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Memory 3 掠めた頭痛

 再び地下四階、記憶捜査第一係室へ。全員揃ってぞろぞろと押しかけた。


「あら? どうしたの勢揃いで。新人ちゃんにさっそく捜査させるの?」

「それが……」


 かくかくしかじか、と御堂島さんは北見さんに事の顛末を説明した。


「あっはははは! 面白い部下を持ったわね、啓吾くん」

「笑い事じゃねぇよぉ……」


 御堂島さんは泣きそうな声だった。僕の教育係とは大変な任命を受けたものだと、僕は他人事のように彼に同情する。


「そういうわけだから、北見さん。二班が捜査していた八王子の殺人事件。あの記憶世界(メモリー・ワールド)を出力してくれ……」

「おーけー。いいわよ。じゃあ新人ちゃん、いらっしゃい」


 北見さんに指でちょいちょいっと招かれて、僕は奥へと進む。そしてあの穴の開いたガラス張りの床の場所まで連れて行かれた。


「じゃ、ここに入って寝てちょうだい」


 北見さんが指さしたのは、卵のような形をしたカプセルだった。改めて見れば、円状のガラス床の縁に沿うようにしていくつもの卵形カプセルが等間隔に並んでいて、半円を描いている。


「これはFANTASYに意識を繋ぐコネクターよ。アナタはここに寝るだけでいいわ。あとは私の操作一つで意識を記憶世界(メモリー・ワールド)にダイブさせられるから」


 そういうことらしい。ちっとも仕組みがわからない僕は身を任せるしかないので、卵型カプセルのコネクターへと体を滑り込ませる。狭いけれど、寝心地はなかなか良い感じだった。


「ちょっと! どうして御堂島さんもコネクターに入ってるんですか!」


 瀧波さんの騒がしい声が響いた。今の僕には天井しか見えないため詳細な様子はわからないけれど、御堂島さんも別のコネクターに入ったらしい。


「さすがに初めての記憶捜査を一人きりでやらせるわけにはいかんだろ……。俺は雨宮のペアであり、教育係だしな。手ほどきくらいしてやらんと。……あと、単純に不安……」


 最後に小声で本音がぽろりしていた。もちろん僕にも聞こえている。あとで嫌がらせをしよう。


「~~~~っ! 絶対手伝っちゃダメですからね! 助言もダメですよ!」

「わかったわかった」


 御堂島さんの苦笑いを浮かべている顔が容易に想像できた。どうやら御堂島さんも一緒に潜るということで決まったようだ。


「じゃあいくわよ。目を閉じてね」


 目に覆い被さるように機械が降りてきて視界が暗く覆われた。


「四日前に起きた八王子の殺人事件の現場へ転送開始。いってらっしゃーい」


 北見さんの声を聞き届けたのを最後に、掃除機で魂が吸取られるみたいな、初めてのはずなのにどこか身に覚えがあるような感覚がして、意識が微睡んでいった。






 目を開けると、僕は見知らぬ部屋の中にいた。周囲を見渡すと、対面式キッチンがあり、テーブルがあり、ソファーがあり……どこかの家のリビングルームらしい。すぐ隣には御堂島さんもいた。アバターなどではなく、現実と全く遜色ない彼が。


「もうここは記憶世界(メモリー・ワールド)の中なんですか?」

「ああ、そうだ。俺たちは今、FANTASYの中に意識を潜らせてる。すげーだろ?」

「ええ……正直驚きました」


 服装はダイブ直前のブラックスーツ姿が反映されている。物に触れた感触もある。声も聞こえる。匂いすら感じる。頬をつねると痛い。恐らく、五感全てが機能している。

 そのあまりのリアルさに、僕はただただ感銘を受けて言葉を失った。ここが記憶世界(メモリー・ワールド)だと言われなければ気がつけないほどのリアルさだ。まるで現実世界と区別がつかない。


「ここは被害女性の駒場(こまば)麗香(れいか)の部屋であり、殺害現場だ。被害者の脳から記憶抽出(メモリーエクストラクション)して得た情報を基に、これから事件の起こった瞬間を再現する」

「被害者の脳からって……殺害されたはずでは?」

「死後二十四時間以内ならメモリーエクストラクションが可能なんだよ。とは言っても、時間経過とともに抽出できる情報量も少なくなるけどな。この事件の被害者は発見当時、死後二十時間が経過していた頃だった。ギリギリだな」

「ならどうして捜査が難航しているんですか? 被害者の脳から記憶を抽出できたのなら、犯人を丸裸にしたも同然なのでは?」

「ま、見てりゃわかるよ。――おーい。北見さん」

「はいはーい」


 御堂島さんが空虚に向かって呼びかけると、耳元にスピーカーがあるみたいに北見さんの声が聞こえた。


「へぇ……現実世界の人とコンタクトが取れるんですね」

「そうよー。私たちはアナタたちの目が見ているものをモニター越しに見ることができるの。つまり、アナタたちの目がカメラ代わりってわけね」


 そういうことらしい。なんだか常に覗かれているみたいで嫌な気分だ。


「じゃあ北見さん。再生を開始してくれ」

「おっけー」


 突然、完全無音だった室内に喧騒が染みこんできた。道路を走る車の音や、空を飛び回る鳥のさえずり、その他諸々の人間の生活音。御堂島さんの『再生』という言葉から察するに、きっと、さっきまではある時点で記憶世界(メモリー・ワールド)の時間を止めていたのだろう。つまり今、世界が動き出した。


 玄関扉が開く音が聞こえた。そして足音がこちらに向かってきて、僕たちのいる部屋の扉が開く。

 一人の小綺麗な若い女性だった。彼女は部屋で待ち構えていた僕たちに驚くこともせず、見えていないかのように、手に持っていた鞄をダイニングテーブルに置いて携帯情報端末(ケータイ)をいじり始めた。

 いや、見えていないかのように、ではなく、実際見えていないんだ。これは言わば、ただの再現映像。僕らはその傍観者……つまり、テレビの前に座る視聴者に過ぎない。


「う……ッ!」


 彼女は突然短いうめき声を上げて体を強ばらせた。そして石になってしまったかのように、そのまま前のめりに床へと倒れ込む。その背中には一本の包丁が深く突き刺さっており、血を滲ませていた。その位置からして、確実に心臓を貫いているだろう。

 それから彼女はもう二度と動くことはなかった。


「以上だ」

「以上だ、って……何ですか今の? 急に死にましたが」


 いくら何でも雑すぎる。すると、さすがに御堂島さんは補足的に説明してくれた。


「死角から一突き。つまり、彼女は犯人をその目に捉えることなく死亡した。これは彼女の脳から再現した世界だからな。それはつまり、彼女が見ていないものは再現できないってことだ。屋外で何かしらのカメラに現場が映っていれば、その映像データから彼女の記憶にない部分を補完することも可能だが、ここはプライベートな室内。衛星カメラだって届かない。だから突然背中に包丁が生えたような再現になっちまうのさ」

「なるほど……そういうことですか」


 あくまで記憶からの再現。見ていないもの、知らないものは再現できない。この事件の犯人もそれを考慮して――あるいは記憶捜査を危惧してというべきか――被害者の視界に入らないように犯行に及んだということだろう。


「強盗事件だろうが殺人事件だろうが、基本的には状況証拠が乏しくてその課や係では犯人の特定が難しい場合に記憶捜査係に依頼が入ってくる。そして俺たち記憶捜査官が記憶世界(メモリー・ワールド)で捜査を行うって流れだ。記憶世界(メモリー・ワールド)ならいつでも事件当時の状態を再現できるからな。たとえ今回のように犯人が映っていなくても、現場検証での見落としがないかを再確認していくわけだ。どうだ、流れは掴めたか?」

「ええ、なんとなく」

「よし、じゃあ好きにやってみろ。瀧波に釘刺されてるから俺は一切手助けしないぜ」


 言われるまでもなく、僕は部屋を歩き回ってみた。

 まずは冷蔵庫を開けてみる。冷気が漂ってきてすうっと肌を撫でた。ちゃんと温度も感じ取れるということだ。

 肝心の冷蔵庫の中身は、スーパーに売っているお総菜の残り、牛乳、缶ジュース、缶チューハイ、瓶ビール……。お世辞にも豊富とは言えない。すっからかんだった。

 オレンジジュースの缶を取り出して蓋を開けてみた。甘酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐる。そしてちょっと一口。……驚いた。味がする。美味しい。


「おい、好きにやれとは言ったけど、真面目にやれよ……」

「僕は至極真面目ですよ」


 飲みかけのジュースをキッチンに置いて次に移る。リビングルームにあるのはダイニングテーブルとローテーブル、ソファー、化粧台に立ち鏡。あとは服や化粧品が散乱していた。あまり片付けが得意ではないようだ。はっきり言って汚い。


「なあ、捜査と関係ないこと訊いていいか?」


 クローゼットの中を物色していると、藪から棒に御堂島さんが口を開いた。


「なんでしょう」

「お前、どうしてあんな悪態をついたんだ?」

「そういう人間だから、としか言えませんね」


 御堂島さんは困ったように頭を掻いた。


「とは言え、もう社会人なんだ、もうちょっと協調性を持つとかさぁ……」

「協調性とは押しつけられるものではなく、自発的なものでなければなりません。あなたに言われたことで僕が無理して周りと調和を保ったところで、それは協調ではなく、ただの強要に成り果ててしまいます」

「とことん偏屈な奴だなぁ、お前……。学生の頃とかどうやって過ごしてたんだよ? 友達は?」

「誰とも関わりませんでした。当然、友達と呼べるものなんて一人もいませんでした」


 人と話すことも滅多になかった。ひたすら勉強だけをして過ごしていた。だから成績ばかりが先走るように伸びていった。

 初めは気を遣って、あるいはイタズラ半分で声をかけてくる人もいた。けれど僕は口を開けばこの有様だ。すぐに誰も近寄らなくなった。


「一人もいなかったって……いくら勉強の成績が良くても母ちゃんが泣くぞ……」

「……母がいたら、そうだったかもしれませんね」

「どういう意味だ?」

「僕に母はいません。父もいません。両親は僕が生まれて間もなく、事故で亡くなりました」


 正確には、僕が一歳半の頃だったそうだ。僕を抱きかかえながら散歩をしていた両親は、横断歩道を渡ろうとした際、信号無視の車に撥ねられた。居眠り運転の車だった。

 父と母は僕を守るため、二人して身を挺して僕を抱きしめたために、自らの身は守れず、頭を強く打って亡くなったそうだ。そんな生まれて間もなくに死別したものだから、僕は両親の顔も写真でしか知らない。


「……あー、その……スマン」


 御堂島さんは『地雷踏んじまった』感を醸し出して、気まずそうに頭を掻いた。


「気にしないでください。両親はいませんが、その代わりに僕は孤児院で――」


 言いかけて、僕は言葉に詰まった。

 そうだ、身寄りのなくなった僕は、田舎の山奥にある孤児院で育った。それは覚えている。なのに、どういうわけか孤児院での日々が思い出せない。『孤児院で育った』という事実だけは覚えているのに、なのに、何をして、どのようにそこから巣立ったか、まるで覚えていない。不思議なことに、すっぽりと記憶から抜け落ちていた。


 言いかけたまま固まる僕を見て、御堂島さんは不思議そうに首を傾げた。


「孤児院で……何だ?」

「……いえ。孤児院で同じような境遇の仲間たちと育ったので、寂しくはありませんでした。家族と呼べるくらい親しい友人も……」


 思い出そうとして、軽い頭痛が脳の奥を掠めた。

 孤児院にいた頃、僕には、兄妹と言っても差し支えないほど親しい友人がいた。薬師川勇希(やくしがわゆうき)という、銀髪が特徴的で、優しく、いつでも笑みを絶やさない人だ。六つ歳上の、本当の兄のような存在だった。けれど……彼だけじゃない。もう一人いなかっただろうか。いつでも、何をするにも行動を共にした〝家族〟が……。


「どうしたんだ? 友達……いたのか?」

「……いえ、なんでもありません。もうこの話は終わりにしましょう」


 僕は頭痛を振り払うように首を振って、強引に話を締めた。


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