あの朱き空に謳う / リテル・サ・エスリ・ドゥン
その日、未明まで降り続いた雨が、ぴたりと止んでいた。
戦場となるその平野一帯は、静まり返っている。
偵察に出ていた馬の知らせ通りであれば、その日にも敵軍団との接触となると、幢子は予想建てて、指示を出した。
治療と再編と十分な睡眠、十分な食事。
450名のバルドーの民兵と武官たち。
それに合わせて、幢子が引き連れたサザウの衛士224名。
詩魔法師が別途、31名。
後方には、バルドー要塞から逃れてきた非戦闘員や、詩魔法師たちが支援として残っている。
早朝、急ぎ足に号令がかかり、戦場への整列が行われた。
「エルカ。」
尽くせる準備を全て終えた幢子が現れ、その声に彼女は身を強張らせる。
「大丈夫、です。」
エルカのその声に、応える声も発さずに、幢子は彼女に寄り添い、両腕で抱きしめる。
幢子の腕の中に感じる温もりと、薪の焦げた炭の匂いに、エルカは、自然と肩に張った力が抜けていくのを感じた。
「大丈夫。今回は私も一緒だから。怖くて当たり前。初めての事をするのだもの。ブエラ様の残してくれた手記も、エルカが持ってきてくれた写本も、答えなんて載ってない。私たちが一番最初。怖くて当たり前。」
そうして、幢子自身も、自らの心を宥める。エルカの存在は、幢子にとって、妹と同じ、今は家族そのものだった。
「この詩は、私がエルカに、エルカが私に贈り合う詩でもあるんだよ。だから、その事だけ考えれば、きっと怖くない。だからエルカ、私と一緒に謳ってくれる?」
幢子の問い。
エルカは身を離し、幢子の顔を見上げて、微笑み、頷いた。
いつかの戦いと同じ様に、雲間から陽の光が覗く。
馬が走ってくる音が響き、空に鏑矢が打ち上げられる。これには陶製の加工が施されており、空気抵抗を受けて甲高い音が鳴り響く。
敵軍が近づいてきている。交戦を決定づける合図であった。
「全隊、戦闘準備!」
ジエの凛とした声が響き渡る。クロスボウのボルト装填や、ボルトストックの確認、或いは弓の弦や矢筒、また或いは槍やナイフの確認が行われる。
幢子とエルカの下へ、足早に駆けてきたジエが、二人の前で一礼し、そして離れていく。
「始めようか、エルカ。」
「はい。」
そうして、二人は、随伴する詩魔法師たちを振り返ると、礼を払う。
彼、彼女等もまた、それに習い、二人に返礼をする。
『『キャリ・コピ・リテス』』
『『リテル・サ・エスリ・ドゥン』』
二人が声を合わせ、詩魔法の宣誓を紡ぐ。
『ダルリ・ハラリ・キアリ・ハルプリ・リテラ』
『サレ・ハルプリ・ドレリ・スール・トコラ』
詩魔法師たちが、発声により、詩を紡ぐ。
『貴方を見送る 家族が願う』『エィデア』
『貴方の無事を 無事の帰りを』『ハルプリ』
『私は願う 世界に 空に』
『貴方が 願いに 応える力を』『エィデア・ハルプリ』
エルカが詩を紡ぎ始めると、兵士たちが弓を構える。
『貴方が願う 家族の無事を』『トコラ』
『明日への朝日を 家族の笑顔を』『スール』
『私は願う 空に 世界に』
『皆が 微笑む 優しい明日を』『トコラ・スール』
それまでと全く異なる詩魔法に、兵士も衛士も内心戸惑いながら、それでも前を見定める。
『さあ 走り出そう 前に向かって』『エィデア』
『貴方の手を引く願いに乗って』『ハルプリ』
『あの空の光が 朱く染まるまで』
『私は謳う 遥か彼方まで 貴方の中で』『エィデア・ハルプリ』
詩を乱す様に、敵の声が聞こえ始める。
「衛士隊、進軍!」
王兄衛士の声が響く。その声に呼応して、衛士たちが飛び出していく。
『ダルリ・ハラリ・キアリ・ハルプリ・リテラ』
『サレ・ハルプリ・ドレリ・スール・トコラ』
再び、詩魔法師たちが詩を紡ぐ。
エルカが幢子に礼を払って、一歩身を引く。
『貴方を見送る 家族が願う』『エィデア』
『貴方の無事を 無事の帰りを』『ハルプリ』
『私は願う 世界に 空に』
『貴方が 願いに 応える心を』『エィデア・ハルプリ』
幢子が詩を紡ぎ始めた頃、戦場では、雨が降り注ぐ地帯を避けて接近を果たした衛士たちが、槍を手に戦端を開いていた。
『貴方が願う 明日の朝日を』『エィデア』
『無事に帰ると 家族の笑顔を』『スアル』
『私は願う 空に 世界に』
『愛しき 命を 優しき心を』『エィデア・スアル』
『さあ 走り出そう 明日を目指して』『エィデア』
『貴方の手を引く願いに乗って』『ハルプリ』
『あの空の光が 朱く染まるまで』
『私は謳う 貴方の中へ 遥か彼方へ』『エィデア・ハルプリ』
幢子が詩を紡ぎ終えると、再びエルカが前に出て二人が並び立つ。
二人がオカリナを手に取ると、協奏が響き渡り、その耳覚えのある音色にバルドーの民兵たちが初めて詩魔法の効果を自覚する。
「全軍弓を構え!斉射開始!」
「斉射!」
ジエの声を受けて、それを範唱する武官たちの声が響く。
地響きのような音をたてて、一斉に彼らは矢を放ち、再び弓を構えて、そのまま第二射、第三射と放っていく。
「槍を構え!前進開始!」
「前進ッ!」
再びジエの声が響き、武官の範唱を受けて、彼らは戦場へ走り出す。
協奏を終えた幢子とエルカは、その背中を見送ると、静かにオカリナを胸元へ戻す。
『ダルリ・ハラリ・キアリ・ハルプリ・リテラ』
『サレ・ハルプリ・ドレリ・スール・トコラ』
詩魔法師たちが詩を紡ぐ。
『『私は願う 空に 世界に』』 『トコラ』
『『愛しき 命を 優しき心を』』 『スール』
幢子とエルカの斉唱に詩魔法師たちが続き、再び戦場に詩が響く。
『『さあ 走り出そう 明日を目指して』』
『『貴方の手を引く願いに乗って』』 『エィデア・ハルプリ』
『『あの空の光が 朱く染まるまで』』
『『私は謳う 遥か彼方まで 貴方の中で』』 『エィデア・ハルプリ』
謳い上げた二人が見守る戦場は、まるで大地が震えるような、鼓動を打ち続けていた。




