9 突然の訪問、そして滞在
クラウディアは手紙をしたためる。
「えっと、ヴェーラー公爵の長男であるフェリクスが、貴方に会いたいそうです」
宛先は、もちろんテオだった。テオに、フェリクスがやってきたことそしてフェリクスがテオに会ってみたいということを書いておかなくては、と筆を取っているのだが、どう書けばうまく伝わるのかクラウディアは困っていた。
それも未だにフェリクスはテオのことを誤解している。きっと本心を隠しているだろうが、ヴァルトブルグを乗っ取るのではないかという敵対心を持ったまま接してくるだろう。テオも心算をしておいた方が楽だろうと、手紙を書いているのだが、伝えるのは難しい。
「うーん、フェリクスは貴方のことを誤解していて、……なんかわかりづらいわよね…フェリクスは貴方が爵位を狙っていると思っていて……これはテオに失礼だわ」
手紙はなかなか進まず、クラウディアは投げ出したい気持ちになるが、こんなことになったのは自分のせいであるので、そういうわけにもいかない。
「シンプルでいこう!手紙の文面で知るよりも、直接会ってあらかじめ話しておけばいいのだし」
クラウディアはテオへ手紙を書き始める。フェリクスが会いたいと言っているので、今度会うことをお許しください、と。
「なぜ、フェリクスがいるの?」
今日テオが来るということは、フェリクスにはあえて言っていなかった。テオが来てから、早馬を出せばいいだろうと思っていたのに、テオを待っていたはずが、現れたのはフェリクスだった。
「なんとなく、今日来る気がしたから」
きっとカールかハンナあたりがフェリクスに知らせてしまったのだろう。ヴェーラー公爵家とヴァルトブルグ侯爵家は家族ぐるみの付き合いだったため、カールとハンナはフェリクスに親戚の子どもに接するように甘いところがある。
「フェリクスにこの間聞かなかったけれど、テオに会ってどうするの?テオに婚約をやめろ、とかそういうことを言うのならやめてほしいわ」
「俺がそういうことを言うと思う?直接は言わないつもりだよ。とりあえずどういうやつか、見極めたいだけだ」
「……くれぐれも、失礼なことはしないでね」
念には念を入れて、クラウディアはフェリクスに言ったが、果たしてフェリクスはわかっているのだろうか。クラウディアには表情の変わらないフェリクスの真意はわからない。
クラウディアは一緒にいなくていいと言ったが、フェリクスは玄関で一緒にテオを待つと言って聞かない。クラウディアとしては、フェリクスに会う前にテオにフェリクスのことを話しておきたかったのだが、それは叶わなそうだった。
「とんでもない美丈夫なんだろ?母さんが言っていた」
「……まあ、そうだろうけど、私は顔を知らなかったから」
仮面舞踏会のルールをフェリクスも知っているはずだ。告白をするまではお互いの仮面を取ってはいけないことを。
「周りはそう思わないだろ。お前が顔のいいやつを選んだと思ってる。特に参加しなかった貴族は」
きっと噂は噂を呼び、テオの容姿はかなり誇張されているだろう。顔の良い平民を選んだ、ときっとクラウディアの評価はさらに爆下がり担っているに違いない。
「……もう今更私は悪く言われても気にしないわ」
「俺は気にする」
「それはどうもありがとう」
クラウディアはもう諦めているが、こうやって今も噂に憤慨してくれる貴族は、ヴェーラー公爵家の3人くらいだ。
「おいでです」
外を確認したカールの声に、クラウディアは背筋を伸ばす。フェリクスがいなければ、久しぶりに会うことを単純に楽しめるのに。
会うのが、楽しみ。
クラウディアは、テオに会うのが楽しみだったということに、気づく。その気づきに、名前をつける前にテオが扉から現れる。
「ご機嫌よう、クラウディア」
テオは、小さな向日葵の花束を手にクラウディアにいつものように笑いかけた。が、クラウディアの隣に亜麻色の髪の男がいるのに気づくと、今までにない表情を見せた。戸惑い、の顔というのだろうか。
見たことのない男がいれば、そうなるだろう。
一方フェリクスの顔も見てみると、こちらもなんとも言えない表情をしている。テオの美しさに、驚いているのだろうか。しかしそれというより、やはりこちらも戸惑いの顔に近いのかもしれない。
なぜか無言になっている2人に、クラウディアは慌ててテオに声をかける。
「ご機嫌よう、テオ。今日は遠くまでありがとうございます。えっと、こちらは、前に手紙で書いた……」
「こんにちは、初めまして。クラウディアの親戚、ヴェーラー公爵の長男、フェリクス・フォン・ヴェーラーです」
クラウディアの紹介を遮り、フェリクスが話す。本当なら身分が低いテオから挨拶すべきなのだろうが、フェリクスも平民が相手なので気を使ったのだろう。とはいえ、フェリクスの少し棘のある言い方に、クラウディアは内心穏やかではいられない。
「こんにちは。クラウディア嬢の婚約者、テオ・ルグランと申します」
テオは頭を下げ、フェリクスに挨拶をした。テオはそのまま、駆け寄ったクラウディアに向日葵の花束を手渡す。
「もう向日葵の季節になったそうで、市場で綺麗だったのを買ってきました」
「ありがとうございます」
テオからのお土産に、クラウディアは喜びを感じるものの、後ろに感じる視線のせいだろうか、素直に喜ぶ素振りを見せづらい。
「ルグランさん、しばらく私も滞在させてもらうことになりまして。よろしいですか?」
フェリクスは、テオに了承をとる。
滞在?会うとは言っていたけれど、滞在するとは聞いていない!
カールあたりにもう承諾を取っていたに違いない。クラウディアはフェリクスを睨みつけてやるものの、フェリクスはどこ吹く風といった様子だ。
「クラウディア嬢が良ければ。私も滞在させてもらっている立場ですから」
いつもそうだが、テオの貴族へ対する態度は、百点満点だ。自分の本音を決して相手に見せることはない。
クラウディアは向日葵を抱きしめたまま、何をするのが最適解なのかわからず、「とりあえず、お茶でもいかがでしょう?」と提案することしかできなかった。
助けて!カール!何か話題を提供してくれる?
クラウディアは視線で、フェリクスの後ろで待機しているカールに訴えるものの、カールでさえもこのなんとも言えぬ雰囲気に口を挟めない様子だ。
フェリクスもテオも黙って、お茶を飲んでいる。フェリクスはクラウディアの向かい、テオはクラウディアの隣に座っているが、つまりフェリクスとテオは向かいあった状態なのだが、何も会話がないのだ。
「えっと、フェリクスは、隣国で外務官補佐をしていまして……えっと、21歳なので、テオの一つ下ですね」
「そうですか」
テオの相槌は穏やかなものだったが、それ以上会話が発展しそうにない。
「テオは、平民向けの税務や法務関係の仕事をしているそうで……」
フェリクスに至っては、返事もろくにない。
フェリクスはこんな無礼を働く人じゃないはずなのに、今日の態度はなんなのだろう。クラウディアは、困惑する。
そして無言が恐ろしいクラウディアは、1人でひたすら話しかけるものの、2人の反応はほとんどないままで、頑張ったクラウディアも20分ほどで音を上げることに決めた。
「テオも、フェリクスも、疲れていますよね!部屋で夕食まで休んでください。私も少し仕事をしようと思っていたので」
クラウディアはパンッと手を打ち、立ち上がる。目でカールに合図するとカールも頷いた。
「カール。フェリクスを部屋まで案内してくれる?」
「かしこまりました」
フェリクスに有無を言わさず、貴賓室から半ば追い出し、クラウディアはふうと息を吐いた。
「気を使わせてしまいましたね」
クラウディアのため息を聞いて、テオが言う。
「フェリクスが、すみません。心配性なんです、昔から」
「親戚の妹のような存在がいれば、心配にもなりますよ」
テオは笑った。いつもの笑み、ではないような気がして、クラウディアはどう言葉を続ければいいのか一瞬迷う。
「多分、テオが平民だということを気にしていて……それで、あのようによくない態度をとっているのかな、と……思います。でも、普段のフェリクスなら、平民だからとか貴族だからとかで人を判断しない人で……どうしてなのか、私もよくわからず……テオに不快な思いをさせてしまってすみません」
「あなたも謝る必要はないですし、ヴェーラー様も謝る必要がないですよ」
こうやって、いつもテオは穏やかだが、不満に思うことはないのだろうかとクラウディアは考える。クラウディアは比較的いつも自分の感情を曝け出すタイプだと思っている。思っていることが顔に出やすい、とフェリクスにも言われてきたので、貴族などの前では気をつけているつもりだ。それに比べて、テオは決して乱れないし怒らない。
「……夕食の時も、一緒にとるのは、大丈夫ですか?」
夕食の時は終わるまで逃げようがないからクラウディアは心配だ。
「大丈夫です」
テオはいつものように言い、そしてフェリクスが去った貴賓室の扉を少し眺めていたのだった。
2人のことが気がかりだったが、クラウディアは今日の仕事を済ませた。おそらくテオは自室で仕事をしていただろうし、フェリクスも自分の部屋にいたか、適当に過ごしていただろう。フェリクスがこの屋敷に来るのは、子供の頃は珍しいことではなかったからだ。カールやハンナあたりと話でもしていたのかもしれない。
3人が一堂に揃った食堂で、いつものような夕食が出されていく。そして、やはりぎこちなさがあるのがクラウディアでもよくわかる。必死でクラウディアも話題を提供していくが、今日の2人の反応はあまりにも薄く、とりあえず早く食事を済ませようと必死だった。
「クラウディア、この今日のメインの肉は、ずいぶん違うな」
フェリクスがメインディッシュの牛肉の味の感想を述べる。
「気づきましたか!そうなんです、今日のお肉は、新しい品種を用意した上で、放牧した牛を使っているんですよ」
クラウディアは目を輝かせる。
「貴族や富裕層の消費をよくしたかったので、美味しいお肉を作ろうと思って、色々な国から色々な牛を生きたまま輸入してみたんです。それで、この牛は、放牧のみのぎゅっと引き締まったお肉なんですが、程よく脂肪がついていて、断面も綺麗なんです。味もとけて最高ですよね。レアで焼いてもとても美味しいですよ。これなら確実に王宮にも卸せますし、貴族たちからの評判もいいと…………」
クラウディアはニヤニヤと笑うフェリクスが目に入り、話すのをやめた。
やられた。フェリクスはクラウディアがこうやって熱心に話すのを分かっていて、この話題を出したのだ。
クラウディアが仕事や金儲けについて熱を込めて語るところをわざとテオに見せたようとしたのだ。普通の貴族なら、女性がこうやって金儲けの話をすることを嫌悪する。それも牛肉の話という、貴族の女性、いや男性だったとしてもありえない話だ。
テオが普通の貴族だったならば、きっと引いていたに違いない。
「クラウディアは、牛肉などの卸などにも携わっているのですね」
ただ、テオはある意味普通ではないのを、この数ヶ月でクラウディアは知っている。これくらいの話では引かないのは、当たり前だ。
テオは感心したように言って、一口肉を食べ、「確かにとても美味しい」と呟く。
テオが引くだろうという目論見が外れたフェリクスは悔しそうな表情を浮かべていた。
「ヴェーラー公爵のところでも買ってくれませんか?それか、フェリクスの勤め先に薦めてくれると……」
さらにここで止まるクラウディアではない。宣伝までついでに頼むことにする。
「父さんは言えば一頭買いくらいは余裕でしてくれそうだな。職場は、輸入することになるからな、とりあえずヴァルトブルグ産の肉が美味いって話はしておくよ」
「ありがとうございます!」
クラウディアはにっこり笑う。
牛肉自体も比較的高級品であるが、クラウディアはあえて高級なところに目をつけて、自分の領に利益をもたらそうとしていた。基本は収入の低い農民のことを考えて領地経営を行なっているが、ただ農民を支えるだけでは、更なる発展は望めない。そこで家畜の種類を変えたり、そこで品種改良をまた行なってみたりと、より高く売れそうな家畜を選ぶことも行なっている。
ヴァルトブルグの家畜は美味しいという評判さえ回れば、こちらのものだ。庶民向けの安価な肉と差別化することで、さらにお金を取れるはずだと考えている。
「クラウディアと一緒になると、こういう話ばかりされると思いますけど、どうですか?ルグランさんは」
フェリクスはテオに話を振る。
「知らないことばかりなので、楽しいですよ。向上心があっていいですよね、クラウディアは」
見事にテオがフェリクスの言葉を打ち返してくれたことに、クラウディアの方が喜んでしまいそうだ。フェリクスは、少し不満げな表情を浮かべるも、それ以上追求することもなかった。
夕食はそれ以上のことは特になく終わり、クラウディアはホッと自室で一息つく。
「もう一度フェリクスに……テオが言い出さない限り、婚約は解消しないつもりだって言ったほうがいいかしら」
おそらくあのようにフェリクスがテオに対して挑発的なのは、婚約を解消させてやりたいという思いがあるからに違いない。ヴァルトブルグ侯爵の地位を渡さないようにしたいのだろう。
フェリクスが心配してくれるのはわかるが、テオとああやってやりあう姿を見ても楽しくはないし、落ち着かなくなる。
明日も気まずい思いをするならば、今のうちにフェリクスのところへ行って話しておこう、とクラウディアはフェリクスの部屋に向かうことにしたのだった。