大精霊サイファス
少女についていった先には、ブリッジに通じる扉よりもさらに重厚なドアが聳え立っていた。
扉の表面には赤い文字で何やら殴り書きがされている。
見たこともない文字だというのに、何故だか俺には読む事ができた。
「許可無く立ち入り禁止って書いてあるな……」
そんな扉を、少女は重そうに引っ張って開けてしまう。っていうか、鍵とかかかってないのか?
中は真っ暗で何も見えない。
いやいや……これ絶対入ったらダメなヤツだろ。この船の秘密が隠されてるとか、極秘裏に輸送中の凶悪モンスターが閉じ込められててうっかり食われるとか、そういうヤツじゃないのか!?
俺が馬鹿な妄想をしながら開いた扉の前で困惑していると、少女に背後から思い切り突き飛ばされた。
「うわぁ!」
俺がたたらを踏みながら振り返ると、すでに少女が扉を閉める所だった。
細い光の筋がやがて消え、ゴゥン……という音と共に部屋の中は完全な暗闇になり……ガチャン。
あれ? なんか今、鍵がかかったみたいな音しなかった?
俺はこの世界に呼ばれる直前の「完全な暗闇」を思い出して怖くなったが、スマホのLEDライトで照らすと、あの時と違って床も壁もちゃんと存在している。
取り敢えず壁にもたれかかって一息つく。
俺をここに案内してくれた少女は暗闇の中に消えてしまった。
階上からは大勢の騎士達がせわしなく行き来する音が響いている。
よほど入念に調べているらしいな……この世界では「異邦人」というものはそれほどまでに重要な存在だという事か。
俺にそれほどの価値があるかというところについては甚だ疑問だが……。
担当アイドルのいないプロデューサーなど牙の折れた虎、翼をもがれた鷹も同然よ。
しばらくすると、階上をドタドタと動き回っていた足音がだんだん下の階に降り始め、遂にはこの扉の前に集結して止まった。
ガチャガチャと乱暴に揺らされる扉。やはり鍵がかかっているようだ。
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「開きません! 残るはここだけです!」
「フム……船長? 開けてもらおうか?」
「無駄よ。その扉は私の意思では開けられない。中におわす存在が招き入れてくれない限りね。見てお分かりの通り、鍵穴すらないもの。貴方だって、遺失船に乗る者なら分かるでしょう?」
中におわす存在!? やはりここには何かいるのか!?
俺は息を飲み、思わず立ち上がった。
「フッ、なるほどな。しかし我が船では、扉の鍵は船長である私と副船長が持ち、いつでも立ち入る事ができるがね」
「それは貴方達が彼らを強制の儀式術で無理矢理従わせているからでしょう? 全く痛ましい」
女騎士はメルティナを馬鹿にするようにくくっと笑う。
「ああそうだ。そして、この船もそうすべきだと言ったら?」
外の通路がにわかに殺気立つのを感じる。
この女騎士無茶苦茶だな。オークかトロールあたりに捕まったら絶対に「くっ、殺せ!」って言いそうなタイプのくせに。まぁこの世界にオークやトロールがいるかは知らんが。
「どうする気?」
「こんな扉など、我が秘剣「風纏剛螺旋」の前では目隠しにしかならん」
えっ何だそれは……なんてカッコ良い必殺技だ。
「やめなさい、怒りに触れるわよ」
「ふん、団長も何故遺失船をこんな連中の好きにさせておくのか……。我が国の領土内にいる内に接収してしまえばいいものを。そう、まさに今が好機よ」
キン、と金属同士がぶつかるような音が聞こえた。剣を抜いたのだろうか?
本当に秘剣「風纏剛螺旋」とやらをこの分厚い扉に向かってぶちかますつもりなのか?
さっきからメルティナが静かだが、彼女は大丈夫だろうか? 剣を突きつけられて黙らされているのかもしれない。
廊下の様子が気になる……と思っていると、突然目の前の空中に、四角く区切られた映像が浮かび上がった。
「な、なんだこりゃ」
どうやらこの扉の外の廊下を上から映しているらしい。まるで監視カメラの映像だ。
中央の女騎士がサーベルのような物を抜き、その後ろにいるメルティナは、案の定他の兵士に剣を突きつけられて動けずにいるようだ。
くそ、やっぱり思っていた通りのヤバい状況だ。
他の船員もどこかに拘束されているに違いない。
しかし俺に出来る事といえば何がある? 今さら出ていった所でもう遅いだろう。メルティナ達は何らかの罪に問われ、捕らわれる可能性が高い。
……というかそもそもここから出ていく事すら俺にはできないんだった。扉が開かないのだから。
このまま指を加えて扉がぶち破られるのを待つしかないのか?
そう思っていた時だった。
「愚かな」
重苦しい声が船中に響いた。
同時に、廊下からガチャン! という金属音。
映像を見ると、女騎士の腰に下げられていた剣の鞘が床に落ちたらしい。
兵士達のざわめきが聞こえる。
「何者だ!?」
女騎士が声を張り上げる。
「ここが何処か分からぬわけではあるまい? ここは我、大精霊サイファスの掌握する船の中。即ち貴様らは我が腹の中にいるも同然よ」
再び重苦しい声が響くと、今度はパシン、という軽い音が聞こえた。
映像の中では、ポニーテールだった女騎士の髪の毛がほどけ、ふわりと広がるのが見えた。
「この程度で私が恐れをなすとでも思っているのか!? 今すぐにこの扉をぶち破り、貴様に強制をかけてやる! そうして未来永劫、帝国の犬として皇帝に仕えるのだ!!」
女騎士の殺気が爆発的に膨れ上がったその瞬間。
ぱぱぱぱぱぱぱんっ……と、まるで拍手のような破裂音が連続してこだました。
さらにその直後。
ガチャンガチャンガチャンガチャンというけたたましい金属音と共に、女騎士を包んでいた白銀色の豪奢な鎧が全て脱げ落ちた。
下着姿の女騎士は数秒間その場で固まった後、
「キャアアアアアアアアア!!」
先程までの男勝りな雰囲気を台無しにする悲鳴を上げ、両手で必死に前を隠しながら走り去って行った。