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冷徹令嬢の願いとトランスファーの二つの秘密②

読んでくれてありがとうございます。

 船に乗り込みながらフォーチュンはグレイに尋ねた。


「皆は無事に手続きは終えられたのかしら?」


「はい。領地と王都の屋敷に残っていた者達は皆、既に出国手続きを終えて乗船しております。フォーチュンの護衛をしていた者も馬車を戻した後にこちらに合流する手筈となっております」


「それなら良かったわ。ありがとう」


 先に船に乗り込んでいたトランスファー公爵家に使用人として仕えていた者達が出国の手続きを終えたことに安堵の表情を浮かべたフォーチュンにグレイが尋ねた。


「あまりにもお早いお帰りでしたので、とても驚きました。もしやディスカード殿下は我々の予想を裏切り、円満な婚約解消をしてくださったのですか?」


「いいえ。私達の予想通りディスカード殿下は沢山の人の目がある中で婚約破棄を告げられたわ。でもね、有り難いことに殿下はそれを卒業パーティーが始まる前にしてくださったの。お陰で私はこんなにも早くここに来ることが出来たのよ」


 フォーチュンはそう言った後、グレイに大広間であったことを簡潔に伝えた。


「ええっ!?そのような理由で婚約破棄を?ありえない……。いくらディスカード殿下が考え無しであろうとも、ありもしない罪の一つや二つは捏造してフォーチュン様を貶めて婚約破棄を告げてくる位はするだろうと思っておりましたが、まさかの心変わりを理由にするなんて……」


「驚くでしょうが、ディスカード殿下はそういうお方なのよ。彼には子どもの頃から自分の気に入らない相手に何かを与えると言った直後に前言撤回するという、変わった悪癖があってね。この十年間もの間、私は彼の悪癖を数え切れないほど目にしてきたわ」


 フォーチュンはディスカードとの初対面のときを思い出し、何故か得意げに胸を反らせた。


「最初に出会ったときディスカード殿下はあげるよと白いスミレを差し出した直後に、あげないと言って意地悪をしてきた程ですから、彼の悪癖は筋金入りなの。城の王妃教育の先生方からは、ディスカード殿下が私を婚約者に選んだ理由は、彼が私に一目惚れしたからだと聞かされたのだけど、本当は彼は私のことが大嫌いだったのだと思います。だって、いつ会っても彼は煩いと言って私から逃げてばかりでしたし、私が手紙や誕生日の花束を渡すと要らないと言って捨ててしまうし、十年間婚約していたけど、一度も彼から手紙や花束を貰ったことがなかったもの」


「……フォーチュン様、もしや、それは嫌いなのではなく、好きだからこそ素直になれず正反対の行動を取ってしまうという、いわゆる好きな子虐めというものでは?」


「フフフ。あなたも王妃教育の先生達と同じことをいうのね。ディスカード殿下は私のことが好きだからこそ虐めてしまうのだろうって。いつか素直になるだろうから大目に見てあげてとも言われたわ。だけどね、そんなことあるはずがないの。だってディスカード殿下はロウヒのことが好きなんですもの。……そう言えばディスカード殿下はロウヒと初めて会ったときは随分とロウヒを嫌っていたように見えたけど、直ぐに手のひらを返したように親密になって贈り物も頻繁にしていたわ。きっとあれが先生方やグレイの言う、好きな子虐めというものなのね」


 一人納得して、満足げなフォーチュンは目元を細め、微笑んだ。


「母が亡くなった後、領地の屋根裏部屋に閉じ込められた私は、ディスカード殿下と婚約したお陰で月に一度、王都にある城まで行くという理由で外に出られるようになったけど、ディスカード殿下は気に食わない私と十年間も婚約なんかさせられて、さぞかし嫌で堪らなかったでしょうね」


 フォーチュンが"表裏”の仕事を差配したり、自身の願いを叶えるには、どうしても自らが外に出向く必要があったが、事情を知らないトランスファー公爵家の者達はフォーチュンを疎み、領地の屋根裏部屋に閉じ込めたため、フォーチュンはディスカードの婚約者になるまでは大っぴらに外に出られなかった。


 手の者を使い、父達にフォーチュンがディスカードの婚約者になった後も自分達が住む王都の屋敷に定住することを拒ませるよう誘導し、堂々と王都と領地を行き来することが出来るようになったフォーチュンは、嫌々ながらも十年間婚約者でいてくれたディスカードには僅かばかりだが恩を感じていた。


 だから王の犠牲者であったディスカードの母親と彼の命だけは王妃から助けるべく、手の者に命じて、ディスカードの母の恋人だった男を見つけ出し護衛騎士として離宮に送り込み、王妃の同情を得て逃亡を手助けさせるために自殺未遂騒動を演じさせ、王との出会いの真実を王妃に打ち明けさせつつも、ディスカードが本当は王の子であると知られないよう、王に無理やり手籠めにされた月日だけは偽るよう指示しておいたのだ。


「人前で婚約破棄を告げるなんて相変わらずの悪癖だなとは思うけれど、愛するロウヒと結ばれるためには、あれぐらい強気の姿勢を見せつける必要があったのかもしれないわね。どちらにしろ、きっと運命で結ばれた二人なら、どこででも仲良く暮らしていけるでしょうね」


 いくらディスカードにフォーチュンへの恋心がなくても、王家と公爵家の婚約は政略的なものだから、そう簡単に婚約解消など出来なかったのだろう。 ましてや勉強を怠けるディスカードとは違い、フォーチュンは第一王子の婚約者という立場が自らの願いを叶えるためにはどうしても必要だった。


 だからフォーチュンは十年間もの間、第一王子の婚約者として真面目に王子妃教育や公務に取り組んでいたし、周囲の者に印象付けるために、より一層そう見えるように意識的に振る舞ってもいたから、ディスカードはフォーチュンが王子妃失格だと周囲を味方につけることが出来なかった。


 フォーチュンに対して、婚約解消の理由となる非など一つも見つけられなかった為、ディスカードはあのような暴挙に出るしかなかったのだろうと結論づけたフォーチュンはもう一度、一人納得して微笑んだ。


「それはそうと、グレイには十年も直接復讐するのを待たせてしまって申し訳なかったわね。これから先はグレイが決めていいからね。それでどうするつもりなの?一気に平民に落とすつもりなのかしら?」


「お気遣いありがとうございます、フォーチュン様。そうですね、一気に平民に落とすのも楽しそうではあるのですが、いきなり平民に落として、あいつらが周りに迷惑をかけるといけないですし、じわじわと不幸になる様を見る方が長く楽しめるかと思いまして、一旦は男爵まで落として段階を踏もうと手筈は整えておきました。……それはそうと、逆上すると鬼のようになる女もあの場に同席すると聞き、気がかりだったのですが、お怪我などはされていませんか?」


「ええ、大丈夫よ。彼らが計画した通りに婚約破棄されてあげたからか、お義母様も上機嫌でしたわよ。それに王妃様が味方してくださったおかげで、父に相続放棄を承諾させることが出来ましたもの」


「王妃様がですか?……意外です。確か王妃様はフォーチュン様のことを快く思われていなかったはずですが」


「そうね。だって王妃様はこの国を隣国の属国にするようにと密命を受けて嫁いできたお方ですから、それを阻む可能性が高い私を疎ましく思っていたのは当然のことだと思うわ」


 隣国の王女だった王妃が、この国の王に嫁いだのは、この国を隣国の属国にしようとの隣国の企みによる政略であった……ということにフォーチュンが気付いたのは十年間もの間、王妃教育を受けるために城に通っていたからだが、未だに隣国の属国になっていないのは、王妃が輿入れの際に初めて会った王弟のコラテラルに一目惚れして、己に課せられた使命を忘れてしまったからだった。


 当時、王妃は一目惚れしたコラテラルと再婚したいがために内密で自分と同じようにコラテラルに懸想していた王の後宮にいた側妃達を味方につけ、皆で避妊薬を用い、王には子種がないように見せかけてコラテラルに王位を譲るよう王に迫っていたらしい。


 ところが王がお忍び先で恋に落ちた平民の女に子を生ませたことで事態は一変。自分の実子に王位を継がせることに執着する王は平民の女を寵妃にし、王妃の魔の手を怖れて彼女を離宮に囲み、側室達は全て追い出し、王弟に譲位を勧める王妃を物理的に排除しようと動き始めた。


 命の危機に晒された王妃はコラテラルを諦め、仕方なく避妊を止めて王の子を孕んだが、隣国出身である彼女は、この国の王位継承は貴族と同じで長子優先であるということをうっかり忘れていた。


 王妃は平民の寵妃が生んだディスカードの王位継承に不満を抱いたが、ディスカードが王と同じくらいに愚かだったから、将来彼を傀儡にして隣国の属国にすればいいのだと考え直し、一旦は静観の構えを取ることにしたらしい。


 だからこそ王妃は聡明なフォーチュンがディスカードの婚約者とすることに乗り気ではなかったようだが、駄々をこねて婚約者にしたくせに月に一度、何日もかけて登城してくるフォーチュンに労りや感謝の言葉は一切口にせず、それどころか罵詈雑言を浴びせるディスカードに呆れ返り、フォーチュンが意に沿わぬ結婚を強いられた自分の姿が重なって見えたのか、直ぐに態度が軟化し、優しく接してくれるようになっていた。


 だが、実子であるアライからディスカードとロウヒが卒業パーティーの準備でやらかしたことを聞かされ、更には王とディスカードが王妃に内緒でフォーチュンからロウヒに婚約者を変えようと画策していることを知った王妃は、彼らのあまりの愚かさに我慢の限界が来てしまい、アライを王にし、この国を隣国の属国にするために王とディスカードを暗殺し、もしもフォーチュンが邪魔するようならフォーチュンさえも暗殺しようと思い立った。


 ……のを事前に知ったフォーチュンは手の者達を差し向け、ディスカードの母を使って王妃にディスカードの不正使い込みと王が国庫に手を付けていたことを知らせ、暗殺などせずともアライを王に出来る方法があることを気づかせた。


 更には殺意に満ちた王妃の溜飲を下げさせるために、王妃にパーティーの後に行われる婚姻調印式で王とディスカードを断罪させ、更にはディスカードとロウヒを結婚させた後、後々トランスファー公爵達の罪も発覚させ、彼らごとディスカードを貴族社会から排除するよう仕向けたのだ。


「王妃様は実子のアライ殿下を次の王に指名し、彼が成人するまではという名分で摂政政治を行っている間に隣国の属国にしようとするでしょうね。王家や実家はどうなってもいいけれど、城の人達や学園の皆や視察で出会った人達にはよくしてもらったし、隣国にこの国を乗っ取らせるわけにはいかないからね。……そうね。王妃様にはお父様に相続を放棄させるときに世話になったことだし、コラテラル王弟殿下と結婚できるようにはしてあげましょうか。アライ殿下は昔から私のことを本当の姉であるかのように慕ってくれていましたし、彼が苦労するのは本意ではないから、コラテラル王弟殿下に王妃様を抑えてもらいつつ、アライ殿下が王になる日まで国を守ってもらうように手を打っておきましょう」


 気が緩み、考えを口に出していたフォーチュンを微笑ましそうに見つめながらグレイは言った。


「そうですね。それにしても本当にご無事で何よりでした。フォーチュン様。国を出てもあなたにお仕えすることをお許してくださったこと、心の底から感謝しております」


「こちらこそありがとう、グレイ。あなたがいてくれて、いつも助かっているのは私の方です。……それにしても私について国を出ても良かったのですか?彼らの間近で復讐したかったのではなくて?」


「アハハ、私はフォーチュン様と出会えたお陰で、フォーチュン様に一生仕えていくという楽しみが出来ましたので、いつまでもあいつらに構ってはいられないんですよ。それに、この十年で復讐はほぼ済ませられましたし、あいつらの様子は私個人が所有している手の者に定期報告させるつもりですから、ご心配なく。……では船長として出港準備をしてきますので、また後で合流しましょう」


「本当にありがとう、グレイ。これからもよろしくお願いするわ……では、また後でね」





「十年か……。私、頑張りましたよね」


 船の甲板から穏やかな海を眺めながらフォーチュンは一人呟く。フォーチュンの願いはささやかなものだったが、願いを叶えるための計画は壮大なものであったため、準備に十年もかかってしまった。


 フォーチュンは願いを叶えるために十年かけて、本来フォーチュンが譲り受けるはずだった亡き母の“表”の遺産やトランスファー公爵当主に与えられる“裏”の財産をグレイを通して密かに海外に作った拠点に移したのだ。


 それらをフォーチュンが海外に移そうと考えたのは、母が亡くなる直前にフォーチュンに秘密を打ち明けたのがきっかけだった。母が秘密を打ち明けた理由は定かではないが、今際の際で突然、涙ながらに話しだしたから、もしかしたら誰でもいいから懺悔を聞いてもらいたかっただけなのかもしれない。


 秘密はフォーチュンの出生にまつわるものだった。フォーチュンは双子の妹として生まれたが、姉は生まれて直ぐに亡くなったのだと聞かされていた。が、本当は双子の姉は生まれつき病弱に生まれたから金をかけて育ててもトランスファー公爵家の役には立ちそうにないという理由で名前をつけることなく捨てたということだった。


 思いがけない真実を知らされたフォーチュンは姉を捨てた両親に対して激しい怒りを抱いた。いや、怒りというよりは悲しみだったのかもしれない。トランスフォー公爵家は他の貴族家よりも裕福で、両親に子に対する慈しみの心が少しでもあれば、国一番の医師に姉を診せることは容易だっただろうし、たとえ短命であったとしても最期の最後まで姉の側にいて、看取ってやることだって出来たはずだった。


 なのに、それらのことを姉にしてあげようという考えもなければ、やっておけばよかったという後悔の言葉も母の口からは聞けなかったし、父はそもそもフォーチュンを嫌って、ろくに口を聞いてくれなかった。特殊な家門を維持することしか考えていない母と子を嫌う父。両親の無情をたった8つで思い知らされたフォーチュンは母の葬儀の最中も姉を思って泣き、母の死を素直に悲しめなくなってしまった自分が酷く悪い人間になってしまったように思えて、涙を流して泣いてしまった。


 そして姉が捨てられたと知ったフォーチュンは姉の行方を知りたいと願った。フォーチュンは今までも領地の屋敷の裏にある小さな墓に毎月、花を供えていたが、その墓に姉は眠っていなかった。ならば、もしも姉が捨てられた先で亡くなっているのならば、その墓に花を供えたいと切実に願った。


 そして、もしも捨てられた先で姉が生きているのなら、姉に自分が貰うべき遺産の半分……兄弟姉妹がいる場合、親の遺産は子らに等分されるため……を渡したいと願ったのだが、実父達がトランスフォー公爵家を乗っ取り、フォーチュンが貰うはずだった母の“表”の遺産を奪ったため、そうすることが出来なくなってしまった。


 フォーチュンは彼らが奪った財産を取り返し、姉に渡す日が来るまで手が届かない場所に隠したいと考えたが、領地の屋敷の屋根裏部屋に追いやられ、その上、王妃教育を受けることになった身では、領地と城の行き来の際に領民達の生活を守るために“表”の管財人のふりをして、使用人に命じて領民に領地経営の計画書を配ったり、領民達の財産を守るために銀行を開設することは出来ても、“裏”の仕事を廃業するために国中を動き回ったり、国外に行って“表裏”の財産を移す手筈を整えることは難しかった。


 だが、“表”の管財人として優秀だったグレイがフォーチュンに仕えることでそれが可能となった。フォーチュンは後妻やロウヒが病的なほどに買い物好きであることや、トランスフォー公爵とロウヒが儲け話にめっぽう弱いことを知っていたから、父達が国外の商人と取引したように見せかけて財産を国外に移すようグレイに頼んだのだ。


 フォーチュンは亡き母の“表”の遺産の半分は、母の夫であったトランスファー公爵に残しておくつもりだった。しかしトランスファー公爵がトランスフォー公爵家を乗っ取って当主となっておきながら、トランスフォー公爵家の“表”の仕事を一切していないことや、グレイ達使用人への暴言や暴力、領民達への無関心さ等々に考えを改め、遺産の残り半分はグレイや初代の頃から仕えてくれている“裏”の使用人……青年の仲間達の子孫……に退職金代わりに分け与えることにした。


 初代トランスファー公爵となった青年は王家とトランスファー家のどちらかが人を思いやる心を失ったときが密約の終わりだと条件に揚げていた。だからトランスファー女公爵であったフォーチュンの母が、病弱だからという理由だけで生まれたばかりだった姉を捨てたことで、トランスファー公爵家は“裏”の仕事を続ける資格を失っていたし、王家も王が庶民であったディスカードの母親を無理やり手籠めにし、密約を破っていたのだ。


 そのためフォーチュンは“裏”の仕事を廃業しようとしたが、国中に忍ばせた手の者達を一斉に引き上げさせると善悪の調整役を失った国が無法地帯と化し、民衆が困ることになる恐れがあったから、十年かけて手の者達を徐々に引かせ、彼らにこれまでの労を労い、退職金を渡したところ、彼らもグレイと同じように今後は“表裏”関係なくフォーチュンに仕えたいと申し出てきた。


 と、いうのも彼らもまた、グレイと同じで復讐心に燃え、忠義の心も大層厚い人間だったからだ。青年の仲間達の子孫である彼らにとっても、フォーチュンは自分達の唯一の主人であると同時に、トランスフォー公爵家の者達やディスカードは彼らの憎き仇達であったのだ。


 グレイ同様彼らもフォーチュンが虐げられていることが当然許せず、フォーチュンがトランスフォー公爵家を出るときには一緒に付き従い、トランスフォー公爵家を出ようと決めており、いつそうなってもいいようにと準備を整えていたので、フォーチュンが今回の決断をしてから一ヶ月しかなかったが、その支度に手間取るようなことは何一つなかった。


 ゆるやかな潮風を肌に感じつつ、フォーチュンが思うのはまだ見ぬ姉のことだった。


「お姉様……」


 フォーチュンの母は今際の際で、フォーチュンの姉は既に生きてはいないだろうと言って亡くなったが、何故かフォーチュンはどうしても姉が死んだとは思えず、グレイに頼んで秘密裏に人を雇い、姉の行方を探してもらっていた。


 長年の調査の結果、姉は捨てられた後に人買いによって他国に売り飛ばされ、行方知らずとなっていたが、現地で入念に足取りを辿ったところ、どうやら人買いは姉が病弱だとは知らなかったらしく、異国に渡った先で捨てられていたということがわかった。


 しかし幸いなことに、神父に拾われて命を救われた姉は、教会が経営している孤児院で育てられ、花屋を兼業している農家の青年と恋仲となり、近く結婚することになっているらしい。体は今も強くはないらしいが自身の境遇を嘆くことはなく、慎ましくも穏やかに暮らしていると報告を受けてフォーチュンは安堵の涙を流した。


 姉を思うフォーチュンの瞳に感情の揺らめきが映り、サファイアの光に輝きだしたが、直ぐにどこかから聞こえる男達の言い争うような声によって、それはいつもの冷静な紺碧の瞳へと戻っていった。


「何かしら?……もしかして追手?困ったわ。誰にも手荒なことはせずに穏便にお姉様のいる国に行きたいのに」






 今までフォーチュンは姉の生存を信じてはいても、直接姉の元へは行くつもりはなかった。それはトランスファー公爵家との縁が姉の平穏を乱す可能性に繋がる恐れがあると考えたからだった。だから当初、フォーチュンは姉の生存がわかり次第、グレンを通じて匿名で姉に何らかの理由をつけて財産の半分を渡すつもりでいたのだが、ディスカード達王家の企みが、その考えを一変させた。


『ええっ!?本当なのですか!ディスカード殿下が婚約破棄を考えていて、しかも王妃様がフォーチュン様を断罪するなんて!』


 城の者達の密告によって知った王家の企みをフォーチュンから聞かされたとき、グレイは驚きと怒りで声を荒げたが、王家の企みを知ってもフォーチュンの冷徹な表情が崩れることはなかった。


『本当よ。ディスカード殿下は卒業パーティーの日に私との婚約を破棄するつもりだし、王妃様は私ごと王とディスカード殿下を切り捨てようとお考えよ』


『そんな酷いことを考えているなんて……。トランスファー公爵家は代々、始祖王との密約を守って国に尽くしてきたというのに……』


『ああ、それなんだけどね。どうやら国王は密約をご存じないみたいよ。十年前に登城したときに、法律書と黒い帳簿を持参して、母が契約違反したから密約は終了するとそれとなく王に伝えたのだけど、何を言っているのか理解できないという顔をされたの』


『法律書と黒い帳簿?』


『初代トランスフォー公爵と始祖王が取り決めた面談に必要な物なの。法律書の中はくり抜かれていて、密約の契約書が入っていて、黒い帳簿はトランスフォー公爵家の“裏”の仕事の詳細が書かれた帳簿なの。本当なら王に両方見てもらって、次代のトランスフォー公爵となる私が“裏”の仕事を続けるかどうかを王が判断することになっていたのだけど、王はそれらに少しも関心を持たなかった』


『それはおかしいですね。フォーチュン様のお母様がトランスフォー公爵を引き継いだのは今の王の在位中だったはずですが、王はそのときのことを忘れてしまったのでしょうか?』


『それがね、引き継ぎのために“表”の帳簿と“裏”の帳簿を確認したら、母が当主になってからトランスファー公爵家の“表”と“裏”の財産が一気に増えていたことがわかったの。きっと母はトランスフォー公爵家当主となったときに王と面談して、王が密約を知らないことに気づいたのでしょうね。それをいいことに母は私利私欲のためだけに“裏”の仕事をし、“裏”で知った情報を使って“表”でも荒稼ぎした。だけど私は“裏”の仕事を廃業するつもりだったし、王が知らないなら知らないままの方がいいだろうと思って、あえて説明はしなかったの』


『そうでしたか。ですが、この十年もの間、フォーチュン様は本当にディスカード殿下の婚約者として頑張っていらしたのに……慰謝料は貰わないのですか?』


『王家とは違い、裁判所の執行官や税務の人間や騎士達はとても優秀なの。彼らはどんな小さな金の流れでも見逃さない。私は公費の使い込みなんてしていないけれど、彼らに始祖王との密約や“裏”の仕事の事がバレたら国の根幹を揺らがしかねないことになるし、十年かけて財産を海外に移していたことがバレたら、お姉様に財産分与したいという私の願いが叶わなくなってしまう。だからディスカード殿下に婚約を破棄されるのも、慰謝料を貰わないでおくのも、私にはとても都合がいいの』


『それはそうですが……。フォーチュン様はこれから、どうされるおつもりですか?』


『私ね、国を出ようと思うの。そしてお姉様のいる国に行って、その国に投資をしようと思っているの』


『えっ、国に投資ですか?それは何故ですか?』


『だってお姉様がいるのは貧しい国だからですわ。国全体が貧しいのにお姉様だけが豊かになれば、お姉様が余計な人災に遭う恐れが出てくるでしょう。かといって、この国にお姉様を連れてくるわけにはいかないし。最初はお姉様に財産分与できればいいと考えていたけれど、この国に私は必要ないみたいだし、私の手でお姉様の国の産業を活性化させ、全ての住民の生活水準を向上させ、間接的にお姉様の生活を豊かにし、幸せに暮らせるようにしてあげたいの』


『それは素晴らしい思いつきですが、一体どうやって豊かにするおつもりですか?』


『幸いなことに、私はトランスフォー公爵家当主教育や王妃教育の他に、怠惰なディスカード殿下では国政の頼りにならないからと帝王教育も施されていたの。だから国造りの方法は“表”も“裏”も既に習得済みよ。それに公務に出ていたおかげで、周辺諸国の外交官達との伝手も出来ていますし、ありとあらゆる職種の者達と話す機会を多く得たことで世情にも疎くならずに済みましたからね。グレイも皆もこれからも私に仕えてくれると言ってくれているし、取り返すことが出来た私の財産を元手に、まずは商会を立ち上げるところからやってみようと思っているのだけど、力を貸してもらえるかしら?』


『……凄い。凄いです!流石です、フォーチュン様!どこまでもお供します!』






 《この縄をほどけ!金儲けの方法を教えてくれるというから着いてきたのに話が違う!》


 物思いに耽っていたフォーチュンの耳に再び、異国の言葉で男達が言い争う声が聞こえてきた。


 《いい加減に観念しろ!お前はもう奴隷として売られることが決まったんだよ!》


 《何だって!?私を騙したのか!この愚か者!このオーセンティックを誰と心得る!直ぐに私を解放しろ!妹や皆が私の帰りを待っているんだ!》


 《お前が誰かなんて知るか!騙される方が悪いんだよ!大体、国中の人間を幸せに出来るくらい金儲けをする方法なんてあるわけないだろうが!お前に出来るのは、その美貌で御主人様を楽しませるぐらいだろうさ。大人しく着いてこい!》


 《嫌だ!私は国に帰る!妹が待っているんだ!》


 男達の言い争う声が段々大きくなってくるのに気がついたフォーチュンは波止場で男達に引きずられる薄汚れた青年がいるのを見て、近くにいた船員に頼んでグレイを呼んできてもらった。


「フォーチュン様、どうされましたか?」


「あそこを見てみて。“裏”がいなくなったのを察知したのか、たちの悪い者達が港に入り込んだようなの」


「どうやら我々が今から向かう国から来たようですね。……あの青年も気の毒に。どうやら家族を養うために出稼ぎにきたようですが、あの手の輩は甘言で惑わし、罪のない者を騙すのを得意としますからね。奴隷となったら、もう二度と家族の元には帰れないでしょう」


 フォーチュンは姉の真実を知る前までは両親を愛していたし、両親から愛されたかったが、母はフォーチュンのことをトランスファー公爵家を存続させる跡取りとしてしか見ていなかったし、父は母への屈折した愛情故にフォーチュンを憎悪していたから、両親からは愛してもらえなかった。


 フォーチュンは生き別れた双子の姉に本当は会ってみたかった。会って両親の非道を心から謝罪したいし、姉が望むものがあるなら可能な限り与えたいし、困っているなら自身の手で直接助けたい。名乗り合って姉妹の情を交わしてみたいし、一度でいいから家族として愛されてみたかった。


 でも、そうはしないと決めている。何故ならフォーチュンは姉の幸福を心から願っているからだ。だから、これからもフォーチュンは姉に会いには行かない。幸い、家族には恵まれなかったが、姉もフォーチュンも人には恵まれた。それだけで十分だ。


 だけど、あの青年はそうではない。彼には彼を愛している家族がいて、彼の帰りを待っているのだ。この場で姉のいる国の者に出会ったのも何かの縁だろう。神父が姉を助けてくれたように、青年を助けよう。


「……出発まで後どれくらい時間はかかりますか?」


「半刻ほどで出発できますが……。まさか、あの青年を助けるおつもりで?」


「ええ。グレイ、少しだけ行ってくるわね。追加であと一人乗船させますから、用意をお願いします」


「ええっ!?もうすぐ出発ですよ!どうしても助けたいなら手の者達をやりますから、フォーチュン様はここでお待ちください」


「いいえ、私に行かせて。私が助けたいの」


 そう言ってフォーチュンは船を降り、青年がいるところに駆けて行った。……見返りを求めないフォーチュンの善意が、やがて彼女が心から欲した愛よりも何十倍も大きな愛となって返ってくるとは思わずに。




 【完】

この回で完結です。ここまで読んでくれてありがとうございました。

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