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46 伸ばせない手

『貴女も知っているかもしれないけれど、彼の故郷はイグニス北部の山間にある地域で、彼の家はそのなかでも名家と言われる騎士の一族なんだ。代々騎士団長や将軍を多く輩出していて、かの地では有力者として知れ渡っていた』


 騎士はゆっくりと物語を読むように語りはじめた。

 長い睫毛を時々伏せて、想いを込めるように。


『騎士アレスディールはその名家、グランディス子爵家唯一の後継として生を受けた。父は若くして将軍職を拝命していて、母は同郷の、けれど身分的には釣り合わない名のみの貴族の令嬢だった。二人は激しい恋の果てに周囲の反対を強引に退けて結婚した。令嬢は白銀の髪に紅玉の瞳の美しい人で、彼女の求婚者は両手でも足りないほどだったし、将軍も漆黒の髪の美丈夫で、絵に描いたような理想的な夫婦だったらしい』


 騎士は私の手を握ったまま顔を近づけてくる。びっくりして私が身構えると、彼は苦笑してコツン、とおでこを重ねた。


『目を閉じて……見えるかな……』


 言われるまま目を閉じると何故か逆に眩しい光が一瞬見えて、その直後にはどこか知らない景色が脳裏に直接映った。

 まるで夢の中のような感覚。

 脳裏に映る世界では、二人の男女が仲睦まじげに手を絡めて、微笑み合っていた。うっとりするくらいの美男美女の二人で、お互いを本当に愛おしそうに見つめあう姿は幸福の象徴のようで、いいなあ、と羨望の眼差しを向けてしまうのは仕方ない。


『見えるかな。あれが騎士アレスディールの両親。グランディス子爵で将軍でもあったライドールと没落貴族の令嬢だったクラウディア姫……。二人はお互いしか目に入らないくらいの熱愛ぶりで、その強すぎる想いが惨劇を呼んだんだ』


 景色は、場面は移り二人の間に両親のいいとこ取りをしたような整った容姿の男児――アレスディールが生まれる。幸せだったのはこの頃までで、徐々に事態は転がり落ちるように悪化していく。


『この頃、イグニスと国境を接するローライム公国とニルキア帝国の間で戦争となり火の手がイグニスにも降りかかる事態となった。ライドールは将軍として国境の防衛のために王宮より召集が掛かり、領地を離れがちになったんだ』


 幼子を抱える姫君は、もともと夫であるライドール以外には歓迎されない花嫁だったため、ライドールが不在の間、子爵家の親類から陰湿な嫌がらせを受けるようになった。クラウディア姫は我が子のためと必死に耐えてきたが、それにつけ込む輩がいた。


『――美しいひと、どうか悲しまないで。わたしが力になりましょう……』


 我が子を守ることで精一杯だったクラウディア姫ははじめは頑なに拒んでいたけれど、遂に心が折れてしまった。何年も続くこの状態が、まるで永遠に続くかのように思えて、どうしようもなく胸が潰されそうだと涙が止まらなかった。そして、自分ばかりか幼い息子にまで陰湿な悪意が寄せられることに、彼女は大きな危機感を抱く。そして激しくなる戦火の最中、遂にはライドールとの連絡も途絶え、彼女は息子のために赦されないと知りながら、誘惑の手を取ってしまった。それが罠と知らずに。


 そして夫は最悪の時に帰ってきた。


 戦地から戻った彼が見たのは、他の男に寝とられた妻。


 かつてからクラウディア姫を奪いたがっていた貴族の男と、彼女を廃してライドールの妻の座を狙う令嬢の奸計だったのだが、その時の彼には目で見たものが全てだった。

 何年もの間クラウディア姫がどんな思いで暮らしてきたか、彼は知ろうともしなかった。実際彼は自分の両親や家人たちに妻と息子をくれぐれも頼むと、何度も何度も念を押してから出征したのだから。よもや家族が彼の最愛のひとに対してここまでの仕打ちをするなど、考えもしなかった。


 だから彼の怒りは想像以上のものだった。 


 妻から既に七歳に成長していたアレスディールを取り上げ、屋敷の地下に閉じ込めた。


 彼女が泣き叫びながら、声をからして弁解しても聞き入れなかった。全てはライドールの強すぎる嫉妬と独占欲の果てのことだったが、当時の彼はそれに気付けなかった。


 そのあまりの惨状に、良心の呵責に耐えかねた何人かの侍女がライドールにこれまでのクラウディア姫の待遇について報告し、全てが明らかになり、蒼白になったライドールが地下に駆け込んだ時には、そこに彼の愛した人はいなかった。


 ――いたのは、妻の抜け殻。


 かつて生気に満ちてキラキラと輝いていた紅玉の瞳は澱み、その目の周囲は落ち窪んでいた。月光を紡いだかのようだった長い髪は艶を失い、縺れ、まるで老婆のように真っ白に変色していた。肉付きというものを完全に削ぎ落とした体は正に骨と皮のみで、変わり果てた姿に、彼は周囲に憚ることなく妻に取り縋り、謝罪したが彼女にその声が届くことはなかった。もとの部屋に戻されたクラウディア姫は人形のように、気配もなくただ為すがままだった。けれど、彼女は夫が近寄るとガタガタと大きく震えて取り乱し、嗄れた声で悲鳴を上げて、しばらくすると糸が切れたように失神する。


 ライドールは妻の姿に深い悔恨の念を抱いた。どうして彼女を信じなかったのか。自分の身内や家人が彼女にした仕打ちにどうして気付けなかったのか。

 そして彼女や自分の味方ではない者の言葉を信じたのか。


 妻は夫を裏切ってはいなかった。彼女は誘惑に確かに負けそうになったけれど、最後の最後に夫を信じて踏みとどまった。それを自分に恥をかかせたと、貴族の男は自分の矜持を守るために嘘を吹聴して回った。それがライドールの耳に入ったのだ。


 そして数ヶ月後、心を失ったままクラウディア姫は亡くなってしまう。彼女の亡骸を前に、ライドールは騎士を辞し、爵位も父親に戻して失意のままに自らの命を絶ってしまう。


『全ては自分のせいだと彼は絶望した。誰よりも彼女を愛し、信じ、守ると誓った誓いを自ら反故にした。深すぎる愛情故と言い訳しても取り返しがつかない』


 アレスディールは両親の絶望と狂気を間近に見て育った。母親の苦しみも、父親の悲しみも彼の幼い心を鋭利な刃物で抉り、今もその傷が膿み続け、ことある毎に彼を苛む。彼は辛い思い出しかない故郷を離れたくて、王子の鍛練相手の騎士見習いとして王宮へ上がらないかとの誘いに飛び付いた。


 そうして上がった王宮で出会った王子と王女は、彼には眩しいほどの存在だった。王子たちは母妃を亡くしたばかりだったが、父王の厳しくも穏やかな愛情の元で育っていた。アレスディールは二人に羨望を覚え、寄せられる好意に対して同じものを感じるようになった。 


 ――お前は人を愛してはいけない。


 彼は分かっていた。自分の中にも父親と同じ血が流れている。深すぎる情はともすれば愛する人を傷つける諸刃の剣だ。そして彼は自分にも父親のように激しい感情があることを、王宮での暮らしの中で自覚した。


 ――脳裏に浮かぶのは両親の姿。母の虚ろな瞳と、父の狂気。


 あれが繰り返される恐怖に彼は竦んだ。

 彼は伸ばしかけた手を、止めた。





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