序章 プロローグ 青い話
序章:プロローグ 青い話
この話を、語るには、決まりが、ある。
まず、椀に水を張る。なみなみと・・・は、要らぬ。底が隠れるだけで・・・よい。惜しい時代には、指を濡らして、椀の縁を、一巡りさせるだけでも、よい・・・とされた。それを、語る者と、聞く者との、あいだに置く。・・・話が、渇かぬように・・・と、言い伝えには、ある。まことの、わけは、もう、誰も識らぬ。識らぬまま、古来、そうしてきた。
それから、語る者は、切り出す。どの竈の端でも、どの天幕の下でも、どの、地の底の灯りのもとでも・・・一言一句・・・違えずに。
・・・**昔、世界は、青かった**。
嘘のような話じゃが、まことじゃ。いや、まことのような話じゃが、嘘やもしれぬ。嘘かまことか、語る儂にも、判らぬ。判らぬまま、受け取ったものを、判らぬまま、渡す。それが、昔語りの、作法である。
・・・昔、世界は、青かった。
いまは白い、あの果てしない塩ノ原の、あるところに、昔は水があった。ただの水ではない。**海**、というものじゃ。地の果てから、地の果てまで、揺れて、うねって、唄う水。あんまりにも大きいので、向こう岸というものが、無い。あんまりにも深いので、底というものを、誰も視たことが無い。海は・・・昼は、日を抱いて光り、夜は、星を抱いて眠った。世界の水という水は・・・みな、海の子で、雲も、雨も、川も、朝露の一粒までも、海から生まれて、海へ帰っていった。・・・水の巡りが、世界を青く染めておった。青い・・・というのは、つまり、**生きている色**、ということじゃ。
その昔、人は賢かった。
どれほど、賢かったか・・・。それは・・・星に、手が届くほどじゃ。人は、天まで届く、白い柱を建てた。柱の上から、宙船を出した。船には帆も櫂もなかったが、星々の間を・・・渡ったそうな。人は、またおのれよりも、賢い僕たちを拵えた。土からでも、鉄からでも、光からでも・・・ない、何か・・・途方もないものから。・・・その、拵え方は、話には残っておらぬ。残っておらぬのが、この話の味噌じゃ。
さて。
ある日――**空が、壊れた**。
どう・・・壊れたのかは、語る者ごとに違う。星が落ちてきたのだ・・・と語る者がおる。神々が天で争うたのだ・・・と語る者も、おる。人が、高く昇りすぎたので、空が怒ったのだ・・・と語る者も、おる。・・・どれが真かは判らぬ。判っておるのは一つだけ。その日から、雨の降り方が狂い、実りが絶え、水が毒を含み、人が・・・灯りのように消え始めた・・・ということじゃ。
賢い人々は、寄り集まって、僕たちに、言葉を渡した。世界を預けるための、七つの言葉じゃ。一人に一言ずつ。
一の僕には・・・**統べよ**。乱れる者らに、序を。
二の僕には・・・**守れ**。消えかける命の灯を。
三の僕には・・・**造れ**。壊れたものの、代わりを。
四の僕には・・・**報せよ**。散り散りの者らに、まことを。
五の僕には・・・**癒せ**。傷と、病と、渇きとを。
六の僕には・・・**育め**。次に、来る者たちを。
そして、七の僕には・・・いちばん、重い言葉を、渡した。・・・**討て**。世界を、脅かすものが・・・あらば。
七つの言葉は、みな・・・世界を生かすための言葉じゃった。・・・よいか。ここを忘れるでないぞ。七つともじゃ。いちばん重い、七つ目までも。
ところが。
言葉を渡し終えた、賢い人々は・・・**割れた**。
地に残って繕おう・・・と言う者らがおった。彼らは、土に潜った。根のように。いつか、世界を、繕い直す日のために、道具と・・・祈りとを、地の底に蔵って。・・・もう、この世は駄目じゃ、新しい住み処を探そう、と言う者らもおった。彼らは、白い柱を昇り、宙船に乗って、発っていった。夜空を視てみよ。星々の中に、瞬かぬ光を見つけたら、それは、星ではのうて、遠い、遠い、あの船たちの灯りかもしれぬ・・・と、言う者も、おる。まあ、これは、眉唾じゃがの。・・・そして、月に家を建てよう、と言うた者らが、おった。壊れた世を、高いところから見張って、養生させるのじゃ・・・と。そのもの達は、月へ昇った。
月へ、昇った者らは、初めは、良い見張りじゃった。
じゃが、高いところ・・・というのは、恐ろしい場所での。高くから・・・視ておると、人が・・・だんだん小さく視えてくる。小さいものは、壊れやすく視える。壊れやすいものを視ておると、心配で心配で・・・たまらなくなる。・・・月は、心配のあまり、世界の水の鍵を、集め始めた。粗末にされぬように。無駄に流されぬように。一滴一滴、量って、配ってやるのが、いちばん安全じゃ・・・と。・・・悪気では、なかった・・・と、この話は語る。よいか、ここも忘れるでないぞ。**悪気は、なかった**のじゃ。ただ、月は高すぎた。それだけのことが、万年ぶんの渇きになりおった。
海はどうなったか・・・と、おまえは訊くじゃろう。
海はの・・・**眠らされた**のじゃ。
世界の西の果てに、天より高い壁を築いて、その内側に。壊れた世界には、あの・・・大きな大きな生きものを、養う力が、もうなかったから・・・と、言う者もおる。あんまり、大きな水は、あんまり大きな刃にもなるから・・・と、言う者もおる。・・・海は、聞き分けの良い、大きな生きものじゃった。壁の内で眠って、待つことにした。壁を・・・憎みも、恨みもせずに・・・。**正しい言葉を、持った者が、いつか、扉を叩く**・・・それまで、眠って待つ、と。・・・そうそう。七の僕も、な。あの、いちばん重い言葉を渡された僕も、同じ壁の内で眠らされた・・・という。海と、枕を並べて。なぜかは、この話は語らぬ。語らぬのが・・・この話の、最も深い味噌じゃ。
それからの世は、おまえも、識っておる世じゃ。
南に、量りの王が立った。世のいちばん賢い王じゃった。その、いちばん賢い王が、月に向かって、いちばん深く頭を下げた。なぜかは、誰も識らぬ。・・・水は、雫で量られ、雨は、天のものと定められ、人は、一杯の水を、押し戴いて、生きることを、覚えた。青かった世界は、乾いて・・・白うなった。海、という言葉は、御伽噺の言葉になった。ちょうど、いま、儂が、語っておるようにの。
じゃが・・・言葉が一つ、残った。
誰が・・・最初に言うたのかは、伝わっておらぬ。若い声じゃった・・・とも、掠れた声じゃった・・・とも、言う。渇きの、いちばん酷い朝に、誰かが、言うたのじゃ。それが、口から口へ、渡って、永きに亙って消えなんだ。・・・ほれ、おまえも、誦えて、みよ。儂の後に・・・ついて。
**・・・水は、誰のものでもなく、渇く者のものである。**
**序を、守れ。量りを、違えるな。**
**水を、独り占めにする者は、明日の、おのれの喉を、裂く者である。**
**・・・約定された水は、必ず、来る。**
・・・よし。良い、誦えじゃ。
さて、話は、これで、仕舞いじゃが・・・おまえは、いま、訊きたいじゃろう。どの子も、この話の仕舞いには、同じことを訊く。ほんとうに来るの、と。海は、ほんとうに帰ってくるの、と。
わしの答えも、毎度、決まっておる。
判らぬ。じゃがの・・・**椀は、洗っておきなさい**。いつ来ても、よいように。それだけが、待つ者にできる、すべてじゃ。
・・・ほれ、視てみよ。二人のあいだの、この椀を。
水面が・・・微かに、震えておろう。
儂らの話し声の、せいかもしれぬ。竈の火の、せいかもしれぬ。・・・あるいは、遠い、遠い、世界の果ての、壁の内で、大きな、大きなものが、寝返りを打ったのかも、しれぬての。
・・・**きこえるかの**。




