第4話「最初の住人」
「ここに、住んでいいのか」
馬車から降りた男は、通りの家々を見回しながら、そう言った。
大柄な体躯。日焼けした肌に、古い傷が何本か走っている。右膝に布を巻いていて、歩くときにわずかに引きずる。年は三十半ばくらいだろうか。荷物は背嚢一つだけ。
「行商人に聞いたんだ。辺境の廃村で家を直してる人がいるって。冒険者をやめて、居場所を探してた。膝をやっちまって、もう潜れない」
男はトーマと名乗った。一人称は俺。粗野な口調だが、目つきは悪くなかった。
「見せてほしい。住める家があるなら」
私は三軒目に案内した。井戸に近い、収納棚と腰掛けのある家。
「こちらです。どうぞ」
入口を開けると、トーマは天井を見上げ、壁に手を触れ、床を踏んだ。冒険者の習慣なのか、空間を体で確かめる動きだった。
「南向きの窓が大きいので、午後まで光が入ります。暖炉は煙の抜けを直してあります。水は井戸から。この家の一番いいところは、朝日が台所に入ることです」
前世の内覧会の説明が口をついて出た。朝日が台所に入る物件は、前世でも成約率が高かった。朝の光で目が覚めて、明るい台所で湯を沸かす。それだけで、ここに住もうと思える。
トーマは窓の前に立った。腰掛けに座り、通りを見た。井戸が見える。
「いい位置だな」
「座ったまま、外の様子がわかるようにしてあります」
「ああ。冒険者の宿営地でも、こういう見通しのいい場所を確保するもんだ」
トーマは立ち上がり、収納棚を開いた。三段の棚板を指で押して、強度を確かめた。
「しっかりしてる。あんたが作ったのか」
「はい。壁の窪みを使って、板を渡しただけですけど」
「いや、十分だ」
トーマは部屋をもう一周した。それから入口に戻り、腕を組んだ。
「住みたい。ただ、俺は金がほとんどない。冒険者をやめてからはずっと日雇いで食いつないでた。家賃を払えるかどうか」
私は考えた。金銭を求めても、トーマに払えないなら意味がない。それよりもこの場所に必要なものがある。
「家賃は、力仕事で代えていただけますか。四軒目以降の改修で、重い物を運んだり、屋根に登ったりする作業があります。膝のご無理のない範囲で」
トーマは目を丸くした。
「それでいいのか」
「私一人では限界がありましたので。助けていただけるなら、こちらこそ助かります」
トーマは腕組みを解いた。右手を差し出した。
「トーマだ。よろしく頼む、大家さん」
大家さん。
その呼び方に、胸の奥が震えた。前世の内覧会では、何千回も「ここに住みたい」という言葉を聞いた。でもそれは私が住む家ではなかった。私は案内する側で、鍵を渡す側で、住むのはいつも別の人だった。
今、この場所で、私が直した家に「住みたい」と言う人がいる。そして私は「どうぞ」と答えられる。
「エヴァです。よろしくお願いします」
私は手を取った。冒険者の手は硬くて大きかった。
トーマは三軒目にその日から住み始めた。
背嚢の中身は衣服と、使い古した寝袋と、小さなナイフだけだった。それを収納棚に並べ、寝袋を床に敷いて、井戸から水を汲んできた。それだけで、空き家が人の住む家に変わった。
翌日から、トーマは約束通り力仕事を買って出た。四軒目の改修に使う廃材を運び、崩れかけた壁の瓦礫を片づけた。膝は確かに悪いが、上半身の力は健在で、一人では持ち上がらなかった梁の残骸を軽々と動かした。
「大家さん、前より空気がいいな、ここ」
四軒目の壁を一緒に点検しているとき、トーマが唐突に言った。
「空気、ですか」
「ああ。俺が来た日は、もう少し重い感じがした。今は楽だ。何か変えたか」
「窓を開けて、掃除して、家を直しただけです」
「そうか。まあ、換気って大事だよな」
トーマは深く追求しなかった。でも確かに、空気は変わっていた。三軒の窓を開け、人が一人住み始めたことで、通り全体の空気の流れが変わったのだろう。
作業を終えて仮住居に戻った夕方、棚を見て足が止まった。
干し肉が新しく増えていた。朝はなかったはずの包みが、棚の奥に置かれている。いつもと同じ、荷札のない革袋。
トーマを呼んだ。
「トーマさん、この干し肉、見覚えありますか」
トーマは棚を覗き込み、革袋を手に取った。
「いい肉だな。塩漬けが丁寧だ。これは市場で買うとそこそこの値がする」
「ここに来てから、時々こうして食料が棚に置かれているんです。誰が置いたかわからなくて」
トーマは革袋を棚に戻し、仮住居の中を見回した。窓、入口、暖炉。それから腕を組んで、私の顔をまっすぐ見た。
「大家さん。十年空き家だった場所に、備蓄が残るわけないだろう」
私は黙った。
「誰かがあんたを助けてるな」
わかっていた。わかっていたけれど、口に出されると、胸の底にあった不安が形を持った。
食料がなければ、私はここで生きていけなかった。資材がなければ、二軒目も三軒目も直せなかった。私がここで家を直し、トーマを迎え入れることができたのは、匿名の誰かが私を支え続けていたからだ。
「……わかりません。誰なのか」
「心当たりもないのか」
名前のない常連さんの姿が浮かんだ。外套の男。窓枠を直した手。完成した日に来て、「悪くない」と言って帰る人。
でも確証はない。あの人がここに食料を置く理由もわからない。
「心当たりは、あるかもしれません。でも確かなことは何も」
トーマはしばらく黙って、それから鼻を鳴らした。
「まあ、害がある相手なら、食い物じゃなく毒を置くわな。今のところ、あんたは生きてる」
乱暴な安心のさせ方だった。でも、冒険者らしい判断だとも思った。
「ただ気をつけろよ、大家さん。善意にはだいたい理由がある」
善意には理由がある。
その言葉が、干し肉の塩気のように、じわりと沁みた。
四軒目の改修は、トーマの力仕事のおかげで予定より早く進んだ。
通りに面した家。街道に向いた窓を大きく開け、入口の前に看板を立てた。二度目の「内覧会」。今度は、一人ではなかった。
トーマが井戸の水を汲んで、入口の前の土埃を流してくれた。「客を迎えるなら、足元くらいきれいにしとかないとな」と言いながら。
完成した日の午後。
あの人が来た。
外套の男。通りの東の端から、いつもと同じ歩調で歩いてくる。
四軒目の入口で足を止めた。中を覗く前に、通りの方に目をやった。
トーマが三軒目の前で木材を削っている姿が見えたはずだ。男の足が一瞬止まった。
私は入口の横に立っていた。男は私の方をちらりと見て、それから四軒目の中に入った。いつものように壁を確かめ、窓を開閉し、暖炉を覗いた。
中を見て、外に出て、去る。いつもの流れ。
でも今日は違った。
男は通りへ出たとき、振り返った。
私の方を見た。
目が合った。外套の影の下にある目は暗い色をしていて、その中に何かがあった。言葉にはならない何か。初めて見る表情だった。
次の瞬間、男は視線を外して歩き出した。東の方角へ。
振り返った。
それだけのことだった。でも、三度の来訪で初めてのことだった。
「ここに住んでいいのか」と聞かれた時、前世の内覧会で聞いた何千回もの「ここに住みたい」と同じ声がした。でも今回は私が答える側だった。「どうぞ」と言えた。
人が来てくれた。私が作った場所に。
そして、誰かの善意が確かにここにある。誰なのかはわからないけれど。
棚の干し肉を手に取った。明日はこれでトーマと一緒に汁物を作ろう。四軒目が終わったから、五軒目の計画を立てなければ。
窓の外では、夕闘の空の下でトーマがまだ木を削っている。三軒目の灯りが、通りに一つだけ灯っている。
もう一つ。もう一つ灯りを増やしたい。




