで心の奥底に押し込められていたありとあらゆる感情が、堰が決壊したかのように一気に押し寄せてきた。
(違う。こんなの違う。こんなことがしたかったんじゃない)
オーガスタスの力に対する激しい嫌悪感が体中を駆け巡る。
(あたし、いらない、こんな力なんていらない)
なぜ自分は、こんな力を欲しがったのか。そして、なぜクリスや仲間を傷つけたいと思ったのか。
覚醒が始まってから自分を満たしていた自己嫌悪や嫉妬は、まだ心のなかで荒れ狂い、自分を苛む。しかし、同時に、先ほどまでは思ってもみなかった感情が現れた。
自分が愛されているという認識である。
王女としては失格かもしれない。
兄や姉よりも出来が悪い自分が嫌いだ。
姉よりもちっぽけで王女らしくない自分が惨めだ。
それでも、周りの人間が自分を受け入れ愛してくれているということにようやく気がついたのだ。
エミリアとの会話が心によみがえる。
『パルフィさんのご家族やクリスさんたちパーティーの仲間、そして私やレイチェルも、みんなパルフィさんのことを愛しているということは忘れないでくださいね』
事実、クリスは己の命を顧みず、抱きしめてくれた。そして、命をかけてまで、自分を大切に思ってくれていることを教えてくれたのだ。
(ああ……、あたし、何もわかってなかった……)
なぜ、自分は、ありのままの自分を受け入れることができず、愛されていることに気がつかなかったのだろう。いや、そのことは内心わかっていたはずだ。ただ、自己嫌悪に心の目が曇っていただけなのだ。
あまりにも自分の嫉妬や自己嫌悪から目をそらそうとしたがために、ありのままの自分を受け入れることができず、そして、そんな自分を受け入れてくれているということにも気がつかなかったのだ。
なぜ、これほどに周りが見えていなかったのか。
なぜ、愛されていればそれでいいと思えなかったのか。
なぜ、自分は自分を受け入れることができなかったのか。
そんな身を引き裂かれそうな後悔に押し流されそうになったが、目の前に倒れているクリスの姿が、自分を現実に引き戻した。
「バカバカバカ、何すんのよっ!」
一瞬の動揺から立ち直ると、クリスを撃ち抜いた自分の分身をキッと睨みつけて、紫色の玉を投げつける。分身はものも言わずに消し飛んだ。残りの分身も呪文を解除した。まだ幻術士たちと戦っていた分身も全て消えた。
そして、
「クリス、クリス、しっかりして、クリス!」
クリスのそばにしゃがんで、抱え起こす。それだけで、パルフィの着衣も血だらけになるほどの激しい出血である。すでにクリスの命は尽きつつあるのはあまりにも明白だった。
「クリス!」
「やべえっ」
グレンたちもクリスの元に駆け寄り、そばにしゃがみこむ。
最後方にいた国王の叫び声が響く。
「回復士たち、クリスを見てやってくれ!」
国王の命令で、二人の回復士が走ってきて、すぐに回復呪文をかけた。
緑色の淡い光がクリスを包む。だが、本来なら、それに合わせてクリスの体も発光するはずが、何事も起こらなかった。
回復士が沈痛な表情で報告する。
「恐れながら、クリス様は短時間のうちに回復呪文を掛けられすぎております。もはや、回復呪文は効き目がありませぬ」
「まだ、生きてはおられますが、もう……」
人間にはもともと回復機能が備わっており、回復呪文はその部位の生命エネルギーを瞬間的に吐き出させて、何層倍に増幅することで成り立っている。何度も回復呪文をかけると、生命エネルギーが枯渇し効果がなくなるのだ。
「むう」
「そんな……」
「おい、ルティ!」
グレンが激しく振り返りルティに問う。
ルティは、すでに涙に濡れた目で首を横に振った。
呪文のかかり具合を見れば回復士たちが正しいことを言っているのは明らかだった。それに、この回復士たちは自分よりもランクが高い。彼らに治癒できないものが自分にできるはずがないのだ。
「う、うそだろ……」
「ク、クリス……」
そして、今、クリスは最後の時を迎えようとしていた。




