44 密約
婚約式の後に催された晩餐会の間中、私はずっとアレスディールを見ていた。
彼は常にフィラルラーズ王子の背後に影のように控え、静かで鋭い視線を走らせていた。彼は王子の側近騎士なので、その護衛が最重要任務なんだろうけれど、一応おめでたい席なんだから少しは笑えばいいのにと思っていたけど、彼は仮面のような無表情で結局一度も、にこりとも笑わなかった。
「アレスディール、ご苦労だった。ここからはいいから」
複数の騎士を引き連れて会場から退出する王子の声に、アレスディールは真面目に礼を返すと礼装のマントを翻し、主君とは別の方向へ去っていく。私は彼を追うことにした。
フィリア救出の際に声が届いて以来、私は折に触れアレスディールに接触している。私のことを何と思っているのかは分からないが、とりあえず無視されることはない。彼を観察していて特に面白いことは何もないが、常に真摯に職務を全うしようとする姿勢は素敵だなあと思う。とにかく手抜きは皆無だ。そして無駄がなく、正確で的確な仕事っぷりは私の知っている騎士団長に通じるものがある。
彼は絵に描いたような仕事人間で、これまで女性の影すら見えなかったのに今回の婚約者出現に卒倒した令嬢が続出したとか、しないとか。その中でも一番腑に落ちないのがフィリアの態度だった。あれ以来、アレスディールへの恋心をすっかりどこかに置いてきたかのように振る舞っている。空元気でもなく、どこか諦念に達したような印象だ。元々、周囲には彼女の気持ちは気付かれていなかっただろう。気付いているとしたらアレスディール本人と兄のフィラルラーズ王子くらいか。二人ともフィリアに対してそのことで何らかの動きを見せることもないので、実際のところは不確かだけど。
私が思うに、多分フィリアは自分の病状を知ってしまったんじゃないかと思う。私の知っている過去――今においては未来――において彼女が自分の心を封じて、そして自分の未来を諦めたように。けれど、それでは繰返しになってしまう。私はあの時のアレスディールの悲痛な声を忘れてはいない。
主君の元を辞したあと、アレスディールは真っ直ぐ庭園へと向かっていた。今日の庭園には所々に外灯が設置されているから夜でも見通しがいい。さらに今日は満月で、落ちてきそうなほどに大きな月が庭園を明るく照らしていた。
「アレス!」
庭園を訪れたアレスディールに小柄な影が駆け寄った。
「お父上は?」
「久しぶりの王宮で興奮しすぎて今頃は寝台でぐっすりだと思うわ」
「随分とお酒も召されていたようだ」
「ようやく悩みの種である私の婚約が整って安心されたみたい」
上目遣いで見上げる婚約者の小さな頭を撫でて、アレスディールは苦笑する。
「お前は親不孝ものだ」
「何よ、私一人を悪者にするつもり?」
「いや、一番罪深いのはわたしのほうだ……」
月明かりに照らされたアレスディールの横顔はとても綺麗だった。男の人に対して綺麗という形容詞は不適切かもしれないが、強い意思を湛えた紅玉の瞳を他に例える言葉を私は知らない。
「それで、彼とは連絡が取れたのか?」
殊更に声を潜めるアレスディールに、シェイラははにかみながら小さく頷いた。
「私の婚約話がまとまって、お父様もだいぶ油断したみたい。もう彼に対しての関心はないのかも。我が父ながら扱いやすくて助かるわ」
「シェイラ……」
令嬢らしからぬ物言いにアレスディールが顔を顰めてたしなめると、シェイラは悪戯っぽく笑った。
「だってそうでしょう? 娘の恋路を妨害するために職権乱用して私の騎士を僻地に飛ばしたり、ついには監禁紛いの暴挙に出たり、いくら自分の気に入らない男だからってあんまりだと思うのよ。あんな目にあっても私のことを信じてくれた彼に今度は私が誠意を返す番でしょう?」
「ラスは誠実な騎士だ。君に相応しいと思うよ。男爵も騎士なら出自よりも騎士としての素養を見てくださるといいんだが」
「元々騎士としては二流だったし、爵位持ちだったお陰で昇進できたようなものだし、引退してからはお気楽貴族三昧だったもの。お父様にとって大事なのは男爵家に釣り合う身分だけよ」
「辛辣だな」
「当然よ。人の恋路を邪魔された恨みは大きいのよ。それよりも……」
シェイラは一旦言葉を止めて、自分よりかなり高い位置にあるアレスディールの顔を真っ直ぐ見上げる。その眼差しは真摯で、彼女が次の言葉を紡ぐことに勇気が必要だったことが窺えた。
「私から持ち掛けておいてこんなこというのはどうかと思うけれど、アレスは本当にいいの?」
シェイラの視線を受け止めて、アレスディールは自嘲気味に唇の端をつり上げた。
「ああ、わたしが自分で決めたんだ。君が気にすることは何もない。わたしはあの方がお幸せになれば、それだけでいいんだ」
「でも、アレスは……」
シェイラの大きな瞳から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちて、アレスディールは片手を伸ばして彼女の頭を自分の胸に引き寄せた。
「相変わらず、泣き虫なところは変わらないな」
「私、知らな、っくて……、ごめ、なさい……ごめんなさい」
「いいよ、なら君も幸せになるんだ」
月明かりの下、傍目からみれば恋人同士が抱き合っているように見えるけれどこの会話は何なのよ。シェイラには他に騎士がいる感じだし、アレスディールの言葉にも引っ掛かった。
私はアレスディールは一人になる頃を見計らって声をかけた。アレスディールは婚約者を、今日の招待客の為に宛がわれた客室のある東殿まで送り届けると、自室へは戻らず騎士団の訓練所に移動した。彼は誰もいない薄暗い訓練所に佇んで、鍛練用の的を射殺すかのような眼差しで睨みつけていた。
「さっきの庭園のあれ、いったいどういうことなの?」
「盗み聞きか、趣味の悪い」
うわ、いつになく態度が悪い。何なのよ、と私も喧嘩腰になるのを何とか我慢した。
アレスディールはこちらを見もしない。私の姿は見えていないがどうやら気配はいつも察しているらしい。常なら私が話しかけなくても存在に気付くと同時に私の方を向いてくれるが、今日はそれもない。しかも全身から拒絶のオーラを発している。近寄りがたいことこの上ないが、引き下がるのも癪に障る。
「貴方は一体何がしたいの?!」
「…………」
今度は無視なの?
「主君に嘘をついて、何がしたいの? 貴方がそれをして誰の益になるっていうの?!」
ピクリ、とアレスディールのこめかみが引きつったのを私は確かに見た。けれど、それだけで彼はその後は石像のように身動ぎすらせず口も固く閉ざしたままだ。
「貴方の想いは貴方のものだけど、他人の想いまで貴方の勝手な推測で決められちゃ困るのよ。貴方の自己満足で悲しむ人だっているんだからっ!!」
たとえば私の想いはどこへ行くのか。
そしてフィリアの想いは。
他にもお父様やお母様たちの悲しみは、繰り返されてしまうのか。
今、アレスディールの側で冷静な自分を保っていることは困難だった。
口に出来ない未来がもどかしい。いっそ全て話せてしまったら手っ取り早く運命を変えられるのに。
悔しくて、私は駆けだした。わき目も振らず、訓練場を後にする。
だから、アレスディールの苦渋に満ちた言葉を聞くことはなかった。
「わたしは、あの方に相応しくない。わたしはあの方を傷つけ、奪うことしかできない。それはわたし自身が一番許せないのです――フィリアリーゼ様……」




