↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
数字が人格ですわ!―限界メガバンク行員、貴族令嬢に転生してもノルマから逃げられませんでした―  作者: 財務白関
最終章 本部・事業再生編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/16

第12話 牢獄

栄転だった。


シャルモン市場の譲渡を終えた翌期早々、あたしとカトリーヌへ同時に辞令が出た。


異動先は、ヴァロリア本部・融資取戻部。

王都にある赤嶺銀商の中枢。

一件で動く金貨は、支部とは桁が違う。


「お二人なら、すぐに役員のお目にも留まるでしょう」


商員たちは、祝いの言葉とともに送り出してくれた。


南方アメリの出張所から、王都の大型支部へ。

そして、本部へ。


赤嶺銀商の頂へ、一段ずつ近づいている。


そう思っていた。


-----


「ここが二人の卓だ」


モルヴァン課長に案内された融資取戻部は、窓のない石室にあった。


灯りは、卓に置かれた燭台だけ。

壁際には黒ずんだ信用冊子が棚から溢れ、床にまで積まれている。


あたしとカトリーヌの卓にも、すでに信用冊子が山を作っていた。


「これは?」


あたしが尋ねると、モルヴァン課長は表情を変えずに答えた。


「返済が滞った取引先だ」


課長は山の上から三冊を抜き、卓へ落とした。


「まずは、この三冊を明朝までに分けろ」


「どのように、でございますか?」


カトリーヌが尋ねた。


「返せなくなった先に、道は三つしかない」


課長は、一冊目を卓の左へ寄せた。


「商いを続けさせ、時間をかけて返させる」


二冊目を、その隣へ。


「畳ませて、残った財産から取れるだけ取る」


三冊目を、さらに離して置いた。


「それとも、証文そのものを外へ売る」


あたしは、三冊目の表紙へ手を置いた。


「外へ売る、とは?」


「立て直し商会へ売る」


「立て直し商会、と申しますと」


「焦げついた証文を安く買い、自分たちで取り立てる商会がある。そこへ売れば、その場で金貨は戻る。ただし、額は小さくなる」


課長は、離れて並んだ三冊を見た。


「比べるのは一つだけだ。どの道なら、いつ、いくら戻る」


「……助けるか、畳むかではなく」


あたしは、三冊を見た。


「三つの取り戻し方を並べて、比べる。そういうことでございますね」


「そういうことだ」


課長は、山の残りへ目を戻した。


「当部の商員は、取り戻した額で測られる。それ以外は、評価にならん」


課長はそれだけ言うと、次の卓へ歩いていった。


三冊とも、支部では手に負えなくなり、本部へ送られてきた貸付先だった。


あたしは算盤を引き寄せた。


続けさせる。畳ませる。証文を売る。

三つの道について、いつ、いくら戻るかを並べる。


それを一日中繰り返した。


「本部の仕事は、もっと華やかなものと思っておりましたわ」


「どこへ行っても、銀商に華やかな仕事などありませんことよ」


カトリーヌが答えた。

登商して最初の一年を、この本部で過ごした令嬢の言葉である。


「それにしても、随分と地味ですこと」


支部にいたときと違い、どこにも出掛けず、誰とも会わない。


気がつけば、蝋燭が二本目の半ばまで減っている。

外が明るいのか暗いのかも、この部屋では分からない。

支部には退商の刻限があったが、本部にはない。


退商は、仕事が終わったとき。

そして、仕事は終わらない。


「ダルジャン様」


短くなった蝋燭の火の向こうで、カトリーヌが信用冊子から目を離した。


「支部にいらした頃、本部へ行きたいとおっしゃっておりましたわね。夢が叶いまして?」


あたしは、羽根ペンを動かしたまま答えた。


「わたくしが来たかったのは本部であって、牢獄ではございませんわ」


扇の縁から、カトリーヌの愉快そうな目だけが覗いた。


-----


そうして、二年が過ぎた。


あたしは何十もの商会を仕分け、支援し、畳ませ、その証文を外へ売った。


支部は、新しく貸して数字を作る。

ここでは、いくら取り戻しても、それは本来返るはずだった金貨にすぎない。


戻らない分を少しでも減らし、最後に損を確定させる。

それが、あたしたちの仕事だった。


支部で融資を実行した日は、必ず誰かが祝いの席を設けてくれた。

ここでは、次の信用冊子が卓へ置かれるだけだった。


-----


ある夜。


外出から戻ったカトリーヌが、油の染みた紙包みを卓へ置いた。


「南方アメリのモンバザン市場で人気になったものが、王都でも売られ始めたそうですの。小麦粉を溶いたものにタコを入れて焼いて、『たこ焼き』と申しますとか」


包みを開くと、小さく丸い焼き物が並んでいた。

ソースも青海苔もなく、削った魚の燻製が載っている。


この世界で、たこ焼きを見ることになるとは。


イザベルが話していた、市場の裏で魚介を加工するという構想。

あれが、形になったのだろう。


一つ口へ入れたカトリーヌが、青い瞳を見開き、扇で口元を激しくあおぎ始めた。

涙目のまま飲み込む姿があまりに令嬢らしからず、思わず笑ってしまった。


あたしも一つ摘まむ。

魚の香りが強く、生地は少し固い。

それでも懐かしい味だった。


同時に、頭の隅へ小さな疑問が残った。


加工を増やすなら、沿岸から運ぶ量も増える。

傷みやすいものを、大量に、早く運ぶ手立てはあるのだろうか。


-----


翌朝、早馬が届いた。


サン・マレ支部の取引先であるベルリーヴ造船会が、すべての銀商へ返済の一時停止を申し出たという。


ベルリーヴ造船会は王国最古の船渠を持つ名門であり、大型船を造る技において王国随一とも称される。


借入総額は金貨一万二千枚。


うち赤嶺銀商が、金貨七千二百枚。

残りを緑翼銀商、青樹銀商と、二つの信商が分け合っている。

主銀商である赤嶺銀商が、最も大きな損を負う立場だった。


融資取戻部は、その日のうちにベルリーヴを本部管理へ移管するよう求めた。


だが、サン・マレ支部は拒んだ。


「短期の資金繰りにすぎない、とのことでございます」


返書を読んだカトリーヌが、扇を閉じた。


「本部へ移管すれば、これまで誰が、何を根拠に貸したのか。危険を知ってから何をしたのか。すべて説明しなければなりませんものね」


融資が焦げついたことより、その後の保身の方が厄介なのかもしれない。


督促。資料の精査。支部長の召喚。日程の調整。


返済停止から十二日後、ようやく移管会議が開かれた。

しかし、支部長はこれまでと同じ説明を繰り返すだけだった。


「次期には御座船が完成する。そこで資金繰りは改善する」


モルヴァン課長は、黙って聞いている。


あたしは、卓上の信用冊子を引き寄せた。

サン・マレ支部が代々書き継いできた、ベルリーヴ造船会の過去がすべて綴じられている。


頁を繰った。


「二年前の稟議を読み上げます。『御座船完成により、次期には資金繰り改善の見込み』」


頁を繰る。


「一年前の稟議です。『御座船完成により、次期には資金繰り改善の見込み』」


もう一度、繰った。


「半年前。『御座船完成により、次期には資金繰り改善の見込み』」


同じ一文が、三度書かれていた。

違っていたのは、完成予定の日だけ。


そして三度とも、決裁の欄には同じ印章が押されている。

今、卓の向こうに座っている男の印章だった。


「サン・マレ支部長」


あたしは信用冊子を閉じ、顔を上げた。


「ベルリーヴには、いつになれば次期が参りますのでしょうか?」


「貴様、誰に向かって口を利いておる!」


支部長が卓を叩いた。


「ダルジャン嬢、下がれ」


モルヴァン課長が、すかさず間へ入った。

そして、支部長へ向き直る。


「うちの者がご無礼を。大変失礼いたしました」


課長は、深く頭を下げた。


「本日は責任を求めるための卓ではございません」


支部長の眉が動いた。


「これまでの融資と条件変更が妥当であったかは、別途検証されましょう。当部の仕事は、その結論を待つことではなく、残る金貨を一枚でも多く取り戻すことです」


「では、わしの責任は――」


「存じません。当部が決めることではございませんので」


モルヴァン課長は、移管の書付を支部長の前へ押し出した。


「支部で管理を続けるのであれば、御座船の完成日と、返済の資金を確保できる根拠をお書きください。その見込みが外れた際は、支部長が責任を負う旨も」


支部長は、羽根ペンを取らなかった。


「……好きにせよ」


支部長は信用冊子を卓へ残し、部屋を出て行った。


結局、保身かよ。

あたしは、心の中で舌を出した。


返済停止を申し出た大口先には、一刻も早い対応が必要なはずだった。

それでも、支部長の顔を立て、茶番を終わらせるためだけに日が流れた。


この失われた十二日は、後になって、あたしとカトリーヌの首を絞めた。


-----


サン・マレの港に到着すると、木と鉄の匂いに包まれた。

海へ向かって、巨大な船台がいくつも並んでいる。


切り出された木材。煮立つ樹脂。

打ち鳴らされる鉄具。潮と汗の混じった風。


その中央に、建造途中の大船が立っていた。

第一王子の御座船、蒼白朱号である。


まだ海へ浮かべられる姿ではないが、巨大な竜骨から獣の肋骨のような材木が幾重にも伸びている。


「一か月後の給金が払えぬ」


ベルリーヴ造船会の会主であるオーギュスト・ド・ベルリーヴ侯爵は、会うなりそう言った。


齢六十を越えているが、肩は広く、掌には職人の硬い節が残っている。

ベルリーヴを代々継ぐ侯爵でありながら、自らも船を造る職人なのだという。


「六百人分だ」


しかも、給金だけを払えば済む話ではない。

木材も、帆布も、鉄具も買わなければ、職人を船台へ立たせておけない。


「蒼白朱号が完成すれば、すべて上手くいく」


オーギュストは、船台の骨組みを見上げた。


「我が造船会で最も大きな商いだ。王家から代金が入り、ベルリーヴの名もさらに上がる」


「完成は、いつにございますか?」


周囲の槌音に負けぬよう、声を張って尋ねた。

オーギュストは、一瞬だけ言葉を止めた。


「半年後には」


「確かですの?」


「王家から、これ以上の変更がなければな」


「……承知いたしました。まずは、資金繰りを確認させてください」


-----


ベルリーヴ造船会の会屋で見せられたのは、月次の資金繰り表だけだった。


月の初めに、今月入る金貨と出る金貨をまとめる。

月末に残っていれば、金貨は足りている。

だが、月末に金貨が残ることと、月の途中で金貨が尽きないことは、同じではない。


あたしとカトリーヌは、入る金貨と出る金貨を、日付順に並べ直した。

一日ごとの出入りを追う表――日繰り表である。


商船の修繕代金。建造中の船の中間金。

職人六百人の給金。木材と帆布と鉄具の代金。港の使用料。


金貨の残りを、一日ずつ追っていく。


算盤の玉が、零を割った。


「ここですわ」


あたしは、日繰り表の一行を指した。


「二十五日後、金貨が尽きます」


しかも、この表に各銀商への返済は一枚も入っていない。


返さずにいてなお、金貨は尽きるのだ。

次の給金と、木材と鉄具の仕入れまで含めれば、足りない金貨は四百枚。


ベルリーヴの月次収支は、帳簿の上では黒字だった。

売上も、去年より増えている。

それなのに、手元の金貨が足りない。


「造りかけの船……ですわね」


木材を買う。

職人が槌を振るう。

そのたびに、金貨は造りかけの船へ姿を変える。


船が完成し、代金を受け取るまで、金貨には戻らない。

工期が延びるほど、金貨は船の形のまま固まっていく。


造りかけの船は、帳簿の上では財産になる。

だから、ベルリーヴは儲かっているように見えた。


だが、その財産で給金を払うことはできない。

帳簿の儲けと、手元の金貨は、別物だった。


-----


今、ベルリーヴを畳ませた場合。


船渠も機械も急いで売ることになり、造りかけの船にもほとんど値はつかない。


全銀商あわせて戻るのは、金貨二千四百枚。

貸した一万二千枚の、二割だけだ。


では、商いを続けたらどうなるか。


過去三年の修繕と、受注済みの中型輸送船を粗く積んでみた。


金貨を生む船と、食らう船を仕分けられれば――

六割まで戻せる余地がある。


二割で今すぐ畳むか。

六割を狙って立て直すか。


それを判断するには、一隻ずつ船を調べる時間が要る。


必要なのは、二か月。

だが、ベルリーヴにはその二か月を生きる金貨がない。


一か月で、四百枚。

二か月で、八百枚。


金貨八百枚で、二か月を買う。

その二か月で、ベルリーヴを支援すべきか、畳ませるべきかを見極める。


あたしは緊急のつなぎ融資の稟議を書き、その日のうちに審査部に持ち込んだ。


承認の条件は四つ。


一つ、すべての銀商が二か月間、返済を受けない。

二つ、赤嶺銀商が新たに出す八百枚は、これまでの融資より先に返してもらう。


残る二つは、使い道を職人の給金と資材に限ることと、毎週の日繰り表を出させることである。


二か月を買うための金貨だ。

古い借金の穴埋めにも、余計な船にも、一枚たりとも使わせない。


審査部の担当者からは散々に小言を言われた。

承認こそ即日だったが、審査部長の印章は逆さまに押されていた。


承認はしてやるが、承服はしていない。

そういう意思表示である。


その足で法務部へ向かい、二つの条件を一枚の証文にさせた。

ここでも、露骨に苦い顔をされた。


-----


翌日から、あたしとカトリーヌはすべての銀商を回った。


緑翼銀商のベルナール課長は、書付を卓へ放った。


「二か月待った上で、赤嶺銀商の八百枚を我々より先に返せと。虫のいい話だな」


「虫のいい話にございます」


あたしは認め、どの卓でも同じ二枚の表を置いた。


「ですが、皆様には新たな金貨を一枚も出していただきません」


一枚目を指す。


「今日畳ませれば、戻るのは二割」


二枚目。


「二か月待ち、立て直せれば六割」


あたしはベルナール課長を見た。


「皆様にお願いするのは、金貨ではなく二か月にございます」


ベルナール課長は、黙って二枚の表を見比べた。


結局、緑翼銀商も、青樹銀商も、小口の信商も、渋りながら羽根ペンを取った。

署名と印章が揃い、覚書が交わされたのは、給金支給の二日前だった。


-----


給金の日。


ベルリーヴ造船会の帳場には、六百人の職人が順に並んだ。


去年も、その前の年も、給金は幾度か遅れていた。

遅れると告げられ、数日してから配られる。

職人たちは、それに慣れていた。


誰も泣いて感謝したりはしない。

受け取るべき給金を受け取り、それぞれが持ち場へ戻っていく。


夜を徹して稟議を通し、銀商を飛び回り、ようやく実行できたつなぎ融資。

だが、給金を受け取る職人たちは、あたしとカトリーヌの奮闘など知る由もない。


それでよかった。


オーギュストが、あたしとカトリーヌの前へ来た。

そして、深く頭を下げた。


「六百人を救ってくれた」


その一言が、疲れ切った胸に沁みた。

それでも、あたしは首を振った。


「まだ、何も救ってはおりませんわ」


オーギュストの向こうに、巨大な骨組みが見えた。

最も広い第一船台を塞ぐ、蒼白朱号。


「金貨八百枚で、二か月を買っただけにございます」


オーギュストが、船台を振り返る。

槌の音が、船渠いっぱいに響いていた。


(第12話・了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。