9 夢の騎士
私はいつもの夢の中にいた。
淡い純白の光に満ちた、静かで優しい世界。
彼はいつもそこにそっと佇んでいて、私の姿を確認すると極上の甘い笑みを浮かべてくれる。
「ああ……また会えたね。ようこそ、わたしの姫君……」
漆黒の髪に紅玉の瞳。男らしく端正な顔立ちに、長身で逞しい体躯。低いけど、優しい声。
何もかもが私を魅了してやまない彼は、私の夢の騎士――私だけの騎士。
いつもは彼に会うことが待ち遠しかった。現実世界の彼――アレスは何時も私との間に距離を取ろうとするけれど、夢の彼と私を隔てるものなど何もない。疑いようもない真摯な愛で私の心を満たしてくれる。
けれど、今日は会いたくなかった。
アレスの過去を知ってしまったから。私の気持ちが届くことなどないと、知ってしまったから。
なのに、貴方はどうしてまたそんな優しい瞳で見つめるのだろう。
「憂い顔も美しいけれど、貴女には笑顔が似合う……何があったの? わたしの姫君。わたしでよかったら話してごらん」
彼は私の側に腰かけて、肩を抱き寄せる。その腕は大きいけれど、とても冷たい。びっくりして見上げると彼の紅い瞳とぶつかった。彼は切なそうに笑った。
私は今まで疑問に思ってはいたけれど口にできなかった質問を彼にぶつけてみた。
「ねえ、貴方はアレスではないの? 私はずっとそう信じてきた。だってそっくりなのよ、まあ……貴方の方が随分と若く見えるけれど」
「貴女はどう思っていますか?」
質問に質問で返して、彼は私を引き寄せた。彼の胸に頬を寄せて、彼の体温を感じようとするけれど、いつもはそんなこと思わなかったのに今日は違和感ばかり感じる。今日は彼の温もりが感じられない、その鼓動が聞こえない――!!
「ねえ、貴方は誰なの? 私だけの騎士様、私はずっと貴方に恋焦がれているのに」
甘えるように彼の胸にすり寄ると、背中に回された彼の腕に力が加えられ、強く抱きしめられた。
目眩がするほどの幸福感を覚える一方で、得体のしれない不安が私を襲う。
一体なんだと言うのだろう、彼を失ってしまうんじゃないか、そんな喪失感が拭えない。その恐怖に私は身を震わせた。
「わたしは貴方の騎士です。それは絶対に変わらない。でも、貴女がわたしだと思っている方は、多分わたしではない」
「――――!!」
「そうですね、わたしはまだ貴方に見えていない」
優しい声、でも悲しい声。
胸が締め付けられるようなこの想いは、誰のものなのか?
「……このままだと永遠に、出会えないかもしれない」
私の背中を撫でながら、震える声で彼は小さくそう呟いた。
「どうして?」
「わたしの伸ばす手は貴女に届かないから。貴女の運命に、わたしは未だいない……」
「どういうことなの?」
疑問ばかりを繰り返す私に彼は困ったように首を振るだけ。彼自身明確な答えを持っていないのか、話せないのか? ふと、彼の長い指先が私の頬に伸ばされる。その時、私は一筋の涙が頬を滑り落ちていたことを知った。その涙を丁寧に指先で拭って、彼は涙の跡に唇を寄せた。
「どうか覚えていて、私の姫君。わたしは貴女の唯一の騎士。その立場を他の男に譲る気はない」
力の籠った眼差しを向けられて、私の頬が朱に染まる。
反論は受け付けない、ただただ真摯な宣誓に、私は困惑した。
「貴女のこれから待ち受ける運命の上で、どんな困難があったとしても、貴女らしさを失わないで、自分を信じて立ち向かってほしい……そうすれば、わたしたちはきっと夢の外で出会えるから」
二人きりの世界の光の濃度が増していくのを感じて目を見開くと、正面に彼が跪いて騎士の礼を取っていた。
つい先ほどまで彼の腕の中にいたはずなのに、今は手を伸ばしても届かない距離がある。
「多分、しばらく会えないかもしれない。でも、どうか忘れないでいてほしい。わたしが貴女を心から愛していること」
「何言って―――?!」
私が最後まで言葉を紡ぐことを遮るように、眩い光の渦が、視界を包み込む。
――――待って、行かないで!!
慌てて手を差し伸ばすけれど、彼との距離は広がるばかりだ。焦った私は彼に近づこうと駆けだすが、見えない腕が私の体を絡め取り、身動きが取れない。
「――――っ!!」
私は彼の名を呼ぼうとした。アレスではなく知らないはずの、彼の名を。無我夢中だったけれど、何故か知っている気がしたんだ。けれど声は音にならず、大きな息が喉から吐き出されただけだった。
「大丈夫、貴女はわたしの運命の人。きっと会えるよ」
彼は微笑んでいた。
その彼を優しく包み込むように、純白の月華の花びらが静かに舞っていた。幻想的な光景を最後に、私の意識は光に飲み込まれてしまった。




