混沌街へようこそ
静寂に包まれた夜の闇に、乾いた音が響いた。
それが錆び付いたトラッシュボックスを蹴飛ばしたものか、とち狂った馬鹿の発砲音なのか――そんなことを気にするナイーブな奴は、ここにはいない。
銃弾が外で飛び交う程度のことなんて、ここでは日常に過ぎなかった。
パチパチとショート音をくり返し、点滅する街灯だけが夜を闇から遠ざける。
酷く静寂なのは、人がいないのではなく、ただ息を潜めているだけ。
獲物とならないためか、獲物を探すためか。
いや――ここでは、大抵の人間がその両方の属性を兼ねている。
人を食い物にすることは、ここでは呼吸に等しい。
鬱屈として、広大なのに閉鎖感で叫びたくなる世界。
そんなスラム街の外れに、今にも切れそうな電飾看板があった。
“何でも屋”とだけ記されたその光は、頼りないながらもこの場に店があることを主張している。
その何でも屋の前に一人の客が立ち、扉を乱暴に蹴り開けた。
「らっしゃっせー」
唐突かつ乱暴な来客であっても、店員は全く慌てる様子を見せない。
けれど同時に、客に対しても完全なる無関心。
驚くほどにやる気が見えず、カウンターからずっと奥のオンボロテレビを見続ける。
それ以外はただ心底ダルそうで、随分と態度の悪さが目立つ。
店員の名前は『ユリウス』。
それさえも、この都市では本物かどうかわからないが。
来店した客はフードを奥までかぶり、完全に顔を隠していた。
顔を隠しながら乱暴に店に入って来る。
その暴挙はもう十二分に敵対者と判断して良いだろう。
"逃げる"か"殺す"か"命乞いを迫る"か。
少なくとも、他の奴ならそうしている。
けれどユリウスは何の反応も見せず平然としていた。
というか、客の方に一度も目をくれていない。
危険とか敵対とか以前に、店員としてあまりにも不用心すぎた。
端的に言えば、人生を舐めている。
一瞬だが、客はこの不用心で腑抜けた店員を前に盗みを考える。
けれど、すぐに考えを改める。
この客よりも強盗の方が多いクソッタレな『混沌街』で、深夜に店を営業してやがる。
つまり、とびっきりのイカレ野郎ということだ。
そんな奴相手にやらかすなんてのは勇気ではなく、単なる無謀である。
客は静かに、カウンターに商品を置く。
「三十ソール」
顔も見ず、どこか遠くを見ながら、それだけユリウスは呟くいた。
小さなカプセル状の『電子ドラッグ』。
点眼式のナノマシンで、中毒症状も後遺症もなしで娯楽が楽しめるという優れものである。
まあ、中毒・後遺症なしなんて妄言を信じている馬鹿なんているはずもないが。
それがわかっていても、使う奴は多い。
なにせこいつの値段は弾丸一発とほとんど同じ。
そんなチープな値段で楽しめる娯楽は他にない。
他人に迷惑を与えないだけ、貧乏人の娯楽の中では極めてまっとうな部類だろう。
「あっしゃっしたー」
去っていく客に無礼すぎる挨拶をしながらも、相変わらず視線は遠い。
そして――。
パァンと、激しい音が。
ユリウスが頭を押さえて振り向くと、禿げ頭の大男が雑誌を丸めて睨んでいた。
ユリウスは頭を掻きながら大男の方を見て……。
「店長、雑誌は高価なんですけど」
「てめぇサボっておいてなんだその態度は!?」
「えー。ちゃんと接客したじゃないですか?」
「『トラック』は五十ソールだ!」
「いや、どうせ値切りで三十になるじゃねーか。いちいち手間なんだけど」
「最初から三十で売りゃ、次は二十で、そん次は十にされるだろ!」
「下げなきゃいいじゃん」
「うちの店がケチって評判つくだろうが!」
店長の叫びに「あーはいはい」とユリウスは適当に流す。
大体、評判も何も、この辺りで何でも屋なんてここくらいしかないのだから気にする必要などない。
二十四時間営業に限定すれば、混沌街で唯一でさえ可能性さえある。
というか、評判よりも、もっと気にする部分がいくらでもあるだろうに。
この街の夜は、人が生きるには、あまりにも残酷過ぎる。
再び遠くを見るユリウスに、店長は小さく溜息を吐いた。
「お前は本当に……。何が面白いんだ、そんなオンボロテレビが」
「そですね。ナノマシンと機械義体が普通に売ってるような時代で、よくもまあこんな分厚いブラウン管テレビが生きてますね。化石よりレアなんじゃないですか? 売れるんじゃ……」
「精々三千ソール程度だったから売らんかったわ!」
「そですか」
興味なさそうに、ユリウスは再びテレビを見続けた。
「いや、マジで何が面白いんだ? そんな遠い世界のニュースなんざ見てさ」
テレビ画面に映っているのは、屑とダニしかいないこのアルハンゲルとはまるで違う、楽園のような世界だった。
【アルハンゲル】
素晴らしき幸福と道徳の都市。
ある意味、嘘はない。
道徳を自由に作れる支配者にとってみれば。
この街は『樹木の年輪』のように区切られ、内側に行くほど富と権力が集まる。
そしてその中心は、この最果てのコンビニからだって見ることが出来た。
夜空であっても確認出来るほどまばゆい、天を貫く、巨大な搭。
それこそが、この都市のすべてを管理、支配する『アルハンゲル・タワー』。
そのタワーと、そしてタワー周囲だけは、本当の意味で幸福に包まれている……そうだ。
まあ、第三制御地区、最外周である通称『混沌街』にいる彼らには、縁も所縁もない話に過ぎないが。
今、オンボロテレビが映しているのは、ここで暮らす者は決して見ることのできない、遠い遠い本当の楽園のような世界だった。
一年中雪が降らず、日中にはいつも太陽が出て、決して凍死することがない。
町中に死体が転がっておらず、麻薬目当てのジャンキーに襲われることもなければ店に強盗が入ることもない。
仕事を探すのに身分が必要で、けれど全国民が身分を持っている。
学校があって、病院があって……そして、盗みをすると捕まるのが当たり前。
そんな窮屈で幸福な世界が、この世界のどこかにある。
そんな嘘みたいな世界を、テレビは彼らに伝えていた。
テレビに映るニュースでは、可愛らしい金髪の美少女が大勢のマスコミに囲まれ、インタビューを受けていた。
少女は周囲の賞賛をどこか鬱陶しそうに受け流し、無表情のまま冷たい口調で淡々と答えている。
テロップには『お手柄天才美少女名探偵』……なんて、チープすぎる誉め言葉が踊っていた。
「探偵ねぇ……随分とお花畑な世界があるもんだ」
店長はそう吐き捨てる。
この混沌街で――いや、中央区でさえ、探偵なんて職業は成立しない。
なにせこのアルハンゲルでは、法律がほとんど機能していない。
ありとあらゆるルールが、クソッタレな大企業様のご機嫌一つで決まる。
店長の言葉に反応せず、ぼーっとユリウスはテレビを見続ける。
店長は、わざとらしい嫌味な大きなため息を吐いても、その態度は変わらなかった。
こいつの良いところは、深夜だってのに危険手当もなくバイトに入ることと、仕事はちゃんとすること。そして盗みを犯さないこと。
悪いところは、見ての通り。
それでも、店長にとってはありがたい従業員であることに違いはなかった。
「もう見ながらでも構わん。どうせ話は聞いてるんだろ? 俺はこれから出るぞ」
「こんな夜中に? 危なくない?」
「一番危ない貴様が言うと笑えるな。コレんとこだよ」
そう言って店長は品のない表情で小指を突き出した。
「店長、奥さんいたよね?」
「だから、深夜なんだよ」
今度はユリウスが溜息を吐く番だった。
「そうそう。一時……いや、二時になったら店を閉め、お前も上がれ」
その言葉にユリウスはぎょっとして、思わずテレビを見るのをやめ、店長の顔を心配そうに見つめた。
「え? ど、どうしたんですか、店長? そんな常識的な判断して。風邪でも引きました?」
すぱーんと、店長の握られた雑誌が唸りをあげた。
「しばらくは“あの騒動”で閑古鳥だろ? 無駄を省くにも賢いやり方ってやつだ」
そう言って店長は自分の頭をとんとんと叩く。
どうせ騒動の起きる前から大して客は来ていない。
というかそれ以前に、他のどの店も二十四時間店舗をやっていない理由を考えていない。
商才という意味でも、知性という意味でも、常識という意味でも、あらゆる意味で商人に相応しくない。
ぶっちゃけ店長は無能である。いや、無能な上にロクデナシである。
けど、割とどうでもいいことだからユリウスは黙っておいた。
まともに法律が機能していないアルハンゲルだが、この都市にも三つだけ絶対の法則が存在する。
一つ、【警察を見たら逃げろ】。
あれはお前たちの味方じゃない。
二つ、【金持ちには逆らうな】。
大企業様の悪辣さは、この最下層である混沌街が平和に見えるほどに汚い。
そして三つ――。
【怪物を、忘れるな】
対策?
そんなものはない。
だからこそ、【忘れるな】以外に言うことはない。
店長の言うあの騒動とは、この三つ目について。
ここ最近、深夜に『バユン』と名乗る殺人鬼が出るなんて噂が広がっていた。
この混沌街において殺人鬼が名を残すというのは、非常に稀有な事象である。
何故ならば、ここでは殺人鬼より被害者の方が性質が悪い。
二人三人殺す間に必ず返り討ちに遭う。
にも関わらず、生き残り殺人鬼としての名を残している。
悪党共を返り討ちにし続け、殺人鬼としての名を確かなものとした。
そいつは確かに、化物だろう。
十分、用心するに値する。
「つーわけで二時には店を閉めろ。そしてまあ、一応はてめぇも気を付けな」
「店長。俺を心配して……」
「……面倒なんだよ。単独で任せられるまともなバイトを探すのは。最低でも十人はぶっ殺さにゃならん」
「店長はやっぱり店長だなぁ」
「馬鹿にしてないか?」
「いや別に」
「そうかよ。だからまあ、気を付けて働け」
「あいこぴー」
すぱーんと雑誌が降り注ぎ、ユリウスの目の裏に火花が散った。
「わかりました、だ! というかどこの言葉だそれ?」
「あいあい。わかりました」
「ったく」
ぶつぶつと言いながら、店長は表から店の外に出る。
その直後だった。
無数のクラッカーが同時に鳴ったような、激しい音が響いたのは。
ユリウスの耳が激しい音にキィンとなっている間に、入口から出ていった店長が、店の中にばたりと倒れる。
その醜く肥えた腹に、無数の風穴が開かれていた。
そう、人々は決して忘れてはならない。
怪物というのは理不尽で、絶望的で、そして本当にどうしようもない時に現れるということを。
店の中に大男が入って来る。
体格で男だろうとは思うが、確証は持てない。
そいつは、獣の被り物をしていた。
妙にリアルで生々しいその被り物は、おそらく猫。
相当暑いのか、ふしゅーという呼吸音と共に、大量の蒸気が被り物の隙間から溢れていた。
そいつの手には、クラシックなショットガンが握られていた。
一切の電気仕掛けが施されてない、木製ストックのレトロな銃。
きっとコレクターが見たら高く買うだろう。
獣男はショットガンを背後に背負い、代わりに別のものを両手に握る。
唸り声のような音と振動で、ユリウスはその物体の正体に気づいた。
それは――『チェーンソー』だった。
草木を狩るにはあまりにも巨大な上、ゴテゴテと無数の装甲板が張り付けられている。
それは、とても人間が持てる代物ではない。
けれど、獣男は軽く片手で振り回していた。
生々しいエンジンの音と、こすれる金属音が響く。
獣男はためらうことなく、死体に刃を添わせた。
ブゥン……ギャリギャリギャリ!
肉が切り刻まれ、骨が砕け、臓物と共に世界は血で満ちる。
一度、二度、三度。
繰り返し、電動の円刃が走る。
気づけば店長だったものはただの肉塊に変わり、店内はすっかりノエル仕様。
十二月でもないのになんとめでたいことであろうか。
そして一仕事終えた後……獣男『バユン』は、ユリウスの方に顔を向けた。
「今日は、一つで良い。だが……」
妙にくぐもって、そして人工的な声だった。
「一言だけ、許してやる。生きたければ、我を納得させる一言を口にしろ」
その言葉には、明確な殺意が籠っていた。
たった一言、唯一許された時間。
そんな状況でユリウスは……。
「お弁当はいかがですかー?」
いつも通りの退屈そうな無表情で、そうとだけ答え――激しい衝撃を、その身に浴びる。
バユンの手には、煙を放つショットガンが握られていた。
先ほどまでの店長と同様に、その胴体には無数の穴が。
ユリウスは、その場に崩れ落ちた。
「……イカれている。麻薬中毒者か?」
侮蔑したような雰囲気を出しながら、バユンは吐き捨てる。
そこで、少しだけ迷った。
自分のこの『芸術』に、この怠惰な狂人の血を混ぜるべきか。
血が足りないと感じるのはまごうことなき事実だが……。
この醜き資本主義に染まった汚れた場を、自らの手で芸術へと昇華させ神に捧ぐこと。
それは己に託された使命であり、そして絶対の道徳。
悩んだ末、バユンは拘りよりも使命を優先した。
狂人の中にも、優先順位とルールが存在していた。
再び、チェーンソーが唸りを上げる。
けたたましい爆音を響かせ、バユンはユリウスにチェーンソーを押し込んだ。
肉が削げると共に、血しぶきが火花と共に飛び散る。
そして――ガギンと、奇妙な音が。
その直後、チェーンソーは脈動を止めた。
男はユリウスの身体からそれを引き抜き、己がアートのための筆に目を向ける。
刃が、喪失していた。
ごっそりと、まるで大きな獣に食われたように。
「あーあー。気に入ってたのになぁ、ここ……」
そう呟くのは、死体。
いや、死体でなければおかしな存在。
胴体には無数の穴が開き、内臓は半分喪失。
チェーンソーは肩から心臓を裂き、腰付近まで到達している。
それなのに……ユリウスは、平然としゃべっていた。
機械義体でもないことは内臓が証明している。
肉体改造などの生体工学の影響も受けてはいない。
バユンと違って。
めきり、ごきりと鈍い音が鳴り響く。
それは、ユリウスが変わる音。
人間であった姿から、いや死体であった姿から、さらに遠のく。
見るも悍ましく、そして既存のどの生物にも似ない、例えようもない姿。
つまり――。
「か、【怪物】……」
男は……バユンはこのアルハンゲルに生きているくせに、絶対の法則を忘れてしまっていた。
たかだかサイバネを仕込んだ程度で、自分のことを怪物だなんて勘違いしていた。
そんなわけがない。
その程度で怪物となれるならば、怪物は【第三法則】に認定されない。
だからこそ、法則を忘れ身を潜めぬ愚か者が巡り合うのは必然であった。
人々を喰らう偽物の怪物は、本物に――。
夜のもと、小さき命は一つの悲鳴へと化す。
けれど、この街ではそんなこと誰も気にしない。
悲鳴ののちに二つの死体が転がり、空き家が出来るなんてことは……よくある、いつもの日常に過ぎないのだから。
ありがとうございました。




