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45 昏き闇

 私は礼拝堂にいた。

 庭園を後にして、何も考えないで駆けた結果、たどり着いた先がここだった。

 何故ここに来たんだろう。確かに今の状況は私自身色んな感情がごちゃごちゃに混ざり合って自分でも制御が効かないほどに混乱しているけれど、だからといって神に縋りたい訳じゃない。


 私はとりあえず礼拝堂の奥へと進む。

 しん、と静まり返った室内は天窓から差し込む月明かりのお陰で仄かに明るい。正面に佇む聖セディナの像が優しい微笑みを浮かべて訪問者を出迎えた。


 私はずっと考えていた。

 繰返し、繰返し。ここにいる意味を。


 私の在るべき未来で、私の騎士に出会うためだと思っていた。そのために過去を変えないといけないと思っていた。変えるべき過去とは、夭折した叔母であるフィリアリーゼ王女の運命。彼女の早すぎる死が、たくさんの悲しみを生んだことははっきりしている。けれど、今の運命を見る限り、彼女が早世するのは天命なのかもしれない。フィリアは再び逃れられない病という名の鎖に囚われてしまった。


 思えばこの場所から運命の輪が回り始めたのかもしれない。

 あの日、ここでアレスディールが落とした首飾り。

 そこに描かれていた王女の肖像。

 ――祈り、悔恨、贖罪……。


 私は聖セディナの像を見上げる。慈悲深き女神。彼女に多くの人が祈りを捧げたのに。

 どうして、こうも報われないのだろうか。

 どうして、頑なに心を封じてしまうのか。


『彼は恐れているんだ。他でもない自分自身が、大切な人の未来を奪ってしまうのではないかと……』


 静かな声に振り返ると、そこにはアレスディールが――否、私の騎士がいた。

 一体いつから彼はここにいたんだろう。声がするまで全く気配を感じなかった。

 彼は淡い光をその身に纏って、ゆっくりと近付いて来る。彼の履いている硬質なブーツなら、礼拝堂の大理石の床を進む時、高い音を立てるはずなのに足音は一切しない。それは彼がここ・・に本来いるはずのない人間だからだろうか。私と同じで。

 彼は聖セディナの像の前で立ち止まり、女神に向かってごく自然な動作で祈りの印を切った。そのあまりに洗練された動きは神官のものといっても遜色なく、彼が敬虔なセディナ神従であることが窺えた。


『王女が心を封じたのは未来のない自分が多くを望むことを諦めたから。王女としての自分が成すべきことについて彼女なりに優先順位をつけたんだ』


 彼は遠くを見つめるように目を細めて、そっと溜息をついた。


『幼い頃から王女としての意識が高かった彼女は、公人としての自分を最優先し、自分の心を表に出さず閉じ込める傾向が見受けられたと聞いている。自分より他人のことを想う彼女だから、慕う人も多かった。けれど、その根底には深い闇が巣くっていたことを殆どの人は知らないだろうね』


 フィリアは人前ではいつも穏やかな笑みを湛えながら、それを崩すことは殆どない。けれど私は知っていた。彼女が誰もいない礼拝堂で懸命に祈っていたこと。震える両の手を絡めて、零れ落ちる涙を堪えて何度も自分の想いを心の奥底に沈めてきたこと。


 騎士は独り言のように私の反応を気にとめることなく独白を続ける。

 彼が何故今ここに現れて、唐突に語りだしたのか。正直疑問符だらけだけど、私は取り敢えず黙って聞いていた。


『王女を捕らえた闇の名前は絶望。未来を望めないことを知っていたから、彼女は心を閉ざすことで自分の心を守ろうとしたんだ』


 叶わないことを願うには、強さがなければ希望には繋がらない。たちまち絶望の渦に呑み込まれてしまう。それなら望まなければいい。望まなければ絶望することもない。

 立ち向かわないことは逃げなのか。それとも心を守る盾と言うのか。


『彼女は弱かった。望まないように、望まないようにと心を封じるほどに彼女は勇気を失った。でも彼女はそうすることが最善だと信じていた。自分を滅し、周囲の望む勤めを果たすべきだと、頑なに……』


 それは幸せを自ら手離す行為じゃないのだろうか。

 そんな彼女を見て、彼女の愛する人は幸せになれると言うのか?

 絶対そんなわけない!


「間違ってる! それじゃ誰も幸せになれない。フィリアの幸せを願っている人は彼女の笑顔が見たいんであって、我慢して堪えている姿を見たいわけじゃないわ!!」

『そうだね、でもこれまで誰もそのことを彼女に指摘しなかった。彼女の半身ですら、闇の深さを測り間違えている』


 フィリアとフィラルラーズ王子は心の奥で繋がっているとお互い信じているみたいだ。けれど、その絆を過信し過ぎている。だから、読み間違えるんだ。


『彼女を救えるただ一人の騎士は、その手を取ることを躊躇っている……彼の心にも深い闇があって、それが彼を立ち止まらせる』


 一旦言葉を止めて、騎士は私の瞳を真っ直ぐに見つめた。その視線はとても真摯で、そして、切なげに揺れた。まるで幼い子供が親に縋るように。唯一の希望に手を伸ばすように。


『知ったら後戻りが出来なくなるかもしれない。けれど知りたい?』


 彼の声は怯えているかのように震えていたから、私は堪らなくなって彼の右手を取って自分の両手で包み込む。そうすると彼は安心したのかそっと息をついて小さく微笑んだ。


『どうか聞いて受け止めてほしい。彼の心を蝕む昏い闇を……』





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