54 巡る想いを
正直こうなることが明らかに分かっていて事前に用意していたんじゃないか、ってくらいその後の展開は早かった。
真夜中の決闘の翌日、フィラルラーズ王子は妹王女と元側近である新将軍との婚約を発表した。それに驚いたのは当の本人も含めてのことで、フィリアに至ってはその二日後に目覚めた時には既に婚約式どころか結婚式の日取りまで決まっていた状態で、かなり混乱していたが、兄の想いを聞いて最後は号泣していた。
アレスディールの婚約の件とか、フィリアの暫く結婚しない宣言とかがつい先日のことなのに、今回の発表の衝撃が大きすぎて何だかんだで有耶無耶にされている感が否めなかったが、本人たちが幸せそうなので深く考えないでおく。
有耶無耶といえば、アレスディールの偽婚約者のシェイラはというと……。
彼女の騎士はフィラルラーズ王子の側近に昇格しただけでなく、今回のザカの侵攻に際して鬼神の如き戦功を挙げた。その働きを王子に認められ報償として望んだのは、シェイラとの婚約を認めてもらうことだった。欲のない奴め、と笑いながら王子があっさり了解してシェイラの父男爵に二人の仲を認めるよう命じたものだから、流石の男爵も従わざるを得なかった。
その現場にいたアレスディールによると、王子は『大変悪い笑み』を浮かべていたらしい……。見なくてもだいたい想像がついてしまって、私は一気に疲労が体に襲いかかってくるのを甘んじて受け止める。
そうだよね、何となくフィラルラーズ王子はこうなることを知っていて、色々動いていたフシがある。侮れないと言うか、敵に回したくない人だ。
フィリアとアレスディールの婚約式は近親者のみで行われた。
理由は結婚式まで一月もない――実に十日後!! いくらなんでも早すぎるんじゃないの! っていう周囲の異論をフィラルラーズ王子は悉くはね除けた。彼の、ただ時間のないフィリアリーゼが少しでも唯一の騎士と寄り添える時間を少しでも長くしてやりたいという、純粋な願いからきたものだったから、二人は兄の想いに心から感謝していたみたいだった。
二人の婚約式はかつての兄王子の婚約式のような華やかさはなかったが、同じようにイグニスの色を模した礼装姿の二人は凛としていてとても絵になっていた。なお、婚約式にはフィラルラーズ王子の妃になるルーシェリリア王女も当然のように列席していた。彼女はどうやって予定を調整したのかはわからなかったが、本来は自分の結婚式の少し前にイグニス入りする予定を三月繰り上げて、この後もそのままイグニス王宮で暮らすとのことだった。
ルーシェリリア王女は親友の慶事に涙を流して喜びを表し、騎士よりも兄よりもベッタリとフィリアにまとわりついて、またしてもフィラルラーズ王子といつもの痴話喧嘩を繰り返すことになった。もはや食傷気味のお決まりの展開に周囲は苦笑いしていたが、なぜか場の空気が和んでいるので、これもフィラルラーズ王子の計算だったら怖すぎる。
婚約式を終えたら次は結婚式の準備で王宮は大わらわだった。
元々夏に王子の戴冠式と結婚式を同時に行うことが予定されていたのに、その前に妹王女の結婚式が割って入ったので、その予定の厳しさといえば他に例を見ないくらいだろう。しかし王宮に悲壮感がないのは、これまで病身を押して国に尽くしてきた王女の幸せを祝福しようとする気持ちがそれを上回ったためだと思われた。
いつも自分のことは後回しにして、皆の幸せを祈っていたフィリアだから、こんな風に皆が温かく祝福してくれるんだろう。私はまるで自分のことのように、熱くなる想いをもて余していた。
そして迎えた結婚式当日。
奇しくもこの日はかつての過去でフィリアが天に還った日と同じ日だった。
この日私は、朝から妙な違和感を感じていた。何だか意識が霞がかかったようにぼんやりとしているというか。不明瞭な感覚に首を傾げながら、私はフィリアの晴れ姿を見ようと王都の中心にある大聖堂に向かった。
建国当時に建造されたとされる大聖堂はさすが数百年前の建物だけあって、その存在感が半端ない。騎士の国の建築物だけに華やかさはないが、この荘厳な佇まいは他の国にはあまり見られない。鋭利な刃物を思わせる鋭い尖塔が乱立する様は、天に手を差し伸べる神徒の祈りにも、騎士の象徴たる宝剣のようにも見える。
私が大聖堂に着いたとき、フィリアの準備は既に整っていた。純白の婚礼衣装に袖を遠し、控え室で一人窓の外を眺めていたが、私が控え室に入ったことに気づいて振り返った。
「――天使様」
フィリアの姿は息をするのも忘れるくらいに綺麗だった。繊細なレースを裾や胸元にあしらった可憐な意匠は、華奢なフィリアに似合いすぎていた。
「とっても綺麗……本当に素敵だわ。フィリア、おめでとう」
目の前の王女はこの世のものとは思えない程に綺麗だった。何度言っても言い足りないほどに。綺麗なんて平凡な言葉でしか表現できない自分が情けなくなるくらいに。
「ありがとうございます。この婚礼衣装は母の最後の贈り物だったのです。私が何時か嫁ぐ日のために、母が遺してくれたもので……私はこの衣装を着て私の騎士に嫁ぐことをずっと夢に見て…………っ」
感極まったのか、フィリアの大きな瞳からぽろぽろと真珠のような涙が溢れる。
「ちょっと、泣いちゃだめよ。折角の化粧が台無しになるじゃないの!」
ごめんなさい、とフィリアは手巾で涙を拭いながら繰り返す。言ってる側から泣いてしまって収拾が着かない。これはやり直し確定だなあ、と思った。それよりも花嫁がこんなところにどうして一人でいるのかと疑問に感じて聞いてみると、彼女は漸く笑顔になった。
「天使様とお話がしたくて少し一人になりたいと皆に席を外してもらいました。天使様は必ずここに来てくださると思っていたのです」
フィリアは触れられない手を伸ばして私の手を取った。触れあう感触はないけれど、彼女の熱を指先に感じられたような気がした。
「天使様に出会えたお陰で私は今日の日を迎えられたのでしょう。天使様には言葉では言い尽くせないほど感謝しています」
感謝をどう伝えたらいいのかわからなかったのですが、そう言ってフィリアは鏡台の抽斗から小さな細長い箱を取り出した。
白く細い手でゆっくりと箱を開くと、その中には見覚えのある首飾りが収まっていた。
「――これは?!」
フィリアは優しく微笑みながら首飾りを取り出す。それは私が居た未来、アレスディールが持っていたものだった。
「イグニス王家に伝わる宝玉が埋め込まれた首飾りです。この宝玉には願いを叶える不思議な力があるのだとか。私の願いは叶えられたから、次は天使様の番です」
フィリアはそっと手に取った首飾りを私の掌の上に置く。この世界のものには触れられない私の手から首飾りがすり抜けて落ちていく――と思いきや、首飾りは私の掌の上で金属らしい冷たい温度を私の肌に伝える。私は久々の感触に驚いて目を見張った。
宝玉を指先でなぞるように触れると、宝玉が仄かに光を纏ったように見える。
「神は乞い願うものには等しく慈悲を与えて下さる……貴女の騎士はきっと貴女を迎えに来てくださるでしょう」
フィリアの声は女神の託宣のように厳かで、私の胸に重く響いた。
そして、結婚式が始まり、今祭壇の上ではアレスディールとフィリアは最初で最後の誓いを交わしていた。これは聖セディナの御前で夫婦になることを宣誓し、その縁を永遠のものとすることを誓うものだ。
大神官の言葉を復唱し、お互いの誠実な愛を誓う。乙女が一度は必ず夢見る場面だ。やばい、感動のあまり涙腺が緩む。
「――聖セディナの御前で永久の愛の誓いを」
厳かな大神官の声に促されて、アレスディールがフィリアの顔を覆うヴェールをそっと持ち上げる。アレスディールが何かをフィリアに囁きかけ、フィリアはそれに小さく頷きを返すとそっと瞳を閉じた。アレスディールはフィリアの頬に手を差しのばし、自身も瞳を閉じてゆっくりとフィリアに口付けた。
美しすぎる光景に涙が溢れた。かつては結ばれることのなかった二人の想いが漸く重なったのかと思ったら、言い様のない感動が胸を苦しいくらいに熱くさせる。
ぽたり、と一粒涙が頬を伝い手の中に落ちた。正確には手の中の宝玉の上に。
「――――!!」
その瞬間、目も眩むような閃光が瞼を焼く。大聖堂内を一瞬で白く染めるような強烈な光なのに気づいたのは私と――今日の主役の二人だけだった。
誓いの口付けを終えた二人は優しい眼差しで私を見ていた。
そして、背後に人の気配を感じて振り返るとそこには、『私の騎士』がいた。
『――ようやく……やっと会えたね』
彼は満面の笑みを浮かべて私の手を取った。彼の指先から伝わる温もりに、私は嬉しさのあまり混乱して、けれどしっかりと確かめるようにその手を握り返す。その様子をアレスディールとフィリアは微笑みながら見守っている。
『――アリスティーナ、私の最愛の姫君……』
眩い光が完全に世界の全てを包む直前に、フィリアの唇が声にならない言葉を紡いだのが見えた。
『どうか、お幸せに!』
その瞬間、何時か見た可憐な月華の花びらが、雪のように舞い落ちて、私の意識はそこ真っ白に染まった。




