望む者がいるのなら
まずい、まずい。
このままでは、交渉は失敗してしまう!
「えーっと、そう! それは私もわかっていたわ!だけどダメなの。なんでかっていうと、トラメルは私のものだから」
シアは叫んだ。とりあえず、焦っていないかのように、どっしり構えて。
「だから、他所へはやりたくないの!」
「自信満々に言う根拠じゃないだろ」
ぼそっと、当のトラメルが呟くのが聞こえた。
「〜〜っ!!」
誰のためにやってると思ってるのかと、シアは涙目でトラメルのことを睨んでしまう。トラメルは、ぷいとそっぽを向いた。
「トラメルさん?」
「へいへい」
リハンに諌められているのを見て、溜飲を下げるシアである。
はっきり言って、無茶苦茶な理屈だが、シアの言葉に、リハンは今一度、交渉の席に着くことにしてくれたらしい。
両手指を組んで、シアのことをじっと見る。
「シア様、我々には、信頼というものがあります」
「信頼……」
「ええ、そうです。“シーズタインなら”。“シーズタインであるからこそ”。有史以来、誰の敵にも、誰の味方にもならなかったからこその、信頼があるのです」
“有史以来”というところで、リハンの唇は皮肉げに曲がった……ように、シアには見えた。それがなぜなのかは、わからないけれど。
とにもかくにも、リハンの話は続く。
「この王国からシーズタインに行くまでには、幾つもの……具体的に言えば、八つの関所を通ることになります。そこを空荷で通ることは、まず不可能です。ご理解いただけますか、シア様? 嘘を吐くにも、そちらの、トラメルさんが必要なのですよ」
「……ええ、よおく、理解できたわ」
シアは目を眇めた。
林檎を梨と言い張るには、林檎を相手に見せることが必要という話だ。話だけで「有る」と相手に納得させることは、いくらシーズタインでも無理という話。
ーーだけど、私たちは、それをしなきゃ。
無いものを、有ると言い張らなければならない。いや、有るものを無いと言い張って、それを有るものにしなければならないのだ。
「ですから、私達は、トラメルさんを連れていきたいのです。形だけでも、本物だと思わせられれば」
形だけどころか、本物なんだけどな、とシアは思う。ていうか、そもそも。
ーーどうしてこの人、トラメルのことを、偽物だって決めつけてるのかしら?
トラメルのことはあんまりバレたくないから、そりゃ都合が良いけれど。品が無いというだけで、偽物認定なんて、やりすぎじゃないだろうか。
そもそも。
「形だけでも……って、トラメルに、変装でもさせるの?」
どうしてこの人は、トラメルのことを疑っているくせに、各国を騙せると思っているのだろう。
小さな泡のように、ぷかりと浮かんだその疑問に、シアは突き動かされる。
「いいえ」
リハンを首を横に振って、トラメルを見る。
「幸い、そちらのトラメルさんは、トラメル……レッサリアの第二王子と同じ髪色、同じ瞳の色を持っています。シア様はご存知かわかりませんが」
トラメルは、荒んだ目をして、リハンを睨んでいた。
「レッサリアの第二王子は病弱であり、滅多に人前に出られることはありませんでした。ですから、彼の外見を知っているのは、一握りの人間のみなのです」
「貴方は、トラメルに、会ったことがあるの?」
「いいえ、ありません」
「それなのに、目の前のトラメルのことを、偽物だって決めつけてるの?」
「……」
その沈黙が何なのか、シアにはわからない。わからないことだらけだ。シアは、なんにも知らない。
それでも、なんにも知らなくても。シアは、すう、はあ、と息をした。
「ええっと、何が言いたいかっていうと。見たことないトラメルを、偽物だって言う理由は?」
爆弾魔先輩が、口笛を吹いた。リハンはシアのことをじっと見つめて。
「……確かに、品の無さだけで、偽物と断定することは、無理筋かもしれませんね」
観念したように、言った。
「そちらのトラメルさんが、本物でない証拠はどこにもない。ああ、写真を持っていたら良かったのですが」
「アウディス大臣」
肩をすくめているリハンの名前を、スコットという、たしか、チーズが苦手な赤髪の男が諌めるように言う。チーズが好きなノエルという金髪の女は、口を引き結んではいるが、なにか言いたげである。
リハンが片目を瞑った。
「そうですね。トラメルさんが本物であったならば、我々は、とんでもない不敬罪を働いていることになる」
「、それなら」
「ええ。トラメル様。数々の非礼、お詫び申し上げます」
トラメルにむかって。リハンは、頭を下げた。
「あんた、どういうつもりだ」
状況は好転したとシアは思っているのに、トラメルは、硬い声を出す。リハンは、にこやかに笑って、両手のひらを上へ向けた。
「どういうつもりも何も。不敬罪と、シーズタインにおける信頼の価値を天秤にかけただけですよ」
信頼の、価値?
「信頼というものは、平和な世の中でないと意味がありませんからね。乱れた世の中では、人は、容易に怪物へと成り果てるーートラメル様、どうか、私たちに、力を貸してください。この世界が、再び混沌へと陥る前に」
「あっはっは、完全に警戒していたねぇ。こちらの勝利だ」
「それは、無理があると思います」
帰りの馬車である。からからと笑うリハンに対して、部下である政務官二人の表情は重かった。
スコットが、意を決したように言う。
「どうして、命令外のことをされたのですか。大統領の命令はーー」
「“たとえ本物であろうと、レッサリアの生贄にすること”。誰にも望まれていない第二王子一人を犠牲にして、レッサリアのご機嫌をとり、被害を最小限に抑えることだ」
「それを理解しているなら、なぜ」
「さあ、なぜだろうね」
座席にもたれながら、リハンは、馬車の天井を仰ぎ見た。
どうして自分は、途中から、あの銀髪の吸血鬼の味方になってしまったのだろう。誰にも望まれていない第二王子を、なぜ。
『なんでかっていうと、トラメルは私のものだから』
ふと、彼女の言葉が脳裏をよぎった。
つまるところ、それなのだ。
「中立をどう定義するか、それは、我々の永遠の課題だが……一人でも、彼を望む人間がいるのなら。我々は、被害を最小限に済ませるべきなんだよ」
「……ですが、我々の国の立場が」
「悪くなるだろうね。そうなったら」
……蹄鉄の音。こんこんと馬車の窓が叩かれる。顔に布を巻いた、男とも女ともつかない人間が、リハンの手に、それを渡した。
「そ、それは?」
不安げな二人に、書状を見せる。
「間に合ったな、よかったよかった」
調査結果。
レッサリア連合王国の諜報機関である『草』は、我が国の使節団を装って、吸血鬼に接触。
『てことは、この使節団は、ホンモノってわけ?』
「これはたいへんな、国際問題だねぇ」




