第3話 崩壊の瞬間
放課後。
教室の窓から差し込む夕焼けが、静かに机を染めていた。
昼の喧騒が嘘のように、校舎は落ち着きを取り戻している。
田中太郎は、一人で席に座っていた。
「……帰るか」
鞄を持ち上げる。
だが、なぜか足が止まる。
昼休みの出来事。
濡れた鞄。
そして――あの視線。
高城翼。
(あいつ、何だったんだ……)
太郎は眉をひそめる。
思い出そうとすると、妙に引っかかる。
見下しているわけでもない。
憧れているわけでもない。
ただ、「見ていた」。
まるで――値踏みするように。
「……気に入らないな」
小さく吐き捨てる。
その瞬間、自分でも驚くほど強い感情がこみ上げてきた。
苛立ち。
焦り。
そして、ほんのわずかな――不安。
(俺が、中心のはずだろ……)
そのはずなのに。
なぜか、自分の足場がぐらついているような感覚。
太郎は首を振る。
「くだらない」
そう言い聞かせ、教室を出た。
校門を出ると、夕焼けが一層濃くなっていた。
生徒たちが帰路につき、ざわめきがゆっくりと遠ざかっていく。
「太郎くーん!」
後ろから声がかかる。
振り返ると、クラスの女子が手を振っていた。
「一緒に帰ろうよ!」
「今日さ、新しいカフェ見つけたんだって!」
いつもの光景。
いつもの誘い。
太郎は一瞬、笑顔を作ろうとした。
――だが。
「……今日はいいや」
自分でも驚くほど、冷たい声だった。
「え?」
「どうしたの?」
女子たちが戸惑う。
太郎は視線を逸らしたまま、短く言う。
「ちょっと、一人になりたい」
そのまま歩き出す。
背後でざわめきが起きる。
だが、それすらも遠く感じた。
(なんでだ……)
胸の奥が、ざわついている。
満たされているはずなのに。
全部うまくいっているはずなのに。
――つまらない。
その感情だけが、やけに強く残っていた。
気づけば、太郎は人気のない道を歩いていた。
住宅街の外れ。
街灯がぽつぽつと灯り始める。
静かだった。
静かすぎて――
自分の心の音が、はっきりと聞こえる。
(俺は、もっと上に行けるはずだ)
(こんな場所で終わる人間じゃない)
(全部、俺の思い通りになるべきだ)
その思考は、少しずつ形を変えていく。
願望から――
確信へ。
そして。
歪みへ。
「……邪魔なんだよ」
誰に向けた言葉か、自分でも分からない。
ただ、口からこぼれた。
その瞬間だった。
キィィィィ――ン……
耳鳴りのような音が響く。
太郎は足を止めた。
「……?」
空気が、歪んでいる。
目の前の景色が、わずかに揺らぐ。
まるで、水の中にいるような感覚。
「なんだ……これ……」
一歩、踏み出す。
その瞬間。
視界が、白く弾けた。
――ようこそ。
どこからともなく、声が響く。
意識が浮かぶ。
体の感覚がない。
ただ、存在だけがそこにある。
「……誰だ?」
問いかける。
返事はない。
だが、代わりに――
無数の光が、太郎の周囲に現れた。
スキル。
能力。
力。
言葉では説明できない“何か”が、流れ込んでくる。
「……これは……」
理解した。
これは、選択だ。
力を得る機会。
普通の人間では終わらないための――
“チャンス”。
その瞬間。
太郎の中にあった迷いが、すべて消えた。
代わりに残ったのは、ただ一つ。
欲望。
(全部、手に入れる)
(上に行く)
(誰よりも――強くなる)
光が、一つだけ強く輝いた。
それに手を伸ばす。
触れた瞬間――
世界が、崩れた。
気づいたとき。
太郎は、見知らぬ大地に立っていた。
空は広く、風は重い。
遠くに、巨大な影がうごめいている。
「……ここが」
ゆっくりと、口元が歪む。
「新しい世界か」
胸の奥が、熱い。
現実では感じたことのない感覚。
――満たされる予感。
「いいな……」
その目は、もう以前の太郎ではなかった。
優しさも。
遠慮も。
すべて、置いてきた。
残ったのは。
欲望と、支配。
「ここなら……」
一歩、踏み出す。
「全部、俺のものにできる」
風が吹く。
その中で、太郎は静かに笑った。
それはもう、かつての“中心にいる優等生”の笑顔ではない。
――世界をねじ伏せる者の、笑みだった。




