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2 鎮魂の光

 これって一体どういうこと?

 

 私は手にした首飾りに隠された肖像画を見つめ直した。

 上から見ても横から覗き込んでも、多分私だ。

 色が褪せてしまっているので髪や瞳の色まで分からないが、こんなにそっくりな人は他に知らない。でも、何故アレスがこれを持っているわけ?彼は私のことなんて何とも思っていないはず。いやむしろ多分迷惑にしか思っていないだろうに、どうしてこんなもの持っているわけ?


 私は食い入るようにそれを凝視していたが、その時突然礼拝堂の入口扉が開く重厚な音がしたから、慌てて長椅子の陰に隠れた。いや、何で隠れないといけないのか。別に私がここにいることは疾しいことではない。いや、勝手に人のものを物色しているのは疾しいことではないのか、いやそれは……などと自問自答を繰り返しているうちに、誰かが礼拝堂内に入って来た。


 カツ、カツ、カツ――


 高い靴音が静かな堂内にやけに大きく響く。

 よく耳を澄ませてみれば足音は一つではないし、大きさも随分違う。

 そろり、と顔を少し上げて椅子の陰から窺えばそこには意外な人がいた。お父様とお母様だ。

 今日は何の公式行事もなかったはずなんだけど、二人ともそれなりの正装だ。共通するのは黒を基調とした、裾の長い長衣を纏っていること。それにしても二人ともそろそろ四十路に差し掛かっているというのに、相変わらず年齢の読めない若々しさだ。知らない人が見たら二十代だと言っても、騙される人もいるだろう。そして二人とも流石私の両親だけあって見とれるほどの美貌である。お父様は中性的な顔立ちだけど、意思の強そうなきりっとした眼差しが凛々しい。あんな容姿だが、槍を持たせれば右に出るものはいない、騎士としても一流の人だ。お母様は私と同じ蜂蜜色の長い巻き毛に、透き通るような白い肌で、昔は黄薔薇姫とか呼ばれていたらしい。華やかな美貌は私も密かに憧れている。現在も若づくりもとい美貌の維持のためにそれはそれは努力なさっていて、今のところその努力は報われている感じ。


 お母様の実家はセディナ教の総本山とも言うべき、聖ラディウス・セディナ教国だから、結構な頻度でここに姿を見せるので特に珍しくはないのだけれど、問題はお父様だ。あの人は一応セディナの神徒ではあるものの、私と同じく形だけだ。実際は神も天使も悪魔も全く信じてはいない。信じられるのは自分だけだと豪語する、或る意味無神論者だ。時々、全く正反対の考え方を持つ二人が傍目にも仲良くやっているのが信じられない。まあ、お父様の神をも恐れない不敬な態度に、お母様の怒りの天誅が落とされることも結構日常的だが、それ以外は驚くほどに仲睦ましい二人である。どちらかというと、夫婦や恋人というより親友か兄妹かという方がしっくりくるんだけど。


 二人の仲のことはさておき、どうしてお父様がここにいるのかが問題である。


 私がぐるぐる考えを巡らせているうちに、二人は礼拝堂の奥まで進んで、先ほどまでアレスが祈りを捧げていた祭壇前に揃って立ち、神の像を見上げていた。


「もう、あれから20年も経ったんだと思うと、何だか複雑な気分だな……」

 

 お父様の声は何時ものような張りがなく、どこか寂しげに震えているように聞こえる。

 瞬きもせずにじっと神の像を見上げている――その姿に他の誰かを重ねて見ているように思えた。


「時が過ぎるのはこんなに残酷なことなのね。貴女がいなくなっても、時間は流れて行くのよ。わたくしの心は未だにあの日の悲しみに囚われたままであるというのに……」


 静かに涙を流すお母様の肩を抱き寄せて、お父様はゆっくりと膝をついた。

 お母様は両手を合わせ、作法に則った祈りの印を切る。それの形は死者に捧げる最上級の礼だ。お父様も無言でそれに倣う。


 私は息をするのも忘れるほどにその場の空気に呑まれ、固まってしまっていた。

 この場所を包む神聖且つ荘厳な雰囲気に、場違いな気がして早くこの場から立ち去りたい気持ちが急くが、今動いて二人に見つかってしまうのは不味いと、本能が警告する。


「お前の願った通りに、国はすっかり元の姿を取り戻したし、民の顔には笑顔があふれている。お前の望んだ世界が、ここにはあるのにどうしてお前はここにいないんだ」


 その声には悲しみと、苛立ちと、絶望と、悔恨と、色んな感情が混ざりあって、言い様のない切ない想いに満ちているように感じられた。いつも堂々とした態度で、弱いところも全く見せないお父様の、初めて見る姿に私は息を飲む。

 やばい、そう思った時には時既に遅く、祭壇前の二人は私の気配を察して同時にこちらを振り返った。見つかってしまったものはしょうがない。私は観念して立ち上がると、両親の方へ向き直った。


「――――お前……っ!」

「まあ!」


 予想通り二人は一様に驚いていたが、その反応は思っていたのとは種類が違った。悪戯を見つけた時のような、仕方がないなあ、っていうような苦笑をされるのだろうと思っていた。しかし実際二人の顔に貼り付いていたのは驚愕、というしかないような表情で、私はどう反応していいいか分からなくてただ二人の顔を見つめていた。


「アリスティーナ……」


 一番最初に我に返ったのはやはりお父様だった。

 困ったような、切ないような微妙な表情を浮かべている。


「何故お前がこんなところにいるんだ……いや、どうせアレスの後でも追って来たんだろう。全く……」

「フィラル!」


 お母様の窘める声を気にとめる素振りも見せず、お父様は大股でこちらに近づいて来て、私は思わず後退った。そんなつもりはなかったので私自身がびっくりして、うっかり手にした青い首飾りを落としてしまった。


 しゃらり、と首飾りが磨き抜かれた大理石の床に転がる。

 三人の視線が首飾りの上で重なった。


 私は気まずくなって目を反らしたが、お母様は目を瞠ったまま固まってしまい、お父様はびっくりするくらい勢いよく床に転がる首飾りを拾い上げた。


「どうしてお前がこれを持っているんだ!!」


 お父様の声はいつになく厳しい。私は知らず、肩を震わせた。怯える私を気遣ってか、お母様が私の側に立ち、そっと肩を抱き寄せてくれる。


「それはわたくしたちにとって、とても大切なものなのよ」


 優しく囁くお母様の声に顔を上げると、お父様が複雑そうな顔のまま手にした首飾りを見つめていた。


「これはアレスが持っていたんだと思うの。彼が立ち去った後に落ちていたから……」

「あいつ――――!」


 お父様は苛立ちを隠そうともせずに、舌打ちする。

 そして首飾りをお母様にそっと手渡して、何も言わず足早に礼拝堂を出て行った。


「お母様……?」


 お父様の態度の理由が分からなくて、思わずお母様に視線を遣ると、お母様はとても大事そうに首飾りに触れて、寂しそうに微笑んだ。


「ティーナは見てしまったのよね?」


 何を、とはお母様は言わなかったけれど何のことを言っているかは聞かなくても分かった。


「ねえお母様、あれは私なの?」


 私は当初の疑問に立ち戻る。

どう見ても、私でしかない。ただ、私はあんな表情はしないだろう。穏やかで慈愛に満ちた女神様のような、けれど儚く切ない微笑み。とても綺麗だけど、生気がない。見るものを悲しい気持ちにさせるような、そんな表情は。

 

「いいえ」


 お母様は静かに首を振った。そしてひどく優しい声で教えてくれた。


「これはね、わたくしたちの大事な妹。貴女には叔母様になるわね。貴女の生まれる前に、ちょうど20年前の今日、彼女が亡くなったのよ。今日は命日なの」





 

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