第8話 緑には赤が通る
世界樹から十分に距離を取ったところで、リリカが足を止めた。
「今日はもう奥へは行かないよ。世界樹のところに戻るのもなし」
木の根が張り出していない場所を選び、荷物を下ろす。
水を飲んで腰を下ろすと、走っている間は気にならなかった足の疲れが一気に出てきた。
セレンは座ったまま、来た道の方を見ていた。
「ミレヴァへ戻る前に、調べたいことがある」
リリカが顔を向ける。
「世界樹の近くには行かないよ」
「分かってる。探したいのは文香の痕跡だ」
セレンは石のように変わった左手を膝の上に置いた。
「文香は他でも、色同士の関係を調べていた。フィリナまで来て、あれだけの緑を見たなら、何も調べなかったとは思えない。ここへ来た目的がエルディンだったとしてもね」
「でも、一人で世界樹の近くまでは行けないでしょ」
「ああ。文香も近づけば危険だと分かったはずだ」
リリカは少し考えてから言った。
「緑を採って調べてたなら、どこかを拠点にして境界付近まで通ってたかもね。この辺りには水場も休憩所もいくつかあるから」
「場所は分かる?」
「もちろん。ガイドだからね。近いところから当たってみようか」
「頼む」
ロアが空を見上げた。
「もう日が傾いてる」
ここから休憩所まで戻る時間を考えると、今から別の場所を探すのは難しそうだ。
「じゃあ今日は戻ろう。探すのは明日からね」
私たちは世界樹からさらに離れた休憩所まで戻り、その日はそこで休んだ。
◇
翌朝、リリカは途中の分かれ道から、世界樹へ向かう道とは別の道へ入った。
最初に向かったのは、小さな川が流れる場所だった。
川の近くには平らな土地があり、少し離れたところを古い道が通っている。緑に侵食された場所も遠くない。
私たちは川沿いを歩き、灰色と緑の境界を見て回った。
枝や草を刃物で切った跡や、緑を採取したような痕跡は見つからない。
一時間ほど調べたところで、リリカが腰に手を当てた。
「ここは違うかな。次は休憩所に行ってみよう」
私たちは川を離れた。
二か所目は、森の中にある休憩所だった。
これまで利用してきたものと同じ造りで、屋根と床があり、机と長椅子が置かれている。
セレンは机の引き出しを調べ、私は長椅子の下や棚を確認した。ロアは外へ出て、休憩所の裏側を見に行った。
しばらくして戻ってくる。
「文香がいたような跡はない」
「こっちにも、それらしいものはありません」
「じゃあ次に行こう」
再びリリカを先頭に森を進んだ。
三か所目の休憩所が近づいた頃、リリカが道の脇で足を止めた。
「これ、刃物で切った跡だね」
細い枝の先が斜めに切られている。
切り口はすっかり乾いていた。
その先には緑に変わった草が広がっている。少し離れたところにも、同じくらいの太さの枝が途中から切られていた。
ロアがその一本を見て言った。
「薪にする枝じゃないな」
「細すぎるね」
リリカも頷く。
セレンは緑との境目まで歩き、そこで立ち止まった。
切られた枝は、どれも灰色の側から手を伸ばせる位置にある。
「文香が切ったとは限らないが、休憩所も調べてみよう」
三か所目の休憩所は、そこから少し歩いた場所にあった。
中には机と棚、長椅子が置かれている。
私は棚を、ロアは長椅子の下を調べた。
セレンが机の引き出しを開け、中を見て手を止める。
「ユイナ」
呼ばれてセレンのそばへ行った。
引き出しの中には、インクの乾いた小さな瓶とペンが入っていた。その下には、数枚の折り畳まれた紙がある。
私は一番上の紙を取って開いた。
日本語だった。
「日本語です」
「読んでくれ」
「はい」
最初の紙には、日付と調査した場所が書かれていた。
世界樹の北側、沢沿い、南西の林。
それぞれの場所で採取した緑について、簡単な記録も残されている。
次の紙にも、別の日付と調査場所が書かれていた。
何枚か読み進めたところで、色譜盤についての記述が出てきた。
「世界樹周辺の緑。五地点を観測。色譜盤による反応を比較……緑には赤が通る」
書かれているとおりに読み上げた。
「赤か」
ロアが言った。
セレンがすぐに反応する。
「今、色譜盤って言ったか?」
「はい。そう書いてあります」
「なら、文香で間違いないな。色譜盤は文香が色同士の反応を調べるときに使っていた道具だ」
「そんな道具があるんだ」
緑には赤が通る。
ザロスから奪った赤は、まだロアの中にある。
「ほかには何て書いてある?」
次の紙を開いた。
そこにも別の日の記録があり、その次の紙にも採取した場所と観測結果が書かれていた。
記録は数日にわたっている。
文香さんはここを拠点にして、何度も緑との境目まで調べに行っていたのだろう。採取した緑も、この休憩所へ持ち帰って調べていたのかもしれない。
紙を一枚ずつ読み進めた。
けれど、このあと文香さんがどこへ向かったのかは、どこにも書かれていなかった。
最後の紙まで読み終える。
「これで全部です」
「このあと、どこへ向かったかは?」
私はもう一度、紙を最初から確かめた。
書かれている場所は、どれも世界樹周辺の調査場所だった。
その先の行き先につながる記述はない。
「ありません。このあとの行き先は分からないです」
「そうか」
私は紙を机の上に置いた。




