第二十二話 百鬼夜行、十二神将、そして台湾の角煮が食べたい騰蛇
一条戻橋の向こうから、奇妙な影が次々と現れた。
骨の折れた古い傘が、誰も持っていないのに勝手に開き、夜風の中をふわふわと漂っている。その後ろでは木桶がぴょんぴょん跳ね回り、異様に首の長い女妖怪が、行列の先を覗こうと首を伸ばしていた。
さらに、大きな酒甕を担いだ妖怪が、数歩進んでは立ち止まり、中の酒を一口飲もうとしている。
そのせいで、後ろの妖怪たちが何度もつかえていた。
阿強は橋の袂に立ち、呆然とその光景を眺めていた。
「……なあ、青葉」
「何ですか?」
「これが、伝説の百鬼夜行?」
「そうですよ」
「……何か、台湾の廟のお祭りみたいだな。七爺八爺や神将が練り歩く陣頭と、あんまり変わらない気がするんだけど」
青葉は御幣を握り直した。
「見た目だけで判断しないでください。平安京の時代から千年以上も積み重なってきた怪異ですよ。うっかり行列に巻き込まれたら、ただでは済みません」
「……ただでは?」
「今夜の金沢行きのバスに乗れなくなるかもしれませんね」
阿強の表情が引きつった。
「それだけは勘弁してくれ! 今日もう一回乗り遅れてるんだぞ!」
すると、福島正則が行列の中に何かを見つけ、突然声を上げた。
『おおっ! 阿強、見ろ! あの槍だ!』
「……槍?」
『あの折れた槍の付喪神だよ! 柄は半分しか残ってねえが、なかなかいい気迫をしてやがる!』
行列の中では、古びた槍が一本、穂先を左右に揺らしながら進んでいた。
『いいねえ! 久しぶりにああいう奴と一勝負してみてえな! 阿忠、ちょっと身体を貸してくれ!』
「貸さないよ!」
阿忠が即答した。
「この前、近藤さんと戦ったあと、どれだけ身体が痛かったと思ってるんだ!」
『ちぇっ。けちくせえな』
三成が算盤を弾きながら口を挟んだ。
『市松、少しは慎め。阿強の荷物には信長公から賜った大判が十枚も入っているのだぞ』
「……三成?」
『こんな付喪神だらけの場所で騒ぎを起こし、貴重な旅費を奪われでもしたらどうする。前田利家殿にお会いする前に、金沢への旅費が丸ごと失われてしまうではないか』
「……百鬼夜行を見て、最初に心配するのがお金なんだ」
『当然だ。旅費の管理は重要な仕事だぞ』
算盤の珠が、ぱちぱちと音を立てた。
福島が呆れたように鼻を鳴らした。
『佐吉、お前は死んでも算盤から離れられねえんだな』
『お前は死んでも余計な騒ぎを起こそうとする。どちらがましか考えてみろ』
『そりゃ俺だろ!』
『どういう計算をしたらそうなる!』
いつもどおりの口喧嘩が始まった。
しかし、その横で阿忠は別のものに気づいていた。
「……青葉」
「はい?」
「橋の下に、何かいない?」
青葉の表情が変わった。
「……何か、とは?」
「目だよ。大きな目が、いくつもこっちを見てる。十二組くらいある気がするんだけど」
青葉は橋の下へ目を向け、御幣を握り直した。
「……あれは、安倍晴明公の式神たちですね」
「晴明?」
「この一条戻橋には、晴明公が使役していた十二の式神を橋の下に置いたという伝説があるんです」
阿強は思わず橋を覗き込んだ。
「……十二も?」
「ええ。十二神将とも呼ばれる存在です」
そのとき、橋の下で何かが光った。
赤い光。
続いて、白い光。
福島が真っ先に反応した。
『おおおっ! 見ろ、佐吉! あそこに火をまとった大蛇がいるぞ! その隣には、翼の生えた白い虎までいやがる!』
橋の下の暗がりから、巨大な蛇の輪郭がゆっくりと浮かび上がった。
鱗の隙間に赤い炎を宿した、騰蛇だった。
その傍らには、白い翼を持つ虎が身を伏せている。
白虎。
十二神将の一柱である。
福島は感心したように腕を組んだ。
『しかし、晴明って奴は大したもんだな。こんな連中を十二柱も従えていたのか』
三成も頷いた。
『安倍晴明の名は、我らの時代にもよく知られていたからな』
『それにしてもよ』
福島は橋の下を覗き込んだ。
『こんな所で何百年も警備させるなんて、いったい給料はいくら払ってんだ?』
橋の下が静かになった。
やがて、騰蛇がゆっくりと頭を持ち上げた。
『……無給ではない』
福島は目を輝かせた。
『おっ! じゃあ給料が出るのか!』
騰蛇は少し黙った。
『……晴明様には、深いご恩がある』
『それ、無給ってことじゃねえか!』
福島が即座に突っ込んだ。
『恩義を持ち出して給料を払わねえ上司か! そういう話なら俺にも覚えがあるぞ!』
『市松、黙れ』
三成が低い声で言った。
『何だよ佐吉。俺の言ってること、間違ってるか?』
『……間違ってはいない』
『だろ?』
『だが今は黙れ!』
騰蛇は二人のやり取りを聞きながら、何とも言えない表情をしていた。
◇
やがて、白虎が橋の下から姿を現した。
翼を広げると、その身体は普通の虎よりひと回りもふた回りも大きく見えた。白い毛並みは月明かりを受けて淡く輝き、全身から冷ややかで鋭い気配が漂っている。
福島が思わず息を呑んだ。
『……こいつは、強そうだな』
白虎がゆっくり顔を上げた。
その瞬間だった。
「おおおっ! 老白じゃねえか!」
橋の向こうから、とんでもなく馴れ馴れしい声が響いた。
全員が振り返った。
そこには、いつの間にか黒虎将軍が立っていた。
いや、正確には四本の脚で立っていた。
趙公明元帥の乗騎である黒虎は、白虎を見つけた途端、尻尾を大きく振りながら近づいてきた。
白虎は目を丸くした。
『……誰だ、お前は』
「俺だよ、俺! 老黒だ!」
『……老黒?』
「おう! お前が白虎で、俺が黒虎だろ? だったら老白と老黒だ。わかりやすくていいじゃねえか!」
白虎は、しばらく何も言わなかった。
『……私は、お前を知らぬ』
「細けえことは気にすんな!」
黒虎は白虎の周りを一周し、満足そうに頷いた。
「なかなか立派な虎じゃねえか。お前、何年生きてる?」
『……それを聞いてどうする』
「いいから、何年だ?」
『千年余りだが』
黒虎は大きく胸を張った。
「俺は三千年だ!」
『……それが何だ』
「だったら俺の方が年上だな。よし、兄貴と呼べ!」
『……は?』
「兄貴だよ、兄貴! 虎の世界じゃ年上を立てるもんだ!」
『そのような決まりはない!』
「今できた! 俺が決めた!」
『勝手に決めるな!』
橋の下から、他の神将たちが次々と顔を出した。
どうやら白虎がどう答えるのか、全員が興味津々らしい。
白虎は周囲の視線を感じながら、深く息を吸った。
『……断る』
「何でだよ?」
『そもそも、我らは初対面だ。兄弟でもなければ親族でもない』
黒虎は、心底不思議そうな顔をした。
「何言ってんだ? 天下の虎はみんな一家族だろ!」
『……何だと?』
「天下の虎はみんな一家族だ! 白かろうが黒かろうが、虎は虎だろ? だったら親戚に決まってるじゃねえか!」
白虎は頭を抱えたくなった。
『そんな理屈が通るものか!』
「通るとも! 俺が今通した!」
『だから、勝手に決めるなと言っている!』
騰蛇が横から口を挟んだ。
『白虎。この黒い虎は、お前の知り合いなのか?』
『知らぬ!』
白虎は即答した。
『会ったこともない!』
騰蛇は首を傾げた。
『……では、なぜ老白と呼ばれている?』
『私が聞きたい!』
黒虎は、実に楽しそうだった。
「老白、そんなに照れんなよ。これから仲よくすりゃいいだろ!」
『照れておらぬ!』
「よし、それじゃあ改めてよろしくな、弟!」
『誰が弟だ!!』
「兄貴って呼ぶのが嫌なら、俺が弟って呼べばいいだろ。簡単な話じゃねえか!」
『まったく簡単ではない!』
黒虎は白虎の抗議など気にも留めず、その背中を前脚でぽんぽんと叩いた。
「まあまあ、堂々としてろよ。俺の弟なんだから!」
白虎の尻尾が、怒りでぴんと伸びた。
『……私は、お前の弟ではない』
「わかったわかった、弟!」
『わかっておらぬではないか!!』
阿強は、その光景を呆然と見つめていた。
「……阿忠」
「何?」
「黒虎将軍、今何をしてるんだ?」
阿忠は少し考えた。
「……親戚を増やしてるんじゃない?」
「……成功してる?」
「たぶん、してない」
青葉は御幣を握ったまま、笑いを堪えていた。
「出雲大社で十年過ごしましたけど……こんな光景は初めて見ました」
◇
そのとき、橋の下から別の神将が顔を出した。
猿の姿をした神将だった。
小柄な身体に長い尾を持ち、目だけは妙に鋭い。
その神将は周囲を見回し、三成を見つけると足を止めた。
『……猿がいる』
三成も足を止めた。
『……何だと?』
『猿の霊体だ』
『私は猿ではない』
『似ている』
『どこがだ』
猿の神将は、三成の顔をじっと見つめた。
『……顔が』
三成は黙った。
福島は、その横で肩を震わせている。
『……ぷっ』
『市松』
『いや、佐吉。俺は何も言ってねえぞ』
『笑っているだろうが』
『だってよ、猿だって……ははっ!』
三成は深く息を吸った。
『……私は神将と容貌について言い争うつもりはない』
『おっ、認めるのか?』
『認めておらぬ!』
福島はとうとう腹を抱えて笑い出した。
ところが、そのときだった。
百鬼夜行の行列の中から、古びた算盤が一つ、ぴょんぴょんと跳ねながら近づいてきた。
木枠は歪み、珠も何個か欠けている。長い間使われ、すっかり擦り減った算盤だった。
それでも付喪神となったその算盤は、どこか楽しそうに跳ねていた。
三成の手が止まった。
算盤の珠を弾いていた指が、動かなくなった。
福島も、その変化に気づいた。
『……佐吉?』
三成は答えなかった。
ただ、行列の中を進む古い算盤を見つめていた。
猿の神将が、その視線を追った。
『……知っているのか?』
三成はしばらく黙っていた。
『……いや』
声は、いつもよりずっと静かだった。
『あの算盤は知らぬ。だが……』
そこで言葉が途切れた。
猿の神将は首を傾げた。
『お前も、算盤を使っていたのか?』
『……ああ』
三成は、手元の算盤へ目を落とした。
『太閤殿下にお仕えしていた頃、ずっと使っていた。兵糧の手配も、年貢の勘定も、蔵の出入りも……算盤なしでは始まらぬ仕事ばかりだった』
『……そうか』
『関ヶ原のときまで、ずっとな』
そのとき、古い算盤の付喪神が三成の前で足を止めた。
いや、算盤に足などない。
それでも、跳ねる動きが止まった。
古びた木枠が、ゆっくりと三成の方へ傾く。
まるで何かを感じ取ったかのようだった。
三成も、その算盤を見つめ返した。
しばらくして、付喪神は小さく身体を揺らし、再び跳ね始めた。
ぴょん、ぴょん。
そのまま百鬼夜行の列へ戻っていく。
三成は、遠ざかる後ろ姿を見送っていた。
阿強がそっと声をかけた。
「……三成、大丈夫か?」
『……ああ』
三成は、すぐには顔を上げなかった。
『私にもな、使い慣れた算盤があったのだ』
「……うん」
『何年も使った。何度修理してもらったか、もう覚えておらぬ。珠が擦り減るたびに替えてもらい、木枠が緩めば締め直して……ずっと使い続けた』
阿強は黙って聞いていた。
『……だが、関ヶ原の後、あれがどうなったのかは知らぬ』
三成は小さく笑った。
『戦に敗れ、命まで失ったというのに……今さら算盤一つの行方が気になるとはな』
猿の神将が静かに言った。
『付喪神となった道具は、長い間、人に使われてきたものだ。あの行列にも、古い算盤が何体かいる』
三成は顔を上げた。
『……そうか』
それだけ答えた。
福島は、しばらく何も言わなかった。
いつもなら必ず何か茶々を入れる男だったが、今は三成の横に立ち、遠ざかる付喪神を見送っている。
やがて、小さな声で言った。
『……佐吉』
『何だ』
『お前のあの算盤、もし今もどこかに残ってるなら……きっと付喪神になってるだろうな』
三成は振り返らなかった。
『……そうかもしれぬ』
『だってよ、それだけ長く使ったんだろ?』
『……ああ』
福島は、それ以上何も言わなかった。
三成も黙ったまま、手元の算盤を一度だけ静かに弾いた。
その音は、百鬼夜行の賑わいの中に、小さく溶けていった。
◇
そのときだった。
騰蛇が、ふいに何かに気づいた。
橋の袂に立つ青葉を見た瞬間、その身体がびくりと震えた。
『……あ』
阿強が振り返った。
「……どうした?」
騰蛇は青葉を指さした。
そして、突然叫んだ。
『女だあああああっ!!』
橋の下に、その声が響き渡った。
『女の人がいるぞ! みんな、隠れろおおおっ!!』
十二神将たちが一斉に顔を上げた。
騰蛇は慌てて橋の下へ潜り込んだ。
『晴明様が我らを屋敷から移されたのは、奥方様を怖がらせないためだったではないか! また女の人を驚かせたら大変なことになるぞ!』
それを聞いた神将たちも、次々と橋の下へ逃げ込んでいく。
白虎は黒虎と言い争っている途中だった。
『だから私は、お前の弟では――』
そこで青葉が目に入った。
『……女の人だ』
そして、何も言わずに橋の下へ潜った。
黒虎は呆然とした。
「……おい、老白? どこ行くんだ?」
返事はなかった。
黒虎は振り返り、青葉を見た。
「……ああ、そういうことか」
そして、黒虎まで橋の下へ潜ろうとした。
阿忠が慌てて呼び止めた。
「黒虎将軍!? 何であなたまで逃げるんですか!」
橋の下から声が返ってきた。
「老白が逃げたからだよ。郷に入っては郷に従えって言うだろ?」
「……知り合って五分も経ってないじゃないですか!」
「だから何だ? あいつはここの地元の虎だぞ。地元の習慣は尊重しねえとな!」
阿強が呆れた。
「……さっきまで弟扱いしてたくせに」
「弟の習慣も尊重する! 兄貴ってのはそういうもんだ!」
「…………」
阿強は、もう何も言わなかった。
その横で、青葉がくすくす笑い始めた。
「もう、皆さん。逃げなくても大丈夫ですよ」
橋の下が静まり返った。
青葉は少し近づき、柔らかな声で続けた。
「私、皆さんのこと、怖くありませんから。むしろ、とっても可愛いですよ」
橋の下から、ひそひそ声が聞こえてきた。
『……可愛い?』
『今、可愛いと言ったか?』
『我らのことか?』
『……怖くないのか?』
『あの女、人間なのか?』
『晴明様でさえ、我らを可愛いとおっしゃったことはなかったぞ』
『……そもそも、可愛いとは何だ?』
『わからぬ』
青葉は、とうとう声を上げて笑った。
「本当に可愛いですよ。ほら、出てきてください」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、騰蛇がほんの少しだけ頭を出した。
『……本当に、怖くないのか?』
「怖くありませんよ」
『……晴明様の奥方様は、我らをご覧になって怖がられたのだぞ』
「私は出雲大社の巫女ですから。神様にも妖怪にも、いろいろお会いしてきました」
騰蛇は、もう少し頭を出した。
『……出雲大社?』
「はい」
『大国主命様の、お社か?』
「そうですよ」
騰蛇は、しばらく考えていた。
そして、ゆっくりと橋の下から出てきた。
『……実を言うとな』
「はい?」
『千年も橋の下にいると……少し、退屈なのだ』
青葉は微笑んだ。
「だったら、今夜は少し外を歩いてみませんか?」
騰蛇は百鬼夜行の行列を見た。
『……あの行列に、加わってもよいのか?』
「もちろんです」
『……晴明様に叱られぬだろうか』
「きっと大丈夫ですよ」
『……きっと、か』
騰蛇は少し考えた。
それから、決心したように頷いた。
『……行ってみよう』
すると、白虎も橋の下から顔を出した。
『……私も、行ってよいのか?』
「もちろん。みんなで行きましょう」
それを聞いた十二神将たちが、次々と橋の下から姿を現し始めた。
炎をまとったもの。
獣の姿をしたもの。
人の形をしたもの。
それぞれが異なる気配をまといながら、夜の一条戻橋へ集まってくる。
その間も、ひそひそ声は続いていた。
『……あの巫女、本当に怖くないと言ったな』
『信じてよいのだろうか』
『……信じてみよう』
『久しぶりの外出だ』
『晴明様に怒られぬか?』
『……たぶん大丈夫だ』
『その「たぶん」が気になるのだが』
阿強は、十二神将たちが橋の下から出てくる光景を眺めていた。
そして、阿忠へ顔を向けた。
「……なあ、阿忠」
「何?」
「俺たち、今から十二神将と京都を散歩するんだよな?」
「そうだね」
「……黒虎将軍もいるよな?」
「いるね」
「……これ、普通?」
阿忠は少し考えた。
「普通じゃないけど……昨日、本能寺で信長公と台湾の神様が宴会してたじゃん」
「……そうだった」
阿強は深く頷いた。
「……もう、何が普通なのかわからなくなってきた」
◇
そのとき、百鬼夜行の行列の中から、見覚えのある長身の神将が現れた。
謝将軍だった。
その後ろには、范将軍もいる。
「おお、阿忠! ちょうどいいところに来たな!」
阿忠は目を丸くした。
「謝将軍!? こんなところで何をしてるんですか?」
「いやあ、昨日の宴会でちょっと飲みすぎてな。酔い覚ましに歩いてたら、いつの間にかこいつらの先導を頼まれちまったんだよ」
「……百鬼夜行の先導を?」
范将軍が頷いた。
「そういうことだ。今夜は茨木童子がいなくてな」
阿強が顔を上げた。
「……茨木童子?」
「ほら、この前、土方歳三に斬られた奴だ」
范将軍は、こともなげに説明した。
「あいつがいつもこの辺りの妖怪たちを集めていたらしいんだが、今夜はまだ姿を現していないそうだ」
謝将軍が話を引き継いだ。
「それでな、誰が先頭に立つか揉めてたところへ、俺たちが通りかかったわけよ」
「……それで?」
「昨日の宴会で顔見知りになった奴らが、俺たちを見つけてな。『あんたたちなら行列を仕切れるだろう』って、無理やり先頭に立たされちまった」
阿強は二人を見比べた。
「……あの、謝将軍。日本の百鬼夜行の決まりとか、わかるんですか?」
謝将軍と范将軍は顔を見合わせた。
しばらくして、謝将軍が答えた。
「……あんまり知らん」
「……えっ?」
范将軍が胸を張った。
「だが、見た目の迫力なら負けんぞ!」
「……迫力?」
「そうだ! 俺たちは七爺八爺だぞ。台湾じゃ行列の先頭を歩くのは慣れてるんだ!」
謝将軍も大きく頷いた。
「妖怪どもだって、俺たちが前に立てば、ある程度は言うことを聞く!」
「……ある程度?」
阿強は嫌な予感がした。
「ちなみに、どれくらい先導してるんですか?」
「三十分くらいかな」
「……それで、ちゃんとまとまってるんですか?」
謝将軍は後ろを振り返った。
跳ね回る木桶の付喪神が、行列から飛び出して道端をぴょんぴょん跳ねている。
古い傘の妖怪は、何度も開いたり閉じたりして、そのたびに後ろの妖怪たちを立ち止まらせていた。
大きな酒甕を担いだ妖怪に至っては、また立ち止まって酒を飲もうとしている。
謝将軍は、しばらくその光景を眺めた。
「……まあ、あの何匹かは少し元気すぎるな」
范将軍も頷いた。
「……正直、あまり言うことを聞かん」
阿強は額に手を当てた。
「……全然まとまってないじゃないですか!」
「だから、ちょうどよかった!」
謝将軍は嬉しそうに言った。
「お前たちも一緒に来いよ! 少し歩くだけでいいから!」
阿忠は時計を確認した。
午後十時過ぎ。
夜行バスの出発は、二十三時四十分。
「……まだ少し時間はあるね」
阿強が頷いた。
「ただし、今度こそ絶対に乗り遅れないからな!」
謝将軍が笑った。
「わかったわかった! 時間になったら帰ればいいさ!」
そのとき、騰蛇が横から頭を伸ばしてきた。
『……台湾の者たちも、一緒に歩くのか?』
阿忠が振り返った。
「ええ。少しだけですけど」
騰蛇は、何かを思い出したように目を細めた。
『……昨日の台湾料理は、うまかったな』
「……昨日?」
『本能寺の宴会だ』
「ああ、来てたんですね」
騰蛇は満足そうに頷いた。
『あの、豚肉を甘辛く煮た料理が忘れられぬ』
阿忠は笑った。
「焢肉ですね」
『そう、それだ! 焢肉!』
騰蛇は、少し身を乗り出した。
『……もう一度食べたい』
謝将軍が横から言った。
「だったら台湾に来ればいいじゃないか。阿忠たちの廟でも、たまに辦桌をやってるぞ」
騰蛇は首を傾げた。
『……台湾は、遠いのではないか?』
「飛行機なら数時間だよ」
『……飛行機』
騰蛇は少し考えた。
『……式神でも乗れるのか?』
謝将軍は答えに詰まった。
「……どうなんだろうな」
范将軍が腕を組んだ。
「入国審査で止められるんじゃないか?」
一同が黙った。
阿忠と阿強は、思わず顔を見合わせた。
二人とも、趙元帥のことを思い出していた。
騰蛇は深いため息をついた。
『……そうか。残念だ』
阿強は、何だか少し気の毒になった。
「……阿忠」
「何?」
「騰蛇、台湾へ焢肉を食べに行きたいんだって」
「……聞こえてるよ」
「……何とかならないかな」
阿忠はしばらく考えた。
そして、苦笑した。
「……とりあえず、うちの元帥に聞いてみる?」
二人は顔を見合わせた。
それから同時に首を振った。
「……やめとこう」
「……うん、やめとこう」
◇
こうして、阿忠と阿強、青葉の三人は、百鬼夜行の行列に加わった。
先頭に立つのは、謝将軍と范将軍。
台湾の七爺八爺が、京都の妖怪たちを率いて夜道を進んでいく。
その周囲には十二神将が散らばり、行列から飛び出そうとする付喪神たちを見張っていた。
先ほどまで好き勝手に跳ね回っていた木桶も、白虎に一睨みされると、急におとなしくなった。
傘の妖怪も、騰蛇が炎をちらつかせると、慌てて傘を閉じた。
謝将軍は満足そうに頷いた。
「……いいねえ。やっぱり地元の人がいると助かるな!」
その横では、黒虎と白虎が相変わらず言い争っていた。
「なあ、弟。そろそろ兄貴って呼んでみろよ」
『呼ばぬ』
「一回だけでいいから!」
『断る』
「呼んだって減るもんじゃねえだろ?」
『何も減らぬが、呼ぶ理由もない!』
「冷てえなあ。せっかく兄弟になったってのに」
『なっておらぬ!!』
黒虎は大笑いした。
「はははっ! いいねえ! 元気な弟だ!」
白虎の怒鳴り声が、京都の夜に響いた。
その少し後ろでは、三成と猿の神将が並んで歩いていた。
二人とも、あまり話さなかった。
時折、あの古い算盤の付喪神がぴょんぴょんと跳ねてきて、三成の周りを一周する。
三成はそのたびに足を止め、静かに見送った。
福島も、今度ばかりは何も言わなかった。
夜の京都には、奇妙な行列の音が続いていた。
木桶の跳ねる音。
古い傘が開いたり閉じたりする音。
酒甕の中で揺れる酒の音。
黒虎と白虎の口喧嘩。
そして、時折聞こえる謝将軍の大声。
「おい、そこの木桶! 列から出るな! 真っすぐ歩け!」
「だから傘を開くなって! 後ろがつかえてるだろ!」
百鬼夜行は、思っていた以上に賑やかなものだった。
◇
午後十時四十分。
青葉が時計を確認した。
「……そろそろ戻りましょう。京都駅まで移動する時間も必要ですから」
阿強は、すぐに頷いた。
「そうだ! 今度こそ絶対に乗り遅れない!」
謝将軍が手を振った。
「おう、行ってこい! あとは俺たちに任せろ!」
「ありがとうございました!」
阿忠が頭を下げると、范将軍も頷いた。
「気をつけて行けよ。金沢でも、妙なことに巻き込まれるな」
「……たぶん、無理だと思います」
阿強が正直に答えた。
謝将軍は大笑いした。
「まあ、そうだろうな!」
騰蛇が、そっと頭を下げた。
『……台湾の若者たちよ。また会おう』
「はい。今度会えたら、また焢肉を食べましょう」
『……約束だぞ』
白虎も軽く頭を下げた。
その横で、黒虎が元気よく叫んだ。
「おう、弟! またな!」
『……だから私は、お前の弟ではない!』
「またな、弟!」
『聞いておるのか!!』
黒虎は大笑いしながら、白虎の横へ駆けていった。
猿の神将は、三成へ目を向けた。
『……算盤奉行。また来い』
三成は少し黙った。
『……機会があれば』
猿の神将は頷いた。
そして、行列へ戻っていった。
阿強たちは、その後ろ姿をしばらく見送った。
やがて、青葉が言った。
「……行きましょうか」
三人は百鬼夜行に背を向け、一条通から大通りへ出た。
交通量のある道まで戻り、青葉がタクシーを拾う。
今度ばかりは、余計な寄り道をしなかった。
◇
京都駅中央口。
夜行バスの乗り場には、すでに何人かの乗客が集まっていた。
阿強は、スマートフォンを確認した。
二十三時二十分。
「……よし。二十分前!」
阿忠が頷く。
「今回は間に合ったね」
「当たり前だろ! また乗り遅れたら、今度こそ金沢へ行けなくなる!」
青葉が楽しそうに笑った。
「でも、今日は面白かったでしょう?」
阿強は少し考えた。
「……まあね」
それから、遠くの京都の街を振り返った。
「……面白すぎるくらいだった」
やがて、金沢行きの夜行バスが到着した。
三人は荷物を預け、順番に乗り込んでいく。
阿強は窓側の席に座った。
窓の外では、京都駅の明かりが静かに輝いている。
さっきまで百鬼夜行が練り歩いていた街とは、まるで別の世界のようだった。
阿強は、しばらく窓の外を眺めていた。
そして、小さく呟いた。
「……賑やかな京都だったな」
その声に、三成が答えた。
『……ああ』
いつもの理屈っぽい口調ではなかった。
ただ、静かな声だった。
『……本当に、賑やかな京都だった』
バスのエンジンが低く唸った。
二十三時四十分。
夜行バスはゆっくりと京都駅を離れ、金沢へ向けて走り出した。
**第二十二話 終**




