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公認魔幻語使い(マジスタ)の日常生活  作者: ハル
◆第二巻 未来の古代人たち
33/157

覚醒

(何これ? 一体どうなってるの……)


 レイチェルは、しばらくの間、自分の置かれた状況が全く把握できなかった。

 自分は前の晩、研究棟にある自分の研究室でコールドスリープ(人工冬眠)カプセルに入って眠ったはずだった。脳内に埋め込まれたBIC=ブレイン・インタグレイテッド・コンピューターアシスタントのメンテナンスのためで、12時間の予定だった。ところが、目を覚ますと、視界に入って来たのはカプセルの上蓋でもなく、かといって研究室の天井でもなく、なぜか星の瞬く夜空だった。研究棟は5階建てで、自分の研究室は3階にある。室内から真上を見上げて夜空など見えるはずがない。

 その異常さに気がついてあわてて身を起こすと、そこはまるで野外の遺跡発掘現場のようなところで、まさに今発掘されたかのような状態でカプセルが置かれており、自分はその中にいた。しかもよく見ると、かろうじて倒壊せずに残っている壁や柱は、まさしく自分の研究室のものだった。そしてその向こうは見渡す限り山々と湖が広がっている。

 それだけではない、歴史の本に出てくるような古代の服を着た十数名ほどの男女が、カプセルを取り囲み、畏怖、畏敬、驚愕といった表情で、自分を一心に見つめている。何人かはひざまずいてさえいる。

 近くに大きな篝火が一つ置かれており、辺りがオレンジ色の光に照らされていることもあって、極めて幻想的な古代の儀式の1ページに迷い込んだようである。

 自分の研究室にいたはずの自分が、なぜこのようなことになっているのか、レイチェルは混乱していた。


(それにこの人たちの格好は何?)


 一見すると、昔教科書で読んだ「中世」と呼ばれる太古の時代の服装に見える。

 この一団の長らしい50がらみの男性と、その隣にいる2人はいずれもその時代のものにしては、きちんとした身なりをしていた。そして、その反対側には自分よりも少し若い男女数名がいた。そのうちの一人は12~13才の子供のようだ。いずれも特徴的な衣装を着ている。また、その少し後ろに控えるようにいる数名の者たちは、村人のような服装をしていた。


「ええと、すみません、ここはどこですか? 私、どうしてこんなところにいるのでしょう……」


 とりあえず、現状を把握しようと、レイチェルが周囲の者たちに尋ねる。


「!!」


 しかし、そのことがまるで激烈な驚愕を引き起こしたかのように、後ろの方でひざまずいていた者たちが一様に頭を地面にこすり付けた。そして、何やら祈りの言葉をつぶやいている。残りの者もあまりの驚きのためか、硬直状態でレイチェルを見つめていた。

 この極端な反応に、余計に訳が分からなくなるレイチェル。

 そのうち、そばにいた何人かが我に返ったようで、口々にレイチェルに話しかけ始めた。しかし、それは、まったく聞いたこともない言葉だった。


「☆▼○◎●★▽△□◆◎★▽△□」

「◆△○■○▽■□○◎◇□○」


(えっ? この人たち一体何語を話してるの?)


 レイチェルは、言語の専門家ではなかったが、彼らが今話している言葉は、これまで聞いたことのないようなものであり、しかも、「異なる」のではなく「異質な」響きが感じられた。


(BIC起動。ベス、いる?)


 レイチェルは頭の中で念じ、自分の脳に埋め込まれたBICを呼び出した。

 BICは、人間の能力を補佐するために作られた超小型コンピューターで、脳に埋め込むことにより、人間の意識と連動して作動する。また、高性能の人工知能も搭載しており、頭の中で言葉を話すつもりになるだけで対話でき、まさにアシスタントとして使用されるのだ。また、それに合わせて多数の高機能センサーがつけられている。


(起動しました。何か、御用でしょうか)


 女性の声で、BICが起動した。レイチェルは、自分のBICにベスという名前をつけていた。


(ベス、この人たち何語を話しているの? 言語データベースで調べてみて)


 ともかく、何が起こっているのかがわからないと対処のしようもない。そのためには、まずこの者たちと話をしなければならない。

 相変わらず、この周りの奇妙な人物たちは一生懸命にレイチェルとコミュニケーションをとろうと、身振り手振りを交えながら話しかけている。

 特に自分に危害を加える気はないらしい。むしろ、こちらを敬うようなうやうやしさが感じられる。


(言語データベース起動、解析します……。エラー発生。該当する言語はありません)

(どうして? あなたには世界中の言葉が登録されているはずよ)

(現在使用されている言葉だけではなく、登録されている歴史上のどの言語にも、該当するものがありません)

(どういうことなの……)


 BICのデータベースに登録されていない言語など、記録の残っていない太古の言語ぐらいのものである。


(もしかして、いつの間にか『バーチャルワールド』にリンクされたのかもしれない……)


 バーチャルワールドとは、最近流行の娯楽で、BICを通して、ホストコンピューターと自分の脳をリンクすることにより、実際は眠っていながらも、コンピューターの作り出したまったく別の世界に生きているような体験ができる。多数の人間が同時に接続でき、さまざまなシチュエーションを組み込んだプログラムで簡単に実体験ができる。レイチェルも何度か仲間たちと遊んだことがあった。

 バーチャルワールドは脳とコンピューターを直接つなぐため、現実と区別がつかない。レイチェルは、寝ている間にそこにリンクしてしまい、そして、架空の言語を話す古代人と会話をするようなプログラムに入れられたのかと思ったのだった。

 とりあえず、言葉は通じないのに一生懸命に話してくるその者たちにすこし待ってもらおうと、いったん首を横に振ってから、右手の人差し指と中指を自分の唇に当て、そして、両手の手のひらを相手に向ける振りをした。「話しかけずに、ちょっと待ってて」のつもりである。

 たとえ、バーチャルワールドに出てくる架空のキャラクターたちでも、双方向のコミュニケーションが取れるように作られている。こちらのしぐさに反応するはずだと考えたのだ。

 はたして、そのしぐさを見て、レイチェルの意図が理解できたのか、それとも、今のしぐさが何を表すのかを考えているのかは分からなかったが、周りの者たちは互いにヒソヒソと話して、話しかけるのをやめて、じっとレイチェルを見守った。


(さてと、まずは、状況確認ね。ベス、私がカプセルに入ってから、何が起こったの? もしかして、私、バーチャルワールドに接続している?)

(確認します……。エラー発生。ホストコンピューターとの通信が繋がらないため、確認できません)

(ちょっと、待って。ホストにつながらないってどういうこと? 非常用チャンネルもだめなの?)

(全チャンネル、全回線を全方位検索しましたが、現時点で一切の通信が行われていないようです)

(……ということは、この周りの人とか、この周りの地形とか、みんな本物?)


 バーチャルワールドは、自分の脳とホストコンピューターをリンクして成り立つ娯楽である。通信せずには成り立たない。リンクしていない以上、これは現実と考えるしかなかった。


(そうです)

(そんな……)


 ここに来て、ようやく事態の深刻さが頭に落ちてきた。何らかのアクシデントでバーチャルワールドに接続した、と考えるのがもっとも可能性が高い、というよりもそれしかないように思えたのに、それが否定されたのである。

 それに、ホストコンピューターと接続できないことが、極めて異常だった。ホストコンピューターと一言で言っても、一台の演算装置ではなく、多数のユニットからなる中枢ネットワーク全体を指す。したがって、それが全て止まることはあり得なかったし、アクセスできないことも考えられなかった。


(本当にこれが現実ってこと? そんな……)


 しばし、何をどう考えたらいいのかわからなくなる。背中に嫌な汗が流れるのを感じた。


(もしかして、大昔にタイムスリップしたとか。まさかね……)


 冗談のようなそんな考えがふと浮かんだ。


(……でも、それならこの状況も説明できる……)


 もしそうなら、古代人のような服装も、ホストコンピューターと接続できないことも、つじつまが合う。それに、データベースに登録されていない言語も、古代の一部の部族で話されていた言葉だと考えれば、おかしくない。古代の言語は、記録自体が残っていないものが多いため、BICのデータベースでも登録されていないものがあるはずだからである。

 しかし、それなら一体今はいつなのか。いや、それよりもまずは本当に自分はタイムスリップしてしまったのか。それを確かめなければならない。

 ふと、レイチェルは自分が満天の星空の下にいたことに気がついた。そして、一つのアイデアを思いついた。


(そうだ。ベス、現在の恒星の配置から今が何年かを計算して)


 夜空に見える星は、日時や季節ごとだけでなく、ほんのわずかながら毎年その位置を変えていく。そのずれから、現在の年を推測することが可能なのだ。

 ベスに命じて、レイチェルは夜空を見つめる。自分の見たものはそのままベスにデータとして取り込まれ処理される。


(計算中……)

(もし、本当に古代にタイムスリップしてしまっていたらどうしよう……)


 そんな馬鹿げた話があるわけがない、何かの間違いだという気持ちと、もしかしたらという不安な気持ちのままレイチェルはベスが計算を終えるのを待った。


(計算しました)


 ベスの声が脳の中に響いてくる。


(いつなの?)


 強い緊張を感じながら、レイチェルが尋ねた。その答えによって、自分の運命が決まるのだ。


(惑星標準暦12238年です)

(え?)


 レイチェルは、ベスに言われたことが一瞬理解できずにとまどった。


(ごめん、私、聞き間違えた? もう一回言ってちょうだい)

(はい。恒星の配置から計算すると、現在は惑星標準暦12238年です)

(え、ちょっと待って、1200年ならともかく、12000年って何なのよ?)


 この古代人のような服装から見て、てっきり、標準暦1200年~1400年程度ではないかと予測していたレイチェルはあまりの差に半ばパニックになった。惑星標準暦12238年、それは自分のいた時代から1万年以上未来である。


(そんなわけないでしょ。もう一度確認して)


 しかし、そう指示しながら、レイチェルはベスが間違っているはずなどないことを知っていた。コンピューターは計算ミスなどしないのだ。


(再計算中……。やはり、惑星標準暦12238年です)

(こ、こんなことって……)


 何かの悪い冗談に違いない。そう思い込もうと必死になるが、自分の科学者としての理性がそれを許さなかった。たとえ、いかに理不尽に見えようとも、ありえない話に思えようとも、証拠がそう指し示してしているなら、少なくとも反証が提示されるまでは、それが真実なのだ。「信じたくないから、信じない」では科学者はやっていけない。

 恒星の配置はきわめて単純な、そのかわり、強力な証拠である。誤差もせいぜい数ヶ月のはずだった。


(私は……、私は、過去にタイムスリップしたんじゃない……。1万年も未来に来たんだ……)


 想像をはるかに超えるあまりの出来事に心が押し流されそうになる。


(一体なんでこんなことに……)


 しかし、それと同時に一つの疑念が湧き上がってきた。


(いえ、ちょっと待って、タイムスリップなんて、そう簡単に起こるわけじゃない。それが寝ている間に起こるなんてありえないわ)


 ここで、レイチェルはもう一つの仮説を思いついた。もし、タイムスリップではないとしたら? この、いかにも「発掘されたところ」という状況を見て、レイチェルは最悪の結論が待っている気がした。


(……ベス、私がカプセルで寝ていた時間を教えて)

(10044年235日16時間48分27秒です)


 ベスの答えが頭に鳴り響く。この答えに、初めてレイチェルは頭を殴られたような衝撃を受けた。この数字が全てだった。


(そ、それじゃ、タイムスリップしたんじゃないんだ……、単に、私が寝ている間に1万年が過ぎただけなんだわ……)


 その事実に茫然自失となるレイチェル。

 タイムスリップなら、何らかの理由で自分が元いた時空連続体を離脱し、別のタイムラインに飛んだことになる。つまり、今自分がいるのは、自分が元いた場所ではないという意味で、「元の時間に帰る」希望も持てよう。しかし、寝ている間に時が過ぎたのなら話は別である。本当にそれだけの時間が過ぎてしまったのだから、帰るも何もない。そこが自分の居場所なのだ。


(そんな……)


 前日の夜寝て、次の日起きてみたら1万年が経っていた。

 人間にはあまりに長い時間である。

 自分の知っている人など、もう1万年も前に死に絶えているのだ。


(リチャード……)


 ふと、レイチェルの心に恋人の笑顔が浮かんだ。彼は同じ施設内で勤務していた同僚の研究員だった。そのリチャードもとっくに死んでいる。

 自分の家族や知り合いの子供や孫、さらにその孫も、そのまた孫ですら、もう生きてはいない。自分の生きてきた痕跡さえ残っていない。それどころか社会や人間のありようすら変わってしまっているだろう。一万年とはそれほどに長い。自分のいた時代から一万年前なら石器時代であり、それと同じ時間が経ってしまったのだ。

 時の重さに、急に猛烈な孤独感と喪失感に襲われる。


(みんな……いなくなってしまった……。私は一体どうしたらいいの……)


 この状況を受け止めかねて、涙がこみ上げてくる。

 そして、ひとしずく頬を伝って流れ落ちた。

 それを見て、また周りの者たちがうろたえたかのように、わけの分からない言葉で一生懸命に話しかけてきた。

 言っていることは理解できないが、その様子から、この者たちは、自分を心配してくれているようだった。

 その様子をぼんやりと見つめるレイチェル。もう全てが現実感のない出来事にしか感じられなかった。


 そのとき、ベスの声が頭に響いてきた。


(言語解析終了。データベースにはありませんでしたが、解析できました。接続しますか?)


 レイチェルは我に返る。


(あ、そ、そうね。つないでちょうだい)

(了解。接続します)


 その瞬間、周りの者たちの言葉が、意味として脳に流れ込んでくる。BICの言語データベースは脳に直接つながれているため、母国語と同じように処理されるのだ。


「どうしました? どこか痛いのですか?」

「大丈夫ですか?」


 相変わらず、熱心に話しかけてくる周りの者たち。


(何て言ったらいいんだろう。こんなとき)


 孤独感と喪失感を感じているにもかかわらず、まだ非現実的な状況に実感がわかない自分が不思議だった。


(まあ、いいわ。とにかく何か話さないと……)


 レイチェルは心が決まった。そして、初めてこの周りの者たちを自分と同じ人間として見つめた。


「もしもし、僕たちの言葉が分かりますか」


 ちょうどそのとき、自分の右横にかがんでいる、優しそうな青年が心配そうに自分に声をかけてきた。

 レイチェルはそれにうなずく。

 そして、思い切って話しかけた。


「初めまして。私の名前はレイチェルです」




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