その1 村の泉(4)
「どれ。」
のそのそと、杖をつきながら歩いて行きます。
ハナハナは何だか心配になって来ました。本当に長老さまは大丈夫なんだろうか?
あんなにふらふらしているのに。
長老は泉の縁までやって来ると、杖をふっと振り上げて、先を水にちょんと付けました。
その途端。
泉の水が大きく波打ち、真ん中が急速に凹みました。そして、凹みの中から真っ黒い塊
が浮かんで来ました。
丸い塊は、次に縦に長く伸び始め、あっという間にハナハナ達猫の妖精と似たような姿
に変わりました。
黒い妖精は、真っ黒な髪と焦げ茶の肌をした、若い男でした。
灰色の服を着た若者は、でも姿は猫の妖精によく似ていましたが、全く違うところがあ
りました。
「しっぽが無い…」
パッセルベルの人々には、猫の妖精だけでなくみんなしっぽがあります。
けれど黒い妖精には、しっぽだけでなく、頭の上に耳もありません。
「変…」
思わず呟いたハナハナに、マーマおばさんが「しーっ」と人さし指を口に当てました。
長老は、現れた黒い妖精に向かって言いました。
「あなたは、どうしてこの泉に入ってしまわれたのかの?」
黒い妖精は小さな声で返事をしました。
「ここへ行きなさいと、言われたからです」
「ほう、ほう」
長老は大きく頷きました。
「その話を、して下さるかの?」
「はい。私はその昔、この緑龍渓谷よりずっと南の森の湖の妖精でした。
私は、魔王が現れるまでずっとそこで、仲間達と楽しく暮らしていたのですが、ある
日湖に魔王の手下が現れ、私や仲間を捕らえたのです。魔王は私達に闇の魔力を秘めた
黒い水を守るように命令しました。でも、黒い水に触れれば、私達水の妖精は黒く染ま
ってしまいます。仲間が拒否すると、魔王は拒否した者を凶暴な妖魔の巣穴へ投げ入れ
ました」
「なんて酷い…」
マーマおばさんが恐そうに口を押さえました。
「私は、仲間が妖魔に噛み殺される悲鳴を聞いて堪えられなくなりました。私が犠牲に
なれば、仲間が助かるならと、私は黒い水を守ると、魔王に言いました。そして、黒い
水に入ったのです。その途端、私の心は凶暴なものに変わりました。
…多くの人間や妖精を酷い目に遭わせました。でも、魔王が倒され黒い水が消えた途
端、私の心は元に戻ったのです。けれど…」
黒い妖精は、そこでぽろりと涙を零しました。