ファミリアに捧ぐ 39
解体処理したスコルを手分けして集落まで運んできたチサトたちは、素材をカフに卸し、肉はイオリに預けることにした。
その後見張り台にいたハンターから、ハルトが集落に戻ってきて家に帰ったらしいと聞いて安心する。
カイルはハルトにまだ渡したいものがあった為、落ち着くまではサノに滞在すると言った。部屋に戻っていくカイルを見送り、チサトは一旦解体作業でついた血を洗い流す為、そのままシャワーを浴びに向かった。その際アンバーをカガリに預けたが、「もう人に任せて平気なんですか」としきりに感心していた。
アグニのほうがよっぽど訓練に時間がかかったのだ、餌と褒めることで物事を理解してくれるアンバーを手懐けるのはそう難しいことではない。
チサトが食堂に戻ってくると、いつもの定位置に座るカガリの傍に、手伝いだろうミアがいた。
「あ、チサトお姉ちゃんおかえりなさい!」
「今日もお手伝い?」
「うん。お友達のみんな、外に出るじゅんびで大変だからミア一人だけなの。お外であそんでも楽しくないから」
それはそうだなとチサトはこめかみを掻いた。カガリも気まずげに眼鏡をかけ直している。
「今日のお昼ご飯、パンとご飯でえらべるよ」
「あー、じゃあ、アタシはパンにしようかな」
「パパは?」
「パパはご飯にするよ」
「わかった」
「あ、ミアちゃん、アンバーにもいくつか魚貰えるようにお願いしてもらえる? とっても頑張ってくれたから」
「アンバーがんばったの? そっか! おねがいしてくるね!」
ミアは笑顔で頷くと厨房へと駆けていく。なんとか重い空気にならず済んだことに息をつき、チサトは足元で大人しくしているアンバーを撫でる。もうミアが近くにいてもチサトの様子を確認するだけになっていた。
「あの半人前は大丈夫ですかね」
チサトが言うと、さぁとカガリは返す。
「今回ばかりはわかりません。あなたが初めてハルト君と会った日のこと覚えてます?」
「ああ。ドッグタグがどうのこうの言ってたときですよね」
「ドッグタグはハンターにのみ手渡されるものです。正式なハンターではないハルト君はまだドッグタグを持っていません。彼に依頼をするものも私がいつも選別し、安全が確保できるものを渡していました。例えば、採取の依頼を任せることにしたとして、その前に付近の魔物の討伐依頼が達成されているかを必ず確認していたんです。だから彼はこれまで魔物と直接対峙する機会はなかった」
「徹底して魔物と遭遇しないようにしてたんですね。そういうところ本部頑固だから」
「はい。だから彼の命が危険に晒されないよう、これまで配慮してきましたが、彼としてはそれが気に食わなかったわけです。いつどこで魔物と遭遇するかわからないんだからドッグタグくらい寄越せってね」
「でもあの時の半人前、随分ドッグタグに関してしつこかった印象がありますけどね。ドッグタグはあくまで遺体の損傷が激しいときに個人を識別するもののはずですけど」
「……ハルト君、ハルヒさんの遺品である槍を受け取ったときに、私にドッグタグはないのか聞いてきたんですよ。何せハルヒさんのご遺体、見つかっていなかったので。まぁ、見つからないのも当然ですよね。彼、カイルさんの話を聞いた限りでは、魔物に食われてしまっていたわけですから。だから見つかっていないと告げたとき、彼言ったんです。だったら死んでるかどうかわからないだろって」
「……なるほど」
「彼の中で、今日までまだ姉のハルヒさんは心の奥底で死んだことにはなっていなかったんですよ。ドッグタグが見つからないことが彼の唯一の心の支えだったんですよね。それが……」
「返ってきたと同時に死因まで特定されてしまったわけだ」
「……そうなってしまいますね」
結局話の流れで重い空気になるのは避けられなかった。カガリは軽く咳払いをし、「あの子を信じましょう」と言った。
「諦めの悪さはあの子の取り柄ですから」
「取り柄ね。物はいいようですね」
カガリはふふっと肩を震わせると、そうだと思い出したように顔を上げた。
「さっき洞窟で。驚きましたよ、あなた複合アビリティが使えたんですね。セブンリーグブーツ、一瞬で対象物に近づける能力だ。他人の複合アビリティを見たのは初めてです」
「ああ。複合アビリティ自体珍しいですからねぇ」
「あの時のあなた、まるで別人でしたよ」
「あー、なんかよく言われます。討伐になると目が変わるって。というか、今他人って言いましたね。聞き逃しませんよ。ということはあなたも複合アビリティ持ちですね?」
「おっと、いけない」
カガリはわざとらしく口を押さえるが、チサトはその手を掴み下ろす。
「ここまできて言わないはなしでしょ」
「ま、それもそうですね。私の場合はアナライズとゾーンの複合アビリティ、プロビデンスです」
うわ、とチサトは聞いてはいけないことを聞いたかのように眉を顰めた。
「とんでもアビリティじゃないですか。あれでしょ、なんでも見透かしちゃう第三の目みたいなものでしょ?」
「極端ですけど、まぁそうですね」
「あ、あれだ。前にアタシの魔障の影響とか、エンハンス言い当てたのもそれだ」
「わかります?」
「ずっるいなぁ。使えるなら最初からそう言ってくださいよ。そうしたらあなたのこと疑わずに済んだのに」
「すみません。でもほら、切り札は取っておくものでしょう?」
「隠しておくもんですかそれ」
「なんかかっこよくありません? 一見冴えないギルド職員が意外なことができるっていうのは」
「まぁ、うん。ちょっと思うかも」
「でしょう? でももう隠してることはないですから」
「ふぅん」
「あ、信用してない」
「そういうわけじゃないですけど」
当初からいろいろ秘め事の多かったカガリのことだ、まだ何かあるのではないかとチサトが疑うのは無理もない。現に、チサトにはまだ一つ、カガリについて気がかりなことがある。
「ご飯持ってきたよ!」
ミアが二人の昼食をワゴンに乗せて運んできた。ミアが一つ一つ丁寧に料理をテーブルに置いてくれるのをチサトはすっかり親心のような目線で微笑ましく見てしまう。
「アンバーにもね!」
ミアはアンバーの前に小魚が盛られた皿を置いた。しかしアンバーはそれを見てもすぐに口をつけることはなく、体を起こしいかにも食べていいかとチサトに目で訴えかけてくる。チサトはそれに「アンバー、よし」と告げるとアンバーはガツガツと小魚を食べ始める。
わっ、とミアが驚いて声を上げた。
「アンバーすっごくいい子」
「あと少しだから、もうちょっと待っててね」
チサトが言うとミアは一瞬複雑そうな顔をしてから、こくりと頷いた。アンバーの訓練が終わること、それは即ちミアがこの集落を出ていく日だ。
イオリのもとに向かっていくミアに、カガリは少し寂しそうにも、これでいいのだと言い聞かせているようにも見える表情を浮かべていた。
チサトは何か言おうと思ったが、うまく言葉を探せない。その内にカガリが魚のソテーに大量の香辛料を振りかけ始めたので、物悲しい雰囲気はすっかり吹き飛んでしまった。
「ネロちゃぁん?」
チサトの猫なで声にネロはゾッとした。作業机に試作品一号がどんと置かれる。両肩にチサトの手が置かれ、掴まれている肩に指が食い込んでくる。
「アタシのこの右手が見えるかな?」
怒りを露わにしたい感情を押し殺し、チサトが声低く言う。ネロは横目に微かに覗いている右手を見て、「申し訳ありません」と引き絞った声を出す。
ラボにやってきたチサトの機嫌がすこぶる最悪であったことは見た瞬間にわかった。その顔には貼り付けたような歪な笑顔が浮かんでいたからだ。
そうなるのも当然、試作品一号を使用した結果、チサトの右腕は数日は使い物にならないほど赤く腫れ上がってしまったのだから。指先までむくんでおり、見ていて痛々しい。
「おそらく中に使用している緩衝材のパーツが抽出装置の加圧に耐え切れなかったのだと推測されます。逃げられなかった衝撃が全てチサトさんの腕に向かってしまったのでしょう。試作品二号ではより吸収性と耐久性の高いパーツに組み直します」
「今度はちゃんと頼んだよ」
「お任せください。ちなみに使用感はいかほどでしょう」
「威力自体は凄かったよ。アタシが本気で殴ったら吹っ飛ぶどころかその場で砕け散ったかもね。って言い過ぎだなさすがに」
「本気で? つまり最大出力ではなかったということですか?」
「ん? いや、まぁ、使徒じゃないやつに全力は出さないよ。余力残しておかないと解体作業とか大変だし」
「最大出力でないにも関わらずその反動……予想以上の馬鹿力」
「うん?」
「いえ。とても良い参考になりました。であれば今私が候補に挙げている素材でも耐久値が足りない可能性が……新しく作り直したほうが早いか……」
再び作業に没頭し始めたネロに肩を竦め、チサトはこれ以上は時間の無駄かとラボを出る。
さて、とチサトは訓練場へと歩き出した。ここに来る前、手伝いを終えたミアにアンバーを預けておいたのだ。一人寂しくしているミアの遊び相手になればと思って。
辿り着いた訓練場で、ミアとアンバーが互いに追いかけ合っている。ミアの楽しそうな声にチサトは嬉しくなる。もう間もなく、ミアは本格的にこの集落で子供一人だけになる。ハルトは残るにしても、もうミアと遊ぶほど彼も幼くはない。
チサトが戻ってきたことにアンバーが最初に気づき、こちらへと駆けてくる。ミアも一緒に近づいてきた。
「ネロちゃんとのおはなし終わったの?」
「うん。次悪い子が来るまでにアタシの武器なんとかしろってお願いしてきた」
「そっか。悪い子、ここまで来るのかな」
ミアは不安そうに顔を俯かせた。来るわけないと言えたらどれだけよかっただろう。チサトは「その可能性が高い」としか返せなかった。
「家とか壊されちゃう?」
「うん」
「見張り台も?」
「全部じゃないかもしれないけど、多分」
「……大人の人いっぱいケガしちゃうかな」
「うん」
「……死んじゃったりする?」
「……」
「チサトお姉ちゃんはパパ守ってくれるって約束したもんね」
「うん、約束は守る。でもごめんね、死なないって約束はできない。けどパパのことは守る。死んでも守るから」
「ダメ! パパのこと守ってほしいけど、それで死んじゃダメ! ミア許さないから!」
今にも泣き出しそうな表情になり、ミアはアンバーを抱き締めた。「許さないもん……」とくぐもった声がする。
「……ありがとう。嬉しい、そう言ってくれて」
幼い少女の願いに頷けない自分を、チサトはこの時ほど恨んだことはない。




