無能
ルをつけると良い。
ラジカ・ハドリッド。
レッサリア王朝の初代より繁栄を続けてきた、ハドリッド家の長子である。
ヴァレルが所属する『草』と対をなすレッサリア軍の大尉。一応の階級では、少佐であるヴァレルの方が上ではあるが……。
「な、ん、で、お前らみたいなのが、俺より階級が上なんだよ!? 親の名前も知らないお前みたいなのが、少佐にのし上がるなんて、なにか、卑怯な手を使ったに違いねえ!!」
卑怯な手を使ったのは、そちらの方では? と思うヴァレルである。唾を飛ばしてくるのは辞めてほしい。ついでに鼻息を当ててくるのも。
「逆にーー貴方ほどの実力者が、どうして大尉止まりなのか。私には、わかりかねます」
皮肉のつもりでヴァレルがそう言うと(猿に皮肉はわかるまい)、ラジカは、なぜか、唇を引き結んだ。
ーー?
ヴァレルはその予想外の動きに、目を瞬いた。皮肉が通じたなら怒るべきだ。通じなかったなら、「そうだろう」と喜ぶべきだ。
だが、ラジカが取ったのは、そのどれでもなかった。彼は、引き結んだ唇の片側を、吊り上げたのである。
「俺はな、手を抜いてるんだよ。試験でも実戦でも。だから、大尉止まりなんだ」
くだらない。
ヴァレルは、心底そう思った。自分の実力を、隠さなければならない時はある。だが、名家の生まれでありながら大尉止まりの彼を、人々が嘲笑していることを、彼は知っているのだろうか。
他ならぬ彼自身が、ハドリッド家の格を落としていることを、彼は知っているのだろうか。
なにより。
「手を抜いているのならば、本気を出せば良い」
レッサリアに仕える身で、本当に手を抜いているのなら許せない。身を粉にして、例え自分が屍になろうとも、国家のために尽くす。それが、模範的レッサリア国民ではないか。
ヴァレルが殺気も露わにそう言うと、分が悪くなったと察したラジカは、
「あー、やめやめ。ゴミと話してるとこっちもゴミになった気分になるわ」
と言って、ヴァレルから離れていく。ぎょろりと剥いた目でヴァレルを見て、捨て台詞を吐いた。
「お前、見てろよ。ハドリッドの名において、必ず、ぶっ潰してやるからな」
「おーおー、やってんなぁ」
ナイフを抜きかけたヴァレルを制したのは、後ろからのんびりと歩いてきたカルダンである。
先刻から、城の陰で繰り広げられるヴァレルとラジカの応酬を見ていたのだろう。争いの好きな王子は、たいへん満足そうな顔で、口元を綻ばせていた。
「なに、ヴァレル。お前、あんな安い脅しに乗っちゃう奴だったっけ?」
「昔ならば、乗りませんでした」
王族の前で刃物を出すのは不敬だ。ヴァレルは、服の中にナイフをしまった。目を伏せる。
「しかしながら、今の私は、レッサリア連合王国の独立諜報組織の一員です。私個人ならともかく、そこに属する私を貶められるのは、不愉快です」
「プライドって奴か。ところでヴァレル、実際、ハドリッドのボンボンはどうなんだ? あれは、実力を隠してるのか」
金茶の瞳は、彼が去った方向に向けられていた。
「俺にはな、ハドリッド家の長子が、ただの無能ってことが信じられねえんだ。このレッサリアで、唯一生き残ってる家がだぜ?」
カルダンの瞳には、疑いの光が宿っていた。
「実際、あのボンボンは、幼い頃には神童って呼ばれてた。お前も知っての通りだ」
ヴァレルは頷いた。自分に絡んでくる小物臭さからは考えられないくらいに、ラジカ・ハドリッドは、将来を嘱望される人間だった。
それが、七、八年前から、緩やかに、無能になっていったのだ。
突然無能になったのではなく、できていたことが一つずつできなくなっていった。勉学の才能も、剣も弓も。少しずつ衰えていって、今の彼が出来上がった。
彼が大尉にまでのしあがったのは、ハドリッド家の献金と、彼の中に唯一残っていた才能の破片のお陰であるとは、人々の言。
彼の態度が非常に悪いのは、過去の栄光に縋っているからだと、人々は口にしているが。
「カルダン様。何をお考えで」
すると、第一王子は、人好きのする笑みを浮かべて。
「宇宙について。なーんてな、考えるだけ損だ。あんな無能。今はもっぱら、戦争のことを考えなきゃ」
両手をぱっと挙げて、そんなことを言ったのだった。
「“ダフィン”が生きていて、“トラメル”が戦争をやめて欲しいって言ってるらしいぜ。シーズタインによると。根拠はナシ。“ダフィン”が秘密裏にシーズタインに賓客として招かれて、“トラメル”の伝言を伝えた。大分苦しいよなぁ」
先日の連合会議の話を始めたカルダンは、木陰に座り込みながら、くつくつと笑った。
「けど、そんな苦しい話でも、戦争反対派のアホどもは大喜びだ。まるで神の言葉かのように、アウディス大臣の言葉を聞いていたよ」
地面に落ちている枝をとって、カルダンは、落書きを始めた。直立不動のヴァレルは、それをじっと見守る。
「シーズタインが今まで築いてきた信頼って奴なのかね。それとも、“ダフィン”の威光か……どちらにせよ、世界には、厭戦の気配がある」
僅かばかりの日差しが、カルダンの金髪をきらきらと輝かせる。
「カドリィのハニア大統領も、国内の宗教弾圧派を手玉に取って抑えこんでるが。俺たちは、戦争を起こす必要がある」
それでも、日差しは、彼の瞳には届いていなかった。深淵のような暗さをもって、カルダンは呟いた。
「そういえば、『なかよし同盟』の外交権が、復活したらしいぜ」




